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Re: 大勝利さんへ

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月15日(水)17時11分58秒
返信・引用 編集済
  > No.17654[元記事へ]

大勝利さんへのお返事です。

※ それだと、今まで呼称してきた「大本尊」と認識区別がつかないでしょ?

商標問題じゃあるまいし、「大御本尊」とすると大石寺の板曼荼羅と
認識しなければならない理由もないのではありませんか(笑い)
ちなみに御書には「大本尊」という表記もなければ「大御本尊」という表記
もありません。
この点はロム男さんの言われたように「後世のものがつけた尊称」だと
いう認識で問題ないと思います。
逆に「大」をつけないと失礼だとか、そんな事はいうつもりもありませんけど(笑い)

 

Re: 大勝利さんへ

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月15日(水)17時09分2秒
返信・引用
  > No.17653[元記事へ]

阿部日ケ~ン(院政)さんへのお返事です。

> 大勝利さんへのお返事です。
>
> ※ 例えば、
>  「大」の付いてない碑文に、後日勝手に「大」を付けることとか・・・(笑
>
> ふむ。
> ロム男さんは「御本尊に付けられた尊称は、すべて後世のものであり」と
> されてます。
> 後日勝手にという概念があいまいですが、ある組織が決定の上尊称としての
> 「大」をつけることは問題にならないでしょう。

それだと、今まで呼称してきた「大本尊」と認識区別がつかないでしょ?

だいだいだいだいだ~~~い本尊にする?  (笑
 

Re: 大勝利さんへ

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月15日(水)16時58分20秒
返信・引用 編集済
  > No.17648[元記事へ]

大勝利さんへのお返事です。

※ 例えば、
「大」の付いてない碑文に、後日勝手に「大」を付けることとか・・・(笑

ふむ。
ロム男さんは「御本尊に付けられた尊称は、すべて後世のものであり」と
されてます。
後日勝手にという概念があいまいですが、ある組織が決定の上尊称としての
「大」をつけることは問題にならないでしょう。
 

Re: 法体の本尊とは

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月15日(水)16時53分28秒
返信・引用 編集済
  > No.17644[元記事へ]

ロム男さんへのお返事です。

※大聖人お筆の御本尊で、一切衆生救済の為にお認めになった、すべての御本尊の事です。
  今でも、厳然と存在しています。


この論だと、「法体の本尊」とは、真筆の御本尊と、大聖人が允可された全ての
「写」の本尊を含むということですか?
真筆のうち、授与書き(下付された相手)のあるものも多数ありますが、これも
「一切衆生救済の為」といえると考えられますが、この点についてはいかがでしょう。

となれば、ロム男さんのおっしゃる

※和合時代に、一閻浮提総与と謳われた本尊は、他にあるのですか?

の質問は自ら「答え」を開示しており無意味になるとおもいますが。


ロム男さん。本日のやりとりはこれぐらいにしておきましょうか。
ちょっと時間をおいて、あらためて考えるのも良いと思いますよ。
もうすぐ夕食の時間でしょうし(笑い)


 

ロム男さんへ

 投稿者:秋晴れ  投稿日:2014年10月15日(水)16時42分25秒
返信・引用 編集済
  ロム男さん、コメントを有難うございます。

> 但し、お月さんが勘違いしています。(^^)
>
> 要するに、御本尊には、これが特別だと云うものはないのです。

その通りです。御本尊に特別などございません。

大月天さんには、申し訳ないのですが、まだ、私の教学力では御納得頂ける言葉を持ち合わせておりません。

=============================

ところで、
今、法華経のお勉強をし始めております。
法華経の成立までの歴史なども少しばかりかじりました。
当然に釈尊も少し触ります。
釈尊は形骸化をもっとも嫌い、文字化を制したと聞きました。
ここに重きを置くべきは『形骸化』への危惧だと考えます。
実際に仏教は釈尊亡き後、形骸化していきます。もう、釈尊の意はそっちのけの、なんでもありですね。
次に仏に関する事項ですが、
菩薩というのは実は小乗(部派仏教)の頃にあった言葉で、ここにいう菩薩というのは釈尊ただ一人です。菩薩ということは、そのまま仏への道ですので、結局、小乗(部派仏教)では仏のいうのは釈尊一人のことを云い、また小乗(部派仏教)では在家は成仏出来ない。と説いておりました。
小乗とは、つまり部派仏教のことですが、宗教上の対立は酷いものがあったと思います。
後、大乗の時代に入り、万人が成仏できる法華経が長きに渡り、成立していきます。当然に、ここに至るまでにも対立の繰り返しであったことでしょう。
そして、成仏における事項については、この法華経をもって止揚です。
つまり、「万人が成仏」出来るということをもって止揚。
成仏における事項に差別がありません。
つまり、もともと成仏にも特別などありません。


