川口マーン惠美川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」

2014年10月10日(金) 川口マーン惠美

「世界一住みやすい国」日本を旅した次女の変貌

〔PHOTO〕gettyimages

日本人は信じやすい。日本というのは、基本的に騙す社会ではないからだ。別にしょっちゅう警戒していなくても大丈夫。道を歩いていて、覚えがないのに攻撃されたり、濡れ衣を着せられたりすることもない。おそらく大昔からそうだったので、日本人には警戒するDNAが希薄だ。何が入っているかわからない福袋に、きっとよいものが入っていると信じてお金を出すのは、世界広しといえども日本人しかいない。

そのおかげで、人間関係がぎすぎすしていない。私の日本での住まいは、世界有数のメガロポリスの中枢、東京であるけれど、近所の商店街で人々が話している姿を見ると、その表情はみな優しい。

「日本人って、本当に身ぎれいね」と感心する次女

先日、日本にいる私のもとへ、次女が遊びに来ていた。彼女は、ドイツで生まれ育ち、頭の中はドイツ人。日本が好きだが、新聞で読んだ与太記事をもとに、知ったかぶって批判もする。

その彼女が、日本国内、山陽から上高地、北海道まで、一人で日本の秋の自然を満喫した。数日旅をすると舞戻ってきて、私の住まいを壊滅状態にしたら、またいなくなるという、私にとってはかなりありがた迷惑な3週間だったが、彼女の視点が、けっこう面白かった。

たとえば、日本人はユースホステルで情報交換をしないそうだ。ヨーロッパにかぎらず、バルカン半島でも、南米でも、ユースホステルなど安宿の食堂では、どこに何がある、どこで安く泊まれる、何が面白いといった情報が、あらゆる言葉を駆使して飛び交うというが、日本では、多くの人間が隣同士に座りながらも、あたかもそこに誰もいないように、皆、一人で静かに自分のカップラーメンをすすっていたらしい。何故だ? という娘に、私もいい加減に答える。「日本人は引っ込み思案なのよ」と。

また、東京で一緒に電車に乗れば、「日本人って、本当に身ぎれいね」とやけに感心する。あまりにも当たり前でそんなことは考えたこともなかったが、そういえば、ドイツではおしゃれな人はまず電車に乗っていないし、乗っている人の多くはといえば、たしかに身なりが悪い。ボックス型の座席では、前の席に靴のまま足を乗せている人間は多い。そんなところに座っては大変。白いパンツをはいているとき、私は絶対に座席に腰掛けない。ドイツは、きれいな恰好の人は自家用車で動く社会だ。

きれいか汚いかの話では、さらに面白いことがあった。浅草と上野に行ってきたという晩、「上野にたくさんホームレスがいたわ。それも裸で」と言う。"日本の社会は貧富の格差が・・・"などと言い出すのかと思い、私はちょっと身構える。

すると、彼女は言った。「知ってる? 彼ら、上野の池をお風呂代わりに使っているのよ」。「まさか」と私。「本当よ。だって、通りかかった時、ちょうど裸の人が池から上がってきて、タオルで体を拭いていたもの」。

「???」 そして、その彼女が心から感心するように、こう言ったのだ。

「だから、日本のホームレスって清潔なのよねえ!」

エッ、褒めているの? さすがの私もガクッと力が抜けた。

彼女は看護学の勉強をしているので、実習で病院の各科からホスピスまでをすべて回っている。大病院で夜勤をしていると、ときどき、弱ったり、怪我をしたりしたホームレスが担ぎ込まれてくるのだそうだ。その人たちが、想像を絶するほど汚い。手など、垢が甲羅のように肌を覆っているのがすごい迫力で、彼女は、思わずケータイで写真を撮らせてもらったこともあったと言った。変な看護師だが、気持ちはわかる。

彼女が日本で感心したところは、ほかにも多々あった。一人旅をしていたため、おそらく観察眼が鋭くなっていたのだろう。町にゴミ箱がないのに、道にゴミが落ちていないのが不思議だとも言っていた。しかし、ゴミが落ちていないのは道だけでなく、電車の中もそうだ。

新幹線に乗ると、その清潔さには、私も毎回感動する。空のペットボトル一つさえ、置きっぱなしで下車する客はいない。終点に辿り着いた新幹線の清掃風景は、見る価値がある。ゴミが取り除かれたり、座席やトイレがきれいにされたりするだけではなく、瞬時のうちに、背もたれのカバーはすべて取り替えられ、テーブルはすべて拭かれ、そして、全席が進行方向にぐるりとひっくり返され、十分後には始発電車として待機している。

上野と成田空港を結ぶ京成電鉄のスカイライナーは、もっと凄い。清掃後、外で乗車を待っている人たちの眼前で、全席が自動的に動いて、方向が変わる。見ているドイツ人(外国人)の目が皿になる一瞬だ。

