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アベヒさん

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月16日(木)14時10分22秒
返信・引用
  曰く。

『※和合時代に、一閻浮提総与と謳われた本尊は、他にあるのですか?
の質問は自ら「答え」を開示しており無意味になるとおもいますが。』

いいえ、あなた達はそんな本尊は無いと仰ったのですよ。

今の大石寺にある板本尊は、和合時代に、一閻浮提総与と言われてた本尊じゃないのですか?
そして、その本尊の当体は、今は何処にありますか?

お答え下さい。
 

うちのじいちゃん

 投稿者:クラスルーズ  投稿日:2014年10月16日(木)14時05分45秒
返信・引用
  牧口・戸田・池田先生は三人とも聖人だといいます。
なのに大聖人直結は戸田先生だといいます。
聖人だと言いながらも牧口先生ってどんな方ですか?というスレをたてます。

ワックスが売れてます!というハッタリが口癖です。
 

アベヒさん

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月16日(木)14時01分40秒
返信・引用
  曰く。

『このうち4の主張は「大聖人から允可をうけた日法が模刻した写の本尊」との
大石寺の伝承に基づいていると考えてよろしいでしょうか。
では模刻されたわけですから、元となる御本尊(お認めの法体)があるという事になりますが これはどこにあるのですか?』

笑ってしまいますね。
誰が、確認も出来ない伝承を根拠として言ってるのですか?
それなら、まるで大聖人が紙幅の曼荼羅を、弘安2年10月12日に認められた事になりますよ。(苦笑)

写の本尊と云うのは、大聖人御図顕の御本尊を、お写ししたものでしょう。

どこにある、ここにあると云うものではありませんよ。(苦笑)

但し、大石寺の歴代は、戒壇の本尊を法体としていますので、大石寺の歴代が書写した本尊は、戒壇の本尊の写しです。
寛師本尊も昇師本尊も、戒壇の本尊を書写したものとされています。

その、御本尊を学会は、拝んでいるのですよ。
 

皆様、申し訳ございません。

 投稿者:クラスルーズ  投稿日:2014年10月16日(木)13時51分14秒
返信・引用
  実名主義者は、うちのじいちゃんです。

ボケちゃってるから相手にしないでください。

レスつけるとハァハァしていつまでも帰りません。

放置プレーでお願いします。
 

Re: 実名主義者さん

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月16日(木)13時44分58秒
返信・引用
  > No.17684[元記事へ]

ロム男さんへのお返事です。


※大聖人から、日興上人への唯授一人の相承がなくても、相承が、
 後世の作りばなしであったとしても、他五老僧より日興上人を蓮祖の
 信仰を受け継がれた御僧侶として、富士派が誕生し、その後分裂は
 しましたが、大石寺派を形成して行ったのが目師以下の歴史ですね。


ご指摘の通りだと思います。
身延と袂を分かたれた日興上人を指して、五老僧は
「連祖の教えに背いている」と批判したそうです。

※ 大石寺派を離脱したいまでも、学会の僧宝は、日興上人ですよ。

おっしゃる通りですね。
実名主義者さんは、自分を中心にされているので「興味がある・なし」で
教義を再構築されます。

※ 池田先生も、興尊の偉業を称えられた指導をされているじゃないですか。(苦笑)

池田先生は日寛上人の解釈もよく引用されますね。
その日寛上人ですら、習いぞこないと破折されるに実名主義者さんは、
池田先生よりも教学面で達観されているのでしょう。
 

ロム男さんへ 

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月16日(木)13時10分36秒
返信・引用
  下げられたので再アップしますね。

下げられたので修正して再掲いたします。
ロム男さんの主張をまとめておきますね。

※ 「大石寺にある戒壇本尊こそが弘安2年10月12日、図顕、一閻浮提総与である」

その理由

  1:創価学会初代会長も二代会長もその本尊の元(?)で亡くなられた。
  2:小説人間革命、小樽問答の記述にも、ハッキリと書かれている。
  3:写の本尊なので、功力には変わりはない。
  4:写の本尊とは、大聖人”お認めの法体”の本尊を、お写ししたもの。


このうち4の主張は「大聖人から允可をうけた日法が模刻した写の本尊」との
大石寺の伝承に基づいていると考えてよろしいでしょうか。

では模刻されたわけですから、元となる御本尊(お認めの法体)があると
 いう事になりますが これはどこにあるのですか?