先日、お勉強したのはここまでですが、つまり仏教史も合わせて今、お勉強中です。
しかし.....。自分でお勉強して知っていくことは容易くても、人に語るのは容易でないです。かなり難しいですね。黙ってしまう方々が多くいらしてますが、分かるなー。
とはいえ、今、お勉強を開始し始めたばかりですので、今はお勉強します。
 

Re: つづき、世間では、こうなってます。

 投稿者:秋晴れ  投稿日:2014年10月15日(水)16時39分43秒
返信・引用
  > No.17649[元記事へ]

大勝利さんへのお返事です。

> 英語の得意な筈のクロちゃんは気付かなかったみたいだけど・・・、
> 万年救護の大本尊の脇書。
>
> 世界的にも、大御本尊ではなく、大本尊なのです。
>
> 「Since the Entrance into Extinction of the Great Enlightened World Honored One there have passed in succession more than two thousand two hundred and twenty years. Even so, among the Three Countries of India, Han [China] and Japan, there has not yet been this Great Object of Worship (dai honzon). Either they have known but not yet spread it or they have not known it. Our Compassionate Father, by means of the Buddha Wisdom, has hidden and retained it, leaving it for the Latter Age. At the time of the last five hundred years, the Bodhisattva Jogyo comes [or has come forth] forth in the world and for the first time spreads and proclaims it.」

突然に、!吃驚しました。笑
只今、お茶を吹きだしてしまい。ダスターでテーブルを拭いてます。笑
万年救護本尊ってば、何か(ど忘れ)の著作の中の写真で見ました。大本尊ってなってますよね。
 

Re: つづき、世間では、こうなってます。

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月15日(水)16時27分34秒
返信・引用
  秋晴れさんへのお返事です。

>
> =============================
> 全然関係ないけど、万年救護本尊の場合。
>
> 万年救護の大本尊は、『日蓮大聖人御真蹟御本尊集』(立正安国会)の16番本尊の通称。
>
> と世間では云われています。
>
> こんな感じかな


英語の得意な筈のクロちゃんは気付かなかったみたいだけど・・・、
万年救護の大本尊の脇書。

世界的にも、大御本尊ではなく、大本尊なのです。

「Since the Entrance into Extinction of the Great Enlightened World Honored One there have passed in succession more than two thousand two hundred and twenty years. Even so, among the Three Countries of India, Han [China] and Japan, there has not yet been this Great Object of Worship (dai honzon). Either they have known but not yet spread it or they have not known it. Our Compassionate Father, by means of the Buddha Wisdom, has hidden and retained it, leaving it for the Latter Age. At the time of the last five hundred years, the Bodhisattva Jogyo comes [or has come forth] forth in the world and for the first time spreads and proclaims it.」
 

Re: ロム男さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月15日(水)15時58分41秒
返信・引用
  > No.17639[元記事へ]

阿部日ケ~ン(院政)さんへのお返事です。

> 歴史の修正がどういった範疇まで指すのか解らないので
> 「定義」をおしえてください。何度も確認させていただいていますよね。
> これでは言葉遊びにすぎません。




例えば、
「大」の付いてない碑文に、後日勝手に「大」を付けることとか・・・(笑
 

Re: 大勝利さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月15日(水)15時49分28秒
返信・引用
  > No.17627[元記事へ]

実名主義者さんへのお返事です。

>  26年と6月ですね。
>
>  でも四捨五入で良いんじゃないですか?
>
>  私は気になりません。


私は、大聖人が10月1日に27年と言われたことを適当な日付だとは思いませんね。
立教開示が4月28日、宣明暦での。

10月1日の意義は大きいと考えます。

気にならない人は、出世の本壊も気にならないというだけの話でしょう。
 

教学試験の教材

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)15時36分31秒
返信・引用
  抜粋です。

『農民信徒たちの不惜身命の姿に、大聖人は、大難に耐える強き信心が、民衆次元に定着したことを感じられて、10月1日に著された「聖人御難事」では、「出世の本懐」を遂げる時がきたことを宣言しています。
 そして、その宣言の通り、弘安2年10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです。』
 

アベヒさん

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)15時17分15秒
返信・引用
  和合時代に拝んでいた本尊が、一閻浮提総与と「称された」本尊なのです。

和合時代に、一閻浮提総与と謳われた本尊は、他にあるのですか?
 

法体の本尊とは

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)15時12分14秒
返信・引用
  大聖人お筆の御本尊で、一切衆生救済の為にお認めになった、すべての御本尊の事です。

今でも、厳然と存在しています。
 

阿部日さんへ

 投稿者:eco◆  投稿日:2014年10月15日(水)15時11分41秒
返信・引用 編集済
  阿部日ケ~ン(院政)さんへのお返事です。

> 歴史の修正がどういった範疇まで指すのか解らないので
> 「定義」をおしえてください。何度も確認させていただいていますよね。
> これでは言葉遊びにすぎません。
>

歴史修正を行ってまで 大石寺の大御本尊を否定するのなら
池田先生の指導から戸田先生の指導に至るまで
全て破棄しなくていはいけなくなりますよ それでもいいんですか?