いずれにしても、これらを初めて見る外国人は、天地がひっくり返るほどの衝撃を受ける。そういえば、次女も口をあんぐりあけて見入っていたし、去年、三女は感動のあまり、一部始終をケータイで撮影した。清潔な車内空間は、こうして作りあげられる。これは、立派なノウハウだ。

それに比べて、ドイツでは電車も町も汚い。個人宅や会社など、プライベートの空間はかぎりなく清潔だが、公共の場がひどい。特に昨今、自治体がお金を切り詰めているため、多くは人々のモラルに託されているところがあり、それが機能しない。長距離列車も、料金だけは新幹線並みだが、おおむね汚いというか、最近ますます汚くなった。ゴミ箱は座席ごとにあるが、皆がいろいろなものを突っ込むので、たいてい溢れているし、座席の上にゴミを置いたまま降りる人も後を絶たない。

マシなのは1等車だが、もちろん料金はさらに高くなるので、果たしてその金額を支払う価値があるかどうかを考えてしまう。ただ、日本人である私はそう考えるが、世界にはもっと汚い国がたくさんあるため、ドイツ人が自分たちの列車を汚いと感じているとはかぎらない。どちらかというと、とてもきれいだと思っているだろう。すべては比較の問題、上には上がある。

日本は実態の方がイメージよりも良い唯一の国

拙著『住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち』が、9月23日より店頭に並んでいる。前作『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』に続いて、さらに好戦的なタイトルになったが、どちらも私が付けたわけではない。タイトルだけは編集者を信頼して、お任せすることにしている。

ただ、好戦的であれ、何であれ、このタイトルは「日本は世界一住みやすい国である」という私の確信だけは正確に表している。日本人が当たり前だと思っていることが、他国では、いかに当たり前ではないか、日本人は、いかに快適な空間で暮らしているかということに、気づいてもらいたい。日本人が、自分たちは世界一幸せだと思っているかどうかは疑問だが、私は、日本が世界一住みやすい国であることだけは自信を持って言える。

前著では、「世界の多くの国が、イメージのほうが実態よりも良いなかで、日本は、実態の方がイメージよりも良い唯一の国」と書いた。これはもちろん、国としての広報活動が稚拙ということなので、反省すべきところだ。とはいえ、日本人は奥ゆかしいので、自分の自慢などあまり大声ではできない。ましてや、「どこに種を蒔けば、それがどのように実を付けて、いつごろ日本の役に立ってくれるかというような長期的作戦」など、まったくないのである。

新著のほうは、ドイツだけでなく、ヨーロッパのいろいろな話を書いた。30年間、ヨーロッパの真ん中のドイツという国で、定点観測をしてきたようなものなので、題材には事欠かない。思い返せば、ドイツに行った当初は、西ドイツと東ドイツが一つの国になるとは思いもよらなかった。その後、壁が崩れ、統一後のごたごたが続き、今ではドイツはEUの盟主。ドイツが、ヨーロッパを観察するに、極めてエキサイティングな場所となって久しい。

ドイツにいる利点の一つは、日本を客観的に見られることだ。日本に住んでいると全く気付かない長所と短所がつぶさに見える。最近は特に、ドイツの報道の反日性が目に付くのに、なぜか日本人は、「ドイツ人と日本人は気が合う」と思い込んでいるのが気になる。実態は、日本の片思いだ。

そもそも、日本と関係のあるドイツ人たちは、日本を正確に把握しているが、一般の人々はかなり偏った日本像を植え付けられている。早急に誤解を取り除く努力をしないと、誤ったイメージが定着してしまう。アジアを侵略した残酷な国民だとか、真珠湾を奇襲した卑怯な国といった局面だけが強調されるようなドキュメンタリー番組が、事あるごとに茶の間に流されているのは、大変遺憾だ。日本からの、積極的な情報発信が必要だと思う。

さて、ドイツに戻った次女からメールが送られてきた。「ママ、ドイツって最悪。人間は皆、太っていて、汚らしい恰好をしていて、不機嫌な顔つきで、攻撃的で、おまけに不親切・・・。私はこれにまた慣れなくてはいけない・・・」。

私はお腹を抱えて笑ったが、日本びいきの長女や三女ではなく、次女がこれを言ったのは、ちょっとした驚きだった。ドイツにいたときは日本に対して批判的だったドイツ人が、実際に日本を知るとファンになる事例はいままでたくさん見てきたが、次女もその一人であったようだ。こうなると、日本のイメージの是正には、なるべくたくさんの外国人に来てもらい、生の日本を見てもらうというのが一番手っ取り早いのかもしれない。

子供のころから私の手を最大限に煩わせた次女も、今月から社会人。それも、三人の娘の中で一番手だ。人生は他人のも自分のも、なかなか面白い。

 

著者: 川口マーン惠美
『住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち』
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