また「法体の御本尊」についてのロム男さんの見解は
※大聖人お筆の御本尊で、一切衆生救済の為にお認めになった、すべての御本尊の事です。
  今でも、厳然と存在しています。

http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/17644

とされています。
この論だと、「法体の本尊」とは、真筆の御本尊と、大聖人が允可された全ての
「写」の本尊を含むということですか?
真筆のうち、授与書き(下付された相手)のあるものも多数ありますが、これも
「一切衆生救済の為」といえると考えられますが、この点についてはいかがでしょう。

となれば、ロム男さんのおっしゃる

※和合時代に、一閻浮提総与と謳われた本尊は、他にあるのですか?

の質問は自ら「答え」を開示しており無意味になるとおもいますが。



 

Re: (無題)

 投稿者:無名  投稿日:2014年10月16日(木)12時24分53秒
返信・引用
  abcさんへのお返事です。

> 三宝ですか。学会では特に設定していませんが、会則に「仏とは生命なり」とありますので、
> こう考えてみました。
> 仏=生命
> 法=南無妙法蓮華経
> 僧=南無妙法蓮華経を行ずる(自行化他)人々


御書根本でいくと、仏宝法宝は必ず僧によりて住すと大聖人は仰せだから、上記だと整合性がとれない。
 

実名主義者さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月16日(木)10時33分33秒
返信・引用
  実名主義者さんは御書根本と言いますが、日興記、日向記は採用してないのでしょうか?

実名主義者さんの御書とはなんなのですか?
 

Re: 管理人さん

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月16日(木)10時25分35秒
返信・引用
  > No.17696[元記事へ]

大勝利さんへのお返事です。

問題ありません。
 

管理人さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月16日(木)10時12分8秒
返信・引用
  この掲示板は、本尊画像を貼っても問題ないでしょうか?
昔はよく貼ったと記憶してますが、どうでしょうか?
 

参ったなー。(笑)

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月16日(木)09時35分5秒
返信・引用 編集済
  皆さん、いろいろおっしゃる。(苦笑)

御観念文では、南無日興上人となっていますよ。
日目上人には、南無していませんね。

実名主義者さんのように、学会のお経本を使わず、御自分で御観念文を決めてらっしゃるのかな?

日興上人に、南無するって?
僧宝でも無い、上人に帰命してるのですか?
こりゃ、驚いた。

勉強になりました。

けど、私は、先生と同じ経本を使用しますので、実名主義者さんは、お好きな様にして下さい。(^^)
 

ロム男さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月16日(木)09時00分58秒
返信・引用
   私は創価学会の公式見解に興味がない人間なのです。

 それがお好みなら、創価学会本部の広報か教学部にお問い合わせなさったらいかがでしょうか?
 公式見解はドンドン変化しています。

 その公式見解の中での三宝に私は興味を持ちません。

 御書が全てですね。

 貴方は御書より創価学会の公式見解が大事ですか?

 私はそのタイプの信心をしておりません。

 ご自分でお調べなさいませ。
 

(無題)

 投稿者:abc  投稿日:2014年10月16日(木)08時59分42秒
返信・引用
  三宝ですか。学会では特に設定していませんが、会則に「仏とは生命なり」とありますので、
こう考えてみました。
仏=生命
法=南無妙法蓮華経
僧=南無妙法蓮華経を行ずる(自行化他)人々
 

実名主義者さん

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月16日(木)08時43分54秒
返信・引用
  答えから、逃げてはいけません。(苦笑)

あなたの、御高説を尋ねているのではありません。

現在、創価学会が三宝としてるものは何か?
と、聞いているのです。

無駄ばなしは要りません。

この一点だけ、お答え下さい。
 

三宝は簡単ですね、ロム男さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月16日(木)08時38分41秒
返信・引用
   仏は一切衆生です。

