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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観オランダ物乞い無法国慰安婦ダシに金儲けマルガリータ・ハマー元委員長

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1オランダ物乞い無法国慰安婦ダシに金儲けマルガリータ・ハマー元委員長

泣き売」偽証慰安婦(私娼・朝鮮内乱犠牲者・便乗老婆)加害者韓国軍国連軍
 売春婦は人類最古の職業、当然、当時も居た。日本軍公娼(エリート売春婦)はほんの一握りで、私娼窟売春婦は数多なのに、中朝韓はほんの一握りの日本軍公娼慰安婦を針小棒大に拡大、はるかに多かった私娼窟の売春婦は隠蔽し、皆無のごとく宣伝した。結果、「すべての売春婦=従軍慰安婦」と。無辜無知の各国国民はだまされた。

 常識で考えてみよう!日本軍公娼慰安婦はエリート高給取り、年季明けで、帰国した。私娼窟私娼売春婦は、まさに性奴隷であった。現在の慰安婦証言者は、私娼窟の売春婦か、日本撤退後の朝鮮内乱や朝鮮戦争の犠牲者か、身より無き老婆とに大別される。

 日本非難の慰安婦被害者証言の加害者は日本ではなく、朝鮮戦争の国連軍(従軍慰安婦で日本非難議決国=米韓加豪蘭比EU)や韓国軍私娼斡旋業者私娼窟父母親族。相手が自国の韓国軍や戦勝国や私娼斡旋業者私娼窟父母親族では、ただの売春婦扱いされ金も取れないので、敗戦日本の軍隊にすり替え、被害者証言「泣き売」を展開し、主語すり替えの偽証で生きる糧を得た。
 また、身より無き老婆も、便乗偽証で生きるための糧を得た。
参照⇒ローマ法王看破!ミサ7人の老女は朝鮮戦争犠牲者か洋公主!

乞食の無法国オランダ!慰安婦ダシにマタマタ金儲け!『折られた花』著者は二枚舌アジア女性基金元委員長マルガリータ・ハマー=モノ=ド=フロワドヴィーユ!

 

2012.8.16 朝鮮日報日本語版 慰安婦:オランダ人元慰安婦8人の体験集を出版

 1940年代の太平洋戦争当時、インドネシアで日本軍の慰安婦として連行されたオランダ人女性8人の経験をつづった手記集『Geknakte Bloem(折られた花)』=写真=が、最近オランダで出版された。主婦のマルガリータ・ハマー・モノ・ド・フロワドビーユさん(72)が、オランダの元慰安婦にインタビューして執筆した本だ。本書の表紙には「8人の女性が日本軍による強制売春について語る」というサブタイトルが付いている。

 マルガリータさんは1941年、当時オランダの植民地だったインドネシアの港湾都市スラバヤで生まれた。翌42年、日本軍がインドネシアを占領し、マルガリータさんも家族と共に強制収容所に連行された。当時、オランダ人約9万人が強制収容所に送られ、一部の女性は慰安婦として連行された。

 戦争が終わり、オランダに戻って平凡な主婦として暮らしていたマルガリータさんは、慰安婦に対し十分な補償や心のこもった謝罪をしない日本に対して怒りを覚えた。94年、対日道義的債務基金(JES)に加入して慰安婦関連の仕事へ本格的に身を投じ、今回本書を出版した。本書は、今年9月に日本でも翻訳出版される予定だ。 パリ=李性勲(イ・サンフン)特派員

 

2013年9月18日 朝鮮日報日本語版 慰安婦:「健康診断の際、日本の軍医官が強姦する事例も」

 旧日本軍による慰安婦強制動員の被害者である金福童(キム・ボクトン)さん(87)と韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会のメンバーたちが18日、フランス・パリで、日本の過去の蛮行を糾弾し謝罪を要求する水曜集会を開く。このところ安倍晋三首相をはじめ日本政府は慰安婦強制動員の事実を否定しており、欧州でも日本を批判する声が高まっている。

 旧日本軍の慰安婦問題に取り組む欧州の代表的な活動家、オランダ人のマルガリータ・ハマーさん(72)は本紙のインタビューに対し「これまで出会った慰安婦被害者は全員、日本軍によって強制的に連れていかれたと一人残らず証言している」と語った。また「日本が過去の歴史を否定することに対し、オランダの被害者たちも大きな悲しみを覚えている。正式な謝罪と法的補償を行わない日本に怒りを抑えられない」と訴えた。