また池田氏が1957年(昭和32年)1月2日に その御本尊の前にてお目通りした際に
「法華経は将軍学だ」と悟った事実も 慈覚が夢見た太陽の矢と同じ妄想になりますね
池田先生は どこの前で法華経は将軍学だ・・と気づいたんですか?

下手したら 戸田氏の獄中の悟りも同じものになります。
いいですか マンダラがなくとも 戸田氏が獄中で想い馳せて題目を上げていたのは
その弘安2年10月12日に顕された御本尊であり そして獄中から帰って来て確認したものは
まさに その法体なのですが・・

何年前だったかな・・本部幹部会の池田氏自ら発表した 戸田先生遺言をご存知ないのでしょうか?
「大石寺で唯一正しいのは その弘安2年10月12日に顕された御本尊のみ・・」・・と
この遺言をよくよく考えてください

従って 弘安2年の御本尊を否定することは 大石寺のみならず
創価学会も否定することにもなるんですよ この事を解っていて述べていますか?
それでなくても 世間では日蓮仏法に対して矛盾や読み違いが多く
その実証を 創価と大石寺の争いによって 証明されちゃっているんだから
全部が崩壊してしまうんですよ
あなた自身 下記のリンク先に対する矛盾で 明快な回答ができますか?
宿坊さんも あなたも あの松岡も 下記のリンク先で述べている事を認めちゃている側面があって自爆しているのが現状じゃないでしょうか

日蓮の日本第一エセもの記録
http://donaisuru.web.fc2.com/esegay.html

だから外部が そのことを言うのは構わないけれど 身内がその事を述べたら
それは 創価学会も公明党も全て THE END つまり邪教化するのと同じ事にもなって自ら自殺する行為にも等しい事にも繋がってしまうから
創価がソレを言ったらオシマイだ・・と2ちゃんもふくめて述べているわけですが
まぁ・・ 実感がわかない御様子で

もっとも 今回のことで「自分の首を絞めているのが創価だ」と
外部の法律ヲタさんが 2ちゃんで述べていましたね 富士宮にリンクした記事を読みましたか?

本当にそのとおりなのですが 当の幹部や あべひさんは 未だにきづいていない様子で
外部と比べても こんな糞信者よりも 外部の方が よっぽど信心がありますよ


従って 今後 基礎を否定したり修正を行うのなら
公明党は解党 創価学会は解散して欲しいのが本当の願いですね
組織のための信心はいらないので

これでも あなた自身 意味が解らなかったら とっとと創価学会から出てください!
今後、日蓮の事も語らないでください 迷惑・・・
いや これこそ破和合僧そのもので、外部よりも 大石寺よりもかなり悪質です。

http://

 

Re: ロム男さん

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月15日(水)15時09分49秒
返信・引用
  > No.17640[元記事へ]

ロム男さんへのお返事です。

※和合時代に、学会が根本として拝んで来た本尊は、大石寺の板本尊では無いと言われるのですか?

いいえ、大石寺の板本尊を根本としてきました。

質問を返します。
こういった質問をされるということは、これが「一閻浮提の大御本尊が大石寺にある」
という五番目の条件ということですか?
 

もう一つ誤謬があります

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月15日(水)15時06分30秒
返信・引用
  ※で、今は、黄色板でも、このように発言する方が出はじめまして、
 蝙蝠と云われなくなったということです。


こちらの掲示版に、たった三人ほどが「一閻浮提総与の大御本尊は大石寺にあり」説を
述べただけで、一般化しているなんて考えないほうが良いですよ。
http://ronri2.web.fc2.com/kiben17.html
 

Re: ロム男さん

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)15時04分51秒
返信・引用
  阿部日ケ~ン(院政)さんへのお返事です。

和合時代に、学会が根本として拝んで来た本尊は、大石寺の板本尊では無いと言われるのですか?

これで、如何ですか?
 

ロム男さん

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月15日(水)14時53分32秒
返信・引用 編集済
  歴史の修正がどういった範疇まで指すのか解らないので
「定義」をおしえてください。何度も確認させていただいていますよね。
これでは言葉遊びにすぎません。

自分から言い出した条件を自分が説明できないのに、相手に説明させようと
するのは単なる強弁ですよ。

大石寺の板曼荼羅は『法体の「写」の本尊』という抽象的な基軸を出したのも
ロム男さんじゃないですか。

「法体の本尊ってどこにある本尊なのですか?」

この答えを避けているように見えますが・・・。





 

おやおや・・やはりネット向きではありませんね

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月15日(水)14時51分57秒
返信・引用
  秋晴れさん

大月天管理人とやりとりがスムーズにいったという事と
どこかにある御本尊を認めなければ、学会の教学に「一閻浮提の大御本尊」と
いう文言が消滅しなければならない。という発言が問題になっている事は
別です。


ようするに、大月天管理人は、秋晴れさんが創価学会を批判したことを
指して喜んでいるのですよ。

私に文句いう前に、かの大月天管理人を破折されてはいかが?