 御書にありますから信受すればいいのです。

 法は自行化他の南無妙法蓮華経。

 僧はその法を広める人々。

 御書にある通りですよ。


 
 

ロム男さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月16日(木)08時36分26秒
返信・引用
   貴方はこの時代から抜け出せませんね。

 『「財施」とは、仏祖三宝尊に報恩感謝の心をもって、財物を供養し奉ることであり、その信心によってわが身に無量の善根を積んでいけるのである。
 正宗の信徒として、仏祖三宝尊をつねに敬い、そして令法久住してくださる御僧侶方が安心して御奉公できるためにも、この供養の精神を忘れてはならない。
 財施といっても、財の多寡ではなく、仏祖三宝尊を敬い、供養申し上げようとする真心が大事なのであり、その真心の″志″のなかに、永遠にわたる功徳、善根が積まれていくのである。』
 (昭和59年2月28日 「広布と人生を語る」第六巻)

 
 

ロム男さん、違いますね

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月16日(木)08時34分7秒
返信・引用
   興門派などと言う、極めて限定された中の一分ではありません。

 SGIの一員です。

 ここが分からないと創価はわかりませんよ。

 池田先生がカソリックの指導者との対話で言われた内容です。

 その折り、私は、『究極に求められるものは何でしょうか』と質問しました。
 おそらく『板曼荼羅の御本尊』と答えられると思っておりましたが、しかし、名誉会長は『久遠元初の法です』と答えられたのです。
 (中略)このことから、名誉会長が、永遠の根源を求めておられ、板曼荼羅に偏狭(へんきょう)にこだわっておられないことに、非常に感動し、創価学会の普遍性と、発展の因を見た想いでした。
 ~引用終わり~

 事実を正しく認識すべきです。
 

Re: ロム男さん、おはようございます

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月16日(木)07時59分37秒
返信・引用
  実名主義者さんへのお返事です。

>  私の考えではございません。
>  大聖人の思想です。
>  御書学ぶべきですね。
>
>  唯綬一人と言う言葉は御書にございません。
>  唯受一人はありますが、ただ一人の選ばれた弟子に自身の法を相伝すると言う意味では使用されていません。
>  ですので、わずか一人だけの弟子に全てを相承すると言う思想が最初からありません。
>  それがあるなら、密教中の密教ですね。
>  一人しか全てを悟れないのですから。
>  唯綬一人があるとすると、その一人は所化です。
>  対して能化は、唯我一人です。
>  自分が先ず一人だけ悟って、弟子に伝えます。
>  これは能化。
>  相承される側の、唯綬一人はいるとするなら所化。
>  ロム男さん、ここまでは良いですね?
>  『過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり、』
>  (船守弥三郎許御書)
>  一切衆生が唯我一人の能化だと書かれていますね。
>  ですので、唯綬一人なんか不必要なんです。
>  そういうものは要りませんね、大聖人仏法では。

誰も、そんな事をいってるのではありません。
大聖人のお心を、継がれたのが日興上人として、富士派は形成されたのでしょう。
私達学会は、その一分なのです。
唯授一人が、あろうが無かろうが、関係の無いことですよ。
なら、五老僧を破折することなど必要ないじゃないですか?

>  僧宝は法を広める人全員です。
>  これも池田先生の指導にあります。

その通りですよ。
けど、学会の三宝はどの様に定義されていますか?
逃げずにお答え下さい。(苦笑)

>  御書読んでから、先生の指導読まないとダメですよ。

御書は、正視眼で拝読いたしましょうね。(苦笑)

>  追記致しますが、この御書、佐前だからダメだって言う人時々います。
>  この人全く御書読めない人です。
>  立正安国論ってね、佐前!!
>  唱法華題目抄もね。

佐渡以前だからダメなんて、一度も言ってませんよ。(笑)
余計な事です。

学会が定義している、三宝をお答え下さい。

やれやれ!(苦笑)
 

大勝利さん、おはようございます

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月16日(木)07時49分57秒
返信・引用 編集済
   之の字ですね。

