この文書は、拙著「エンジニアのためのデータ可視化実践入門」について邪悪な誤りを挿入してしまったことへの懺悔と、私の考える邪悪さとは何かについての説明です。具体的にどのような誤りを含んだかについては下記をご覧下さい。
エンジニアのためのデータ可視化実践入門という本を書いた - あんちべ!
注意申し上げますが、この文書に一切の価値はありません、読了はお薦めしません。あくまで私の私による私のための懺悔であり、内容に何ら一般性もなく、あなたに私の思想が正しいと信じ込ませたいという教理でもなく、ただただ完全に異常者の異常なる妄言を書き連ねた気味の悪い文書です。
まず語ることは、邪悪さと愚かさとは異なるものであり、後者は許容すべきであるということです。人は愚かであり、それゆえ間違いを犯してしまうことはあるため、誰しも誤字脱字や不正確だったり誤った記述をしてしまうことは十分有り得ますし、それに関して私は他者にも自分自身についても厳しく責めるつもりはありません。人間が誤ることを一切認めずに完璧を求めるのは非現実的です。勿論、風説の流布や誤解を撒き散らすことは極力避けるよう努力べきですが、誤った行いをしてしまうことは仕方ないと考えています。私もあなたも愚かです、それを認め合って優しく生きていきましょう。なるほど、中々妥当なことを言ってるようですが、私をtwitterなどでご覧になっている方は「いや、お前はそんな殊勝な心掛けをしておらず、誰に対しても強く批判的である」とお考えになるでしょう。そこには私とあなたとで見解の違いがあります。これは「評価軸や基準は各人で異なる」ということを主張しているのみであり、私が正しくあなたの主張が間違っているというものではありません。私の評価方法によれば私は人間の愚かさに対してある程度の優しさを持っていますし、あなたの評価方法ではそうではないということは有り得ることですねという程度の話です。
愚かさに関する所感はここまでで、次に、私の考える邪悪さとは何かですが、それは一言で申し上げますと「職業倫理に背く行為」全般です。これは全て邪悪であり、多寡大小に関わらず唾棄すべきものです。ここまでは多くの方の同意を得られるかもしれません。しかし、職業倫理に背く行為とは具体的に何を指しているのでしょうか。
私は統計屋を自称し、大学から現在のSNS企業での業務に至るまで統計学を学び続け、その活用と啓蒙に甚だ微力ながらも、出来る限り努めて参りました。私は自分の能力について、統計学という学問の山に対してはまだ麓に辿り着けたかどうかという頂きの高さも目視出来ぬ程度の未熟者であり、かつ、実務で活躍する統計屋の中ではごく一握りのみ存在する最上級に位置していると認識しています*1。私は(学問的ではなくあくまで市場において)完全なるプロフェッショナルであり、私が統計学の文脈で何事か主張するのであれば、その主張は全て正しくなくてはならず*2、一切の誤りを含んではなりません。そうでなくては信用を得られないと考えています。
よく知られた誤謬に権威論証というものがあります。これは「○○氏が□□と主張した。○○氏は□□の分野のお偉い方だ。ゆえに□□は正しい」という論証の方式で、要するに「偉い人が言ってるんだから正しいでしょ」というものです。これは幾らでも反証があり、枚挙に暇がないことはご存じでしょう。しかし、「東大教授の言ってることだし多分正しいだろう」「医者が出した薬だしきっと体に良いのだろう」のように社会生活を送る上でよく用いられるものでもあります。これはある程度仕方のないことであり、何らかの主張を厳密に証明しようとするならば、その分野の体系的知識が必要になり、そしてそれを得るには長い長い年月による修練と最低限の才能が必要であり、社会生活を送る上での全分野の専門家になることは不可能なので許容せざるを得ないからです。統計学も非専門家からすれば理解し難い体系だった術理の山脈の一つです。勿論統計屋は出来る限りにおいて、統計依頼者のレベルに合わせて明瞭かつ簡潔に分析計画や分析結果を詳説すべきです。しかし分析手法の数理面であるとかその背後の統計哲学であるとかツールの詳細であるとかに関してまでもがその場の説明で全て理解して頂けるように出来るかというと、それは非常に困難であると言わざるを得ません。結果、ある水準以上の専門知識を要する領域に入り込んだときは、「専門家である私の主張を信じたまえ」と権威論証を持ち出さねばならないと私は考えております。誤解の無いよう再度申し上げますが、これは決して非専門家への説明を怠って良いという意味では全くありませんし、「こんな素晴しい分析結果を持っていったにも関わらず、依頼者があまりにも数学的に無知だったから理解して貰えなかったよ」などと自称専門家同士で依頼者を嘲笑する行いを正当化するものではありません。あくまで現実に対応すべく、渋々権威論証を用いざるを得ないということです。この権威論証は統計に限らず、恐らくどの分野でも存在するでしょう。権威論証が上手く機能するのはなぜかと申しますと、その分野の専門家が非専門家からの信頼を長い年月を掛けて築いてきたからです。