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 名古屋城のそばに、“天守閣”を頂く愛知県庁舎がある。西洋風の建物に城郭風の屋根を載せた姿に、思わず空を見上げる。日本が戦争に突き進む時代に造られ76年。かつてはファシズムの権化とされたが、尾張名古屋の象徴とも言われるようになった。

 名古屋城本丸から1キロ弱。三の丸があった場所に「帝冠様式」の県庁舎がある。国指定の登録有形文化財は、太平洋戦争が起きる3年前の1938年にできた。

 完成までは曲折を経た。陸軍騎兵第三連隊が名古屋市の守山地区に移った跡地への移転だったが、浜口内閣の緊縮財政で着工が遅れた。その後の日中戦争のあおりで、鉄鋼などの建設資材の統制が急激に進行。37年9月予定の完成は翌年の3月までずれ込んだ。

 戦前の近代史とともに進んだ建設。落成式で、当時の田中広太郎知事(官選)はこうあいさつした。

 「日本趣味を加味した而もその宏壮(こうそう)、名古屋城と甍(いらか)を競ふ近世建築の偉容を出現するに至った、長い間の懸案とはいひながらこの戦時体制下に在って斯(か)かる庁舎の落成したことは寔(まこと)に偶然ではなく、遉(さすが)に産業県愛知として肯かれるものがあり」

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 帝冠様式は、洋風の建物を和風の屋根が上から抑える造形から、軍国主義やファシズムの反映と位置づけられることが多かった。