 寛師良い所まで行ったんですよ。
 ですが、戒壇本尊本懐唱え、三大秘法の随一で、究竟中の究竟、本懐中の本懐などと、邪義で上塗りしてしまった。

 だから習い損ないです。

 私は相手が創価学会の末端のかたがたであろうが、原田会長であろうが、寛師は習い損ないだと言いますよ。

 原田さんはお会いしたことがありませんが、副会長には言いました。

 相手が不快になろうがなるまいが、大聖人の門下の端くれですので、そういう些事にはかまいません。

 習い損ないは習い損ないです。
 

ロム者5さん、おはようございます

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月16日(木)07時45分14秒
返信・引用
   御本懐は御書に明明白白です。

 『日蓮生れし時よりいまに一日片時もこころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり、』
 (上野殿御返事)

 題目流布です。

 
 

ロム男さん、おはようございます

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月16日(木)07時39分6秒
返信・引用 編集済
   私の考えではございません。
 大聖人の思想です。
 御書学ぶべきですね。

 唯綬一人と言う言葉は御書にございません。
 唯受一人はありますが、ただ一人の選ばれた弟子に自身の法を相伝すると言う意味では使用されていません。
 ですので、わずか一人だけの弟子に全てを相承すると言う思想が最初からありません。

 それがあるなら、密教中の密教ですね。
 一人しか全てを悟れないのですから。

 唯綬一人があるとすると、その一人は所化です。
 対して能化は、唯我一人です。

 自分が先ず一人だけ悟って、弟子に伝えます。
 これは能化。

 相承される側の、唯綬一人はいるとするなら所化。

 ロム男さん、ここまでは良いですね?

 『過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり、』
 (船守弥三郎許御書)

 一切衆生が唯我一人の能化だと書かれていますね。
 ですので、唯綬一人なんか不必要なんです。

 そういうものは要りませんね、大聖人仏法では。

 僧宝は法を広める人全員です。
 これも池田先生の指導にあります。

 御書読んでから、先生の指導読まないとダメですよ。

 追記致しますが、この御書、佐前だからダメだって言う人時々います。
 この人全く御書読めない人です。

 立正安国論ってね、佐前!!

 唱法華題目抄もね。

 
 

実名主義者さん

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月16日(木)06時42分49秒
返信・引用
  おはようございます。

大聖人から、日興上人への唯授一人の相承がなくても、相承が、後世の作りばなしであったとしても、他五老僧より日興上人を蓮祖の信仰を受け継がれた御僧侶として、富士派が誕生し、その後分裂はしましたが、大石寺派を形成して行ったのが目師以下の歴史ですね。
大石寺派を離脱したいまでも、学会の僧宝は、日興上人ですよ。
実名主義者さんの三宝は、どのような三宝ですか?
唯授一人は伝承としても、僧宝としての日興上人のお立場は変わりませんよ。
池田先生も、興尊の偉業を称えられた指導をされているじゃないですか。(苦笑)
あなたの、考えを押し付けるのは、おやめくださいね。(笑)
 

Re: ロム男さんへ

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月16日(木)05時53分26秒
返信・引用
  秋晴れさんへのお返事です。

秋晴れさん、おはようございます。

> ロム男さん、コメントを有難うございます。

どういたしまして。

> > 但し、お月さんが勘違いしています。(^^)
> > 要するに、御本尊には、これが特別だと云うものはないのです。
>
> その通りです。御本尊に特別などございません。
> 大月天さんには、申し訳ないのですが、まだ、私の教学力では御納得頂ける言葉を持ち合わせておりません。

まあ、いいでしょう。
教学の研鑽を進められて、説得力ある文章を書いてリベンジして下さい。

> ===================
> 今、法華経のお勉強をし始めております。
> 法華経の成立までの歴史なども少しばかりかじりました。
> 当然に釈尊も少し触ります。
> 釈尊は形骸化をもっとも嫌い、文字化を制したと聞きました。

特に、釈尊在世は記録に残す紙が無かったので、余り保存の効かない、棕櫚の葉っぱに記していたようです。
余計に暗唱による、口伝は、重要だったのでしょう。
十大弟子の中にも、頭陀第一と云うような、トビっきり記憶力のいい弟子が現れてきなのですね。

