このところ昆虫食がマスコミに取り上げられることが多く、関心をもつ人たちが増えてきている。とはいえまだまだ普通の食材として認知されておらず、昆虫を食べることに不安を感じている人は多数にのぼる。そこで本稿では一般の日本人が昆虫食をどう思っているかを概観し、それを受けてどうしたら美味しく安心して食べることができるかを考えてみたい。
あなたは昆虫を食べたい?食べたくない?
日本ではかつて広範に食べられていた昆虫だが、戦後の農薬防除により個体数が激減したことや、食の「工業化」による流通システムの変化によって、一般には昆虫を食べる習慣はほとんど失われたように思われている。だがよく見てみると中部地方など一部地域ではあるが昆虫食は今でも根強く存在し、地域のコミュニケーションの手段としても活用され、年中行事として定着している。そこで具体的に今の日本人が昆虫を食べるということについてどう思っているかアンケートを実施し355人より回答を得た。(図版A)
この結果をどう読み取るべきだろうか。食べたことがない人が70%と高く食材との認識が低いことは明らかであろう。その一方で食べたいと思っている人が40%いるのも事実である。昆虫を食べることに関心のある人たちが一定数存在しており、昆虫食を啓発するうえで試食の場の提供が有効であることを示唆している。ちなみに本調査が2013年5月の昆虫食を推奨する国際連合食糧農業機関(FAO)による報告書『食用昆虫―食料と飼料の安全保障にむけた将来の展望―』が出される以前だったことを考慮すれば、その後関心のある人たちがさらに増えていることは十分予想できる。
昆虫を食べる理由、食べない理由
昆虫食について具体的にどういったイメージを持っているかを聞いた調査がある。ここでは二つのグループに分けて意見を聞いた。Aグループは筆者が代表を務める昆虫料理研究会に参加したことのある昆虫食経験者38名で、Bグループは未経験の一般学生216名だった。まずAグループでBグループとポイント差の大きかった理由を順に挙げる(図版B)
次にBグループでAグループとポイント差の大きかった理由を順に挙げる。(図版C)
図版Bを見ると、昆虫食参加者には「昆虫自体に興味がある」人たちが多い。彼らは昆虫に対して偏見や先入観がなく、「食材」としても受け入れやすいことが分かる。また日本で現在も昆虫食文化が存続していることを知っている人たちも、昆虫を食べることへの抵抗感は少ないだろう。
「自然は巨大なレストラン」(映画『ウッディ・アレンの愛と死』)なのだが、そこから何を注文するかは人によって異なる。雑食動物である人間には「食物新奇性嗜好」と「食物新奇性恐怖」という相反する心理が働く。好奇心が強くいつも食べたことのない新しい料理を注文する人もいれば、馴染んだ料理のほうが安心という人もいる。図版Bと図版Cを見比べるとそのことがよく分かる。図版Cの「理屈抜きで拒否」とか「餓死しても食べない」とかは未知の食べ物に対する恐怖が色濃い。こうした両者の違いはどこからくるのだろうか。人類が自然の変化に対応して編み出した生き残り戦術ではないかと筆者は考えている。既知の食べ物がなくなった場合に好奇心のある人が生き残り、未知の食べ物に毒があった場合は慎重な人が生き残る。両者の比較は図らずも人類の悠久の進化史を垣間見ることができて興味深い。
昆虫は「嫌悪食物」ではない
食物を拒否する心理学的な動機は次の三つがあげられる。
(a)不味食物:美味しくない、不味いといった「味」に対する不快感情
(b)危険食物:危険である、健康を害する、太るといった結果の予期によるもの
(c)不適切食物:食べるものではないといった知識、信念など認知判断に基づくもの
以上の三つの要素が合わさると嫌悪食物とみなされる(図版D)。
現代の食の常識では昆虫は「嫌悪食物」と見られがちである。果たしてそうだろうか。
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