凱旋門賞の勝算
今週号の週刊「Gallop」では、凱旋門賞回顧の特集が6ページにわたって組まれている。凱旋門賞における敗戦を冷静な目で検証・分析し、未来へとつなげようとする試みは素晴らしい。私が「文化が足りない」と書いたのは、凱旋門賞をただのお祭りとして消費してしまうのではなく、第三者の視点を交えた建設的で活発な批評や論議がもっと必要であるということが第一義であった。その主役を担うのはマスコミであり、挑戦した関係者への敬意や称賛は当然抱きつつ、それでも勝てなかったのはなぜか、これからどうすべきなのかを意見をぶつけ合わなければならない。お互いを高め合うような対等な関係にまだないのだとすれば、それは日本の競馬に文化が足りないということである。
さて、今年の凱旋門賞における敗因において、大きく分けて2つの分析があったと思う。ひとつは前哨戦を使わなかったことに対するもの、もうひとつは現地のジョッキーではなく日本人騎手をそのまま起用したことに対するものである。前者は表面的なものでしかなく、後者は主にレースにおける位置取りを理由とした机上論でしかなかった。しかもどちらも既に結論が出ていることであって、今さらという感もある。沢田康文氏は週刊「Gallop」誌上にて、「経験と戦略としたたかさが足りなかった」と指摘しているが、それはつまり何もかも足りないということではないのか。
前哨戦を使うことがほぼ絶対条件であるのは、過去の凱旋門賞を好走した日本馬たちが教えてくれた。前哨戦を使うことには多くのメリットがある。本番に向けて、ひと叩きして体調のピークを合わせるのは当然であり、追い切りだけよりもレースを使った方がより仕上げやすい。それ以上に、前哨戦を使うということは、現地に長く滞在するということでもあり、その間に馬と人が環境に慣れることができる。環境とは周りの雰囲気であったり、気候であったり、馬場であったりする。具体的には、スピードシンボリやエルコンドルパサーがそうであったように、馬自身の走り方がヨーロッパの馬場に合わせて少しずつ変わってゆく。つまり、現地の競馬に適応するには、現地にいる時間が長ければ長いほど良いのだ。
今年の日本馬の位置取りが3頭ともに後方だったからといって、もっと前に行っていればと思うのはにわか競馬ファンだけだろう。ハープスターの良さを引き出すためにはほぼベストの騎乗であったし、ジャスタウェイとゴールドシップは体調が万全でなかったがゆえに前に行けなかっただけのことだ。騎手の技術云々の話ではない。今回の3頭に関しては、もし海外のジョッキーが乗っていたとしても、それほど大きく着順は変わらなかったはず。それでも、やはり現地の競馬場を知り尽くしているジョッキーに乗ってもらうのがベストだろう。安藤勝已騎手も指摘していたように、向こうのジョッキーと日本人騎手では馬の動かし方や抑え方がそもそも違う。あえて日本人騎手を乗せるとすれば、武豊騎手や横山典弘騎手ではなく、岩田康誠騎手か川田将雅騎手である。
前哨戦を使うことの重要性はエルコンドルパサーの頃から、海外のジョッキーを乗せるべきなのはディープインパクトのころから分かっていたことである。そういった過去の失敗や反省を全て生かした上で勝ちに行ったのが昨年のオルフェ―ヴルであり、逆に言うと、勝算が十分にあったからこそできたことでもあった。それゆえに、あのレースを負けたことに私は深く絶望したのだ。今年は時計の針が逆に回ったような後戻りをして、エルコンドルパサーの凱旋門賞からすでに15年の時が流れたにもかかわらず、全くと言って良いほどプロセスにおいて前進していなかった。なぜか?
勝算がないからだ。勝算がないからこそ、本気で勝ちに行けない。現地に長期滞在することなく、前哨戦も使わず、日本人騎手をそのまま乗せ続ける。エルコンドルパサーとナカヤマフェスタで2度2着し、凱旋門賞に最も近いホースマンのひとりである二ノ宮敬宇調教師によると、現地に滞在すると諸々含めて1ヶ月に2000万円ぐらいの費用が掛かるらしい。勝算がなければ、何か月も現地に滞在できないのだ。どうするかというと、勝算のある日本のレース(たとえば宝塚記念や札幌記念)を使って賞金を稼ぎ、できるだけ海外遠征に掛かる経費を相殺した上で、ぶっつけで凱旋門賞に臨むのだ。フォア賞と札幌記念の賞金額を比べれば比べるほど、それは現実的なローテーションに思えてくる。海外のジョッキーに依頼しないのも同じ発想で、今回の3頭は日本に戻ってきてからが本番であり、そこで乗るのは結局のところ日本人騎手だからである。
フランスまで渡って凱旋門賞に出走するからには、勝ちに行っていないホースマンなどいないことは百も承知で厳しいことを言っている。それでも、結果論ではなく、そのプロセスにおいて、本気で勝ちに行っていないことが証明されてしまうのだ。それは関係者の総意として、勝算がない、つまり凱旋門賞を勝つ自信がないと心のどこかで感じている表れだ。全てを捨てて凱旋門賞を本気で勝ちに行ったのか、関係者はもう1度、自問してもらいたいし、マスコミはそう問わなければならないだろう。彼らが挑戦してくれたからこそ、こうした議論も生まれたことは確かであっても、表面的な称賛や慰めや未来への期待だけでは何も生まれないのだ。
最後に、もしもう一度、日本の超一流馬を連れて、本気で凱旋門賞を勝ちに行くならば、守らなければならない3つのルールを書き添えておきたい。
1、宝塚記念は使わない
2、現地に長期滞在し、前哨戦を使う
3、ヨーロッパのトップジョッキーに騎乗してもらう
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