~魔法少女らんまマギカ~ 第1話
一人の少女が暗い路地裏を一人で歩いていた。
中学生か高校生ぐらいだろうか、大人以上に育った胸を窮屈そうに制服にしまいこんでいる。
その手のひらには黄色い石が乗せられていた。
石は、裏路地のわずかな明かりを反射して鈍い光を放つ。
「反応なし…ね。」
独り言を小さくつぶやき、少女はあたりを見回した。
闇の中で鮮やかな金髪が輝き、縦ロールが小さく揺れる。
「…あっ」
少女は何かに気がついたように急に立ち止まった。
人気のない裏路地とはいえ、繁華街の一部だ。
メインストリートのざわめきが鳴り響き、小さな音はほとんどかき消されてしまう。
しかし少女は鋭く、ほんの小さな音を、ごくわずかな気配を見逃さなかった。
「出てきて、怖がらなくていいから。」
少女は中腰になり、ビルの室外機に視線を向けた。
そしておだやかな表情で微笑む。
「ぴっ!?」
小動物らしい高い声がした。
少女はゆっくりと足音を殺して室外機の裏に回り込む。
そこには黄色いスカーフを巻いた小動物がいた。
小柄な体躯、平べったい鼻。猫でもない、犬でもない。
「あら、珍しい。」
少女は思わずうれしそうな声を上げた。
ぶっそうな裏路地を徘徊する行動とは裏腹に、歳相応の少女らしく可愛いものは好きなようだ。
なかば強引に、少女はその小動物を持ち上げる。
「かわいい小豚さんね。」
その小動物…黄色いスカーフを巻いた小豚ははじめはジタバタと抵抗していたが、少女の胸に抱きしめられると急におとなしくなり抵抗をやめた。
(どうしよう?)
少女は小豚をながめながら首をかしげた。
街では普通見ることもない小豚、しかも黄色いスカーフが首に巻かれている。
ほぼ確実に誰かのペットだろう。
近くに飼い主らしき人は見当たらない。
この場合、やはり警察に預けるべきだろうか。
しかし、少女としては警察に届けるのは気が引けた。
そのひとつの理由はこの可愛い小豚を少しでもながく愛でていたいということ。
そしてもうひとつ、女子中学生が夜中に一人で裏路地をうろついていたと
分かれば、補導されかねないということだ。
優等生として知られている少女は、できればそういう事態は避けたかった。
(一日くらい預かっても、悪いことにはならないわよね?)
庇護欲と規範意識のはざまで、少女はこの小豚を自宅に連れて帰ることにした。
元スレ
QB「魔法少女になってよ」らんま「てめー、ぶん殴られてーか?」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1316929971/
住宅地の中にある家族向けマンションの、『巴』というプレートのある部屋に少女は入っていく。
「おなか減ってるでしょう? ちょっと待ってて。」
少女は、小豚をリビングに下ろすと台所に向かった。
そしてしばらくしてスープ皿に入れたミルクを小豚の前に置いた。
「ぴぃ?」
小豚は戸惑ったように、上目づかいで少女を見つめる。
少女は小豚の視線に、にっこりと微笑みを返した。
すると小豚は意を決したようにミルクを舐めはじめた。
ミルクは弱めにレンジで温めている。
この温度ならおなかを壊すことはなく、熱くて飲めないようなこともない。
ミルクひとつにもなかなか気配りがきいている。
「あら?…変な子ねぇ」
少女はつぶやいた。
なぜなら、小豚はまるで感動したかのように目から涙をこぼしつつ、 ミルクをすすっているのだ。
人間以外の動物も、ホッとしたり安心したときに涙を流すのだろうか?
少なくとも少女の知識の中において、そんなことはない。
動物が涙を流すのは乾燥や汚れから目を守るため――
(あっ!)
少女はふいに何かに感づいた。
「ちゃんと体を洗ってあげないと目も痛いわよね。ごめんね、すぐに気づかなくて。」
「ぴっ ぴ!?」
小豚はあせるように声を出したが、少女は気にも留めず、風呂場へ行った。
シャワーの音が小豚の耳に壁越しに聞こえる。
少女は、再び小豚の前に現れると身構えさせる間もなくつまみ上げた。
「ぴーっ! ぴーっ!」
小豚は激しく抵抗するが、少女はただの女子中学生とは思えない強い腕力で押さえつけてくる。
「大丈夫よ。お風呂ってとっても気持ちいいんだから、怖がらないで。」
そして、少女は小豚を風呂場へ運び、浴槽に浅く張られた湯の中に放り込む。
少女は小豚の様子をろくに確認もせずに、すぐに風呂場の扉を締めて着替え始めた。
「ちょっと待っててね。わたしも一緒にシャワー浴びるから。」
いそいそと少女は衣服を脱ぐ。
可愛いペットと一緒にお風呂、そんな平和な日常に少女は憧れていた。
だから、こうして気持ちをはやらせる。
少女はそそくさと衣服を脱ぎ捨て、そして再び風呂場の扉をあけた。
ガチャリ
「…」
「…」
扉を開ける音を最後に、空気が固まった。
おかしい。
お風呂場には可愛い黒い小豚以外いないはずだ。
では、今目の前にうつるこの青少年は何なのか?
ガチャン
少女はいったん扉を閉めて、大きく深呼吸をした。
(おちつくのよ、マミ。魔女との戦いで疲れたからってあんな幻覚をみることないじゃない。冷静に、冷静になるのよ。)
気を取り直してもう一度、少女は扉を開ける。
ガチャリ
そこにはやはり、全裸の謎の青少年が居た。
いや、正確には全裸ではなく頭に黄色いバンダナを巻いているが。
「そ、そのっ! せめて服は着るべきだと思う。」
謎の青少年は目を泳がせながら言った。
(しゃべった!? これはわたしの幻覚じゃないの?)
だとすれば一体…
「あっ!」
ここにきてようやく、少女は自分が男子の前に裸体をさらしているという事実に気がついた。
「きゃああああっ! チカン! 変態!」
金切り声をあげ、凄い勢いで少女は風呂場から逃げ出した。
**************************
「…変身体質?」
けげんな顔で、少女は言った。
「俺だってこんなバカバカしい話、信じたくもない。だがな―」
少女と向かい合う青年は、そう言って自分の頭にマグカップの水をかけた。
コンッ
マグカップが宙を舞って床に落ち、青年の姿は消えた。
その代わりに、黒い小豚が青年の座っていた場所に現れる。
「信じられない…けど、信じるしかないみたいね。」
少女はその小豚に、こんどはヤカンのお湯をかけた。
立ち上がる湯煙に隠れるように、先ほどと同じ青年の姿が浮かび上がる。
「でも、どうしてそんな体質になったんですか?もしかして、魔女の呪い…?」
少女は質問した。
少女にはこういった非常識なことには少しだけ心当たりがあったからだ。
「いや、そんなメルヘンなものじゃない。」
しかし青年はきっぱりと否定した。
きっと『魔女の呪い』をおとぎ話か少女アニメの中のものだと思っているのだろう。
「俺はこう見えても武闘家でな、修行の旅をしている。こんな体質になってしまったのは、中国で修行をしていた時に呪いの泉とやらに落ちてしまったせいだ。」
『呪いの泉』それこそが魔女の呪いではないのか、少女はそう思ったが口には出さなかった。
この世に実在する魔女のことを語ったところでどうせ少女アニメにでも影響されたおかしな子だとしか思われない。
相手の言っていることも非常識なのだから信じてもらえるなどと余計な期待はしない方がいい。
人は、見たものしか信じないのだから。
私だって、見なければ彼の変身体質など信じようとも思わない。
そう考えて、少女はこれ以上話すことはないと判断した。
「そうなんですね。…いきなりさらっちゃった上にチカン扱いしてしまってすいませんでした。」
少女は話を終わらせるためにまとめはじめる。
「いや、むしろ世話になったな。服まで借りてしまって。」
青年も長居をするつもりはないらしい。
話が終わったと判断してそそくさと立ち上がる。
「いえ、着る人のいない服ですから。もらってくれて構いません。」
「じゃあな、ミルクうまかったぜ。」
青年は手を振って玄関から外へ立ち去った。
(『ミルクうまかったぜ』か…)
少女はそんな台詞を堂々と男らしく言う青年におかしさを感じた。
(でも、悪い人じゃなかったみたいね。)
もしかしたら秘密を打ち明けても信じてもらえたかもしれない。
そんなほのかな後悔が少女の胸に去来する。
「名前ぐらい、聞いておいてもよかったのかな?」
ひとりぼっちの広い部屋で、少女はちいさくつぶやいた。
「あかねさん…」
重い荷物を背負いながら、男はちいさくつぶやいた。
男は見知らぬ町を歩いている。
右も左も分からない、まるで迷路のような町だ。
こんな状況の時、彼の心をはげますもの、それは今口ずさんだ『あかね』という女性の存在だった。
しかし今日は不思議と『あかねさん』の顔は思い浮かばなかった。
かわりに一昨日会った少女の顔が思い浮かぶ。
少女といってもおそらく2つか3つぐらいしか歳は変わらないだろう。
小豚となった自分をもてなしてくれた優しい少女だった。
正体を知っても丁寧に対応してくれた。
もしご両親にでも見つかっていればえらいことになっただろうに…
そこまで考えたところで、男の頭の中に疑問が浮かんだ。
なぜあの時、彼女の家族はいなかったのか?
独断でペットを拾ってきたというのに誰かをはばかる様子もなく堂々と自宅に入っていったのはなぜか?
それに貸してくれた男性物の衣服についても「着る人がいない」と言っていた。
もしかして、彼女は家族もおらず、ひとりで暮らしているのだろうか?
男は、少女に同情をいだいた。
何ヶ月も親が家に帰ってこない、彼はそんな家庭環境で育ってきた。
男子らしいたくましい態度していながら、男は孤独に暮らすことの寂しさをよく知っていたのだ。
「…」
『あかねさん』の名をつぶやくように、男は少女の名前をつぶやこうとしたが
できなかった。
少女の名前を知らなかったからだ。
「名前ぐらい、聞いとけばよかったな。」
男はそんな独り言を虚空に放した。
あたりは人気のない倉庫街。
何の答えも返ってくるはずもない。
しかし、異変は起こった。
突如、目の前に西洋の城のような岩壁が広がり、ニョキニョキと地中から石柱が生えてくる。
「な、なんだ、これは!?」
あまりのわけの分からなさに混乱する男のまわりに、石柱がまるで生き物のように集まってきた。
よく見れば空中にもいくつかの石柱が浮かんでいる。
いつの間にか彼は、すっぽりと石柱に囲まれてしまった。
(よく分からんが、なんだかやばそうだ。)
男は、迷わず石柱に人差し指をぶつけた。
「爆砕点穴!」
叫び声と同時に石柱はこっぱみじんに砕け散る。
「よし、いける!」
そう判断した男は、次々に石柱を破壊していった。
指に触れただけで硬い石が粉々になっていく。
もしこの場に第三者が居たなら、この異空間に負けず劣らず男の存在も異様に感じたことだろう。
ついには無数にあった石柱のほとんどが消え去り、巨大な甲冑が男の目の前に現れた。
「お前がこいつ等のボスか? なんだか知らないがここから出しやがれ。」
彼の身長の何倍もあろう相手にも、男はまったくひるむことなく凛として言った。
しかし甲冑は聞く耳もないといった様子で、巨大な剣のような腕を男に振り落とす。
それに対して男は、なぜかベルトをするするとズボンから抜いた。
そして、頭上へと落ちてくる馬鹿でかい刃物に対してそのベルトを振りかざす。
不思議なことに、ベルトは鋼鉄のように固くまっすぐに伸び、丈夫な短刀となって巨大な剣を止めた。
「妖怪ふぜいが、俺にケンカを売ったことを後悔しな!」
男は甲冑妖怪の刃物状の腕を払いのけると一気にそのふところに飛び込んだ。
そして、甲冑妖怪をベルトで滅多切りにする。
しかし、斬れているのは外側の布切れの部分だけで、内部の鎧はほとんど傷ついていない。
「くっ、硬い!」
男がそうしている間にも、甲冑妖怪は両腕をクロスさせて男を逃がさないようにしながら、その刃物のような腕で抱きしめようとする。
もちろん、抱きしめられたら男は十字型の切り後を残して四つに裂かれることだろう。
「…まったくムカつくぜ。なんでこんなわけのわからないことに巻き込まれなきゃならねーんだよ。」
男はベルトでの攻撃をやめ、うつむき立ち尽くす。
甲冑妖怪はそれをあきらめととったのか、一気に腕を内側に、男を切り刻むように抱きつこうとした。
その時、
「獅子咆哮弾!」
強大な閃光が立ち上がり、とてつもない重量をもって甲冑妖怪の頭上に降り注いだ。
甲冑は押しつぶされ、周りの地面が隕石の落ちた後のクレーターのように大きく陥没する。
「…ふぅ」
閃光が去り、男はため息をもらした。
足元に転がる甲冑はもはや原型をとどめず、ただの鉄くずに成り果てていた。
男はあらためてあたりを見回す。
相変わらず、あたりは城壁に囲まれた中世欧州の城のようになっている。
「ボスを倒しても元にもどらないのか。」
男はわずかにいらだちを見せたが、それはまるでショッピングモールの出口が分からなくなった程度の気軽さだった。
さきほどの戦闘になど恐怖も不安も全く感じていないのだ。
「あぶないっ!魔女を相手に油断しないで!」
ふいに、どこかで聞いたような声が響いた。
あたりを振り返ると、さきほどの甲冑がぼろぼろの体をもたげて腰ぐらいまで立ち上がっている。
「しぶといっ。」
そう言った男が再び戦闘態勢に入るより早く、黄色い光線が甲冑妖怪を包んだ。
「ティロ、フィナーレ!」
こんどこそ甲冑妖怪は霧散し、まるでペンキで壁を塗り替えるようにあたりの風景が変わった。
そこは元の倉庫街だ。
男は妖怪を倒してくれた人物に礼を言おうとその姿を探す。
すると、鮮やかな金髪の少女が目に入った。
「あっ あなたは!」
「おまえは!?」
男と少女の声がかぶった。