 オランダは日本が慰安婦を強制動員した事実を認めている。旧日本軍は1942年の太平洋戦争当時、オランダが植民支配していたインドネシアを攻撃し、占領した。その後インドネシアに滞在していたオランダ人およそ9万人を強制収容所に収容したり虐殺したりし、一部の女性は軍の慰安婦として連れていかれた。日本は当時、インドネシアのジャワ島でオランダ人女性を強制売春させた。1948年にはこれらの軍人たちを処罰するための戦犯軍事裁判が開かれ、将校7人と軍務員4人に有罪判決が下った

 1941年にインドネシアで生まれたハマーさんも、家族と共に強制収容所に連行された経験がある。94年に対日道義的債務基金(JES)に加入し、慰安婦問題に取り組み始めたハマーさんは先月、オランダの慰安婦被害者8人の経験をつづった手記『Geknakte Bloem(折られた花)』を出版した。

 ハマーさんは『強制的に連行された慰安婦の女性たちは、想像もできないような恐ろしい経験をさせられた』と語った。さらに「当時、日本の軍医官は慰安婦たちの健康診断の際、処女かどうかを検査するといって強姦(ごうかん)するケースもあったと聞いた。そのショックで被害者たちはずっと深刻な後遺症に悩まされて生きている」と説明した。元慰安婦のオランダ人女性たちも、大半が過去を隠して生きているという。一部の女性は周囲から「貞操観念のない日本人の性のおもちゃ」などと心ない言葉を浴びせられた。ハマーさんの手記集に登場する女性たちも皆、匿名で証言している。ハマーさんは「中には結婚して家庭を築いた女性もいるが、過去の悪夢のような記憶が頻繁によみがえってきて、精神科の治療を受けるケースもある」と話した。

 慰安婦を支援するための「オランダ事業実施委員会」の委員長を務めたハマーさんは、委員長職を退いた後も被害女性のカウンセラーとして活動を続けている。ハマーさんは「最近、被害者をいっそう激怒させているのが日本政府の態度」と語った。ハマーさんは「2007年にも安倍首相が、慰安婦の動員には強制性がなかったと主張して、後に謝罪したことがあった。それにもかかわらず、再び同じことを繰り返している」と指摘した。オランダの慰安婦被害者たちも高齢になり、次々とこの世を去っている。そのため過去の事実を証言する生存者は何人も残っていない。ハマーさんは、日本政府が一日も早く謝罪と補償に乗り出すべきと訴えた。また、ハマーさんは日本政府の態度を変化させるために、韓国など世界の慰安婦被害者団体とも協力していく構えだ。

 ハマーさんは近く、手記集『折られた花』の日本語版も出版する予定だ。ハマーさんは「日本の国民もかつて先祖が犯した蛮行について知るべきで、そこから教訓を得なければならない」と指摘した。

パリ= 李性勲(イ・ソンフン)特派員

 

「慰安婦」捏造団がつまみ食い針小棒大宣伝する白馬事件は軍隊一部の暴走事件

白馬(しろうま)事件(スマラン事件)は46年前に断罪済

 「白馬」とは、当時敵国の白人を「白馬」にたとえての表現。戦後は、「スマラン事件」表記が正当。インドネシア日本軍占領中の日本軍人の一部が暴走、1944年2月、南方軍管轄の第16軍幹部候補生隊が、オランダ人女性35人を民間人抑留所からスマランにあった慰安所に連行し起こした、監禁・強姦・強制売春事件とされている。2ヶ月未満で事件発覚、日本は即時閉鎖し処罰した。日本軍の不祥事スマラン事件」を日本が即刻閉鎖処罰は、現在難癖中の「日本国是強制連行性奴隷」は冤罪との、確固たる証拠である!

