世界の中の日本

今年のノーベル物理学賞で最も重要なこと20年後同じように日本の基礎研究は輝いているか

2014.10.10(金)  伊東 乾

 かたや日本の産業界は「原発をフル稼働させないと我が国の産業界は危うい」と言い、あまり思考能力がついているとは思えない陣笠がそれに追随したりしていますが、ノーベル委員会は同じ光量を得ながら消費電力は著しく少なくてすむ発光ダイオードの発明を、グローバルな省エネルギーの観点から高く評価している。

 こういう、品位ある「技術の見立て」を、社会全体ができるようになってこそ、成熟した先進国、国際社会をリードする見識というべきでしょう。

 「世界一の製品を作った」から、ノーベル賞が出るわけではない。仮に市場の圧倒的なシェアが取れれば、すでにそれで社会経済的には十分報われているわけですから、今さらノーベル賞を与える意味も理由も動機も存在しない。

 何だか分からないけど先端技術の「ものすごい賞」みたいな、情けない捉え方をメディアまでがするというのは、どうかご勘弁いただきたいというのが正直なところです。

今日のノーベル賞はバブル期の遺産

 赤碕先生が青色発光ダイオードの発振に成功したのは1989年のことでした。松下電器産業の研究所から名古屋大学に移られ、1980年代に取り組んだ窒化ガリウムの結晶化と最初のLED発光。赤崎さんはこの時点ですでに60歳、積年の仕事の総決算という意味合いもあったのではないでしょうか。

 この初期から学生、助手、講師、助教授そして現在は後継者の教授として、常に若い力を奮ってこられたのが、当初は20代、現在50代の天野さんという形かと思います。

 中村さんの仕事は商品化可能な高輝度青色発光の発振(1993)が喧伝されますが、単に「青が光りました」というだけでなく、赤青緑の三原色が揃うことで白色光の発光ダイオードが商品化される経緯、また並行するレーザー発振技術の進展にも大きく貢献しておられると思います。

 こうした周辺については他の解説がより細かく裏を取って報じられると思いますので、別の話を記しましょう。

 1980年代、天野さんは学生、大学院生として、50代の赤崎教授指導のもと、この研究に手を染めたのだと思います。実は私もこの当時、理学部物理学科の学生でしたので、新デバイスの動向は日常的に耳にしており、大学4年時の卒業研究では商品化されたばかりの新しいレーザーダイオードを使って仕事をしました。

 私が与えられたテーマは、素粒子実験で用いる「光電子増倍管」日本語では「フォトマル」と呼ばれていますが、これが正常に動作しているかを確認、調整する「較正システム」作りでした。

 指導教官の山本祐靖教授(東京大学・上智大学名誉教授)は赤崎先生と同世代、実際に指導していただいた岸田一隆さん(現・理化学研究所)はその助手で天野さんと同世代で、等身大の開発の空気が思い浮かぶ気がします。

 LEDやレーザーと、白熱灯や蛍光灯の光の最大の違い…
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