男は茂みに隠していた自分の荷物から衣服を出して着替えていたし、少女も西洋のアンティーク人形のような格好をしている。
それゆえ以前にあったときとは全く格好が違い、互いに近づくまで気づかなかった。
しかし、近くで見ればはっきり分かる。
それほど互いに印象的だったのだ。
少女は先日、小豚状態だった男をもてなしてくれたその少女だった。
*********************
「俺の名前は響良牙、前にも言ったように武闘家だ。」
「私は巴マミ、信じられないかも知れませんが魔法少女です。」
闇夜の中、二人は改めて自己紹介をした。
「僕の名前はキュゥべえ、魔法少女を作り、サポートするのが仕事さ。」
そして、巴マミの肩の上に乗った小動物も自己紹介をする。
動物がしゃべっていることに若干の違和感を感じながらも、良牙は話を続けた。
「しかし、いったいあの化け物はなんだったんだ?バラバラに砕いてやったはずなのに蘇りやがった。」
獅子咆哮弾で決着がつかなかったことが、良牙にとっては少々屈辱だった。
彼はそれだけ戦いや強さにプライドを持つ人間だった。
「あれは魔女と言って、人々に災いをもたらすものです。魔法少女はあの魔女を倒すことが使命なんです。」
「魔女は魔法じゃないと倒しにくいようになっているからね。僕にとっては魔法を使わずに魔女を倒せる君の存在の方がおどろきだよ。」
マミとキュゥべえがそれぞれ問いに答える。
「魔法じゃないと倒しにくい?ちょっとキュゥべえそれはわたしも初耳よ。」
マミは責めるように言ったが、あまり真剣に怒っている様子ではない。
気心の知れた相手だからできる軽口なのだろう。
「いや、俺が倒したわけじゃない。」
「同じさ。あと二、三発もさっきの技をすればあの魔女は良牙ひとりで倒せていたよ。」
そういうものなのか、と良牙はどうもすっきりしない感じがした。
自分が三発以上必要な敵を巴マミは一撃で倒してしまったのだ。
巴マミが自分よりも数段強いとすればそれで納得するしかないのだが、どうもそうではなくて相性の問題らしい。
「ところで、どうして良牙さんはまだこの町に? 旅をされてるって・・・?」
今度はマミの方から質問が出た。
もっともな問いだ。
あれから二日経ったのに、流浪の生活を送っているはずの良牙とまたこの町で出会うなんて普通は考えられない。
「え、なに! もしかして、ここはまだ見滝原なのか!?」
なぜか良牙は激しく狼狽した。
「もしかしても何も、わたしの家から200mほどしか離れてませんよ。」
良牙が何をあわてているのか分からないが、マミはとりあえず冷静につっこんだ。
「そんなっ! もう何ヶ月も風林館を目指していると言うのにぜんぜん近づけない!」
「風林館ならそんなに遠くないじゃないですか。…もしかして、わたしのことバカにしてるんですか?」
良牙のわけの分からないオーバーリアクションにマミは腹を立てた。
それに対してキュゥべえは冷静に、良牙に質問をする。
「良牙、つかぬことを聞くけど、君はここからどうやって風林館に行く気だい?」
「そりゃあ、富士山が北にあるから、日の昇る方向へ歩いて―」
良牙はおそろしく大雑把な脳内地図を披露した。
しかも冗談めかしてではなくいたって真顔でそれを言っているのだ。
常識を超えたトンチンカンぶりにマミはあきれ果てた。
こうなれば一瞬でも腹を立てた自分がバカらしくなってくる。
「うん、良牙が方向音痴なことはよく分かったよ。」
「なにっ!? なんで分かったんだ?」
良牙の真剣な表情に、もはやマミもキュゥべえもつっこむ言葉すら見つからなかった。
「…ところで、良牙。僕は君の強さとさっきの技に興味があるんだ。」
間が空いたところで、すかさずキュゥべえは話題を変える。
「そこで提案なんだけど、もうしばらく見滝原に居てくれないかい?」
突然のキュゥべえの提案に、良牙もマミも目を丸くした。
「そんなこと言われても、宿を借りる金なんざないぞ。」
良牙は率直に答える。
「だったら、マミの家にいれば良いじゃないか。」
キュゥべえはけろっと言い放った。
「キュゥべえ、なに言ってるのよ!」
「そんな無茶なことできるかっ!」
マミも良牙もあわてて否定した。
「いやいや、別に無茶な話ではないよ。良牙は変身体質なんだろう?夜寝るときには良牙が変身していれば問題ないんじゃないのかな?不安なら僕も一緒に居るよ。」
「…それなら、安心だけど。」
マミは愛らしい小豚の姿を思い出し、思わずそう答えてしまった。
「マミにとって、彼ほど強くてしかもグリーフシードを消費しない味方がいるのは凄く心強いと思うよ。魔女との戦いはずいぶんやりやすくなるハズだ。」
キュゥべえの言葉に、マミは納得したようにうなずく。
秘密を共有し、ともに戦える仲間。
それはマミが心の底で求め続けてきたものだった。
図らずもそれが今、手に入るかもしれないのだ。
「良牙にとっても十分なメリットがあると思うよ。魔女との戦いは君にとって良い修行になるはずだし、風林館に行きたいのなら僕かマミが暇なときにでも案内してあげられる。それに流浪の野宿生活も良いけどさ、屋根の下でゆっくり眠ることも時には必要なんじゃないのかな?」
良牙もまた、キュゥべえの言葉に心が動いた。
魔女との戦いに納得がいっていないのがその理由のひとつ。
それに良牙は流浪の旅と言ってはいるが、実は方向音痴ゆえにろくに家にも帰れないので結果的に流浪の旅になっているに過ぎない。
修行のためというのは完全な後付だった。
だから屋根の下でちゃんと寝ることのできる生活というものには誘惑される。
「どうだい、二人とも?」
すでに勝利を確信したキュゥべえが改めて返答を求めた。
「え…」
「えっと…」
「「よろしくお願いしますっ!」」
良牙とマミは声をはもらせて互いに頭を下げる。
こうして、魔法少女と武闘家の奇妙な同居生活が始まった。
~第1話 完~
~第2話~
響良牙と名乗る武闘家との出会い。
それは巴マミにとって驚きの連続だった。
変身体質もさることながら、その高い戦闘力はどうしたものか。
彼女は魔女の結界での良牙の戦いを遠巻きに見ていた。
魔女の使い魔に囲まれているから急いで助けようとした矢先、彼は自力で次々と使い魔を倒していった。
しかもその倒し方がすさまじい。
指先ひとつで触れるだけで防御力に優れた石柱型の使い魔がこっぱみじんに砕け散るのだ。
そして、ベルトを剣のようにして魔女の攻撃を防ぎ、さらには巨大な光を出して魔女をぺしゃんんこにしてしまった。
マミははじめ、男性のような体格をした魔法少女なのかと思った。
しかし近づいてみてみれば紛れもなく男性、それもつい先日会ったことのある青年だったのだ。
その日の晩はかなり長く情報交換が続いた。
魔法少女と武闘家、お互い未知との遭遇だった。
良牙によれば、魔女を倒した光やベルトを硬直させたものの正体は魔法ではなく「闘気」なのだという。
(まるで少年漫画ね。)
マミはそう思った。
気の概念の源流は格闘技にあるのだが、そんな知識をマミはもたない。
マミにとっては闘気で攻撃するなど漫画の中の話でしかなかった。
そういえば、良牙の武闘家としてひたむきに強さを求める姿勢や常識はずれな方向音痴もどことなく漫画っぽい。
(少年漫画からそのまま飛び出してきたような人…)
そう考えてマミはつい笑ってしまった。
良牙が少年漫画から飛び出てきた人間なら、わたしは少女漫画だ。
彼と対比することで自分の存在もまたありえないことをマミはあらためて実感した。
マミは良牙に、魔法でリボンを自在に操り紅茶を注いでみせた。
さすがの良牙も目を丸くしていた。
マミはリボンにもポットにも指一本触れずにお茶を注いだのだ。
格闘新体操の達人でも触れもせずにリボンを操ることはできないし闘気でティーポットを動かそうとしても、逆にティーポットを粉砕してしまうことは目に見えている。
だから、魔法と信じるしかない。それが良牙の見解だった。
もともと不思議なものには慣れっこなので別段おどろきもしないらしい。
ただの闘気や手品でないとだけ分かれば良牙にとってはそれで十分だったのだろう。
一方キュゥべえの興味は良牙が魔女を倒すために使った技、獅子咆哮弾にあった。
良牙の説明によれば、獅子咆哮弾は単純な闘気のかたまりではなく負の感情を重たい気に変化させて威力を増す技だという。
それを聞いたキュゥべえは「やはりそうか!」となにやら納得していた。
キュゥべえの言うには負の感情を力に変える獅子咆哮弾は負の感情のかたまりである魔女に近いところがある。
そのため、威力のわりに魔女にはとどめになりにくいらしい。
(でも、それだけじゃ無さそうね。)
キュゥべえが魔女や魔法少女以外のことに興味を持つのは珍しい。
付き合いの長いマミでもこんなことは初めてだった。
獅子咆哮弾には他に、キュゥべえの興味をそそる何かがある。
マミはそんな確信をいだいた。
それが何かまでは想像がつかないが、もしかしたらキュゥべえの存在そのものに関わるヒントになるかもしれない…
そこまで考えたとき、マミはハッとした。
「わたしは、キュゥべえを疑っている…?」
***************************
『今日はキュゥべえの奴はついて来ないのか?』
良牙はマミにテレパシーを送った。
『ええ。新人発掘ですって。こう言ってはなんですけど、彼は普段から営業活動には余念がないんです。』
マミはテレパシーを返しながら、自分の肩の上に乗る小豚の頭をなでた。マミとしては特に意味のない、ペットを愛でるだけの行為だ。だが、そんなことにも小豚の顔が赤くなる。
『し、しかしこの状態でも会話できるとは便利なもんだな。』
テレを隠そうと冷静をよそおう良牙。
マミはクスッと小さく笑った。
ぶっきらぼうで言葉遣いが荒いときもあるが、決して粗野ではない。
むしろ、なんだか可愛い人だ。
(いい人みたいで良かった。)
これから魔女と戦うかもしれないというのに、自然とマミの心ははずんだ。
『良牙さんがテレパシーを使えるのはわたしかキュゥべえが居るときだけですから、気をつけてくださいね。』
マミは良牙に説明をしながら、自分の指輪に触れる。
すると、指輪は丸い宝石状に形を変え、黄色い輝きを放った。
わずかながら魔力反応がある。マミの瞳に緊張が宿った。
(魔女が…近くにいる!)
『それは?』
マミの肩に乗った小豚が不思議そうに黄色い石を眺めていた。
『ああ、これがソウルジェムです。魔法少女の証であり、魔女を探す魔力探知機にもなっていて…』
「あ」
説明をはじめたと思ったら、マミは急にテレパシーを切り口で声を出した。
「良牙さんはちょっと待っててくださいね。」
そう言ってマミは小豚を肩から下ろしそそくさと立ち去った。
(へ? 一体どうしたんだ?)
取り残された良牙は、途方にくれるしかなかった。
暁美ほむらは、キュゥべえの姿を追っていた。
(ついに、まどかを見つけられてしまった。)
気持ちはあせる。
どうにかして、キュゥべえと鹿目まどかの接触を阻まなければ、『またもや』鹿目まどかが魔法少女になってしまう。
そうなれば、鹿目まどかはやがて魔女に―
「…見つけた。」
暁美ほむらの目に、白い犬のような猫のような、奇妙な小動物の姿が映る。
もはや、手段を選んでいられない。
ほむらはためらいもせず拳銃を取り出し小動物に向けて発射する。
銃弾は白い獣をかすった。
(はずしたか。)
そう思った、その瞬間、ほむらの腕に黒い小動物が飛びかかってきた。
「きゃあっ!? なに、コレは?」
手に持っていた拳銃が、その小動物の体当たりにより手からこぼれ落ちる。
それとほぼ同時に、黒い小動物は見事に着地し、ほむらに視線を向けて対峙した。
平べったい鼻、突き出た耳、その姿はどうみても豚だった。
キッとにらみつけてくるその目は、ほむらを敵視している。
(何なのこの豚は? インキュベーターの同類?)
ほむらの頭の中を無数の疑問符がかけめぐった。
どうあれ確かなことは、この小豚はキュゥべえ…彼女の言うところのインキュベーターを守ろうとした。
「敵には、違いないわね。」
ほむらは左腕につけている盾に右手をかざす。
すると、彼女以外のすべてのものが動きを止めた。
、
ほむらはそのまま右手で盾の裏側から銃器を取り出す。
そして無造作に、小豚にそれを撃った。
銃弾は小豚に当たる手前で、ピタリと動きを止めた。
他のすべてのものと同様にこの空間の背景と成り果てている。
動けるのはほむらただ一人のみだ。
ほむらはもう一度盾に手をかざした。
するとこの世界は再び動き出した。
が、勢いよく動き始めた弾丸は小豚にあたらず、コンクリートの地面をけずった。
小豚が時間が動き始めると同時に大きくジャンプをしたからだ。
(かわされた!?)
ほむらはおどろきを隠せなかった。
彼女は時間停止の能力を持っている。
その能力を使えば銃弾があたる寸前まで、相手は一切の回避行動がとれない。
それなのにかわされたということは、相手が高速で動いているか先読みをしているということになる。
どちらにしても、そうとうな戦闘センスの持ち主だ。
(得体が知れないわね…)
ほむらは内心で舌打ちをした。
この得体の知れない存在の相手をしている隙に白い小動物…インキュベーターはすでに逃げている。
してやられた格好だ。
そうとなれば、人に見つかる危険を冒してまでこれ以上ここにいるメリットもない。
(わたしも逃げるか…)
ほむらはどこからともなくスタングレネードを取り出し爆発させた。
すさまじい閃光と煙があたりを包み、それが過ぎた後にはほむらの姿は消えていた。
(逃げたか…キュゥべえを襲っていたようだが、あれも魔法少女なのか?)