 

秋晴れさん

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)14時34分49秒
返信・引用
  こんにちは。

それでいいのですよ。
地域での一般的な、見方を記されただけで、あなたは違うと云うことですね。

但し、お月さんが勘違いしています。(^^)

要するに、御本尊には、これが特別だと云うものはないのです。

御本尊に付けられた尊称は、すべて後世のものであり、学会も、後世の宗門が名付けた、弘安2年10月12日図顕、一閻浮提総与、蓮祖出世の本懐、本門の戒壇の大御本尊と「しょうされる」御本尊を拝んで来たのが史実です。

でも、学会の信心で功徳を出してきました。

要するに、拝む方の信心の問題なのです。

あれが特別、これが特別と云うような、御本尊は存在しません。

すべての御本尊の功力は、同じですね。
 

青板で私が書いた文章貼り付け

 投稿者:秋晴れ  投稿日:2014年10月15日(水)14時25分29秒
返信・引用 編集済
  続きです 投稿者:秋晴れ 投稿日:2014年10月13日(月)23時01分31秒 e0109-106-188-115-124.uqwimax.jp 返信・引用 編集済
>「大御本尊」はあくまでも、日寛上人が仰せの「弘安二年の本門戒壇の大御本尊」の御事である。

そうですってば、一閻浮提の大御本尊となれば、どこに安置されてるのか
それは大石寺ですってば。

それを否定するならば、一閻浮提の大御本尊という物体、言葉そのもの全てが消滅するだけですよ。

一閻浮提の大御本尊を大誓堂に御安置されている御本尊というのは、考え方が狂ってます。
だって、一閻浮提の大御本尊というのは弘安二年10月12日図顕とされているのですから。

一閻浮提の大御本尊を大石寺の本尊ということを否定するのであれば、一閻浮提の大御本尊自体学会教学から消滅しなければおかしいですよ。

学会の草創からの歴代会長の御指導からして、このままですよ。学会はきっと。

====================================

多分これが気に食わないのかな。

『学会の草創からの歴代会長の御指導からして、このままですよ。学会はきっと。』

本部に問い合わせても、一閻浮提総与の大御本尊は、大石寺にあると返ってきました。
また、歴代会長の御指導も実際に存在し、任用試験の教材でも、今だに、弘安2年10月12日図顕、
出世の本懐、一閻浮提総与の大御本尊のことが書いてあります。
なにか、問題でも。

しかし、現実問題、先々、学会教学がどうなっていくのかは、知りませんよ。

http://

 

私が、青板で張り付けたこちらの書込みを最貼り付けします。

 投稿者:秋晴れ  投稿日:2014年10月15日(水)14時15分4秒
返信・引用 編集済
  御無沙汰しております。 投稿者:秋晴れ 投稿日:2014年10月13日(月)22時43分50秒 e0109-106-188-115-124.uqwimax.jp 返信・引用 編集済
黄色版の過去レスになってしまいましたが一年位前でしょうか。私が、最初に黄色板に書き込みした当時の書込みを書いて、蝙蝠と呼ばれなくなったラッキーなのです。

==================================

ところで 投稿者:秋晴れ 投稿日:2014年10月11日(土)21時24分33秒 返信・引用

弘安2年10月12日図顕、一閻浮提総与の大御本尊は、大石寺にあるのでは?

私、前々からそう言ってます。大月天さんにもそう言ってます。

お陰様で、私は蝙蝠扱いとなりましたが、現場ではそうなのですからしょうがないです。

ということで、組織の人もそう言ってます。

因みに本部に問い合わせされた方がおられましたが、その返答もしかりでしたよ。

現場ではこれが真実ですが?


=====================================

大月天さん曰く
>弘安二年の十月十二日、末法の御本仏である日蓮大聖人は、実に其の御本懐として、未来広宣流布に建立さる大本門寺の戒壇に
安置すべき「本門戒壇」の大御本尊を、一閻浮提総与の大御本尊として御図顕遊ばされたのである。

現在も地域では、あまり語られないとしても、つきつめて対話すると、こうですよ。
で、今は、黄色板でも、このように発言する方が出はじめまして、蝙蝠と云われなくなったということです。

蝙蝠と云われなくなったので次にはこう書込みしました。


THJさん 投稿者:秋晴れ 投稿日:2014年10月11日(土)21時39分20秒 返信・引用
>あなたこそ、何かを求めて同じ質問を繰り返しているのでしょうが、あなたが既に数年前に組織幹部から得ている回答と同じで、大石寺の板本尊に関する話は現在の創価学会には「答えは無い」が正確な回答ですよ。


本当ですか?疑ってしまいます。
現場の方々も見ています。
もう少し、誠実に調べてから書込みされては?
因みに、本部に問い合わせした方は一年経ってませんよ
==================================


THJさん 投稿者:秋晴れ 投稿日:2014年10月11日(土)22時29分57秒 返信・引用
>あなたが誘導的な質問をいくらしても、会則教義の改定ごの現在の創価学会の公式資料に、大>石寺の板本尊を「弘安2年10月12日図顕、一閻浮提総与、蓮祖出世の本懐」としているものはあ>りませんし、他の現存する御本尊だと特定してもいません。

