※写真は現在イスラム国の首都とされるラッカ市中心部の繁華街市街写真(朝日中東マガジンより引用)
日本人の若者がイスラム国に参加しようとしたということで謙虚されたニュースが話題になっていた。
まぁ、遅かれ早かれあるだろうなーと思っていたら、やっぱりこういう事例が出てきた。
ちなみにイスラム教は日本ではあまりなじみのない宗教ではあるけれど、実はイスラム教で従うべきとされている倫理観や生活規範は、日本人が持つ高潔な倫理的徳と非常に共通するところがあって、東京代々木にある東京ジャーミーの設立者であり、イスラム世界への対日感情の源流に大きく貢献したアブデュルレント・イブラハム氏はその著書の中で「日本人は改宗すれば完璧なムスリム(イスラム教信者の名称)になれる。」との言葉を残しているくらいに、実は相性のいい宗教だったりする。
まぁ、この話に関しては最近思うところがあるので、また後日ブログに書くようにしよう。
とにもかくにも、過激派組織のイスラム国に日本の大学生が参加しようというニュースは日本にかなりのインパクトを与えて、一層イスラム国という組織の恐ろしさを引き立てることになり、カルトに向かう若者たち、イスラム国憎しの論調が高まっているが、あえてそのような環境下とリスクを承知で言うが、僕は世界や日本からイスラム国へ行く若者はこれからもドンドン増えて行くと思っていて、さらに言うと日本はイスラム国を救うべきだと思っている。
思うところを書いてみる事としよう。記事が長くなったので二つにわけた。
暇がある人だけ読むといい。あくまで個人的解釈で政治的な意図は特にない。
前のブログの記事に書いたけれど、イスラム国が急にここまで大きく取り沙汰されているのも、国際社会がシリア争乱を見捨て放置して無法地帯となっている間に、彼らが単なる過激派組織と呼ばれる域を超え「国」それも単なる独裁によるものでなく、世界15億人の人々が拠り所とする宗教のイスラム法をベースとした国家の樹立そしてサイクス・ピコ協定の無効化を宣言し、シリアとイラクを跨いだ国家という、現代の領域国民国家へのっ挑戦という、現代社会を根底から覆す行動を起こしたのが大きい。
国とは何か。四方を海岸線という国境に囲まれ、歴史的にも単一民族単一言語、そして同じ価値観を持つ人種で構成された、日本には理解できない感覚だが、世界の多くは国と言っても地続きで大地が広がっているだけでただそこには目には見えることのない、勝手に人間が決めた線があるだけだ。
同じ言葉を話し、同じ宗教を信じ、同じ場所に住み、同じ文化を持つ、だが、外からやってきた誰かが国境という勝手な線を引いた事で終わる事のない争いや貧富の差が生まれ続ける。
世界が進歩しているとするなららば、果たして自分たちを区分し争わせるこの線とはいったい何なのか? なぜ貧富の差はなくならないのか?
時を同じくしてその矛盾は世界各地で火を噴いた。
ウクライナ問題、スコットランド独立、カタルーニャ独立、香港民主デモ…
そして時を同じくして資本主義が生んだ格差は狭まることを知らず、世界の格差が1820年代まで逆戻りしたとの報もあった
世界は、今、大きく揺れている。
果たして今、国とは、社会とは一体何なのかをイスラム国は世界に投げかけてきた。
それもこの世界のパワーバランスと空白を突いた。巧妙に・周到に練られた作戦で。
こうもイスラム国が世界的な注目を浴びるのも、ソーシャルサイトや動画サイトにアップロードされた動画に代表されるその残虐的とされる所業によるところが大きい。かつてメディアが決しておさめることができなかった戦争の現場の最前線を、まさに兵である最前線の自分たちがスマートフォンで撮影し自らが公開する、未だかつて人類が経験したことのない時代となったのである。
残虐に見える彼らの殺害ビデオを彼らがわざわざ自分たちで公開しているのは、決して猟奇的趣味でもなんでもなく、そうして恐怖心を煽ることで、抵抗勢力の余計な抵抗を無くし戦闘を有利にすすめるためである。動画サイトやソーシャルネットワークにアップされた映像を通じて「ヤツらはマジで残虐らしい!」という噂が各地に広まる事で各地では兵たちや住民が恐れおののきこぞって投降・降参。流血を最小限に抑えてこんなにも短期間に電撃的に各都市の占領に成功した。侵略前の残虐さとは取って裏腹に支配地域ではイスラム法に基づく行政の展開や、慣習に囚われない外国人専門家の登用やかつての敵対勢力の政治登用といった柔軟さを見せ、その支配地はイギリス国土と同等まで広がり、数万人の戦闘員、数百万人の市民、立法機関による国家的統治機構、社会保障制度を有するところまできている。
イスラム国、シリア北東部で「国家モデル」構築 急速に勢力を拡大した要因とは