黒い小豚こと、良牙は考えた。
あの少女がキュゥべえに向けて撃った銃撃の、発射前に間に合うように良牙は飛んだはずだった。
しかし、良牙が拳銃を体当たりで飛ばしたのは発砲した後だった。
おかしい。
構える間も狙う間もなく銃を撃てるものなのか。
いや、それどころかそもそも発砲音すら聞こえなかった。
まるで、時間が飛ばされたようなそんな不思議な気分だ。
種明かしは分からないが、相手がいつ撃ってくるか分からないのならとにかく動いてよけるしかない。
良牙はそう思い、回避行動をはじめた。
結果的にはそれが功を奏して銃弾をよけることができた。
だが不気味だ。
少女は銃を握ってすらいなかったのに、次の瞬間、すでに発砲していたのだ。
銃を構えるヒマすらはおろか取り出す時間すら全くなかったはずなのに。
(チッ、奇妙なガキだ。)
悩んでも仕方がない、早くマミちゃんのところに戻ろう、そう思い良牙はあたりを見回した。
(…ここは、どこだ?)
マミはもちろん、キュゥべえも逃げてしまったので見当たらない。そしてここは見知らぬ町。
この状態では、良牙に帰還できるあては何もなかった。
「ぴーッ! ぴ、ぴー!!」
哀れな小豚の鳴き声だけがあたりに響いた。
(我ながら、とんだ失態ね。)
巴マミは黒い小豚…良牙がいなくなっていることに気付き、頭を抱えた。
そもそもの失敗は、いつもより一杯多く紅茶を飲んだ事だ。
昨晩は話が長くなったので睡眠が足りていない。
だからカフェインを多めにとったのだが、それが裏目に出た。
男性である良牙の前で堂々と事情を説明するわけにも行かない。
しかし、魔女との戦いを控えているのに下手に我慢することもまたできない。
結果、マミはどこに行くかも言わずに良牙を置き去りにして『お手洗い』に行ってしまった。
いくら良牙でもほんの数分の間に迷子になることはあるまいと油断していたのだ。
(もし、魔女の結界にでも巻き込まれたら…)
本来の良牙なら並の魔女ぐらいあっさり倒してしまうだろう。
だが、今の小豚状態の良牙では使い魔一匹にもとうてい勝ち目がない。
(急がなきゃ)
気持ちはあせる。
『マミ、聞こえるかい?』
その時、テレパシーがマミの思考に入り込んできた。
聞きなれたこの声は、キュゥべえだ。
『キュゥべえ、どうしたの?』
『マミとつながって良かった。実は、魔女の結界に飲まれてしまったんだ。一般人も二人いる。助けに来てくれないかい?』
一般人が魔女の結界に巻き込まれた。…緊急事態だ。
魔法少女の使命を人々を魔女から守ることだと認識しているマミにとって「助けない」などという選択肢は存在しない。
『わかった。すぐ行くわ!』
マミはソウルジェムの示す方向へと走り出した。
『ところで、キュゥべえ。良牙さん見なかったかしら?』
走りながらもマミはテレパシーを飛ばす。
激しい運動をしながらでも息を切らすことなく会話できる。
これもまたテレパシーのメリットだろう。
携帯電話ではこうはいかない。
『良牙なら、さっき僕が襲われていた所を助けてくれたよ。』
『襲われた!? 魔女に?』
そうだとすれば、良牙も一緒に魔女の結界に巻き込まれたのだろうか。
小豚の状態でどうやってキュゥべえを助けたのかは知らないが事態はかなり緊急を要するようだ。
『いや、魔法少女に襲われた…どちらにしてもあの位置なら良牙もこの結界に巻き込まれている可能性が高い。』
しかし、キュゥべえはマミの予想とは全く異なることを言った。
『どういうこと? 話が見えないわ。』
『すまない。なんで魔法少女に襲われたのか僕にもよく分からないんだ。とりあえず、考えるのは後にしよう。 良牙や一般人の安全を考えれば魔女を倒すのが最優先だろう。』
『そうね。分かったわ!』
キュゥべえが「分からない」というのは珍しい。それだけ想定外の事態が起きているということだろう。
だからといってマミは混乱などしなかった。
こういう場合の優先順位ははっきりと決まっている。 第三者の命が最優先。
そう考えることにマミには迷いがなかった。
鹿目まどかと美樹さやかは混乱していた。
いつものように学校に通い、いつものように放課後はショッピングモールへ寄って、いつものように家路につくはずだった。
それなのに、この異空間は一体、何なのか。
きっかけは鹿目まどかが奇妙な『声』を聞いたことだった。
助けを求めるその声を追って鹿目まどかは閉鎖中のエリアに入り込み、美樹さやかもそれを追っていった。
暗く閑散とした空きスペースの中で、傷を負った小動物が倒れていた。
まどかがその小動物を助けようと抱きかかえたその時だった。
ショッピングモールの壁がチラシ紙を破くように裂けて、その中から不規則で奇妙な図面が現れた。
いつのまにか、あたりはその奇天烈な景色に囲まれ、元のショッピングモールの通路や部屋は消え去っていた。
「冗談だよね、あたし、悪い夢でも見てるんだよね!?」
さやかは叫んだ。
何もかもが常軌を逸している。
血のように赤い色の蝶が巨大なひげの生えた触覚をもたげて歩き回り、真っ黒なハサミが鳥のように宙を舞う。
とげとげしいイバラはまるで触手のようにあたりをうね回る。
その異形のものたちは二人の少女を取り囲みながら、徐々に距離を詰めてきた。
(もしかして、おそいかかってくるの?)
まどかもさやかも口には出さないが、その予感を感じていた。
これから自分たちはこの気持ち悪いクリーチャーに食べられて死んでしまう。
漫画やアニメになれた現代っ子だからこそ、そんな予感が頭に浮かんでしまう。
恐怖を募らせる二人に、異形のものたちはもう触れてしまう位置にまで近づいてきていた。
(もうダメ!)
そう思った瞬間、とつぜん赤い蝶が吹き飛んだ。
それだけではない、異形のものたちが次々と後ろに吹き飛び、まどかとさやかから引き離されていく。
(一体、なに?)
二人の少女は呆然としてそのようすをながめた。
「危なかったわね。でももう大丈夫。」
優しく、強い声がして、金髪の少女がまどかとさやかの目の前に現れた。
「キュゥべえも一緒ね。」
「ああ、マミ。間一髪間に合ったね。」
それまでまどかの腕の中でじっとしていた白い小動物がいきなり人間の言葉をしゃべりはじめた。
「うわっ、ホントにしゃべった!」
さやかが驚きの声を上げる。
「だから、わたしは嘘つかないよー。」
まどかがそれに答えた。
「いや、すまない。マミとのテレパシーと体の回復に集中していて君たちと会話をする余裕がなかったんだ。」
白い小動物は愛らしい姿とはうらはらに、理路整然と自分の事情をのべる。
「え? いや、謝るほどのことでも…って、ええ!?テレパシー??」
しかしさやかはなおさら混乱するだけだった。
「いろいろ聞きたいとは思うけど、その前に、ちょっと一仕事片付けちゃっていいかしら?」
余裕のある口調で、金髪の少女は怪物たちの前に出た。
彼女がスカートをたくし上げると、大量の銃が落ちてきた。
長大な、数世紀前の西洋の銃のようだ。
金髪の少女はそれを片手にひとつずつ持つと、怪物たちをめがけて発砲した。
二丁の銃から発砲された二発の弾丸は、吸い込まれるように二匹の怪物の眉間を貫いた。
金髪の少女は弾を撃った銃を投げ捨てると、そのまま別の銃を取り、流れるような動作で再び発砲した。
銃弾はまたもや怪物に命中する。
金髪の少女を敵とみなしたのか、怪物たちは奇妙な叫び声をあげ、次々に少女に襲い掛かっていった。
しかし、何者も金髪の少女に触れることすらできなかった。
少女は踊るように華麗に、全方向から襲ってくる怪物に銃弾を浴びせる。
銃を撃っては捨て撃っては捨てを繰り返し、一匹一匹確実に、しかしスピーディーに、マミは怪物たちを撃ち抜いていった。
「すごい…」
ながめているまどかはつぶやいた。
気がつけば数え切れないほどいた怪物たちはほとんど姿を消し、異様だった風景もその『メッキ』がはがれていた。
一仕事を終えた金髪の少女がまどかとさやかの方を振り返る。
「私は巴マミ。あなた達と同じ見滝原中学校の3年生よ。」
その時、どこからか小動物の鳴き声が聞こえてきた。
「ぴーっ! ぴーっ!」
「あら、よかった。良牙さんも無事ね。」
そう言って金髪の少女がしゃがんで手を地面に近づけると、そこに黒い小豚が走りこんできた。
(『りょうがさん』って、ペットに『さん』付け!?)
さやかは内心つっこむが、この異常事態の中でまだ言葉に出せるほどの余裕はない。
金髪の少女は変な顔をするさやかを気にもせず、その小豚を手のひらに乗せ、自分の肩へ移動させた。
「そして、キュゥべえと契約した魔法少女よ。」
怪物たちを一人で退治したその少女は、壮絶な戦いぶりからは想像できないほど、柔和な笑みをしていた。
~第2話 完~
~第3話~
「ケーキ、うまっ!」
「もう、さやかちゃん、行儀悪いよぉ」
「いいのよ、美樹さん、鹿目さん。」
鹿目まどかと美樹さやかは、巴マミの家に招かれた。
「キュゥべえに選ばれた以上、他人事じゃないしね。」
そう言ってマミはキュゥべえの方を見た。
その赤い瞳はいつもと変わることなく不思議な輝きを放っている。
長い付き合いだというのに関わらず、目を見ても何を考えているのかは分からない。
(人間じゃないから仕方ないのかな?)
