ササニシキはなぜ消えたのか?

米離れの時代でも味をめぐる品種競争は激化

2014.10.10(Fri) 佐藤 成美
筆者プロフィール&コラム概要

 稲作自体は日本では3000年ほど前に始まった。江戸時代に都市が発達すると、産地から都市に米が送られるようになり、米は商品化した。もともと米を玄米で食べていたが、江戸時代中期には白米を食べるようになった。とはいえ、白米は殿様など上流階級が食べるもので、庶民は、玄米に麦やヒエ、アワなどを混ぜた雑穀飯や大根やカブなどの野菜を混ぜた糧飯を食べるのが当たり前だった。

 明治以降の経済発展とともに米の消費が増えると雑穀食は減り、1942(昭和17)年に始まった食糧配給制度により、ほぼ米を食べることのなかった山間部や離島の人にも米食が普及した。

 戦時中の食糧不足で米の消費は減ったが、戦後の復興とともに再び米の消費が増えた。戦後の米の消費のピークは1962(昭和37)年で、年間消費量は1人あたり118.3キログラムだった。その後、高度経済成長が進み、肉や乳製品などの消費が増えると、米の消費量は減り、2013(平成25)年の年間消費量は1人あたり56.3キログラムと半分未満になってしまった。

米の消費量の推移(1人1年間あたり)
(参考:農林水産省「食糧需給表」をもとに作成)
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サイエンスライター、明治学院大学非常勤講師(生物学)、農学博士。食品会社の研究員、大学の研究員、教員などを経て現在に至る。研究所の広報誌やサイトなどにも原稿を執筆している。


食の安全に対して国民の関心が高まっている。国民が健康を意識しているのはもちろんだが、今後、安全で美味しい食の供給国としての日本を考えた時にもこの問題は重要になる。このコラムでは、日本や世界における食の安全への取り組みを様々な角度から取り上げていく。