> ここに重きを置くべきは『形骸化』への危惧だと考えます。
> 実際に仏教は釈尊亡き後、形骸化していきます。もう、釈尊の意はそっちのけの、なんでもありですね。

形骸化もそうですが、インドにあっては、ヒンズーの影響を受け、中国にあっては、道教の思想が入り込んだ歴史もありますね。
歪められた、仏教も法華経思想と共に日本に伝わってきたのは、事実です。

> 次に仏に関する事項ですが、
> 菩薩というのは実は小乗(部派仏教)の頃にあった言葉で、ここにいう菩薩というのは釈尊ただ一人です。菩薩ということは、そのまま仏への道ですので、結局、小乗(部派仏教)では仏のいうのは釈尊一人のことを云い、また小乗(部派仏教)では在家は成仏出来ない。と説いておりました。

よく御存知ですね。
部派仏教では、阿羅漢果を目指すのが修行の目的とされ、徐々に釈尊は神格化されて行きました。
釈尊のような人物には、誰もなれないと思ったのでしょうね。
結果、人間釈尊は高みに祭り上げられて、人間を超越した所に置いてしまったのです。
大聖人も人間なのですね。
決して私達とは、かけ離れた存在ではありません。この、人間大聖人、人間釈尊については、池田先生が、明確な御指導をされていますので、学んで頂ければ幸いです。
既に、御存知なら、生意気なことを言ってすみません。

> 小乗とは、つまり部派仏教のことですが、宗教上の対立は酷いものがあったと思います。
> 後、大乗の時代に入り、万人が成仏できる法華経が長きに渡り、成立していきます。当然に、ここに至るまでにも対立の繰り返しであったことでしょう。
> そして、成仏における事項については、この法華経をもって止揚です。
> つまり、「万人が成仏」出来るということをもって止揚。
> 成仏における事項に差別がありません。
> つまり、もともと成仏にも特別などありません。

仰せの通りです。
万人成仏が、法華経思想のクライマックスですからね。

> 先日、お勉強したのはここまでですが、つまり仏教史も合わせて今、お勉強中です。
> しかし.....。自分でお勉強して知っていくことは容易くても、人に語るのは容易でないです。かなり難しいですね。黙ってしまう方々が多くいらしてますが、分かるなー。
> とはいえ、今、お勉強を開始し始めたばかりですので、今はお勉強します。

多いに、理解できますよ。
どうやら、法華経研究の先達につかれてお勉強されているようですね。
益々、研鑽に励み、私にご教示頂ければ幸いです。

ご自分の、現状を素直にお話下さり、ありがとうございました。

何分、手元には資料らしき資料もないので、満足なお答えは出来ません。

誤謬があれば、いけませんので、流し読みして頂いて結構ですよ。
間違いも、ドンドン指摘して下さい。

ありがとうございました。(^^)
 

実名主義者さん^^初めまして^^

 投稿者:ロム者5  投稿日:2014年10月16日(木)04時41分37秒
返信・引用
  初対面なのに、いきなり質問致しますが…
「出世の本懐」って、解りますでしょうか?
時系列を含んだ御説明を、宜しければ御願致します^^

自分は初心者なので、優しく御説明頂ければ幸いです^^
 

Re: 大勝利さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月15日(水)23時48分42秒
返信・引用
  実名主義者さんへのお返事です。

>  観心本尊抄文段ですよ。
>
>  又明日です。


観心ノ本尊抄
ノの字を遺言と思え。
この遺言とは日寛の遺言ですからね。
今も学会の教学です。
ここは立て分けておいて下さいね。
どのような見解を披露しようが、実名主義さんの御自由ですが、
不快に感じる会員も居られるだろう事は想像の範疇な筈です。
それでも強く宣揚するわけですから、より丁寧な説得力ある説をお願いしたいですね。
 

大勝利さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)23時27分40秒
返信・引用
   観心本尊抄文段ですよ。

 又明日です。
 

ロム男さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)23時26分39秒
返信・引用
   興師の唯受一人から離れない限り、在家仏法としての創価学会の正当性は世界に訴えることは出来ません。

 ここが今一凶なんです。

 又明日。
 

Re: ロム

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)23時08分37秒
返信・引用
  実名主義者さんへのお返事です。