少し寂しげに、マミは小豚のままの良牙を見た。
黒い小豚は、魔法少女についてすでに説明を受けているので興味なさげに、ただの小豚のフリをしてカーペットの上で寝転んでいた。
それでも、マミの視線に気付くと、その表情を感じ取り、不思議そうな顔をする。
小豚の体でも、人間は表情やしぐさで感情を伝え合うことができるようだ。
マミはこのまだ出会ったばかりの小豚にキュゥべえには感じなかった安堵を感じた。
「うんうん、何でも聞いてくれたまえ。」
「さやかちゃん、それ逆。」
良いタイミングでボケるさやかとすぐにつっこむまどか。
なかなか良いコンビらしい。
そんな二人をほほえましく眺めながら、マミは黄色い石を取り出した。
「わぁ、きれい…」
その輝きにまどかが見とれる。
「ソウルジェムというの。キュゥべえとの契約によって生み出す宝石よ。魔力の源で、魔法少女の証でもあるの。」
さやかとまどかは二人してソウルジェムを眺める。
「契約って、どういう?」
さやかの問いを受けて、いままで黙っていたキュゥべえが前に出た。
「僕は、君たちの願いごとをなんでもひとつだけ叶えてあげることができるんだ。」
「え!?」
「なんでも?」
『なんだって!?』
キュゥべえの言葉に、まどかとさやかは驚きの声を上げた。
しかし、それ以外にこの場には居ないはずの男性の声が聞こえた。
まどかとさやかは目を丸くしてあたりを見回す。
「あれ? マミさん、お兄さんが?」
素朴な疑問をさやかはぶつけた。
「ああ、これは違うの。良牙さんがね、テレパシーで話しかけてくれたのよ。」
そう言ってマミは黒い小豚を抱き上げた。
小豚は先ほど聞こえた男らしい声からは想像できないほど可愛らしくあたりを見回している。
その様子は思ってもいない事態にあせっているように見えた。
「ね、良牙さん。」
マミは挨拶をうながした。
『あ、ああ。驚かせてすまない。俺は響良牙だ。』
マミの腕の中で、黒い小豚はぺこりと頭を下げた。
「ええええええええ!? 小豚がテレパシー??」
「かわいい! この小豚ちゃんも魔法を使えるんですか?」
まどかとさやかは今日何度目かの驚きのリアクションをとった。
「いや、良牙は魔法を使えないよ。今は僕やマミがテレパシーを仲介してるんだ。」
キュゥべえが解説を加えた。
「じゃあ、じゃあ、魔法少女になったら動物とお話できちゃうの!?」
まどかは熱心に、キュゥべえにせまった。
「残念だけど、普通の動物は無理よ。」
急にせまられたキュゥべえに助け舟を出すように、マミが答えた。
「契約の願い事を『動物とお話』にすれば出来ると思うけどね。」
キュゥべえはすかさず、契約を結ばせるのに有利な補足説明を加えた。
さすがと言った表情でマミはキュゥべえを見つめる。
『ってことは、魔法少女になったらなんでも叶うってのは本当なのか?』
良牙は、魔法少女の契約について詳しいことを聞いていなかった。
自分にはあまり関係が無いと思っていたからだ。
しかし何でも叶うというのなら興味がある。
「うん。ただし、願いを増やしてくれとかそういうズルは無しだよ。あと、宇宙全体に関わるような大きすぎる願いだと制限が出てしまう。でも、地球規模の願いなら、たいていは叶うはずだよ。」
「たとえば、億万長者とか、不老不死とか、満漢全席とか!」
さやかの問いに、キュゥべえはこくりとうなずいた。
「うん、そういうことなら叶うよ。」
そしてあっさりと「叶う」と言ってのける。
キュゥべえの説明を聞いて、まどかとさやかと良牙は三者三様、考え込んだ。
「あ、良牙は無理だよ。男だし、魔法少女の素質も無い。」
『んがっ!』
黒い小豚はしゅんとなった。
(それ以前に人間じゃないといけないでしょ、フツー)
さやかは心の中でつっこんだ。
「願いと引き換えに魔法少女になると、魔女と戦う使命を課されるんだ。」
落ち込む良牙をよそに、キュゥべえは説明を続けた。
「…魔女ってショッピングモールで出てきた、あの?」
まどかがか細い声で質問する。
つい数時間前の恐怖を思い出したのだろう。
「あれは魔女の使い魔に過ぎないわ。本物の魔女はもっと…恐ろしいものよ。」
真剣な表情で語るマミに、まどかもさやかも息を飲んだ。
「キュゥべえに選ばれたあなたたちには、大きなチャンスがある。でも、それは死と隣りあわせなの。」
答えを決めかねたように、まどかとさやかは互いを見合わせる。
「すぐに決める必要は無いわ。…と言っても情報が足りないわよね。」
マミは何やら思案しながら二人をみつめた。
「そこで提案なんだけど、二人ともしばらく私の魔女退治に付き合ってみない?」
「え!?」
マミの提案に、まどかとさやかは素っ頓狂な声をあげた。
******************
学校の休み時間、まどかとさやかは校舎の屋上に来ていた。
「ねー、昨日のことさ、夢じゃなかったのよね?」
さやかは今朝からずっとまどかが聞きたかったことをまどかに聞いた。
「わたしも信じられないんだけど、きっと夢じゃないと思う。」
そう言ってから、まどかは少し考えた。
確かに、昨日化け物に襲われたことや『魔法少女』に助けられたこと、そして自分達がその『魔法少女』になるかも知れないこと。
あまりにも現実離れしている。
それに比べて、今朝から今まではいつもと全く変わらない日々が続いていた。
この変わらない日常を過ごしていると、どうしても夢だったと思えてしまう。
しかし、同じ経験を二人でしている。だから、夢じゃない。
「さやかちゃんとわたしが二人とも覚えてるんだから夢じゃないよ。」
まどかは自分の結論をさやかに告げた。
「へへ…二人しておんなじ夢見てたー、なんてオチだったりしてねぇ」
真剣な表情をするまどかに、さやかは自嘲気味におどけてみせた。
「ははは、もしそうだったら、また仁美ちゃんに禁断の愛だとか言われちゃうよぉ」
「ちっちっちっ、前世からの運命なのよ。例の転校生には負けないんだから。」
「なにそれ、もー」
そんな冗談を言い合って、まどかとさやかは笑いあう。
秘密を共有する相手が友だちでよかった。
二人とも心からそう思った。
その時だった。
「ちょっと、いいかしら?」
黒髪の少女が二人の目の前に立っていた。
つい昨日、二人のクラスに転校してきた暁美ほむらだ。
「お、転校生?」
「ほむらちゃん、どうしたの?」
暁美ほむらは昨日、なぜかまどかに寄ってきた。
まどかとさやかにとってはちょっとした不思議ちゃんである。
しかし、そんな程度のことは昨日の出来事のインパクトの前には二人にとってどうでも良いことになっていた。
そう、今の今までは。
「…キュゥべえや、巴マミと接触したわね?」
その台詞に、まどかとさやかの表情はこおりついた。
暁美ほむらはその二人の目の前で、自分の指にはめている指輪を宝石状のソウルジェムに変えて見せる。
「えっ!?」
「ほむらちゃんって…」
「わたしは魔法少女よ。」
まどかが言うよりも先に、ほむらは答えた。
「迷っているようなら、言っておくわ。魔法少女になるのはやめておきなさい。」
いきなりやってきて口出しするほむらに、さやかはわずかながら不快を感じた。
「…意見してくれるのは構わないけどさ、理由ぐらい言ってよ。」
「あなたは、死ぬ覚悟はできてるの?」
「!?」
突然の迫力のある言葉に、思わずさやかは押しだまってしまった。
「わたしは魔法少女になってから、何度も人が死ぬところを見てきたわ。わたし自身も、明日死んでしまうかも分からない。…その点は巴マミも同じ。あなたたちは、そんな生き方をしたいの?」
「うっ…それは…」
明日死んでしまってもおかしくない。
マミが「死と隣り合わせ」と言っていたのと意味はおんなじなのだが、具体的に明日死ぬかもしれないと言われると、しり込みしてしまう。
「忠告が無駄にならないよう、祈ってるわ。」
それだけ言うと、ほむらはきびすを返して、その場を立ち去ろうとした。
「ちょっと待って!」
それを、まどかが呼び止める。
「ほむらちゃんは、どんな願いごとをして魔法少女になったの?」
ほむらは振り返りまどかを一瞥したが、質問には答えずにそのまま去っていった。
*************
「ふぅん、転校生が魔法少女ねぇ…」
巴マミは考えるような素振りをした。
鹿目まどかと美樹さやかは放課後、巴マミと会っていた。
マミの魔女退治を見学するためだ。
「その子の言ってる事は正論よ。でも、気になるわね。」
まどかとさやかの報告によれば、その転校生はマミのことを知っているらしい。
そのわりに、マミとは接触しようとしていない。
(場合によっては、争わないといけないのかもね。)
魔法少女同士の関係は必ずしも友好的とは限らない。
ある意味魔女よりも魔法少女の方が危険な場合もありうるのだ。
『良牙さん、いざというときは二人を頼みますね。』
マミは肩に乗せた黒い小豚にテレパシーを送った。
『おう。いよいよ、魔女狩りか。』
良牙は勇ましく答えた。
伝えていないから当然なのだが、マミの危惧など伝わっていない。
「あ、そう言えば今日はキュゥべえは居ないんですか?」
出発前に、思い出したようにまどかが聞いた。
「ええ。今日は別の町に魔法少女の勧誘に行っているらしいわ。」
「そりゃまー、熱心なことで。」
マミがあきれ気味に答え、さやかも肩をすくめてみせた。
(なんか、やな感じがしやがる。)
良牙はぼんやりとそんなことを思った。
それは、少女達を死と隣り合わせの戦いに駆り立てるキュゥべえに対する嫌悪感か、それともこれから始まる魔女狩りに不吉な予感がするのか。
良牙自身にもはっきりとした判別がつかなかった。
*************
魔女の結界は古びた廃ビルで見つかった。
「かなり強い波動ね…」
マミは、自分についてきた二人を振り返った。
まどかとさやかを魔女や使い魔から守れる自信が無いわけではない。
しかし、二人が魔女に精神を乗っ取られないとも限らない。
念のために万全を期すべきだろう。
マミはそう考えて、どこからともなくティーポットを取り出した。
その口からはほのかに湯気が漏れている。
「良牙さん、お願いします。」
そう言うとマミは、ティーポットのお湯を黒い小豚にかけはじめた。
「わわっ、マミさん何を!?」
「良牙さん煮豚になっちゃう!」
まどかとさやかからは突然の奇行に見えたらしく、あわてた様子を見せる。
しかし、二人が本当に驚いたのはその後だった。
なんと、もくもくと上がる湯煙の中からたくましい青年の姿が浮かび上がってきたのだ。
「おう、任せとけ!」
青年は右の拳を左手で受け止めて、力強く答える。
「ええええええええ!?」
「豚が、人間になった!!」
まどかもさやかも、驚きを隠せず、大声をあげる。
「すごい! 魔法ってこんなことも出来るんですか!?」
「いえ、これは私の魔法じゃないの。」
興奮気味のまどかをさとす様に、マミはやさしく言った。
「俺はもともと人間だ。とある呪いのせいであんな姿になってしまったがな。」
良牙も事情を説明する。
「呪い…そうか、これが魔女の呪いなんだ!」
さやかは何やら早合点をした。
「そういう訳じゃないらしいけど…まあいいか。」
魔女に逃げられてしまう可能性もあるので、あまり説明に時間をかけることもできない。
マミは誤解をそのままに、魔女の結界をこじあけた。
結界の中では、マミが先頭になり、良牙を最後尾にして進んだ。
前から来た使い魔はマミが、後ろから来る分は良牙が片っ端から倒していく。
「すごい…」
「素手で倒せるんですか、あれ?」
ただただ感心しため息をもらすまどかと、もしかしたら自分にも倒せるんじゃないかと言いたげなさやか。
二人は対照的な反応をしていた。
「普通は無理よ。良牙さんが異常に強いだけだから。」
マミはまどかやさやかに無茶をさせないためにもきっぱりそう答えた。
「いや、俺なんかまだまだ。」
しかし良牙は強さをほめられてうれしそうな様子を隠しきれていない。
単純な良牙を見て、マミは思わず小さく笑った。
「さあ、もうすぐ結界の最深部よ。」
そう言ってマミが扉を開けると、その先には巨大な化け物が座っていた。
緑色の、何かがどろどろに溶けたような頭。
ステンドグラスのような光沢を持つ蝶の羽。
黄色い、頭と同じく何かが溶けたような胴体。
そして、三本の人型の脚は正座しているように折りたたまれている。
「う…グロい。」
「あ、あんなのと戦うんですか?」
「確かに気持ち悪いな、あれは。」
さやかとまどかのみならず、良牙まで同じような感想をもらす。
「大丈夫、下がってて。良牙さんはこの子達をお願いしますね。」
それだけ言うと、マミは前に進み、魔女と対峙した。
(さて、俺もマミちゃんの戦いぶりをみさせてもらうか。)
良牙は今までなんだかんだできちんとマミの戦いを見たことが無い。
マミが実際どの程度やるのか、それを知るには良牙にとってもいい機会だった。
さっそく、マミはマスケット銃を大量に召喚し、魔女に向かって乱れ撃つ。
だが魔女はその羽ですばやく飛び退き、銃弾をかわした。
「ちょ! マミさぁん、当たってないじゃないですか!」
さやかが叫ぶ。
「いや…もともと狙ってねーな、あれは。」
しかし良牙は冷静にマミの動きを見ていた。
「狙ってないって、それじゃ一体?」
まどかの問いに、マミの戦い方を知らない良牙は答えられない。
そうしている間にも、マミは魔女の触手に胴をつかまれ、思い切り壁にたたきつけられた。
だがマミはもがきもせずに、捕まったまま銃を撃ち続ける。
(なんだ? この戦い方は?)
良牙はマミの戦いに違和感をもった。
マミに何か狙いがあるのは分かる。
しかし捕まったままで、逃がれようともせずに戦うのはどういうことか。
倒すのには効率がいいのかも知れないが、恐怖感は無いのか。
敵に捕まってしまって屈辱は感じていないのか。
良牙はマミの表情を見た。至って冷静な表情だ。
決して焦っているわけでも怯えているわけでもない。
しかし―
(執念が感じられねぇ)
良牙にとってそれは信じがたいことだった。
今まで良牙が戦ってきた相手は、いつも並々ならぬ執念を持っていた。
それは、己の欲望を叶えるためであったり、生き残るためであったり、あるいは単純に強くありたい、勝ちたいという執念であったりする。
だがマミの戦い方からはそのどれも感じられなかった。
(あいつは、何のために戦ってるんだ?)