 

「従軍慰安婦」吉見義明(木しか見えず、森が全く見えない井蛙史観で、犯日半端者凶授)著岩波新書1995より

 当時スマランには既に慰安所はあったが、性病の蔓延から新たな慰安所の設置が計画された。慰安所設置を要請された幹部候補生隊長は、慰安所には自由意思の者だけ雇うようにというジャカルタの第16軍司令部のガイドラインを無視した(ガイドラインは未発見であるが証言やスマトラの第25軍の類似の通達からそのように考えられている)。

 複数の将校と慰安所業者は、ハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、ゲダンガン抑留所の17歳から28歳の合計35人のオランダ人女性を強制的(10名は自発で、強制は25名と裁判で認定された)に集め、スマラン市内のカナリ通りの建物で日本語で書いた趣旨書への署名を強制した後、スマランの4つの慰安所(将校倶楽部、スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘か双葉荘)に連行した。

 3月1日から営業を始め、女性達は毎日強姦された。給料は払われず、暴行され、その上、性病を移された者、妊娠した者がいる。週に1度医師の身体検査があったが、充分な治療はほとんど行われず、医師が強姦することさえあった。(注・ここの女性像は、オランダ人証言丸鵜呑みの、丸記述で、検証無し

 しかし自分の娘を連れ去られたオランダ人リーダーが、陸軍省俘虜部から抑留所視察に来た小田島董大佐に訴え(下記のオランダ公文書館調査報告ではこうだが、日本人側証言は異なる。下記参照)、同大佐の勧告により16軍司令部は、1944年4月末に4箇所の慰安所を閉鎖し、女性達はクラマト抑留所に移された。

※事件発覚して即時の閉鎖(開店は2ヶ月間)は軍の無関与証拠。「あるヨーロッパ人の証言によると、このスマラン「慰安所」事件の結果、何人もの憲兵隊員が地位を失っている」。日本占領下インドネシアにおける「慰安婦」―オランダ公文書館調査報告―

 上記とは異なる、日本側軍政監部本部鈴木博史大尉証言「慰安所でひどい悲鳴が聞こえるとの話を聞きこみ、山本軍政監(第16軍参謀長の兼任)へ伝えると、山本は“まずい、すぐやめさせろ”と怒り、翌日に閉鎖命令が出た――のちに、彼女たちを集め申し訳のないことだったと謝罪した」。「慰安婦と戦場の性」221p

 

スマラン(白馬)事件の実際の被害者は?

 「ジャンの物語」倉沢愛子解説212p「1944年4月から抑留所の管理が、いっせいに州庁から軍直轄に代わったのだが、その移管にともなって日本から抑留所の視察にやってきたある大佐が、強制的に若い女性が抑留所から連れ出された事実を知って、ジャカルタの第16軍司令部に報告したものである。――ただちに慰安所の閉鎖を命じた」とある。つまり、日本軍の管轄になってはじめて「監督不行き届き事件」が発覚(強制連行強制売春事件)し、日本軍が廃止したのである。

 当事者ならこのことは、知らないと言い逃れできないほど、明白な事実である。スマラン(白馬)事件は断罪済みなので、異なるような証言をしているが、証言該当事件は、この事件以外には無い!連合国中で最も多い226人の日本人を処刑したオランダ軍法会議で裁かれたのは、この事件のみが証拠である!復讐裁判なので、見逃すはずなど無い!その事実を言えば逆に、日本軍完全関与の決定的な証拠となるので、「日本軍が慰安所を閉鎖」したことを故意にオランダ証言者たちは、隠蔽している。

 終戦後の1948年、バタビア臨時軍法会議でBC級戦犯として11人が有罪とされ、裁判では、慰安婦にされた35人のうち25名が強制(一方的リンチ裁判なので真実はもっと少ない)で、10名が自発だったと認定され、罪名は、強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦とされた。「35人全員ではなく25名のみが強制で10名が自発」は、軍事(リンチ)法廷さえもが、スマラン(白馬)事件は軍命違反で、日本軍の強制売春禁止(一般犯罪)と認めたのである。スマラン事件の裁判全記録は、2025年まで非公開

 

 「売春婦」証言は、家族親族世間から差別されるが、「犠牲者」証言なら、世間から同情を得ることが出来る。強制だったとリンチ裁判認定の25名が、はたして全員被害者であったのであろうか?25名中相当数の「ニセ犠牲者」が混在したであろうことは、子供でも推察できる。

 この裁判は戦勝国の一方的裁判(リンチ)なので、慰安婦にされた35人全員が強制だったと認定されてもおかしくないのである。

 しかし10名は、あろうことか、「ニセ犠牲者」を拒否し、「売春婦」を貫いた。一方的裁判(リンチ)なので、「犠牲者」とだけ、ただひとこと言いさえすれば、世間のあらゆる非難を回避できたのにである・・・。なんと、朝鮮(韓国)のように全員ではないのだ。日本非難慰安婦証言は日本人を含めても数人だが、朝鮮人はダントツである。日本撤退後の韓国軍や米軍や国連軍慰安婦(私娼や洋公主)は、日本の責任ではない!宗教国オランダと、やりたい放題無宗教国朝鮮(韓国)の、違いであろう。