>現在の創価学会としての「公式な答え」とは、あなたが数年前に「答えはなかったのです。」>としているのように、現在も同様に「答えは無い」です。
>「答えは無い」と知っている私には、総県や総区の幹部の方に質問する意味すらないのです。

確かに、
>会則教義の改定ごの現在の創価学会の公式資料に、大>石寺の板本尊を「弘安2年10月12日図顕、一閻浮提総与、蓮祖出世の本懐」としているものはあ>りませんし、他の現存する御本尊だと特定してもいません。

はそれはその通りです。
本部に問い合わせをした人は、正にこの公式資料にないからこそ、直接お聞きになられました。
その返答が大石寺にある件の本尊とのことだったのです。

また少し遡り過去レス読ませて頂きましたが、教学レポートなる、レポートが絡んでいるかのようなやりとりなのですね。
ここは一つ、憶測や感情に振り回されずに、分別しながら調べた方がよいと考えました。
ともかく、外野の私の知りうる限りで、一番信憑性の高いのは直接本部に問い合わせて返ってきた答えですね。このことは公式資料がないからといって放置できるものではないですよ。
つまり、弘安2年10月12日図顕、一閻浮提総与、蓮祖出世の本懐と称される、本尊は大石寺の件の本尊です。

こんなところです。

=======================================

なにか問題でも ある?ないよね

http://

 

アベヒさん

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)14時10分2秒
返信・引用 編集済
  これが最後です。

順番に、お答え下さい。

あなたは、歴史を修正するつもりですか?

 

誤魔化さないでいいですよ

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月15日(水)14時08分21秒
返信・引用 編集済
  ※ ここに、信仰的考察とか、意味は不要

自己矛盾してますね。
秋晴れさんは「信仰的考察」をされていたのではありませんか?

しかも創価学会を誹謗中傷して止まない日顕宗門徒の大月天管理人に
報告したことで更に、学会員さんが悪者あつかいですわ。


※本より、秋晴れ殿の、本門戒壇の大御本尊に対する認識こそが正しいので
 あって、其れこそは恩師が指導された本尊義に即したものである。
 仍って、御貴殿を蝙蝠という連中こそが、応に大蝙蝠なのであり、実に
 此奴らこそが、創価に於ける身中の蝗蟲なのである。

http://megalodon.jp/2014-1014-1550-04/6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs/45198


ようするに仏敵の一類に塩おくったわけですね。秋晴れさんの言辞がね。
ますます増長している。


×そうですってば、一閻浮提の大御本尊となれば、どこに安置されてるのか
それは大石寺ですってば。
 それを否定するならば、一閻浮提の大御本尊という物体、言葉そのもの
 全てが消滅するだけですよ。
 一閻浮提の大御本尊を大石寺の本尊ということを否定するのであれば、
 一閻浮提の大御本尊自体学会教学から消滅しなければおかしいですよ。


http://megalodon.jp/2014-1014-1551-48/6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs/45197

「大石寺に安置されている事」が「一閻浮提の大御本尊」の前提条件。

ようするに、「呼称」がどうのとか伝承がどうのとかではない
直の御本尊誹謗であり創価学会の批判ですね。





 

つづき、世間では、こうなってます。

 投稿者:秋晴れ  投稿日:2014年10月15日(水)14時06分22秒
返信・引用 編集済
  日顕宗の本尊は、本門戒壇之大御本尊といいます。通称は板曼荼羅といいます。また、呼称として、一閻浮提総与の大御本尊とも呼ばれている。

なので、

一閻浮提総与の大御本尊という呼称を大誓堂の本尊に持ってくるのは世間知らずと云われてしまいます。

ここには信仰的考察や、意味は不要です。

=============================
全然関係ないけど、万年救護本尊の場合。

万年救護の大本尊は、『日蓮大聖人御真蹟御本尊集』(立正安国会)の16番本尊の通称。

と世間では云われています。

こんな感じかな
 

あべひさん

 投稿者:秋晴れ  投稿日:2014年10月15日(水)13時51分34秒
返信・引用 編集済
  富士宮でいろいろ書かれてましたね。笑

なんだか、面倒くさーくなってきた。ごめんね。

ところで「通称」とか「呼称」とか意味分かる?