良牙がそんなことを思っている間にも、戦いは進展した。
マミの撃ったハズレ弾から、リボンが飛び出してきて四方八方から魔女をがんじがらめに縛ったのだ。
マミは魔女が動けなくなったのを確認すると、自分の胴に巻きついている触手を冷静に撃ち切ってスタッと地面に着地した。
「これが私の戦い方!」
そう言いながら、マミは常識外れな大きさの拳銃を右肩に出現させた。
その大きさはとても手で持てるものではなく、肩に担いでなおあまりある。
もはや拳銃というよりも大砲だ。
「ティロ・フィナーレ!!」
マミのかけ声と共に銃口から黄色い閃光が魔女に向かって放たれた。
閃光は魔女の緑色の頭部を木っ端微塵に吹き飛ばす。
それと同時に魔女の体は炎上し、やがて跡形も無く姿を消した。
「か、勝ったの?」
「すごい。」
唖然とするまどかとさやかをよそに、マミはいつのまにか魔法で紅茶を出現させて優雅にお茶をたしなんでいた。
やがて結界は崩壊し、奇妙な迷宮はただの廃ビルへとその姿を変えた。
マミは変身を解くと、なにやら刺の付いた玉のようなものを拾った。
「これがグリーフシード…魔女の卵よ。」
「た、卵ぉ!?」
そう叫んださやかだけでなく、まどかにも緊張が走る。
「大丈夫。これはね…こうして使うの。」
マミは自分のソウルジェムと拾ったグリーフシードを近づけた。
すると、ソウルジェムから濁りが抜けてグリーフシードが黒ずんだ。
「こうやって魔法少女は魔力を回復するの。これが魔女退治の見返り。」
まどかとさやかは「上手く出来てる」といった表情でグリーフシードを眺めていた。
しかし良牙は突然別のことを口にした。
「で、そこでコソコソしてるヤツもグリーフシードがお目あてなのか?」
「そうね。あと一回分ぐらい残っているし、あなたにも分けてあげるわ。」
マミも壁に向かって話しかけだした。
すると、壁の後ろから、一人の少女が現れた。
「え、ほむらちゃん?」
そこに居たのはまどかとさやかのクラスの転校生、暁美ほむらだった。
「あなたの獲物よ。あなただけのものにすればいい。」
ほむらはそれだけ言うと、きびすを返して去っていった。
「何よ、あの転校生。相変わらず感じ悪い。」
さやかはほむらが見えなくなったのを確認して舌を出した。
一方、良牙はマミの肩に手を置いてテレパシーで語りかける。
『昨日、キュゥべえを襲っていたのはアイツだ。』
『…そう。油断は出来ないわね。』
魔法少女同士で争わなければならない、その予感にマミは小さくうつむいた。
~第3話 完~
~第4話~
「ジジイ、てめー待ちやがれ!」
赤髪の、おさげの少女が屋根の上を飛んだ。
「らんま、きさまぁ! 老い先短い師匠の趣味になぜ邪魔をする!?」
おさげの少女の飛んだ先には小柄な老人が居た。
彼は風呂敷に山盛りの女性用下着をかついでいる。
「下着ドロがえらそーにするな!」
少女は飛び移ったそのままの動作で老人にけりを放った。
しかし、老人は俊敏な動きでけりをかわし、すばやく別の屋根へと飛ぼうとする。
「逃がすかぁっ! 猛虎高飛車!」
少女は足で追わずに、その場で構えをとって叫んだ。
すると、少女の手のひらから光の弾が出現し、老人めがけて飛んでいった。
「ば、ばかもん! そんな技を使ったら…」
さしもの老人も空中での回避は出来ないらしく、背中から光の弾に直撃した。
「ぬおーっ」
老人は勢いを付けて落下し、思いっきり地面に衝突した。
すぐにそこへおさげの少女がやってきて、老人の頭を踏みつける。
「ケッ、ざまあ見やがれ。」
「らんま、お主というやつは…」
老人はさっきまでの元気さからは考えられないほど細い、絶望に打ちひしがれたような声を出した。
「ワシが集めてきたスイーツを見てみるのじゃ!」
少女は老人を捕まえた今、彼の言うことなどどうでも良かったが、一応言われたように彼が盗んできた下着を確認した。
「あ。」
少女の表情が固まる。
それもそのはず。
本来取り返すはずだった女性もの下着は、彼女の猛虎高飛車という技によって大半が消し炭と化していたからだ。
「らんま、貴様の愚行のせいで、ワシの宝物がこのような無残な姿になってしまったのじゃぞ!」
さっそく責任転嫁をはじめる老人。
ちょうどそこへもう一人別の、ショートカットの少女がやってきた。
「らんまー、お爺ちゃん捕まえたの?」
「あ、あかねっ! これはそのっ!」
「どうしたのよ? 捕まえたかどうか聞いてるのに。」
ショートカットの少女は歯切れの悪いお下げの少女をけげんな顔で見る。
だが、奪還品の確認をした瞬間、それではすまなくなった。
「…らんま、何これ?」
ショートカットの少女の視線の先にあるものはバラバラになり焼けた布切れの一団だった。
かつて下着だったそれは、いまや誰の目からもゴミとしか認識されない。
「ワシは、みんなの下着を守ろうと必死で止めたんじゃ。しかしらんまの奴が破壊しおって…」
老人はその場で思いつく限りの方便で、話を摩り替えようとする。
ショートカットの少女はそんな老人の肩に、やさしく自分の手を乗せた。
「お爺ちゃん…」
そうやさしく呼びかけながらも、ショートカットの少女は徐々に肩をつかむ力を強め、老人に逃げられないように体制を整える。
そして、表情を変えて一言。
「寝言は寝ていわんかいっ!!」
ショートカットの少女は華麗に老人を蹴り上げて、地平線のかなたまで飛ばした。
「らんまももうちょっと考えて戦ってよね。」
ショートカットの少女は振り返ると、おさげの少女にも文句を言う。
「そんなこと言っても仕方ねーだろ、こっちはあのジジイを追い回すので手一杯なんだしよ。」
それに対して、おさげの少女は慣れた様子で反発した。
互いに本気で憎んでいるわけではない。
むしろ、こういう軽口を言い合える仲というのは、互いの信頼関係ができている証拠だろう。
そんな、いつものやり取りをする少女達を白い小動物が遠目に眺めていた。
(獅子咆哮弾に似た技だ。)
『それ』は思った。期待の新人の勧誘を巴マミに任せてまでこの風林館に来た甲斐があったと。
そして、お下げの少女の交友関係を知ることが出来たのも大きなメリットだった。
友人同士だと連れ立って魔法少女になってくれることも多いし、そうでなくともピンチの時には互いを守るために
契約してくれることがある。
『それ』にとって、契約を取るために友情を利用するのは常套手段の一つとなっていた。
**********************
川沿いのフェンスの上を、早乙女乱馬は歩いていた。
『彼女』の服は濡れていた。
たまたま帰り道に、近所のお婆さんの水撒きを頭からかぶってしまったのだ。
「せっかく女になったんだし、パフェでも食べにいこーかな?」
そんなことをつぶきながら、いつもの帰り道を行く。
「らんま、キミにお願いがあるんだ。」
突然、あどけない少年のような声が聞こえた。
不思議に思い、らんまは辺りを見回した。
すると、住宅の塀の隙間から、一匹の白い小動物があらわれた。
「ひゃあっ!?」
らんまは全身を震わせてやけにオーバーリアクションで驚く。
「ね、猫ぉ!? ち、近寄るんじゃねぇ!」
そして、へっぴり腰になりじりじりと後ずさった。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないか。キミに危害を加える気は無いよ。」
一方の白い小動物はたんたんとしゃべりながら、らんまとの距離を詰めようとフェンスに上り歩み寄る。
「ひぃっ、ば、化け猫!!」
らんまは恐怖でバランス感覚を失い、ついにはフェンスから足を踏み外した。
なんとかフェンスにしがみつくらんま。
白い小動物はそのすぐ上までやってきた。
「ボクはキュゥべえ。猫じゃないよ。」
キュゥべえと名乗るその小動物は猫との違いである耳を強調するように、斜め向きで言った。
「へ…? 猫じゃない?」
おびえる小ネズミのような目で、らんまはその小動物を見上げた。
「ハァー!ったく、びびらせやがって。猫じゃないなら最初に言えよ。」
らんまは腹の底からため息をもらした。
公園のベンチに大また開きでどっかりと腰をかけ、もう何も怖くないといった様子だ。
「清々しいほどの態度の変わりようだね。キミほどの猫嫌いは初めてだよ。」
「大きなお世話だ。」
ついでに言うなら、小動物がしゃべっていることにこれほど驚かないのもキュゥべえとしては珍しかった。
(武闘家というのは世間の常識から大きく外れた存在らしい。)
キュゥべえは響良牙というこれまたいろんな意味で常識外れの武闘家を思い出した。
「で、頼みってのは何だ?」
そう聞きつつ、らんまはキュゥべえが何者か推測していた。
こういう不思議な存在はおそらく呪泉郷がらみだろう。
もしかしたらこいつも『耳長イタチ溺泉』にでも浸かったのかもしれない。
だが、キュゥべえの頼みは全くらんまの予想外のものだった。
「ボクと契約して、魔法少女になってよ!」
「てめー、ぶん殴られてーか?」
脊髄反射的に、らんまは答える。
「わけが分からないよ。そんなに即答せずに少しは考えてくれても良いじゃないか。」
「うっせー、おめーなびきの客か同類だろ? オレは絶対あんなフリフリ着たりしねーからな。」
そう言いながら、らんまはあたりの様子を探った。
おそらく、こいつの正体はコスプレマニアか何かのオタクだ。
きっと、この小動物は良く出来たラジコンで近くに操縦者が隠れているに違いない。
らんまはそう結論付けた。
「ボクはなびきという人を知らないし、衣装を着てもらうことが目的ではないよ。」
キュゥべえは弁解するが、らんまはいかにも疑わしいといった表情でその顔をしかませる。
「それに、タダで魔法少女になってくれなんて言わない。魔法少女になってもらう見返りに何でもひとつだけ、
キミの願いを叶えてあげることが出来るんだ。」
『何でも叶えられる』、その言葉にらんまは反応してしまった。
叶えたい願いはある。本当にこの小動物にその願いを叶えられるとは思えないが、万が一を期待して、らんまは言ってみた。
「なんでも? それじゃ、いますぐオレを完全な男にしてみせろ。」
疑い半分…どころか9割が疑いだが、それでもらんまの表情は真剣だった。
「あー、それは無理だね。」
しかし、あっさりと否定され、らんまはガクッと力が抜けた。
「全然、『なんでも叶える』になってねーじゃねーか!」
「技術論で言えば可能だよ。でも、男になるということは魔法少女になるという条件を踏み倒す気満々じゃないか。
そうでなくても、男になったら魔法少女としての資質が大幅に下がってしまう。それじゃ、ボクとしては契約を
結ぶ意味が無いよ。」
キュゥべえは願いを叶えられない理由を説明する。
てっきり『現実的な願いで頼む』とか『整形外科に行ってくれ』とかそういう返しが来ると思っていたらんまは、
『技術論で言えば可能』という言葉に不気味さを感じた。
キュゥべえの言い分では、まるで説明に上がった悪条件さえなければ本当にらんまを男に変えてしまえるみたいではないか。
(いや、どうせハッタリだ。)
らんまは自分にそう言い聞かせ、キュゥべえの話に乗らないことにした。
「そんじゃ、あいにくだったな。オレは他に叶えたい願いなんてねーんだ。とっとと帰りな。」
「そうか、わかった。ボクも無理強いはできない。残念だけど、他をあたることにするよ。」
キュゥべえはやけに諦めよくそう言うと、ベンチから降りて公園をあとにした。
「…なんだったんだ、あいつは?」
一人残されたらんまは半ば呆然とつぶやいた。
結局最後までラジコンを操っているような人影は見当たらなかった。
********************
男は大型トラックを止めて、高速のサービスエリアに入った。
高速道路から降りれば、この25tトラックを止められるような場所はなかなか無い。
また高速に戻ってくるまでの、最後の息抜きを済まさなければならない。
男はそそくさと用を足すと、タバコと夕刊を買ってトラックに戻った。
まだ予定到着時刻まで多少時間がある。男はタバコを吸って時間をつぶした。
そして、そろそろ出発しようかと思ったとき、灰皿がひっくり返ってしまった。
(なんでひっくり返ったんだ?)
自分の体は触れていないし、車はエンジンを切っているので振動もしていない。
男は不思議に思いながらも、灰皿を元に戻し落ちた灰を雑巾でふき取った。
そんなことをしていたおかげで、結局出発は時間ぎりぎりになってしまった。
高速を降りたら住宅地を抜ける。
住宅地は子供やお年寄りがよく通るので注意しなければいけない。
とくに、この時間は近所の高校の下校時間とかぶっていることを男は知っていた。
国道も狭い住宅地の中では左右1車線になり、道幅も縮む。
荷物を満載した大型トラックではどうしてもスレスレで人や物にぶつかりそうになる。
男は慎重に速度を下げ、女子高生が渡ろうとしている横断歩道の前で止まろうとした。
が、男がアクセルから足を離したのにもかかわらず、なぜかトラックは加速した。
「なんだ!?」
男は足元に目をやる。
すると、白い猫…のような生き物が前足で思い切りアクセルを踏んでいた。
「こいつ、どっから?」
男はその『猫』を蹴飛ばそうとするが、『猫』は飛び上がって男の蹴りをよけ、そのまま男の顔面にはりついた。
「うわっ、やめろ!」
男はあわててブレーキを踏むが、それがかえって仇となった。
急加速の後の急ブレーキでトラックは完全にバランスを失い、勢いよく歩道に乗り出して横転した。
*******************
「あかねの奴おそいなー」
乱馬は夕飯の席でつぶやいた。
「今日はバレーの助っ人だったわよねぇ。あの子、祝勝会でもやってるのかしら?」
天道家長女の天道かすみが言う。
三女のあかねが帰ってこない、そのためこの大家族は食卓の前で『待て』の状態を続けている。
「それじゃ、もう頂いちゃおうか?」
あかね・なびき・かすみの三姉妹の父・天道早雲も空腹に耐えられず、ゴーサインを出そうとした。
「まって。今日はただの練習のはずよ? 祝勝会なんてあるわけないじゃない。」
はやる父親を次女のなびきが制した。
「ホントかね、なびきくん? そうだとすれば探しに行った方が良いんじゃないか?」
早乙女乱馬の父にして天道家居候の早乙女玄馬はさっそく探しに行こうと立ち上がる。
つられて早雲も立ち上がって探しにいこうとした。
「こういう事があるからさぁ、携帯ぐらい買ってって言ってるのに。」
なびきがぼやく。
「そうは言ってもねぇ、なびき。うちの稼ぎじゃこの人数養うので精一杯なんだよ?」
早雲のその言葉に、玄馬と乱馬は居心地が悪そうに目をそむけた。
その時、電話が鳴った。
すぐにかすみが応対する。
「…ええ。はい。え? あかねが? はい。わかりました。」
なにやらあかねに関する電話らしい。一同はかすみに注目した。
かすみには似つかわしくない、いつになく緊迫した声だ。
そしてかすみの受話器を持つ手が震えている。
ただ事ではないことを、居間にいた全員が理解した。
電話を終えたかすみはゆっくりと振り返った。
「お父さん、みんな、落ち着いて聞いてね。あかねが―
**********************
天道あかねは、包帯にまかれてミイラのような状態で病室に置かれていた。
「嘘だろおい、これがあかねだっていうのかよ…」
そんなはずはない。
乱馬少年は目を、耳を、そして現実を疑った。
あのあかねが車にはねられたぐらいでこんなことになるなんて、とても信じられなかった。
確かに、天道あかねの頑丈さには医者も驚いていた。よくぞ生きていたものだと。
「彼女なら、軽自動車ぐらいは軽い骨折で済んだのかもしれません。」
医者は言うべきかどうか悩むそぶりを見せたが、やがてきりっと前を向いた。
「大型トラックの直撃を受けて生きているのはもはや奇跡です。どうかみなさん命があったことを―」
「ふざけんじゃねぇ!あれが生きてるって言えるのかよ!」
乱馬は医者のむなぐらをつかんで言葉をさえぎった。
「あかねはなぁ、意地っぱりでぶきっちょで可愛くねーけどな…あかねは、あかねは、もっと騒がしくて、わがままで!!」
医者は沈痛な面持ちで視線を下げた。
なんで、こんな時にでも悪口しか出てこないのだろう。
もっと伝えたい言葉は他にあるはずじゃないか、こんな事になる前に言いたい事はもっとあったじゃないか。
乱馬は医者をつかんでいた手を離し、あかねに近寄った。
『それ』は指の一本も動かない。
ただ、呼吸のためにわずかに腹部が大きくなったり縮んだりするのを繰り返しているだけだ。
あかねであったそれは、もはやただの置物にすぎなかった。
『乱馬のバーカ! 変態!』
あかねを思い出そうとしても、ひどい言葉しか思い出せない。
「ははっ、そーだよな、考えてみたらくだらない喧嘩ばっかしてたよな、俺達。」
そのくだらない喧嘩が、どれほどかけがえのない時間だったのか。
ただの置物と化したあかねを目の前にして、ようやく乱馬は気付いた。
その時間は二度と帰ってくることは無い―
魔法か、奇跡でもない限り。
乱馬は遠い目をして窓の外を見た。
赤い夕日は自らの滅びを受け入れるように、悠然と沈んでいっている。
それはまるで、この無常を受け入れろと乱馬に迫っているように見えた。
(そんなこと、できるかよ…)
そうだ。
こんな結末、受け入れられるはずもない。
今までだって、奇跡みたいなことや信じられないことをたくさん起こしてきたじゃないか。
今回だって、何か方法があるはずだ。
医者が無理だと言ったぐらいで諦めてたまるか。
乱馬は諦観を押し付けようとする赤い夕日をキッとにらみつけた。
すると、ふいに視界のはしを白い小動物が横切った。
(あれは!?)