プロパガンダ動画も相当に卓越している。まるで君たちが今当たり前のようにつかっている文明の利器は当然僕たちも同じように使えるんだよ?まさか僕たちが違う時代に生きてると思った?残念!同じ現代でした!と言わんばかりである。
黒はイスラムの伝統的な配色とは言え、あえて目出し帽に黒ずくめ衣装と、それこそ絵に描いたようなテロリストの悪のイメージ像をどストレートで投げかけてきた。それもアメリカナイズされ、ハリウッドの映画と見紛うばかりの編集を施して彼らは、それをソーシャルネットワーク上に投入した。その上絶対に折れないとわかっていて人質の殺害動画を公開して、アメリカを挑発した。
その結果、アメリカは挑発にのってしまい、イスラム対アメリカという構図をつくってしまった。
世界の人々はきっと思った。
「なぜ、彼らはこんなひどいことをしてるんだ?! こんなことをする理由は何なんだ? ここまで人を駆り立てるものはいったい何なのだ??」
その衝撃はすさまじく、世界の誰もが見向きもしなかった見捨てられた地域の2軍選手が一気世界が注目するメインステージ、キリスト教一派の超巨大大国に挑む、大義のために死をも恐れず勇猛果敢なイスラム聖戦士たちへと変わった。
さらにあまなく国境を越え広がったテクノロジーのスマートフォンとソーシャルネットワーク。資本主義の狭間で先行きのない閉塞感に苛まれる若者、そしてイスラム憎しでイスラム教へ向けられる迫害と偏見。
先が見えない閉塞感は時にリスクと併存する無限の可能性に対抗できない。
その世界的な流れに極東の日本も巻き込まれ、若者が惹き付けられる。
そして、今、イスラム国は世界へそして日本の若者に問いかける。
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日本は恵まれている。欧米列強が進出するまでに時間がかかって準備期間があった。
俺たちはまだ準備が間に合わなくて勝手に外国からこれが国だと線を決められた。
そして国が生まれ、独裁者が生まれ独裁が生まれ、争いが生まれ、もはや手に負えないと世界から見捨てられ、国という誰かが決めたことのために争い、何年も殺し合った。
君たちは言う。
暴力はやめよう。平和的な交渉解決をすべきだと。
だが、平和とは何だ?
まるで、君たちは平和がここに昔からあって、僕たちがそれを打ち壊したかのように言う。
でも、ここには前から平和なんてなくて、何年も前からずっとそういう場所だった。そしてその原因をだれがつくったかすらすっかり忘れているようだ。
殺し合って、殺し合って、殺し合って、何もかもボロボロで、子供が死んで、犯罪がおきて、レイプが蔓延して、どこにも救いがなくて。
そして皆それぞれが自分たちがこの争いを終わらせるためにずっと戦っていた。
平和? それはただ君たちが見て見ないふりをしていただけじゃないか?
自分たちには関係ない。めいめい勝手に殺し合っとけばいつか終わるだろう。
それで解決しようとした。ここで誰が何人死のうが血が流れようが、自分たちは知らない関係ない。何のメリットもない。
自分たちは遠く離れた、幸せな文明社会で、楽しくやってるから、どうぞ勝手に殺し合ってください。なんだったら武器の一つか二つでも送ってやるよ。
そして風向きが変わって自分たちがいざその火の粉が振ってかかろうとすると、あわてて平和!平和!と臭いものには蓋をせよとばかりに、ひと際目立った杭を叩きのめす。
子供が死んで、泣いてるのは、なにもモニターに写っているときだけじゃない。
過去も未来もいまも続いてるんだよ。自分がモニター越しに見てるときだけが世界じゃない。
そして、正義の名のもとに悪とやらとその他大勢の巻き沿いを害虫やがん細胞と同じように焼き殺し、自分に火の粉が飛んでこないとわかったら、やれひと安心、もう飽きたから後は引き続き同じように殺し合っててくださいね。とでも?
それが、君たちの言う平和なのか?
なぁ、平和とは何なんだ? 教えてくれよ。
そして君たちは言う。こいつらは国ではなく過激派組織だと。
他国を侵略し、非人道的行為を繰り返し、石油を強奪し、信条のためにゆすりを繰り返す、過激集団だと。
過激派組織? 君たちは忘れたのか?
「特定の指導者や国体を何より絶対的な存在と認めて譲らず、ただ外国人というだけで敵対心をあらわにし、外国人に切り掛かり残虐にもクビをも跳ねる野蛮な危険思想を持つ残虐集団。」
「共栄圏設立の名のもとに石油を求めて武力による侵略や非人道的行為を繰り返し、指導者や国体の為には死をも恐れず最後の1人になるまで自爆攻撃も厭わない過激思想を持ち、最後には正義の名の元に核の力で戦闘員諸共30万人を殺されされようやく抵抗を辞めた超過激派組織。」
これは僕たちではなくて、160年前と60年前の過去の君たちの姿そのものじゃないのか?