> >牧口会長が、御書の本文に体当たりで臨んでいたことがうかがえます。
>  日興上人は「わが門流においては、御書を心肝に染め、極理を師から受け伝えて、そのうえで、もしも暇があるならば、天台の法門を学ぶべきである」(御書1618ページ、通解)と書かれました。
>
>  これはその通りですが、それを持って興師を唯綬一人とは出来ません。

落ち着きましょう。
私宛のタイトルですね?(笑)

唯授一人と富士日興門流とは、別の話ですよ。

二箇相承は、後世の作としても、日興上人とは関係のないお話です。

学会の日興門流は、疑うところがないのです。

今夜はこれで。

また明日。
 

Re: 大勝利さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月15日(水)23時05分20秒
返信・引用
  実名主義者さんへのお返事です。

>  寛師は、戒壇本尊を特別だとし、三大秘法の随一だと言っています。
>
>  文段に書いてあります。
>
>  ですが、大聖人の御書にはそういう事は書いてございません。
>
>  興師は寛師の先輩ですし、寛師から見て唯綬一人の方。
>
>  その人は、わが門流においては、御書を心肝に染め、極理を師から受け伝えて、そのうえで、もしも暇があるならば、天台の法門を学ぶべきである。と書き残しています。
>
>  すると寛師は興師の言いつけに背いています。
>
>  御書心肝に染めてません。
>
>  大聖人仏法に無い事をあると言って広めたらダメですね。

説得力がないですね。
文段はたくさんありますが、
どの切り文を読んだ感想でしょうか?
 

大勝利さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)22時51分42秒
返信・引用
   寛師は、戒壇本尊を特別だとし、三大秘法の随一だと言っています。

 文段に書いてあります。

 ですが、大聖人の御書にはそういう事は書いてございません。

 興師は寛師の先輩ですし、寛師から見て唯綬一人の方。

 その人は、わが門流においては、御書を心肝に染め、極理を師から受け伝えて、そのうえで、もしも暇があるならば、天台の法門を学ぶべきである。と書き残しています。

 すると寛師は興師の言いつけに背いています。

 御書心肝に染めてません。

 大聖人仏法に無い事をあると言って広めたらダメですね。
 

ロム

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)22時48分9秒
返信・引用
  >牧口会長が、御書の本文に体当たりで臨んでいたことがうかがえます。
日興上人は「わが門流においては、御書を心肝に染め、極理を師から受け伝えて、そのうえで、もしも暇があるならば、天台の法門を学ぶべきである」(御書1618ページ、通解)と書かれました。

 これはその通りですが、それを持って興師を唯綬一人とは出来ません。
 

Re: 大勝利さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月15日(水)20時20分47秒
返信・引用
  実名主義者さんへのお返事です。

>  戒壇本尊を特別に位置づけたことが、先ず習い損ないです。
>
>  更に、その戒壇本尊を三大秘法の随一として、衆生己心の妙法である南無妙法蓮華経の上に据えた。
>
>  大邪義です。
>
>  ですので、寛師は邪師なんです。

誤った理解をしているでしょう。誤解ですね。

もう少し丁寧に説明出来ますか?
 

私は先生と同じ経本を使用してます。

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)20時17分16秒
返信・引用
  2005年10月13日付、「随筆 人間世紀の光」牧口先生の御書より、抜粋。

「ぼろぼろになった表紙を開くと、それこそページを繰るごとに、朱線や鉛筆の書き込みが目に飛び込んでくる。二重線もあれば、傍点もある。重要な一節が四角く囲まれている。複数のペンの書き込みがあったり、難解な御文の余白に『検討』『再検討』と記されたページもある。何度も、何度も研鑽されたことがうかがえる。(中略)『行者とは何ぞや』『折伏』『大願』『諸難』『現罰の有無』等の書き込みが、蓮祖の御精神に肉薄せんと格闘するかのようにひしめいていた」
牧口会長が、御書の本文に体当たりで臨んでいたことがうかがえます。
日興上人は「わが門流においては、御書を心肝に染め、極理を師から受け伝えて、そのうえで、もしも暇があるならば、天台の法門を学ぶべきである」(御書1618ページ、通解)と書かれました。
天台の法門とは、天台大師が法華経を解説したものですが、あくまで御書根本に進むこと、つまり、日蓮大聖人の仰せの通りに実践していくなかで、御書を心肝に染めていくこと、それが広宣流布の正道です。
御書の本文を拝読し、大聖人の魂に触れ、それによって信心を奮い立たせていきましょう。」

