記事詳細
【阿比留瑠比の極言御免】
言論の自由を行使するとは
近頃、言論の自由について考えさせられる機会が多い。産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が韓国の朴(パク)槿恵(クネ)大統領の名誉を毀損(きそん)したとして在宅起訴された不条理もそうだが、それに関して韓国外務省報道官が14日、こう言い放ったことにも頭を悩ませられた。
「韓国はいかなる国よりも言論の自由がよく保障されている」
これには日本の政府筋もあきれ、「言わせておけばいい。良識ある国際社会が判断を下すだろう」と突き放した。強弁すればするほど、満天下に恥をさらすのは韓国の方だよ、ということだろう。
ただ、韓国を笑ってばかりはいられない。この言論の自由という言葉が、それぞれの使い手によって都合のいいように解釈されていることは日本も同じだからである。また、言論の自由とは名ばかりで、実際にはタブーや自己規制が存在することもしばしばだ。
ちょっと古い話だが、平成13年のことだ。扶桑社の中学歴史教科書が検定に合格したのを受け、国会内で開かれた扶桑社本の採択反対集会をのぞくと、社民党の土井たか子元衆院議長がこう訴えていた。
「憲法は言論の自由を保障しているが、教科書については言論の自由は制限されていい」