乱馬には、たしかに見覚えがあった。
一見猫のように見えるが、異常に長い変な耳が歴然とその違いを主張している。
(『何でもひとつだけ、キミの願いを叶えてあげることが出来るんだ。』)
あいつの言葉が乱馬の脳裏によみがえる。
また、適当な理由をつけて願いを叶えないのかもしれない。
あとでとんでもない見返りを請求されるのかもしれない。
それでも、万が一にでもあかねが助かるのなら、なんの迷いがあるだろうか?
乱馬は急いで走り出した。
途中、病院のトイレの蛇口で水をかぶり、女に変身する。
男の状態ではキュゥべえが契約を結んでくれない可能性があるからだ。
そして、すぐさま病室の中からキュゥべえが見えた場所へ向かった。
「どうしたんだい?そんなに血相を変えて?」
らんまがやってくると、待ち構えていたかのようにキュゥべえは声をかけた。
「しらじらしいぜ。オレが来るのを待って、あかねの病室のそばに居たんだろ?」
らんまは踏みつけそうなほどにキュゥべえに近づいた。
「キミはボクの姿を病室の窓からみたんだね?」
「それがどうした?」
「いや、なんでもない。」
そう言ったものの、キュゥべえは不思議に思った。
キュゥべえ自身はおさげ髪の少年(もしくは青年)にしか姿を見せた覚えが無いのだ。
この赤髪の少女はキュゥべえの姿を見ることはおろか、あかねの病室にも入っていないはずだ。
それなのに、おさげ髪の少年に姿を見せたところ、この少女がやってきた。
しかも、少年と同じ服装で。
(おそらくは、早乙女らんまは響良牙と同じ変身体質。それも男女の変身だね。)
キュゥべえはほぼ確信を抱いた。
しかし、わざわざここで本人に確認をとったりはしない。
今から魔法少女として契約してもらおうというのにそれを知っていたとすれば、後々不信の原因になるだろう。
知らなかったことにした方が何かと都合が良い。
「そんなことより、おめーに叶えてほしい願いがある。」
「なんだい? この間の願いはナシだよ。」
もちろん、らんまの願いが何かは分かっている。
それでもキュゥべえはしらをきった。
なるべく、誘導されたという印象を与えず、自分の意思で決めたと思わせなければならない。
そうでなければこれまた後々の不信につながるし、誘導された願いではどうしても魔法少女としての力も弱くなる。
「てめー! この状況でオレの願いが分かんないのかよ!」
らんまが激昂する。
「ボクには人間の考えは分からないよ。ちゃんと、キミの願いを口に出していってくれないと叶えることもできないしね。」
また適当にはぐらかされるのかと思い、らんまはますます憤った。
「うるせぇ! 何でも叶えられるなら、あかねを…天道あかねを治してみろよ! 事故の前みたいに不器用で、
意地っ張りで、かわいくねー元のあかねを返してくれよ!」
らんまはキュゥべえをつかみ上げ壁に押し付け、ヤンキーがカツアゲでもするような体制で願いを言った。
しかし、キュゥべえはみじろぎもせず、平然とその何を考えているのか分からない顔をらんまに向ける。
「契約したら魔法少女になって魔女と戦わなきゃいけないんだけど、それは構わないのかい?」
「妖怪退治は武闘家のつとめだ。その程度構うかよ!」
らんまはキュゥべえを壁に押し付ける力をさらに強める。
早くしろとせかしているのだ。
キュゥべえは、やれやれと呆れたような態度を装ってから、おごそかに口を開いた。
「おめでとう、キミの願いはエントロピーを凌駕した。」
その言葉と同時に、らんまは急に体全体が痛くて熱いような感覚におちいり、力なくキュゥべえを手放す。
そして、らんまの体の中から光に包まれた緋色の宝石が生まれ出て宙に浮かんだ。
「受け取るといい、それがキミの運命だ。」
らんまはその宝石をわしづかみにするように右手につかんだ。
不思議と体の痛みが治まり、同時に宝石を包んでいた光も消えていく。
「…これは?」
「それはソウルジェムと言うんだ。これかららんまには、このソウルジェムを使って魔法少女に変身して
魔女と戦ってもらうよ。」
「ふーん」
らんまは興味なさげに言った。
「そんなことよりも、あかねは本当に治ったんだろーな!?」
「キミの魔力とあかねの重症具合だと一瞬で全快ってわけにもいかないけど、一週間もすれば完治だと思うよ?」
キュゥべえはけろっと『完治』という言葉を出した。しかもたったの一週間で。
医者がよってたかっても生命維持がやっと。意識を取り戻す可能性すら無いと言っていたのに。
らんまはまだ魔法少女について説明したげなキュゥべえを無視してあかねの病室へと駆け出した。
力任せに扉を開け、上履きで強引に走り、息を切らしたまま病室のドアを開ける。
「あかねぇ!」
看護士の制止をふりきり、むりやりにあかねのそばに行く。
あかねはただただ静かな吐息をもらしていた。
ふと、その吐息の中に小さなノイズが混ざる。
「…ら………」
そのほんの小さなサインに反応し、らんまは叫んだ。
「オレだ、あかね、分かるか!?」
その言葉に反応して、ゆっくりだがはっきりと、あかねは口にした。
「…ら……ん…ま……」
*************
「お医者さんの言うには奇跡か魔法みたいだってさ。」
そう言って、冷静を装うなびきの目にも泣きはらして充血した赤さや、涙が乾いた跡がはっきりと見て取れた。
「まさかもう意識を回復するとは、さすがに天道くんの娘だ。こりゃ一週間もすれば全快かも知れん。」
玄馬は早雲の肩を持って、明るく言って見せた。
「しゃおつめくん、ぽくわ、ぽくは…っ!」
その早雲は、さっきから涙が流れっぱなし、鼻水もたれっぱなしで、もはやまともな日本語も話せない。
「なーに、あかねちゃんが回復したら二度とこんなことにならないようにワシが闘気吸引のツボを…うごっ!」
「やめな、ジジイ!」
八宝斎が余計なことをしようとするのでらんまは遠慮なくぶん殴った。
「でも、本当に良かった。」
ここでようやく、警察や医者・病院との対応を冷静にこなしていたかすみの目から涙がこぼれた。
なんて、芯の強い人だろう。らんまは素直にそう思う。
かすみは人一倍やさしくて情が深いはずなのに、今の今までみんなの混乱が大きくならないように涙をこらえていたのだ。
(本当に、これでよかったんだよな…)
魔法少女になってしまったこと。その対価として奇跡を買ったこと。不安がないといえば嘘になる。
しかしらんまはこの風景を見て思う、後悔なんてあるわけが無いと。
「それじゃ、オレは風呂入ってくるぜ。」
らんまはそう言って居間を後にし、風呂場に向かった。
あわただしくて自分自身でもすっかり忘れていたが、病院で水をかぶってからずっと女のまんまだし、
水に濡れてから乾いた服がちょっと気持ち悪い。
(熱いシャワーでも浴びて、今日は何日かぶりにすっきり寝るか。)
乱雑に服を脱ぎ捨てて風呂場に入り、らんまはシャワーの栓をひねる。
湯気と共に大量のお湯があふれ出し、らんまの体全体を覆った。
柔肌をすべるように流れるお湯が感覚を刺激して心地良い。
(そーいや、あんまり熱いシャワーはお肌に悪いってあかねがいってたかな?)
一応、女だし、多少は気をつけてみるかとらんまはシャワーの温度を下げた。
「え?」
ふと、違和感をいだき、らんまは自分の腕を見てみた。乙女の柔肌が若々しい張りでお湯をはじいている。
胸を見た。ふたつの大きなふくらみはクラスの女子と比べてもトップクラスだろう。
そして、股間部には男子としてあるべきものが存在していない。
「な…あ…ああ……なんじゃこりゃぁーっ!!」
らんまの絶叫が風林館にこだました。
「乱馬くん、静かに。近所迷惑でしょーが。」
居間から聞こえるなびきのお叱りも、今のらんまには全く聞こえはしなかった。
~第4話 完~
~第5話~
『♪味ないな 和えたいな 切れないな このキムチ♪』
『♪胃痛いの 癒えないの 終電逃してばかり♪』
軽快な音楽が流れる。
『♪だって だって 手羽先揚げフライで♪』
『♪からしレンコン アルコール依存したい♪』
そのリズムに合わせてモニターの中の映像が移り変わる。
『♪ほら ラオチュウ パイチュウ ピーチュウ ショウチュウ 飲んで♪』
『♪こっちを向いて 酒だと言って♪』
映像はみんなフリフリの衣装を着たらんまだ。
『♪そう rice to meat you good to sea food きっと♪』
『♪私のお酒あなたのレバーに飛んで飛んで飛んでいけー♪』
『♪ウコン汁♪』
画面の中でらんまは振り返ったり、ピースしたり、ウインクしたり、楽しそうに跳ね回っている。
(どうしてこんなことに…)
当のらんまはこの映像作品をただぼうぜんとして眺めていた。
「いやぁ、我ながらうまく出来たもんねぇ。これなら売り上げ倍増間違いなし!やったわね、らんまちゃん。」
そんならんまの肩をたたきながら、なびきは満面の笑みで言った。
「ボクとしては、できればこういう風に目立つのは止めて欲しいんだけどね。」
キュゥべえはなびきに反発するが、なびきは全く気にする様子も無い。
キュゥべえに実力行使に出られるような直接的な力が無いことをすでに把握しているのだ。
「いーじゃない、減るもんじゃなし。…にしても、あんたホントにカメラに写んないのねぇ。」
「ああ。カメラはもちろん肉眼でも普通の人には見えないよ。本来はキミにも見えないけれど、
いちいち乱馬に言葉をとりついでもらうのも時間の無駄だから姿を現しているんだよ。」
なびきのふとした疑問にキュゥべえは答える。
「面倒くさい。後ろめたい事が無いなら普段からずっと姿を見せとけば良いじゃない。」
「それは―」
キュゥべえは何か答えようとするが、なびきはその言葉は別に返答を求めているわけではないらしく、
そそくさとパソコンに向かって動画の編集作業の続きを始めた。
一方、らんまはまだ立ち直れない。
「…ああ、オレがここまで落ちるなんて。」
「何言ってんのよ。らんまくんははじめっから落ちるほど高いトコに登ってないわよ。」
なびきは傍若無人に言い放つ。こんなことになったきっかけはつい昨日にあった。
**************
「―そうか、乱馬は変身体質だったのか。」
夜遅く、天道道場の瓦屋根の上でキュゥべえは言った。
「ああ。そこだけでもどうにか元に戻してくれねぇか?」
らんまの言葉にキュゥべえは首を振る。
「残念ながらそれはできない。魔法少女になった時点でキミの体は変化をしているんだ。
前の状態に戻すなんて能力はボクには備わってないよ。」
「…変化?」
らんまは気味悪そうに自分の体を見下ろした。
「魔法を使って魔女と戦うための必要最低限の処置だけどね。
たぶんそのせいで契約を結んだ時点の姿で固定されてしまったんだと思うよ。」
「だったら、男の姿で契約したらそのまんまずっと男でいられたってことか?」
「おそらくはね。」
キュゥべえはそこは否定しない。
「でも、よほど素晴らしい素質がない限りボクは男とは契約しないから、
どちらにしろ乱馬は契約で完全に男に戻ることは出来なかった。」
だが結局はダメだったらしい。
考えてみれば、「男にしてくれ」という願いがダメならば男のまま契約を結ぶことも
また出来ないのは当然だろう。
「どうしようもねぇのは分かったけどよ、何で体を変化させるなんて大事な事を今まで言わなかったんだ?」
らんまはキュゥべえのことをもともと胡散臭いとは思っていたが、今回のことでより不信感を強めていた。
「それは心外な言葉だね。」
しかし、キュゥべえは堂々と開き直る。
「キミが黙っていなければ今回のことは避けられた事態のハズだよ。
むしろ、ボクにはキミがあわよくば契約の対価を踏み倒そうとしていたように思えるんだけどね。」
これにはらんまも痛いところをつかれた。
確かに黙っていたのはらんまの側も同じなのだ。
契約を結ぶためにわざわざ女になった以上、「本当は男です」などという言い訳が通用するはずもない。
その上、キュゥべえが言うようにあわよくば踏み倒せるという考えも無かったわけではない。
「ば、バカヤロー。オレがそんなせこい真似するかよ!」
図星だったのを隠そうと、らんまは虚勢を張る。
「オレの言いたかったのは、今後はそういう情報の行き違いを無くそうって話だ。」
「それはボクからもぜひお願いするよ。」
結局、らんまは男に戻るどころか、現状維持のままよくわからない妥協までしてしまった。
「それじゃあ、早速だけど今からボクの説明にしたがって魔法少女の仕事を実際にしてもらうよ。」
そんならんまの心情を知ってか知らずか、キュゥべえはケロリとして言った。
そろそろ本題に入ろうといった風情だ。
「おう。」
らんまは腕をならしながら答える。
魔法少女になったこと自体はやむをえない事情に流されたに過ぎない。
しかし武闘家の本能ゆえ、らんまは『魔女』とやらとの戦いをそれなりに楽しみにしていた。
「まずはソウルジェムを取り出して―」
「ああ、取り出したぜ。」
「それを高く掲げて―」
「こうか?」
「そうそう。そして、自分の思う魔法少女をイメージしてみて。」
「うーん、魔法少女か…」
らんまは少女アニメの類など見たことがない。
魔法少女というものに関しては、なびきの商売のためにコスプレさせられそうになったり、
クラスの女子やオタクな男子が持っているアイテムを垣間見て得た知識しかないのだ。
らんまは乏しい情報をもとに精一杯頭の中で魔法少女というものを描いてみた。
すると、ソウルジェムが光を放ち、その光がらんまをつつんだ。
「おおお、これはっ!?」
やがて光が服の形を成していった。
その服装は真っ赤なゴスロリ風衣装となった。
「恥ずかしがっていたわりにはなかなか派手だね。」
キュゥべえの言葉にうながされたように、らんまは自分の格好を確認した。
「は、派手すぎるだろ、いくらなんでも!」
「ボクじゃないよ。らんま、あくまで君の中のイメージが具現化したに過ぎない。」
らんまの責めるような視線に、キュゥべえは冷酷な事実を告げた。
「残念ながら一度変身後の姿を決めたら簡単には変えられない。
当分の間、その姿で戦ってもらうことになる。」
らんまは大きくうなだれた。どうしてこんな格好を想像してしまったのか。
言われたままに素直に魔法少女を想像したのがそもそもの過ちと言うべきだろう。
カシャッ
その時、らんまの背後からカメラのシャッター音が鳴った。
「へ?」
音のしたほうに、らんまが振り返り、キュゥべえも視線を向ける。
「乱馬くん、そんな趣味を持ってたなら早く言ってくれたらよかったのに。
最近は単純に露出が高いのよりもその手の写真が良く売れるのよねぇ。」
そう言って現れたのは、ショートボブの女子高生、天道家次女のなびきだった。
「キミは…?」
キュゥべえがなびきに近づく。
「あら、そんなところに猫が。っていうかしゃべってる。」
なびきはキュゥべえの存在に大した驚きは見せなかった。
彼女もまた非常識には慣れっこらしい。
「あたしは天道なびき。乱馬くんの義理の姉にあたるわ。あんたは?」
「ボクはキュゥべえ。魔法少女を作るのがボクの仕事さ。」
「魔法少女?」
なびきは不思議そうな顔をする。
「キミもボクと契約して魔法少女になってくれかい?