弘安二年、10月12日御図顕の一閻浮提総与の大御本尊とされる本尊というのは、大石寺の彼(か)の本尊ですよ。

これは、ただ単に「呼称」というだけの話。

日顕宗の本尊は、本門戒壇之大御本尊というのだけど、一閻浮提総与の大御本尊とも呼
ばれている。つまり、「呼称」っていうだけの話。

因みに、本門戒壇之大御本尊は「通称」板曼荼羅という。

ここに、信仰的考察とか、意味は不要。

一般世間ではこうなってる。それだけの話ですよ。

だから、本部に、弘安二年、10月12日御図顕の一閻浮提総与の大御本尊とされる本尊は
どこにありますか?って問い合わせても大石寺ですって、普通に答えるしかない。

だって、一般世間ではそう呼ばれているのですから。

それだけの話です。
 

再掲しますねRe: 大石寺の板本尊は

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月15日(水)13時32分12秒
返信・引用 編集済
  > No.17595[元記事へ]

ロム男さんへのお返事です。

下げられたので修正して再掲いたします。
ロム男さんの主張をまとめておきますね。

※ 「大石寺にある戒壇本尊こそが弘安2年10月12日、図顕、一閻浮提総与である」

その理由

  1:創価学会初代会長も二代会長もその本尊の元(?)で亡くなられた。
  2:小説人間革命、小樽問答の記述にも、ハッキリと書かれている。
  3:写の本尊なので、功力には変わりはない。
  4:写の本尊とは、大聖人”お認めの法体”の本尊を、お写ししたもの。


このうち4の主張は「大聖人から允可をうけた日法が模刻した写の本尊」との
大石寺の伝承に基づいていると考えてよろしいでしょうか。

では模刻されたわけですから、元となる御本尊(お認めの法体)があると
 いう事になりますが これはどこにあるのですか?


 

御書のどこにも

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)13時25分11秒
返信・引用
   弘安2年10月12日に、大聖人が特別な御本尊をご図顕したとは載っていません。

 それを創価学会が強弁するなら、邪義なんです。

 然しながら、怨嫉謗法ではないので、メクジラ立てるほどじゃございませんね。

 勝手にやらせてあげたらいいのです。

 私はそういう与太ネタ相手にしませんがね。
 

阿部日さん、常の事ですが愚かですね~~~~~~~~!

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)13時22分1秒
返信・引用
   戒壇本尊とはどこにも載ってません。

 この程度の文章すら理解できませんか?

 アホラシ・・・・・

http:// 

 

大勝利さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)13時19分53秒
返信・引用
   26年と6月ですね。

 でも四捨五入で良いんじゃないですか?

 私は気になりません。

http:// 

 

Re: ロム男さん

 投稿者:大河  投稿日:2014年10月15日(水)13時03分9秒
返信・引用
  > No.17615[元記事へ]

abcさんへのお返事です。

> “観心本尊”を前面に押し出した教学に転換してほしいものです。

創価学会は創立以来、観心の本尊 義できたわけですが、つまり、決して大御本尊の
物質的側面には、執着しないという点ですね。

それを、明確に会則の説明としたのが、以下です。

-------------------------------------------------------
2002年3月30日付聖教新聞
創価学会会則の改正について(全国総県長会議から)
                    重要部分抜粋

次に、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」とあります。
これは、創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の「本義」を
示したものです。

大聖人は、熱原の法難において民衆が不惜身命の信心を現したのに呼応して
弘安2年10月12日に出世の本懐として大御本尊を顕されました。

幸福と平和を求めて真の強き信仰心を起こした民衆の心にこたえ、
末法万年にわたる全民衆を救うために、日蓮大聖人は衆生救済・仏国土成就
広宣流布実現の大願を込めて出世の本懐の大御本尊を顕されたのです。

この大聖人の心に呼応して同じく広宣流布の大願を起こし、民衆救済の実践に
邁進していく強い信心こそ「学会の信心」です。

大聖人の御生命と一体の御本尊は、広宣流布の戦いを貫き、魔を打ち破っていく
強い信心にこそ現れるのです。
これが「観心の本尊」ということです。

この強き学会の信心こそ「大御本尊を信受する」という意味です。

この第2条では、大御本尊に込められた末法万年・一閻浮提の一切衆生の救済という
大聖人の御心が「一閻浮提総与」の語に明確であり、大御本尊の「本義」が
明らかです。

また、「分身散体」の意義に照らして、弘安2年の大御本尊を書写した御本尊を
正しい信心で受持することはそのまま大御本尊の受持になります。

したがって、各自が家庭に御安置した御本尊を拝することが、そのまま大御本尊を
信受することになるのです。

どこか特定の場所に参拝しなければ成仏できないという日顕宗のような誤った考えは大聖人の御本意ではありません。

-----------------抜粋---------------
 

Re: (無題)

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月15日(水)12時33分25秒
返信・引用 編集済
  > No.17612[元記事へ]

abcさんへのお返事です。

※ 平成5年には「信心の中にしか本尊はない」宣言が有りました。
  先生のおっしゃる通りにすればいいのに。


昭和の時代からですよ。戸田先生も異口同音でおっしゃっていますし
弟子である池田先生もおっしゃっています。

これが頭で理解できても、信じられない人がいるということです。
ちなみに「師匠が言っているからそうなのだ」と短絡的に考える
のも「勧心の本尊」の意義とは少々違うように思います。
御本尊様にケチ(キズ)をつける=自分自身を傷つけている

