「創刊48周年の若者雑誌」という存在の矛盾(笑)を抱える「週刊プレイボーイ」が、さらなる歴史を築いていくため、同じ「1966年生まれ」の「ウルトラマン」に聞いた。「愛され続ける理由」はなんですか――?
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交差点の向こう側に、ウルトラマンが立っていたーー。
ウソじゃない。取材の待ち合わせ場所を、集英社ビルのそばの交差点にしていたのだが、遠目にもその人が“ウルトラマン”だと、すぐにわかった。
「そう見えてしまうのは仕方ないんですよ。ウルトラマンのスーツは私の体の寸法に合わせて作られましたし、マスクも私のライフマスク(顔からとった石膏型)を基に製作されたから。
そういえば昨年10月、ウルトラマンのブルーレイBOXの発売イベントのときに、ファンの皆さんには内緒で、47年ぶりにウルトラマンのスーツを着て現れたんですよ。でも、皆さんは瞬時に、中にいるのは私だと気づいたようです。なんでも、お尻の形が変わってなかったそうで(笑)」
その人の名は、古谷敏(さとし)。
テレビ特撮番組のパイオニア『ウルトラQ』で、ケムール人とラゴンを絶妙に演じたこと、そして何より、その日本人離れしたスタイルの良さ、手足の長さによって、“ウルトラマンの中に入る人”として、ご指名されてしまったのだ。そのとき22歳。
「当時、円谷プロの美術デザイナーだった成田亨(とおる)さんから、おまえが中に入ってくれなきゃ困ると口説かれて。だけど私はいやで、何度もお断りしたんですよ。これでもメロドラマの主役を演じたくて東宝に入社して、役者たるもの顔を見せて演じてナンボだと思っていましたから。それに、特撮番組も黎明(れいめい)期だったので、着ぐるみに入る役者さんたちの待遇もよくなかったんですね。暑苦しい着ぐるみにずっと入っているのに、休憩の際に椅子も用意されていなかった。
それでも、円谷プロのスタッフたちから熱心に説得され、私もだんだんテレビという新しいジャンルの現場に触れてみるのも悪くないかと思ったんです。だけど、それが大失敗で(笑)。ウルトラマンの中に入った瞬間、これはとんでもないことになりそうだと後悔しました」