魔法少女になってくれるなら何でもひとつ、願いを叶えてあげられるよ。」
「何でも…ですって!?」
「あんまり信じねー方が良さそうだぜ?」
欲望を刺激されたなびきにらんまが注意する。
なびきはあごに手をあて、考えるしぐさをした。
「そうね、魔法少女っていうのが何をするのか分からないし、簡単にオーケーっていうのは難しいわね。」
「それなら、ちょうど良かった。
今かららんまに魔法少女として初仕事をしてもらうところだからなびきも付いてくれば良い。」
渡りに船、とばかりにキュゥべえは提案した。
「え? なびきを連れてくのか?」
らんまは露骨に嫌そうな顔をした。
なびきが性格的にやっかいだというのもあるが、それ以上にあかねの為に契約したということを知られたくなかった。
「そうね。お願いするわ。」
「それじゃあ、決定だね。」
しかし、らんまを無視して話はとんとん拍子で進んだ。
**********************
「―こういう風に裏路地とかで魔女を探すんだ。」
「なんだかけっこう地味ねぇ。」
「しっかし本当に魔女なんているのかよ?」
らんまとキュゥべえとなびきは町内を循環していた。
らんまのソウルジェムに反応は無い。
「この辺りは住宅地だからね。繁華街と比べれば魔女のエネルギー源になる負の感情は少ないのかもしれない。」
「もうちょっと絵的に映えるシーンを撮りたいんだけどさぁ、どうにかならないの?」
たんたんと解説をするキュゥべえ。一方なびきはカメラをらんまに向けながらつぶやく。
「なびき、お前絶対勘違いしてるだろ?」
そんなやりとりをしつつ、歩いているとようやくソウルジェムに反応が出てきた。
「光り方が変わった?」
「らんま、これは近いよ、気をつけて。」
「らんまくん、こっち向いて。戦いの前の緊張した顔でアップ撮るから。」
そんなことを言っている間にも、まわりの風景が変化しはじめる。
ピンクやうす黄色のパステルカラー中心の空間。
ありとあらゆる場所にレース風の模様がついている。
「な、なんだこりゃ!?」
これには流石にらんまとなびきも驚いている様子だった。
「これが結界さ。らんまの魔力が魔女を刺激したんだろう。…さっそく使い魔が来たよ。」
キュゥべえはそう言って結界の奥に顔を向けた。
らんまとなびきがその方向を振り向くと、この世の生き物とは思えない何かが歩いてくる。
「…おい、これって。」
「うわぁ、まるでお爺ちゃんの頭の中みたい。」
近づいてきた使い魔は、二種類いた。
ひとつはヒモを脚にして歩いてくるブラジャー、もうひとつは翼の生えたパンティーだった。
「おそらく、女性用下着に執着する人間の邪念に反応して変質した魔女だろう。
魔女の性質そのものを変えてしまうなんて、よほどの執念だね。」
この異常な風景にも、キュゥべえは臆することなく解説を続ける。
「その邪念の持ち主に思い当たるのが嫌なところね。」
なびきが呆れ気味に言った。
「ああ。そういや、この間ジジイが盗んだ下着を潰しちまったのはこの辺だったな…」
らんまも露骨にテンションが下がっている。
「こんな使い魔でも人死にかかわるかもしれないんだ。油断はできないよ。」
「はいはい、倒せばいいんだろ?」
キュゥべえはあくまで緊張を保とうとするが、もはやらんまはやっつけ仕事の雰囲気だ。
案の定、らんまのパンチやキックで使い魔たちは簡単に倒されていく。
「…らんまくん、魔法少女になったのよね?」
らんまが戦っている間、なびきがキュゥべえに質問する。
「そうだよ。」
「でも、魔法使ってないじゃない。」
「あれはあくまで使い魔だからね。魔女が現れたら魔法を使わざるを得ないよ。」
「うーん、それはいいんだけど絵的にねぇ。」
なびきはカメラを回しながら肩をすくめた。
そうしている間にも、らんまは使い魔をあらかた片付けた。
「よし、魔女に逃げられないうちに結界の奥に進もう。」
キュゥべえが先導する。下着模様の迷宮の中をらんまとなびきが付いていった。
結界の最深部に、それはいた。
巨大な黒タイツとガーターベルトが2対、逆向きに合わさって四足のクモのような形になっている。
そのタイツの中には何も入っていないにもかかわらず、着用されているかのように脚の形を保ち、
2つのガーターの接合部分の上には黒いブラが乗っかっていた。
魔女はらんまたち一行に気が付くと、ブラがカエルのまぶたのように開き、中から真っ赤な目玉が現れた。
「うわぁ…キモチ悪い。」
なびきがつぶやいた。
グロテスクさの中に、『ジジイ』こと八宝斎の偏執狂ぶりがふんだんに盛り込まれている。
らんまとなびきにとっていろんな意味で常軌を逸した存在だった。
それでもらんまは臆することなく飛び蹴りで魔女に向かっていった。
しかし、魔女は軽いステップでいとも簡単にらんまの蹴りをかわし、
防御のしにくい着地のタイミングを狙って蹴り返してきた。
「ぐわっ!」
らんまはまともに蹴りを食らい、壁まで飛ばされ叩きつけられた。
「くっ…こいつ!」
「らんま、魔法を使うんだ。魔女には格闘技だけでは勝てない。」
キュゥべえがアドバイスを加える。
だが、らんまは格闘技を馬鹿にされたように思え、かえって意固地になった。
「くそ、無差別格闘流を…オレをなめるんじゃねぇ!」
今度はさっきよりも高く飛び、魔女の真上に出る。
(四つ足じゃ、真上からの攻撃にゃ対処できないはずだ。)
そう思っての作戦だった。
しかし、魔女は前足を人間のように直立状態、後ろ足を逆立ち状態になって立ち上がった。
「な、しまっ…」
そう言っている間にもらんまは逆立ち状態になっている魔女の脚に挟まれ捕まってしまった。
「もしさぁ、魔法少女になったらあたしもあんなのと戦わなきゃならないの?
らんまくんがあんなに苦戦する相手じゃちょっと自信ないわねぇ。」
観戦中のなびきは驚きもせずに、平然とキュゥべえに質問をする。
「大丈夫。魔法を使えばあの魔女にだって勝てるし、なびきもらんま以上に強くなれるかもしれない。」
「ふーん。」
キュゥべえは強さへの憧れを刺激するように煽るが、なびきは無感動に相づちをうつ。
「これなら、どうだ!!」
魔女の脚にはさまれてなかなか抜け出せないらんまは奇策に出た。
なんと、いきなり自分のスカートを大きくめくったのだ。
魔女の目がらんまの下半身に釘付けになる。
しかし、らんまのはいているのは男物のトランクスだった。
トランクスを目の当たりにした魔女は、突如苦しみだし、脚をたたんで丸くなった。
魔女の邪念の元になっている八宝斎は、男性物下着は大嫌いなのだ。
その性質を、この魔女は受け継いでしまっていた。
魔女が脚を離すと同時に、らんまは飛んで魔女から距離をとった。
「接近戦がダメならこれでどうだ、猛虎高飛車!」
らんまは着地と同時にすかさず闘気技をくり出す。
「残念だけど、獅子咆哮弾の類似技では魔女は倒せない。」
キュゥべえがつぶやく。
その言葉になびきは思った。
(この子、良牙くんの知り合い? それでらんまくんに目を付けたのかしら?)
猛虎高飛車の光の塊を食らった魔女は全身が燃え上がりあっけなく姿を消した。
「倒せてるわよ?」
「あれ?」
キュゥべえは首をかしげてみせた。
んなことを言っている間にも、パステルカラーの魔女空間はいつの間にか普段の夜空に入れ替わっていた。
「へっ、魔女がどんなもんかと思ったけど、オレの前じゃ敵じゃねーな。」
らんまは堂々と胸を張る。
「けっこう、苦戦してたじゃない。」
冷静につっこむなびきにらんまはバツの悪そうな顔をする。
そんならんまにキュゥべえが近づいていった。
「らんま、あの技は一体?」
「ああ、あれは猛虎高飛車って言ってな。強気とか勝気を闘気に反映させて気を膨らませる技だ。」
らんまの答えにキュゥべえはしまったと思った。
強気や勝気なら魔女の「絶望」とは真逆と言って良い、非常に強い正の感情エネルギーだ。
たしかにそれなら魔法の攻撃でなくても魔女に大ダメージを与えられるだろう。
(でも、ボクは負の感情エネルギーを吸収するようにできてるんだよなぁ。)
もしかして、らんまを魔法少女にしたのは失敗だったのではないか。
早くもキュゥべえはそう思いはじめていた。
(いや、魔女を倒すのが上手い魔法少女はグリーフシードの回収役として役に立つ。)
そう考え直し、キュゥべえは今回の魔女がグリーフシードを落としていないか探した。
「らんま、なびき、これを見て。」
早速発見し、キュゥべえはらんまとなびきを呼んだ。
そこにはトゲの生えた小さな玉のようなものがあった。
「これはグリーフシードと言って、魔女を倒すと手に入るんだ。」
「『手に入る』って、何かに使うのか?」
らんまは素朴な疑問を口にする。
「ああ。魔法を使うとソウルジェムにけがれが出てくる。グリーフシードはそのけがれを吸ってくれるんだ。
つまり、使った分の魔力を回復してくれるアイテムと考えてくれていい。」
「なるほど。」
そう言ってらんまは自分のソウルジェムを取り出してみた。
全く魔法を使っていないので、透き通るようなきれいな緋色をしている。
「…よく分からないけど、けがれてるのかしら?」
「いや、全然。」
「じゃあ、今回は使わなくていいわけか。」
そう言ってらんまはグリーフシードをポケットに入れた。
「そうだね。グリーフシードはけがれを吸いすぎるとまた魔女を発生させてしまう。
だから、ある程度使ったらボクを呼んでほしい。
けがれを吸ったグリーフシードを回収するのもボクの役目なんだ。」
説明しながらもキュゥべえは思った。
らんまは魔法を使わなくてもたいがいの魔女は倒せてしまうだろう。
そうすると、グリーフシードの使用はどうしても少なくなる。
だとすれば、十分にけがれを吸ったグリーフシードをらんまから回収することは困難になってしまう。
(やっぱり、らんまを魔法少女にしたのは失敗だった。
仕方がない、ここはらんまをきっかけに魔法少女を増やして…)
そう考え、キュゥべえはなびきに言った。
「さて、なびき。魔法少女についてある程度理解してもらえたと思うけど、キミも契約してくれるかい?」
「あー、あたしやっぱやめとく。」
しかし、なびきはあっさりと断った。
「叶えたい願いはないのかい?」
キュゥべえは食い下がる。
「一生あんなのと戦わなきゃならないなんてさぁ、どんなお金持ちになってもワリに合わないわよ。」
なびきはかたくなに断る。
(なびきのやつ、始めっから契約する気なんてなかったな。)
らんまは直感的にそう思った。何が目的かは分からないがなびきはそういう嫌らしい奴だ。
「そうか。残念だけど無理強いはできない。まだらんまにはフォローが必要だからボクはしばらくこの辺りに居る。
また気が変わったら言って欲しい。」
「そうね。変わればね。」
いかにも軽薄な言い方でなびきは答えた。
らんまの魔法少女初日はこうして終わった。
***************
翌日放課後、なびきはキュゥべえが居ないことを確認して、自室にらんまを呼んだ。
天道家の面々や玄馬からはまたいかがわしい撮影でもされるとしか思われない。
しかし、なびきはいつになくシリアスだった。
「らんまくん、もしかして男に戻れなくなったのって魔法少女になったから?」
「え? あ…ああ。」
そんななびきに圧され、つい聞かれるがままらんまは答えてしまう。
「それで、らんまくんは何をキュゥべえにお願いしたの?」
なびきの表情は険しい。
「そ、それは…」
『あかねのために』なんて答えられない。
それを言ってしまえば天道家全体に、そして誰よりもあかねに大きな負い目を負わせてしまうことになる。
だが、答えられないのがかえって答えになってしまった。
「あかねでしょ。」
「うっ!」
なびきとて確信まではないはずだ。
しかし、らんまの歯切れの悪さや動揺が『それが正解です』と言ってしまっている。
「…やっぱり。まあ、あたしとしてはらんまくんに『ありがとう』って言わなきゃね。」
「ちょっと待った、これはあかねには…」
「分かってるわよ。こんなことあかねにもお父さんにも言えやしないって。」
どうやら、らんまの思考パターンはなびきには読まれているらしい。
「でもさ、らんまくんは当然、いまのまま完全に女の子になっちゃうのは嫌よね?」
「あたりめーだ。とりあえず、シャンプーとこの婆さんにでも相談してみるさ。」
「それも良いけどさ、あたしに策があるわ。もし男に戻りたいなら乗ってみない?」
なびきは表情を軽くしてウインクしてみせた。
らんまは思案した。たしかになびきは悪知恵に関してはなかなかのものだ。
自信を持って『策がある』とまで言っているからには試してみる価値はあるかもしれない。
「マジか? 何かアテがあるなら頼む!」
らんまは力強く答えた。
「その意気やよし! それじゃあ、まず魔法少女に変身してみて。」
「ああ、えーっとソウルジェムを出して…」
まだ慣れていないらんまはガサゴソとポケットを探し、ポーズもとらずに変身する。
「んー、魔法少女の変身ってさ、もうちょっと色っぽくして欲しいかな。」
「そんなのどうだって良いだろ。」
「まあいっか、それじゃ、笑顔でこっち向いてー。」
そう言ったなびきの手にはカメラが握られていた。
「おいこらまて、なんで撮影する?」
話が違う。らんまは今の完全女状態から抜け出すために話に乗るといった。
それなのに、なぜなびきの小遣い稼ぎの撮影をさせられているのか。
また騙されたと、キレ気味のらんまに対して、なびきはチッチッチッと指をふってみせた。
「分かってないわねぇ。これが男に戻るための作戦よ。」
「んなわけあるか、こんにゃろう!」
「まーまー、落ち着いて聞きなさい。あのキュゥべえってのちょっと胡散臭いでしょ?」
「…ああ。」
らんまは控えめに同意した。
キュゥべえは一応あかねの命の恩人であるはずだから、悪く言うのには同意すべきでない。
しかし、どうにも胡散臭く感じている自分も否定し切れない。
なにより同意もとらずに人の体を変化させるというのはとてもマトモな相手とは思えなかった。
「だからさ、ゆさぶりをかけてみるわけよ。
できるだけキュゥべえの嫌がりそうなことをして、反応を見てみるの。
上手く行けば『お前なんか魔法少女失格だ』なんて感じでさぁ、元に戻れるかもしれないし、
そんなに上手く行かなくてもキュゥべえの本音が見えてくるかもしんないでしょ。」
「その嫌がりそうなことのひとつが、これだってのか?」
らんまはなびきのとった写真を見ながら言った。
「まあ、あたしの実益を兼ねてることは否定しないわ。ヒトってそういうものでしょ?