です。

だからといって、あまり神経質になったり思いすぎる必要はない
との指導もあります。

「大御本尊はどこにあるのか?」ぐらいまでがデッドラインです。
これが「大石寺にあって、これを否定すれば御本尊が云々」とするのが
御本尊様に対する不信の元になってしまいますね。

目に見える物体として考えるから、まようのです。

たとえるならば「日蓮大聖人は今どこにおられるのか」という議論をするのと
同じです。
創価学会では、日蓮大聖人を末法の御本仏と「仰ぎ」としているのですが
日蓮大聖人の墓所は気にしないでしょう。


私たちは「本因妙」の信心に生きなければなりません。
池田先生の指導を引用しますね。

◎本因妙の仏法は、現当二世である。“現在”と“未来”が大事なのだ。
 過去のことにとらわれず、現在より、未来に向かって、人間革命していくことです。
 その勇気ある人こそ、真実の勝利者といわれ、幸福者になるわけです。

(指導集 質問に答えて:聖教新聞社刊~28ページより抜粋)




 

Re: 阿部日さん、おはようございます

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月15日(水)11時45分23秒
返信・引用 編集済
  > No.17563[元記事へ]

●創価学会では弘安二年10月12日の戒壇本尊を認めていないと言う事実です。
(実名主義者さん)
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/17484

※ 私の地域ではそういう記事はありませんでした。
 滋賀県ではあるのなら、アップして下さい。
 出来ないなら、貴方は嘘つきで謝罪も出来ない方です。

 そういう方が、他人の書き込みに注文を付けることは間違いです。

 このままですと、人生そのものが嘘になりますよ。
(実名主義者さん)


実名主義者さんへのお返事です。

おはようございます。
※日蓮大聖人御入滅の日の勤行法要が、13日を中心に各地でおこなわれて、
 10月12日の大御本尊御図顕の日の意義をとどめたものだとありますね。



昨日は新聞休刊日だというのをすっかり忘れていました。
お恥ずかしい限りです。
では、実名主義者さんの論
(本門戒壇の大御本尊を根本にするとの文言がなくなり
  弘安二年10月12日の戒壇本尊を認めていないと言う事実)

といれわた根拠か崩れましたし、ただの個人的所感であったということ
なので、回答不要ですね(笑い)
聖教新聞に『御図顕の意義をとどめる』とありますので、創価学会としての
公式な表明になります。

あ。意見の相違ぐらいで謝罪なんか求めませんので安心してください。
 

Re: 大勝利さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月15日(水)10時44分35秒
返信・引用
  > No.17621[元記事へ]

実名主義者さんへのお返事です。

>  立宗宣言だと思います。
>


それだと、27年経ってないですね。
 

大勝利さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)10時43分3秒
返信・引用
   立宗宣言だと思います。

http:// 

 

大勝利さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)10時41分53秒
返信・引用
   大聖人仏法は御書から学ぶ以外に、方法がございません。

 事実なんですからどうしようもありません。

http:// 

 

実名主義さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月15日(水)10時32分37秒
返信・引用
  私は各自いろいろな読み方があって良いと思いますが、
「余は二十七年なり」

実名主義者さんは、何時の時点から27年なのだとお考えでしょうか?
 

師匠の指導から

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)10時30分51秒
返信・引用
   『私たちが仏になるためには仏道修行が必要です。
 信心しないとダメです。
 観心とは信心と読みます。
 我が己心の仏界を信じる。
 これが観心です。
 信心するためには本尊が要る。
 信心のための本尊だよ、本尊のための人間じゃないよ。
 だから大聖人はありがたいのです。
 その信心のための本尊を、五の五百歳に始めておいたよ。
 こう読むんです。』(趣意)

 寛師と真逆ですね。

 弘安二年十月十二日の本尊が三大秘法随一で、本懐中の本懐、究竟中の究竟???

 貴方ね、折伏の一つもやってからお言い!

 アホらし・・・・・
 

Re: おはようございます

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月15日(水)10時28分2秒
返信・引用
  > No.17608[元記事へ]

実名主義者さんへのお返事です。

>  今日の聖教新聞1面に載っています。
>
>  日蓮大聖人御入滅の日の勤行法要が、13日を中心に各地でおこなわれて、10月12日の大御本尊御図顕の日の意義をとどめたものだとありますね。
>
>  今グレーゾーンですね戒壇本尊は。
>
>  昔は12日に大々的に戒壇本尊本懐を前に出して各地でやったものです。
>
>  現在はその日を避け、次の日の御入滅をメインにして、ついでにやる。
>
>  そろそろ真正面から否定していいんじゃないですかね~~??
>
>  御書根本と言いながら、御書にない戒壇本尊否定しきれない。
>
>  すっきりしないね~~~~~。


おはようございます。
御書根本は、創立以来御書根本との意味でしょうね。
 

Re: ロム男さん

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)10時17分54秒
返信・引用
  abcさんへのお返事です。