サムライやカミカゼはどこの国の話だ? 満州国は何だったのか?
まるで自分たちが非人道的行為や過激派とは生涯無縁の平和国家とでも思っていたのか?
織田信長は虐殺者か? 坂本龍馬は国家転覆を目論む過激派テロリストか?
カミカゼ特攻隊は狂信者集団なのか? 原子爆弾で殺された30万人もの広島市民と長崎市民は、正義の名のもとに死んだ極悪人なのか?
俺たちは過激派か? それとも憂国の志士なのか?
自分で自分たちのことを過激派やテロリストだと思っているヤツはいない。
それは今の社会ではなく、後の歴史が決める事だ。
君たちにはイスラームも過激派テロリストも同じ怪しい異端者集団としか写らないだろうが、たかだかここ数十年くらいで構成された価値観の君たちと違って、1400年もの間変わらず受け継がれ、世界に13億人の信者がいるイスラームと君たちとだと異端者はどちらだろう?
それでは君たちの神は何だ? 八百万の神の多神教の君たちが今、最も崇拝しているのは資本主義、「お客様は神様です。」の神様だろうな。
まるでその神のおかげで君たちは、野蛮な未開国家とは違って著しく、発展し輝かしい平和な社会を手に入れたとでも言わんばかりだな。
だが、その神とやらは君に何をもたらしてくれるのだ?
お客様は神様です!と神のために毎日必死になって、牛丼を毎日何十時間もよそって、居酒屋で死に物狂いで昼夜逆転生活を送って、毎日満員電車に揺られて下請けだか派遣だかもわからない先で深夜まで働いて・・・
その引き替えに得られるものはいったいなんなんだ?
世界が羨むほどの高額の給料?幸せな家庭?世界が羨む輝かしく明るい未来?
まさかその神の元では6割の家庭が生活が苦しいとこたえ、6人に1人が貧困にあえぐと言うのではないだろうな?
まさかその神の元では非正規の8割が結婚もできず、人間としての基本的な営みである家庭を持たず死んでいくとでも言うのではないだろうな?
まさかその神の元では毎年18万人が自らの選択で死を選ぶとでも言うのではないだろうな?
まさかその神の元では数十年後には人口の6割が老人となって国家そのものがよもや破綻することはないだろうな?
よもや、神様のために死ぬまで尽くして生涯を遂げたとしても、神はまるで何事もなかったのように、自分たちは神だぞ!と今までと何ひとつ変わる事の無い社会を望むのではないだろうな?
果たして君たちの神は、本当に君の人生にとって神なのか?
君たちはただ都合の悪いことを見ないふりをして切り捨てているだけなのではないか? 都合の良い娯楽でごまかし生きているだけじゃないのか?
そんな社会で、君たちの生きる人生の大義は何だ? 君の人生は何のためにあるのだ?
ここにはイスラームのカリフ制国家の樹立という大義がある。
イスラームの言葉の語源を知っているか?
こたえは「平和」だ。
ムハンマドが目指したイスラームは、老若、男女、貧富、国籍、皮膚の色等の一切の差別がなく、信徒のすべては兄弟姉妹として、信頼と相助の精神によって結ばれる人間性に徹した宗教だ。だから我々はアメリカ人だろうがイギリス人だろうが何人だろうが志願するものは誰も拒まない。そしてイスラームに強制はないしそこには差別も、制限も何もかもない。その礎となる模範国家を自分たちは今つくろうとしている。君たちの社会には君を必要とする理由はないけれど、こちらには君を必要とする大義がある。
さぁ。いまこの時代に生まれ、この事実を目の当たりにした、日本の君はどうする?
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今、イスラム国という存在が若者に語りかけるメッセージは、とてつもなく重い。
きっと、世界から、そして日本からイスラム国へ行く若者は止められないだろう。
ただだからといって、僕はこの時代に生まれた人間、日本に生まれた人間としてイスラム国を認め、目の前で行われる非人道的行為を看過することはできないし、イスラームの名の元に、教えに反する非人道的な所業をした人間は必ず裁きを受けるべきだと思っている。こんなのが正しい方法だと認めるわけにはいかない。
が、悪は滅びるべしと爆撃を繰り返したところで、問題が何ひとつ解決しないのは火を見るより明らかだ。
ではどうすればいいのか。この負の連鎖を救うために、僕たちができることは何なのか?
もしかして、僕は日本だけがこの争いを止められる可能性があるのではないか、と思っている。
その理由についてまた別の記事で書いてみたいと思う。
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