 自発10名は、モーパッサンの小説「脂肪の塊」の主人公に匹敵する。

 

スマラン(白馬)事件の処罰者

有罪者は、軍人および慰安所を経営していた日本人業者等である。

能崎清次 陸軍中将 (幹部候補生隊長、事件当時少将)懲役12年

池田省三 陸軍大佐 (幹部候補生隊付)懲役15年

岡田慶冶 陸軍少佐 (〃)死刑責任者

河村千代松 陸軍少佐 (幹部候補生隊副官)懲役10年

村上類蔵 軍医少佐 (幹部候補生隊付)懲役7年 

中島四郎 軍医大尉 (〃)懲役16年 

石田英一 陸軍大尉 (〃)懲役2年

三橋弘 スマラン支庁陸軍司政官 無罪

大久保朝雄陸軍大佐(事件の中心的人物とされるが、訴追を知り自殺)

慰安所経営者

葛木健次郎 (将校倶楽部)スマラン軍将校専用はここだけ。 懲役7年

古谷巌  (スマラン倶楽部)懲役20年

森本雪雄  (日の丸倶楽部)懲役15年

下田真治  (青雲荘「ジャンの物語」倉沢愛子解説では双葉荘)懲役10年

「慰安婦と戦場の性」(秦郁彦著・新潮選書)より

 死刑になった岡田慶治少佐は「青壮日記」と題した獄中手記を残している。日中戦争期の戦場体験から書き起こした半自伝だが、事件について次のように書いている。

 将校クラブの婦人たちをよく可愛がってやったつもり……その彼女たちが告訴している。それも嘘八百を並べて……時勢が変わったので我々に協力していたことになっては彼女達の立場がないのかと想像……起訴状を見ると首謀者にされている……「そうか飼犬に手を咬まれたのだ。もう何も言うことはない」と覚悟した……敵の銃口の前に立って、日本軍人の死に態を見せてやることではなかろうか。

 開き直ったとも思えそうな論旨だが、それなりの情状は存在したようである。

 岡田手記によると、発端は、州庁で希望者を募って慰安所を作ろうとする構想を聞いた能崎少将が、内務官僚出身の宮野スマラン州長官に話をつけ、上官の池田大佐、大久保大佐から命じられて実施面を担当させられたのだという。

 個々の選定にはタッチせず、将校クラブが開館する前々夜に集まった女性と初顔合わせして色々な注文を聞き入れてやったので「(彼女たちは)とても朗らかで若い将校と心中でもしてくれなければいいがと、心配しているくらいです」と視察に来た参謀へ報告したという。(P.220)

※この岡田慶治少佐が関わった慰安所は、ジャン・ラフ・オハーン(後の自称証言者)が入れられた慰安所(軍将校専用)に該当する。「ここでは女性たちに“道子”などの日本名をつけていたというから(220p)」なので、ジャン証言も合致。

 判決文は「自由意志で売春を行う女性は皆無か、いたとしてもごく少人数であり、売春をさせるために実力行使が行われるであろうことを承知しながら、あるいは当然、その疑いを持つべき立場にありながら、女性たちに売春婦として働くことを命じた(季刊戦争責任研究第三号1994年)」と、かなり無理な判決となっている。このようなリンチ裁判なので、かなり割り引いて認識しなければならない。

 女は生きて子孫を残すことが第一義(生命体の最適者生存本能が一番強かったので人間は生き残っている)。女は生きるためには豹変する。男の顔は履歴書だが、女の顔はまさに生きるための請求書。 

 スマラン(白馬)事件事件は、死刑も執行され、こうして決着した。終戦後、オランダは、捕虜虐待などの容疑で、多くの日本軍人をBC項目戦犯として処罰した(連合国中で最も多い226人の日本人を処刑)。

1994年のオランダ政府の報告書

 一部兵士の、強制連行事件(リンチ裁判では25名が強制と断定)はあったが、日本軍の強制連行ではなく、一部兵士の事件証拠が、1993年オランダの下記の調査。2につづく⇒

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プロフィール

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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