信頼を損なうような真似をしてしまうと、権威論証は機能しなくなり、その分野は使われなくなってしまうでしょう。あなたは信頼出来ないツールや人間を利用したいと思いますか?私は御免被ります。信頼を築くことは非常に困難です。同じ分野の数多の天才秀才凡才の先人達がこれまで人生を賭けて積上げてきた業績の上に私は恐れ多くも立たせて頂いていると震えながら考えています。この信頼の山を築くのに、一体どれほどの努力が必要か…専門を離れ、自分自身で信頼を得ようとしたときにその困難さを思い知らされることになりました。私が今大手を振って統計学を社会で活用出来るのは、その全てが先人の偉業によるものであり、その点についてはひれ伏すほどの畏敬の念があります。こうして私が立っていられる高く築かれた信頼を損なわぬよう、その道の専門家たるもの、いついかなる場合も一切誤ってはならない、何があろうとも、と私は考えています。言い方を変えれば、専門家とはその分野における完全なる存在であるという超人思想を私は抱いております。これは現実的には困難です、困難であるため仕方なく誤りを許容せざるを…得なく無い、専門家たるものその分野の現人神として君臨せよ、誤りを犯したら人に落ちて腹を切って潔く果てよと私自身は考えております。皆様がどう考えているかは知りません、この考え方が一般に正しいと広く世に主張するつもりもありません。ただ私はこの超人思想の元に、自分は超人であると自認して日々生きています。この思想の元、自分が統計専門家であると自称しながら誤った発言をする者、また、十分な統計学的教育を受けていない非専門家に対し誤った可視化や統計的誤謬を利用する企業に対し、明確で強烈な抑えきれぬ怒りを抱いています。邪悪さとは何か、それはその分野の信頼を損なうことだと私は考えています。
さて、発端である拙著の誤りの話に戻ります。本書での私の誤りは、統計学に関する誤りでした。これは誤字脱字やコードの凡ミス*3などの人間の愚かさのせいだと一纏めに出来る誤りではありません。「こいつは統計の専門家を自称しておきながら、この程度の用語もまともに使えないのか。こいつ程度で専門家を名乗るようでは統計学というのは考慮するまでもない無駄なモノだな」というような信頼を損ねる行為をしでかしたのです。先人の偉業に敬意を抱いていると言いながら踏みにじる邪悪な行為をしたのです。私は腹を切るべきでしょう。自分が超人ではないと認めるべきでしょう。しかし私はそれを認めたくない、一切認めたくない。私は超人でありたい。これは自分が超人であると何らかの理屈をつけて正当化出来るというものではなく、ただ子供のように超人になりたいと夢想しているだけです。そして、本書の件に限らず、私は数々の統計学的失敗を実際の業務や学問的議論をする中で重ねてきたという耐え難い事実があります。私は極論、自分が専門であると考えていること以外は何一つ出来なくて構いません。事務処理は一切出来ませんしすぐ迷子になるし一般的な社会人としての振るまいが全く出来ません。それらを全く問題だとは考えていませんし別に改善するつもりもありません。ですが専門について誤ったならば、その場で腹を切るべきでしょう。私は統計学的超人ではなく、ただの人間であると認めるべきでしょう。上で長々と専門家たるもの超人であれと言っておきながら、自分は全く思想と掛け離れている。認めるべきでしょう、自分が超人ではないか、あるいは専門家は非専門家よりマシなだけであって超人ではないということを。しかしどちらも一切認めるつもりはありません。
何か統計学的誤りを犯してしまった際、恐ろしく惨めで、これまでの記述と真っ向から矛盾し、自分自身に対し完全に都合の良いことを自分自身に言い聞かせます。これから私は私によって失われた統計学の信頼を取り戻し、さらには後進のためにより高く積上げられるように努力する。だから私を超人であると自認させ歩み続けるのだと。
この超人思想は明らかに非現実的であることはわかっています。理屈では無茶だと言うことも、自分に言い聞かせていることに矛盾があることも承知しています。ですがこの歪んだ思想は自身の深くに根付いており、もはや切り離すことが出来ません。そしてこの思想のお陰で、学び続けることに一切の躊躇がありません。それがここまで人としてどうかと思う人間でありながら、何とか職を得て生きながらえられている理由なのかもしれません。あるいはこの思想のお陰でここまで人としてどうかと思う人間になったのかもしれません。本書の誤りを指摘されたことを確認した時、私は道路を歩いていましたが、震えて立ち止まり背中に汗が吹き出しました。もはや統計学について誤った時、ここで腹を切らねばならないという恐怖が肉体に染みついていて生理的な反応を引き起こします。これは単純に統計学で飯を食えなくなったら食っていく手はないだろうという恐怖なのかも知れません。そのような分かり易い恐怖であるならば向き合えますが、今のところそれがどういう恐怖なのか正体が掴めません。この恐怖を一切克服することなく、超人として振る舞えるよう歩むことが私の望みです。
この文書は一種の禊ぎであり、恐らくそれ以上の意味はない。