2014-10-17

メンヘラ牧場

多い時で20人以上同時並行的に、友達以上恋人未満(体の関係有り)のような関係を維持していた。それは、とても消耗する、精神力も体力も。毎週、いや毎日家に別の女性がやってくるものからフローリングに落ちている髪の毛には細心の注意を払っていた。女性ものを置いていき、他の女性にその存在を知らしめるという古典的手法にも、細心の注意を払ってきた。香水も、布団のシーツ香りも、枕の香りも、部屋中の香り全てに注意を払って、ファブリーズ自分が普段から使っているルームフレグランスを使って、私の香りになるように、とても気をつけながら、慎重に自分の部屋を管理した。平日の夜から休日まで、ひっきりなしにアポの予定が入っていた頃が、ちょっとばかり、懐かしい。

その20人以上の女性の中には、もちろん、僕が同時並行的に女性と寝ていることを知っている人もいたし、知らなく、「私しかいない」と思っている人もいたし、その子TwitterからLINEアカウントパスワードまで渡してきて、僕に支配されたいと言ってくる女性もいれば、どうしても僕を支配したくて、僕を支配しようとコミュニケーションを取ってくる女性もいて、十人十色な様子だった。中には手首をよく切る子もいて、なかなかに個々の女性ケアが難しく、配慮が行き届かないことも多々あった。そんな、僕と関係を持ち、継続的に逢瀬を重ねていた数十名と、今日別れを告げた、唐突に。人間関係を清算した、全て。あとは、刺されないように夜道を気をつけたり、帰宅時に家のまわりに不審な人物がいないか、注意を払うのみだ。

中島義道の『ひとを愛することができない』という本を、とある御方からおすすめされて、最近読んだ。中島は、家庭環境の影響から、ひとを<愛することが出来ない>ようになってしまっていたと告白している。僕は、僕自身、ひとを<愛することが出来ない>わけではないと思う、綺麗な女性や気が合う女性には、とても魅力を感じるし、好意を抱くし、お付き合いしたいと思う。ここで、愛とはなにか、恋とはなにか、等議論するつもりはないが、こういった好意とか、魅力を感じる部分、東浩紀的に言えばデータベース的な消費ができるもの、の積み重ねが、恋や愛になるとでもしておこう。僕は多分、<マジ>になることに、少しばかり恐怖心を抱いていたのだと思う、抱いているのだと思う。別れや、振られることは、それはとても寂しいし辛い。とても耐え難いと思う。だから、僕はそれから逃げるために、こうやって、自分言い訳を与えて、ひとを愛することをしないようにした、のだと思う。

この20名以上の女性と続けていた関係を、僕は「メンヘラ牧場」と名づけていた。全員が全員メンヘラなわけではない。ただ、なんとなく、こういう風に表象することによって、僕自身エクスキュースになっていたからだ。僕は彼女達を<飼う>という表現を用いて、表象空間自分自身で作り上げ、そこに20名以上の女性を閉じ込めていた。実際に、本当に「主従関係」のような関係性を作り上げていた女性もいたし、対等な関係女性もいたし、その関係性は多岐にわたっていた。ただし、必ず私が、ある種のメタ視点に立てるように、必ず一歩俯瞰することに細心の注意を払う、わかりやすく言えば、<マジ>にならないように注意をしていた。一人に固執すると、そのリスクが高まってしまうから、人数を増やし、リスク分散することをしていた。その結果が、この20人強だ。「何をしているんだろう」と自分でも思う、本当にバカバカしい、何に自分は怯えて、何に執着して、ここまでしてしまったのだろうと、今考えるととても恐ろしい。こんなにも僕を突き動かしたのは、一体何なのだろう、と。

三島由紀夫は『新恋愛講座』で「唯我独尊世界で、相手がいなくて成り立つような、恋愛というものを**自分の心の中に抱いている**のです」と幼少期の初恋について考察している。中島義道は『ひとを愛することができない』で「自分表象世界に相手を閉じ込める」と言っているのと、少しばかり似ている気がする。三島由紀夫の言う、幼少期というのは、自分世界けが、全世界なのであって、つまり、その唯我独尊世界に生きているからこそ、相手がいなくても恋愛が可能だ、というロジックだ。そこには、自分と、自分が作り上げた恋愛対象しかいない、唯我独尊世界、誰も傷つくことのない優しい世界で、自分恋愛対象恋物語が紡がれる。中島義道は、それをいい年になって、別の方法で、それを実現していたんだと思う。

僕の「メンヘラ牧場」も、ある種の、唯我独尊世界だ。そこは、僕と、<飼っている子>との、**僕に**優しい表象空間で、そこでは僕は一切傷つかない、僕が作り上げた世界だ。ひどい妄想だと思うし、これは間違いなく僕のエゴだし、とても身勝手ものだとわかっている。それこそ、幼少期の恋愛かもしれない。自分以外の世界を認めず、自分世界他人世界の間に存在する溝を認めず、自分世界に閉じこもる、自分世界に相手を閉じ込める(と勝手想像創造する)、そういうことを、僕もいい年になって、「メンヘラ牧場」で実現していた。牧場から逃げ出そうという素振りや、僕の言うことを、少しでも聞かないような子がいれば、僕はすぐさま追放した。圧倒的追放。

僕は、今日この「メンヘラ牧場」を閉園した。さよならだ。拾っては捨てて、拾ってはすてて、と、積み上げたものを崩すのは、一瞬だ。さよならを告げて、返事も待たずにLINEブロック、こんな簡単に人間関係はさっぱり清算できてしまう、便利になったものだ。

理由は単純で、この「メンヘラ牧場」を運営するきっかけになった、僕の愛のキャラバンが一旦終わったからだ、つまり、単に、好きな人がちゃんと出来たからだ、信頼できるひとができたからだ、単純だろう。彼女は、僕がこうやって、愛のキャラバンを通して、様々なことをしてきたことを知っている、「メンヘラ牧場」のことはもちろん知っているし、僕がハプバーに通っていたりしたことも知っている、ナンパ師として、様々な女性ナンパして、いわゆる”即”とかもしてきたことを知っている。彼女は、大体なんでも知っている。こんな僕を、彼女はどうして受け止めてくれるのだろうか、僕には、まだちょっとからない、けれども、受け止めようとしてくれていると感じることができる、そして、僕も彼女を受け止めたいと思っているし、すごく愛おしいと感じる。彼女とは、色々な冒険ができると感じている、今は、久々に内から湧き出るこの感覚に身を任せて、彼女とのこれからを、たくさん考えながら、これからの日々を生きていきたい。さあ、ゲームの始まりだ。

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