前回に続いて、今回も香港の雨傘革命について書きたい。雨傘革命は10月5日の段階で、学生側が少し譲歩して規模を縮小、香港政府の対話を待つ形になったが、10日に予定されていた対話を香港政府側がドタキャンしたことで、再び対立は先鋭化。9月28日以来、3回目の週末には金鐘・中環の占拠地域には再び10万人規模の学生が集まり、収束どころか、「占拠の日常化」とも言うべき、長期化の様相を見せている。だが、これに中国は打つ手なしなのか。今回は、中国側の対雨傘革命戦略について、眺めてみたい。
中国の落としどころ、「国家安全条例」問題を踏襲か
中国側がどこを落としどころと狙っているか。本来ならば中国側は寸分も譲歩する意思はない。だが、雨傘革命が予想に反して、拡大し長期化する様相を見せているなか、中国側もなんらかの手を打たざるをえなくなっている。10月20日からは四中全会(第4回党中央委員会全体会議)という重要な政治イベントがはじまり、 11月に入れば北京APECという国際社会の注目を浴びる政治イベントが控えており、また台湾の直轄市・地方選挙が行われる。それまでには収束させたいと思うだろう。
今私の手元には、中国はこのあたりを落としどころと狙っているという確固たる情報はないのだが、2003年に50万人デモを引き起こした「国家安全条例」問題の後始末のやり方を振り返れば、同じような路線で収束を図ろうとするのではないだろうか。
当時の董建華行政長官が基本法23条に基づいて制定しようとして香港市民から猛反発を食らった国家安全条例は、結局、棚上げされたまま今に至っている。新型肺炎SARS騒動の直後であったこともあり、当時北京では胡錦濤政権転覆の危機と党中央内部で大問題となった。この時、胡錦濤政権は董建華を任期二年残したままで、健康上の問題を理由に辞任させ、代わりに比較的香港人に人気のあった政務長官の曾蔭権(ドナルド・ツァン)が代行、補選を経て二代目長官となった。
同じパターンで収束を図るとすれば、雨傘革命を拡大させてしまった梁振英(CYリョン)の辞任、そして普通選挙の2017年導入延期(棚あげ)が中国側にとって可能な最大限の譲歩といえる。