有識者インタビュー Vol.1

渋谷 健司氏 東京大学医学部医学系研究科 国際保健学専攻 国際保健政策学教室 教授

国民皆保険の意義と課題解決の道筋

 国民皆保険を実現している日本の医療保険制度は、世界に誇る優れた制度として高く評価されている。しかし、人口構造や政治・経済状況の変化から、このままでは制度を維持できない危機に直面している。この事態をどう捉え、どのように克服していけばよいのか──。グローバルヘルス(地球規模の保健医療)の観点から日本の医療制度についても研究し、著名な医学雑誌『ランセット』の日本特集(2011年)の編集にも携わった、東京大学医学部医学系研究科国際保健学専攻国際保健政策学教室教授の渋谷健司氏に聞いた。
(聞き手:日経BP社医療局編集委員 千田敏之)

優れた健康水準を低コストで公平に実現

──日本は1961年に国民皆保険制度を導入し、以来50年以上が経過しました。どのように評価なさっていますか。

 日本の保健医療分野における過去50数年間の最大の成果は、国民間での公平性を高めながら低コストで良好な健康水準を実現したことです。日本は世界トップレベルの長寿社会を実現するなど、良好な健康指標を達成してきました。経済成長に加えて、さまざまな保健医療政策の成果ももちろんありましたが、その政策と相乗効果を発揮した国民皆保険制度の果たした役割も、大変大きなものがあったと思います。

 病気は誰がいつなるか分からないものですから、そのようなリスクを社会の中でプールするとともに、病気になった人を社会全体で助けるという国民皆保険制度を持つことが、国民の安全と安心を確保していく上で重要です。

 日本では、社会階層に関係なく幅広い国民が加入・利用できる仕組みを構築したことで公平性が保たれました。こうした優れた医療制度を持っている日本は、世界各国から注目されています。皆保険は良好な保健アウトカムのための手段で目的ではありませんが、今後もこの制度の基本を維持していくことは非常に大切だと考えています。

──その皆保険制度に綻びが生じていますが、現在のままでよいのでしょうか。

 制度を創設した1961年当時とは、さまざまな前提条件が変わってきたことに留意しなければなりません。制度創設時は人口構成が若く、政治が安定し、経済が成長している時代でした。しかし、少子高齢化が進み、政治状況もかつてと比べて安定せず、経済も低成長の時代を迎えています。これらの要因によって国民皆保険制度は持続可能性が脅かされているわけです。

 もちろん、環境の変化に合わせて、制度にも少しずつ修整が加えられてきましたが、全体のシステムとして今の時代に即しているのか、根本から再検討を迫られているといえるでしょう。

現役世代が当事者意識を持つことが重要

──今の健康保険制度は、財政的に若い人たち(現役世代)が高齢者を支えている状況があると思います。この問題について、どのようにお考えですか。

 社会保険制度は本来、保険料を支払った人に給付が返ってくることが前提です。ところが、日本の健康保険制度は、保険料だけでは制度を維持できず、そこに税金が投入されています。リスクプールという保険機能に、所得の再配分機能が深く関わっています。

 社会保険料は、消費税等の間接税と同様に所得逆進的(低所得層で支払い能力に比べて多く支払っている)です。所得税や住民税等の直接税は所得累進的なので、それらが互いに打ち消し合って、ほぼ支払い能力に応じた公平な負担制度になっています。しかし、このバランスが崩れて公平性が低下する可能性があります。

 税金の投入に加えて、共済組合や健康保険組合などの財政的に余裕のある保険者から、高齢者などに保険料が補填されています。このため、仕組みが複雑になっています。また、保険者間での保険料の格差が広がっています。

 ご指摘があったように、現役世代の支払った保険料のかなりの部分が、現在、高齢者のために使われています。このような状況にあることを若い人たちは気づいているのでしょうか。気づいていない人も多いでしょうし、薄々気づいてはいるものの深くは考えていないという人や保険料を支払わない人も増えています。この問題の重要性を認識するということが、まず大切です。

 その上で、高齢者の負担を上げるのか、払える人にもう少し払ってもらうような別の仕組みを考えるのか、といった議論を進めていくことが重要です。若い人たちは、自分たちが高齢者の医療を支えているという自負を持つと同時に、もし、制度が維持できないのなら、自分たちで制度を作り直す必要性についても考えることが大切ではないでしょうか。

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