いつか朝日が昇るまで

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授業参観で普段通りの自分を出してみたという話

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授業参観というと自分たちの親が学校の授業を見にくるわけですが,建前上は普段の授業の様子や子どもの様子を親が見るのが目的でしょう。ところが実際には普段の授業風景ではなく,先生は気合が入りまくり。普段は使わないマグネットで作った図形を駆使し,図形の公式を説明していく。先生の服装も普段とは違った服,何もかも違う授業風景に普段の授業のかけらもありません。

 

そうしたことは何も先生だけではなく,生徒もそうで,普段はうるさくてまともに授業なんか聞いていないような生徒がとてもおとなしく授業を聞いているわけです。そんな授業参観っておかしくない?と思ったのが中学2年生の時でした。

 

中学2年生のクラスはよくもこれほど悪い生徒を集めたかというくらい悪い生徒が集まっていて,しかも担任の先生は女性で完全になめられていました。授業がほとんど成立せず,その女性教師は泣いてしまい授業中止。そして他のクラスの先生が集まり,緊急の学級会が開かれてお説教をされたりもしました。

 

そんな状況のクラスであるはずなのに,授業参観は普段と違うおとなしいクラス。いつもは偉そうに悪ぶっている生徒も親の前ではおとなしくなるわけです。それはやっぱりおかしいと思った私は普段の自分を出さなければならないと考え,授業参観に臨んだわけです。その時は学級委員長でありまして大変な責任感があったわけです(違)。

 

さて当日ですが確か数学の授業だったと思います。私は普段通り,先生にはタメ口。分からないところは分からないとはっきりと先生に伝えるという普段通りの自分を親たちに見せることに成功しました。そのクラスで私だけが普段通りの私であり,他の生徒は偽りの自分を演じているという状況。いつも通りの授業参観ではありましたが,私だけは普段の自分を見せるという本来の目的である授業参観を実現できたと考えていました。

 

しかし当然ではありますが,授業参観後,母親は「何なのあの態度は。恥ずかしい」というものでした。こうした反応が母親からあるのは予想通りで驚くことはなかったわけで,私の中では普段あれほど先生の言うことを聞いていない連中が親の前では良い子を演じることにこそ恥ずかしさを感じていたので,そんな親の批判は無視していました。

 

もちろん子を持つ父親としてこうした態度を子どもが取っていたら腹が立つという気持ちは理解できるのですが,授業参観という日にちがあらかじめ設定され,その日に向けて先生は準備し,生徒はその日は良い子を演じるというイベントをわざわざ行うことにどんな意味があるのかという思いは今も変わりません。しかしベネッセなどのホームページを見るとむしろ授業参観はイベントだと言いきっているように感じるので,そもそも私の理解が間違っているということなのかもしれません。

 

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多くの保護者が一番に関心をもっていることは、自分の子どもが「学校でうまくやっているか」です。親の目で確認するために授業参観にやって来ます。[ポイント1]は、授業参観の基本ではありますが、そんな保護者の気持ちを理解し、すべての児童が輝ける場を用意することが何よりも大切です。例えば、環境問題を考える社会の授業をするとします。事前に地球温暖化の原因や50年後の地球がどうなるか、などのテーマをグループごとに決めます。さらに、一人ひとりが調べる細かい課題を決めるようにし、準備をします。授業参観では、調べてきた現状をそれぞれが発表し、問題を解決する方法をディスカッションします。前もって準備をしている分、子どもたちは余裕をもって当日の授業に臨むことができます。また、事前に調べる過程で、保護者と一緒に話し合ったり、意見を聞いたりする場面を宿題にしておけば、観に来た保護者も巻き込んで盛り上がる授業ができます。 

 

 [ポイント2]の掲示物は、保護者が学校での子どもの様子を知る手がかりとなるものなので、ただ単に並べておくだけにならないように配慮が必要です。

 

最後の[ポイント3]は、行われた授業の目的とその目的に対して児童たちがどう受け止めたかを保護者に伝わるように工夫します。

学校のページ 教育関係情報|Benesse(ベネッセ)教育情報サイト|受験・進路進学・家庭学習・しつけ

 

こうした授業参観で子供が学校でうまくやっているかどうかなんてよく分からないと思うのですが,そもそも授業参観がイベントであるならばそれも頷けます。でも子供が普段どうしているのか,どのような授業が展開されているのかって事前に準備させてイベントにされたものを見てもよく分からないと思うんですよね。それにそんな保護者参加型の授業は普段展開されているわけはなく,それで保護者が満足するとは思えないのです。私はイベントとして授業参観を捉えていなかったし,普段の様子を見せることこそが授業参加の意味だと当時も今も思っていますが,それは一般的ではないのでしょうか?

 

そんな感じで普段の自分を見せ続けた私は1年生の時5段階評価で5と4しかない通知表が,2年生の時には4と3しかない(もちろん2もある。確か美術だったかな)という通知表に変わりました。親はそれについていろいろ言ってきましたが,1年生の時の通知表と2年生の時の通知表のどちらが私を表しているかと言えば2年生の時の通知表ですので,私はとても満足でした。まあ,高校受験が大変でしたけどね…。皆さんは授業参観についてどう考えていますか?

 

 

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