> “観心本尊”を前面に押し出した教学に転換してほしいものです。

仰せの通りです。
観心本尊は、いままでも教えられて来たのですが、定着すらしていない現実です。
 

ロム男さん

 投稿者:abc  投稿日:2014年10月15日(水)09時41分16秒
返信・引用
  “観心本尊”を前面に押し出した教学に転換してほしいものです。  

Re: (無題)

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)09時33分48秒
返信・引用
  abcさんへのお返事です。

> 平成5年には「信心の中にしか本尊はない」宣言が有りました。
> 先生のおっしゃる通りにすればいいのに。

しないし、ならないですね。
不思議なことです。(苦笑)
 

Re: (無題)

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)09時31分26秒
返信・引用
  abcさんへのお返事です。

> 昭和51年頃に「御本尊は全部同じ」宣言が有りました。謹刻した頃ですね。
> あの方向性のまま行けば良かったのですが、山崎正友が騒いで頓挫しました。

執行部に、跳ね返す力がなかったのですね。
その、責任をすべて先生が一身に被られました。
しかし今でも、御本尊の功徳は同じと云う指導は、先生によってなされています。
誰かは、拝む人数によって功徳には差がある御本尊は存在すると、トンチンカンな事を言われましたが、根底の部分で、御本尊に対する信仰とは何かが分かっておられないようです。
色々な考えを、お持ちの方がおられますので、万人が分かるように丁寧な説明が必要かと思います。
 

(無題)

 投稿者:abc  投稿日:2014年10月15日(水)09時30分0秒
返信・引用
  平成5年には「信心の中にしか本尊はない」宣言が有りました。
先生のおっしゃる通りにすればいいのに。
 

(無題)

 投稿者:abc  投稿日:2014年10月15日(水)09時22分14秒
返信・引用
  「御本尊は全部同じ」宣言は昭和52年1月の本部幹部会ですね。
あの方向性のまま行けばよかったのです。
 

実名主義者さん

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)09時17分55秒
返信・引用
  おはようございます。

まったく、仰せの通りです。

昨年の御入滅の記事より、若干、表現が薄くなった程度ですね。

約2名の方は、そんなものは大石寺には無いと言い切られ、私に、罵詈雑言を浴びせ、去って行かれました。

要するに、分かっている人だけが分かれば良いと言うものではないと云うことです。

この辺で、しっかりした理論構築をして、決別するか、そのまま、戒壇の本尊を認めて行くか、ハッキリと決めて頂きたいものです。
 

(無題)

 投稿者:abc  投稿日:2014年10月15日(水)09時11分49秒
返信・引用
  昭和51年頃に「御本尊は全部同じ」宣言が有りました。謹刻した頃ですね。
あの方向性のまま行けば良かったのですが、山崎正友が騒いで頓挫しました。
 

おはようございます

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月15日(水)08時57分2秒
返信・引用
   今日の聖教新聞1面に載っています。

 日蓮大聖人御入滅の日の勤行法要が、13日を中心に各地でおこなわれて、10月12日の大御本尊御図顕の日の意義をとどめたものだとありますね。

 今グレーゾーンですね戒壇本尊は。

 昔は12日に大々的に戒壇本尊本懐を前に出して各地でやったものです。

 現在はその日を避け、次の日の御入滅をメインにして、ついでにやる。

 そろそろ真正面から否定していいんじゃないですかね~~??

 御書根本と言いながら、御書にない戒壇本尊否定しきれない。

 すっきりしないね~~~~~。
 

(無題)

 投稿者:abc  投稿日:2014年10月15日(水)08時53分55秒
返信・引用
  日因「有師物語聴聞抄佳跡上」
次に本門戒壇の御本尊、寸尺、長四尺七寸五分、横弐尺壱寸七分、厚弐寸弐分御首題御勧請皆金薄入りなり、
仏滅後二千二百廿余年等と云云、御端書、右為現当二世造立如件、本門戒壇之、願主弥四郎国重敬白、法華講衆当、弘安二年十月十三日云云、
当山に之有り、又之に就て二箇御相承、又興師より日目上人に御遺状当之有り後体の為に之を書きおく者なり、
但最初仏御影日朝当山に納る証文之有り云云、又松野殿御書中に御影造立の御称美之有り。
-------------------------------------
十三日説もありますね。
 

Re: 余談

 投稿者:abc  投稿日:2014年10月15日(水)08時37分0秒
返信・引用
  > No.17605[元記事へ]

ロム男さんへのお返事です。

>
> 弘安2年10月12日図顕と、い・わ・れ・て・る本尊ですね。
> 真偽は、不明です。

おはようございます。おっしゃる通りでございます。
 

Re: 余談

 投稿者:ロム男  投稿日:2014年10月15日(水)08時04分51秒
返信・引用
  abcさんへのお返事です。

おはようございます。

> 石山の板曼荼羅は、本当に弘安二年十月十二日のものなのかは不明。
> 何故なら、その字面を公開できないから。

弘安2年10月12日図顕と、い・わ・れ・て・る本尊ですね。
真偽は、不明です。
 

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