Soka Netより、引用
 

大勝利さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)19時54分56秒
返信・引用
   滅後の10年の差は、私は気になりません。

 戒壇本尊は滅後は二千二百二十余年。

 私共の御本尊は二千二百三十余年。

 どちらを拝んでも同じです。

 ですので、どっちでも良いですね。

 戸田先生はその点を、

 『昔は今みたいにカレンダーなんか無い。
 だから季節が移って一年を数えた。
 だから今みたいにキチンとしたもんじゃない。』(趣意)

 

大勝利さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)19時50分10秒
返信・引用
   戒壇本尊を特別に位置づけたことが、先ず習い損ないです。

 更に、その戒壇本尊を三大秘法の随一として、衆生己心の妙法である南無妙法蓮華経の上に据えた。

 大邪義です。

 ですので、寛師は邪師なんです。
 

ロム男さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)19時48分11秒
返信・引用
   数年前池田先生が本部幹部会で言われました。

 『今本物の闘志はいるだろうか?
 何処にいるのだろう?
 私の思いはその一点にある。』(趣意)

 更に言われました。

 『私は戸田先生をお護り申し上げた。
 四条金吾が大聖人を護ったのと同じように。』(趣意)

 師匠の言葉からチラリと漏れた本音。

 貴方なら理解できるでしょう。

 以来、私はご祈念文の興師目師は読みません。
 

アベヒさん、いい加減にされたら?(苦笑)

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)19時32分3秒
返信・引用
  【富士ボーでの、お二人の会話】

ローマ字さん云く。

『ネット依存症の可能性がある相手でしたので敬称略のコメントでの反応を見ただけのことです。』

↑何の根拠?(笑)
しかし、ネット依存症とは、酷いな~。(苦笑)

アベヒさん云く。

『依存傾向がある人にネットをさせているほうにも一部の非はあるとおもいます。
ただ、かなり早い段階でレスを返されるところを見ると、
スマホ使い慣れてるな~と思います。
私あのスピードで打てません(笑い)』

アベヒさんが、云うことではない。(爆笑)
スマホを練習したら?(苦笑)

ローマ字さん云く。

『現在の創価学会とは見解の相違を見せているコメントも多々あったと考えています。』

これも、具体的にどうぞ。(笑)

アベヒさん云く。

『たしかロム男さんは法華講が御書を用いると「偽書だ」ということで論拠にさせないタイプの方だったように記憶しています。』

もう、ここまで言えば、満足でしょう。(笑)
私は、御真筆を偽書と退けた事はありませんよ。
まったく。(苦笑)
 

実名主義者さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月15日(水)18時59分28秒
返信・引用 編集済
  弘安2年9月の御本尊も「仏滅後二千二百三十余年」となっています。

弘安2年10月の、12日ではない他の御本尊もまた「仏滅後二千二百ニ十余年」です。

つまり、弘安2年10月から変化します。

そして弘安3年2月1日には、「仏滅後二千二百三十余年」にまた戻ります。

因みにこの御本尊が四条金吾へ与えた御本尊と言われております。

こう言う事を深く考察し答えを出すと言うのは「邪師」ではありません。

実名主義者さんは如何答えを出しますか?
 

Re: 実名主義者さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月15日(水)18時42分48秒
返信・引用
  > No.17665[元記事へ]

大勝利さんへのお返事です。

> 仏滅後二千二百三十年は、弘安4年4月です。
>
> ですが、弘安3年2月の御本尊にはすでに「仏滅後二千二百三十余年」と書かれています。
>
> 何故だとお考えでしょうか?


訂正です。すみません。

仏滅後二千二百三十年は、弘安4年2月です。


 

Re: ロム男さん、今晩は

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)18時22分36秒
返信・引用
  実名主義者さんへのお返事です。

>  創価は富士門流ではありませんので、興師の手になるものは関係ないと思います。
>  所詮は大聖人滅後の弟子たちの権力争いなんですね。

へーえ。実名主義者さんちの、お経本は違うのかな?(^^)
 

実名主義者さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月15日(水)18時14分24秒
返信・引用 編集済
  仏滅後二千二百三十年は、弘安4年4月です。

ですが、弘安3年2月の御本尊にはすでに「仏滅後二千二百三十余年」と書かれています。

何故だとお考えでしょうか?
 

Re: 阿部日さん、あ~あ~~・・

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月15日(水)18時00分18秒
返信・引用
  > No.17660[元記事へ]

実名主義者さんへのお返事です。

>  『一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり、』
>  (草木成仏口決)
>
>  曼荼羅って本尊の事です。
>  全ての大聖人の御本尊は、それまでの本尊もどきとは異なって、大御本尊なのです。
>
>  弁えましょうね。


文永11年頃から「大曼荼羅」と表記される御本尊はたくさん残ってますよ。
 

Re: ちなみにですが

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月15日(水)17時55分1秒
返信・引用
  > No.17661[元記事へ]

実名主義者さんへのお返事です。

>  万年救護のごほんぞんだけは、脇書に大御本尊とあります。


正確には「大本尊」ですね。

大きさだけで言ったら、28紙御本尊が最大だろうけど(笑
 

ロム男さん、今晩は

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)17時52分2秒
返信・引用
   創価は富士門流ではありませんので、興師の手になるものは関係ないと思います。

 所詮は大聖人滅後の弟子たちの権力争いなんですね。
 

ちなみにですが

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)17時48分56秒
返信・引用
   万年救護のごほんぞんだけは、脇書に大御本尊とあります。  

阿部日さん、あ~あ~~・・

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)17時46分38秒
返信・引用
   『一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり、』
 (草木成仏口決)

 曼荼羅って本尊の事です。
 全ての大聖人の御本尊は、それまでの本尊もどきとは異なって、大御本尊なのです。

 弁えましょうね。
 

Re: 大勝利さんへ

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月15日(水)17時43分49秒
返信・引用
  > No.17655[元記事へ]

阿部日ケ~ン(院政)さんへのお返事です。

> 大勝利さんへのお返事です。
>
> ※ それだと、今まで呼称してきた「大本尊」と認識区別がつかないでしょ?
>
> 商標問題じゃあるまいし、「大御本尊」とすると大石寺の板曼荼羅と
> 認識しなければならない理由もないのではありませんか(笑い)
> ちなみに御書には「大本尊」という表記もなければ「大御本尊」という表記
> もありません。
> この点はロム男さんの言われたように「後世のものがつけた尊称」だと
> いう認識で問題ないと思います。
> 逆に「大」をつけないと失礼だとか、そんな事はいうつもりもありませんけど(笑い)
>
>

御書になくても脇書にあるのよ。
少しは前レス読んでね(笑
 

門徒存知の事

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)17時37分13秒
返信・引用
  法体の本尊

『日興が云く、此の御筆の御本尊は是れ一閻浮提に未だ流布せず正像末に未だ弘通せざる本尊なり、然れば則ち日興門徒の所持の輩に於ては左右無く子孫にも譲り弟子等にも付嘱すべからず、同一所に安置し奉り六人一同に守護し奉る可し、是れ偏に広宣流布の時・本化国主御尋有らん期まで深く敬重し奉る可し。』

化儀の本尊

『日興の弟子分に於ては在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若は又在所を追放せられ一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。』
 

法体の本尊、化儀の本尊

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)17時24分53秒
返信・引用 編集済
  アベヒさん。

門徒存知の事に、記されていますので、参考にして下さい。
 

アベヒさん

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)17時19分24秒
返信・引用
  大誓聖堂の、御本尊に大の字をつけて、特別な御本尊と位置付けすると、完全な先祖返りですよ。(苦笑)

御本尊は、皆、同じ功力があると指導されたのが、先生でしょう?
 

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