あたしは、何のために行動しているのか分からないヒトは信用できないもの。」
なびきの言う「何のために行動しているのか分からないヒト」とはキュゥべえのことなのだろう。
確かに何が狙いか分からない相手よりは目的がはっきりしている相手のほうが信頼しやすい。
少なくとも予想外の裏切りということは考えにくいからだ。
「ちっ、仕方ねーな。オレがちゃんと男に戻れるようにするのが目的なんだよな?
だったら、恥は書き捨てだ。協力するよ。」
「ふふ、そう来なくっちゃ。」
しぶしぶ同意するらんまに対し、なびきは楽しげにうなずいた。
**************
それから数時間にして、ネットアイドルとしてサイトが開設され、『魔法少女ランマちゃん』のイメージ動画が作成された。
(なびきのやつ、ぜったい利益優先だよな?)
らんまはなびきの口車に乗って、好きなように写真やビデオをとらせてしまったことを悔やんだが、もはや後の祭りだった。
「ここまでするなんて聞いてねぇ。」
「あら?心外だわ。あたしは嘘はついていないし。問題があるなら、らんまくんの確認不足ね。」
ぼやくらんまになびきは平然とそう言った。
「らんま、認識の相違を一方的に相手の責任に押し付ける態度はよくないよ。」
いつの間にか部屋にやってきたキュゥべえもらんまに追い討ちをかける。
おそらくまた魔女狩りに連れ出そうとして来たのだろう。
「へー、キュゥべえちゃん、良いこというじゃない。」
「ありがとう。でも、こういう派手な活動はやめて欲しいな。」
(くそっ、こいつら同類かよ!)
被害者はただ泣き寝入りするしかできなかった。
~第5話 完~
~第6話~
薄暗いゲームセンターは、まるで貸しきり状態だった。
赤髪の少女は、このゲームセンターの一角でひたすら踊り続けていた。
「音ゲー」と呼ばれるジャンルのゲームで、音楽に合わせてステップを踏むことで得点を上げるものだ。
少女は完璧にステップを踏みながら、得点に関係のない手のフリや足のターンなども加える。
単純に得点を稼ぐためのステップだけでなく見栄えも重視するのは上級者のたしなみと言えるだろう。
これが客の多い時間帯なら、ギャラリーから拍手喝さいが送られたはずだ。
しかし、それなりに設備の整ったゲームセンターでも、平日の昼間となればほとんど客は居ない。
だから、どんな凄腕プレイにも拍手が来ない代わりに、人気ゲームをどれだけ連コインしても文句は言われない。
少々寂しいことを除けば、ゲームを楽しむには理想的な状況だろう。
「よぉ、久しぶりじゃねーか?」
ダンスを続けながら、少女はおもむろに口を開いた。
「ああ。しばらくぶりだね、佐倉杏子。」
あどけない少年のような声が、少女の背後から聞こえる。
しかし少女はゲームに集中し、後ろを振り返りなどしない。
「実はちょっと困ったことになった。キミの力を借りたい。」
「魔女狩りなら、マミに当たった方がいいんじゃねーのか?」
音楽がサビに入り、少女のステップが激しくなる。今がこのゲームの佳境なのだ。
「ああ、魔女ならね。…でも、今回の相手は魔法少女だ。」
少年のような声を無視するように、少女は無言でダンスをする。
脚を広げて腰を落としたかと思うと、手のひらを地においてステップを踏み、
その手をつっぱる力を利用して華麗にターンジャンプをする。
そして、ポーズをとっての着地でフィニッシュを決める。
『ヒュー! ヒュー! マーベラス! グレイト!』
ゲームに内蔵された音声が少女のダンスを絶賛した。
少女の体はきっちりゲーム画面の逆側、声のした方に向いていた。
「へぇ、面白そうじゃん。話を聞こうか。」
彼女の視線を向けた先には、白い小動物がたたずんでいた。
******************
「新しく契約を結んだ魔法少女がね、全然魔法を使ってくれないんだ。」
白い小動物こと、キュゥべえは頭をうつむき気味にして残念そうな表情を装う。
「ふーん、魔女退治さぼって仕事しない魔法少女をシメろ、って話か。」
赤い髪の少女・佐倉杏子はお菓子をつまみながら会話をする。
ひっきりなしにモノを食べている割には、杏子の体格は貧相だった。
少し知識のある人が見れば、成長期の栄養不足や精神負荷の影響に思い当たるだろう。
「いや、魔女退治はしてくれている。」
「じゃあ、何が問題なのさ。」
杏子の疑問は当然だった。
彼女は魔法少女となって魔女と戦ってもらうとキュゥべえに説明されて契約したのだ。
それが魔法少女の仕事なら魔女と戦って退治できているなら魔法を使おうが使うまいが関係ないはずだ。
「その魔法少女の義理の姉とか言う人がね、魔法少女をアイドルにしたてて、商売にしちゃってるんだ。
そういう事をされると魔法の使えない一般人が多くこの世界に関わることになってしまう。
ボクとしてはできればそういう事態は避けたい。」
キュゥべえの説明に、杏子はまだ納得がいかなかった。
杏子は普段、魔女の使い魔を倒さない。それは使い魔に殺される人間を見殺しにする行為だ。
そんなことをしている自分をとがめないくせに、一般人が巻き込まれる事をさけたいというのは話の筋が通らない。
杏子としては善悪などどうでもいいことだったが、胡散臭い話には乗りたくなかった。
いぶかしがる杏子の反応を見てなのか、キュゥべえは付け加えた。
「彼女達はどうやら、グリーフシードの販売もしているらしい。
管理能力のない一般人の手にグリーフシードが渡るぐらいなら、杏子、キミが持っている方が助かる。」
その言葉に杏子の目の色が変わった。
別に、一般人がグリーフシードを孵化させて自滅してもかまわない。そんなことはどうでもいい。
それよりも、その新人魔法少女を倒せば売るほどに余ったグリーフシードが手に入る。
杏子にとってはそれが重要だった。
グリーフシードが手に入るのなら、キュゥべえの目的が何かなど大した問題ではない。
「へー、初心者一匹倒してグリーフシードがっぽりか。ワリの良い仕事じゃねーか。」
そう言って、硬いアーモンドチョコレートを一気にかみ砕いたとき、すでに杏子の意思は決まっていた。
*********************
「ふむ、確かに変身せんのぉ…」
化けガエルのような顔をした老婆がうなった。
「ばーさんでも分かんねぇのかよ。」
さすがにらんまは落ち込んだ表情をしていた。
無差別格闘流創始者の八宝斎に聞いても、骨接ぎ屋の東風先生に聞いてもダメだった。
そして、最後の望みをかけた本命のこの妖怪じみた中国出身の老婆に聞いても分からなかったのだ。
もちろん、らんまとて彼らにすべてを説明したわけではない。
あかねのために怪しげな契約をしたなどと言えるわけが無かった。
結局らんまの説明は「猫のような変な奴に呪いをかけられて、男に戻れなくなった。」という
程度の抽象的なものにならざるを得なかった。
「とりあえず試せるものは試してみるのが一番じゃ。鳳凰山から開水壺を取り寄せてみるとしよう。」
開水壺と止水桶という対を成す二つのアイテムがある。
止水桶でくんだ水を浴びれば、呪泉郷の呪いを固定化し、お湯をかぶっても元の姿に戻らなくなる。
一方、開水壺は止水桶の効果を打ち消し、変身体質に戻すアイテムだ。
今回は止水桶のせいではないが、変身後の姿に固定されていると言う点では止水桶を使ったのと同じ状況だ。
開水壺で変身体質に戻れる可能性が無いとも言い切れない。
「ああ、すまねーな、ばーさん。」
「ムコ殿が謝ることはない。シャンプーのためじゃて。」
そう言って老婆は微笑んで見せた。
早乙女乱馬は色々あってシャンプーと言う中国人の少女とも許婚ということになってしまっている。
この老婆はそのシャンプーの曾祖母にあたるのでらんまのことを「ムコ殿」と呼ぶのだ。
らんまは「それじゃ」と簡単に挨拶をして、この老婆・コロンが経営する猫飯店を後にした。
(しっかし、鳳凰山から取り寄せだと当分先だな。)
鳳凰山というのは中国奥地の電気ガスもろくに通っていない未開の地だ。
下手をすれば届くのは何ヶ月も先になるかもしれない。
そのうえ、開水壺は鳳凰山の人々にとっては秘宝である。
いくらコロンの顔が広いとはいえ、そう簡単に渡してくれるものかどうかもあやしい。
(届くのを待ってる間に他の方法も考えたほうがいいな。)
そんなことを考えながら、らんまは今日も魔女探索を始めた。
別に必ず魔女を倒さなければならないわけではない。
らんまは魔法を使う必要がないし、使い方自体まだよく分かっていないからグリーフシードは必要ない。
それでも魔女退治をする理由のひとつは、なびきが何か思うところありげに魔女退治を勧めてきたこと。
もうひとつは、魔女退治がちょうどいい修行になることだった。
魔女によって戦い方が全然違うし、ほどよく強いのでらんまは魔女との戦いに楽しみすら感じていた。
もちろん、町の人たちを守るというのも大事だと思うが、まだ一般人が巻き込まれるところに出会っていないので
その点についてはいまいち実感がわかない。
らんまが河川敷をうろついていると、突如結界が展開された。
(…来たか!)
らんまは身構える。
キュゥべえの説明では魔法少女になると、その魔力に反応して魔女やその使い魔が攻撃的になるらしい。
そのせいか、らんまとて魔法少女になるまでは魔女の結界になど巻き込まれたことは無かったが、
今では向こうから仕掛けてくる。
もっとも、らんまが意図的に魔女の出そうな場所に行っているせいもあるだろうが。
今回出てきた化け物は、子供のらくがきのような姿をしていた。
結界がところどころはげて夕焼け空が見えている。
おそらくは魔女ではなく使い魔なのだろう。
「さっそく、終わらせてもらうぜ!」
らんまは躊躇無く、使い魔に飛びかかった。
が、その目前に槍が降って来る。
「わっ、何しやがる!」
とっさにらんまは身を翻して槍をかわした。
もう一歩前に出ていたら槍はらんまにあたっていただろう。
「おいおい、そいつは使い魔だよ? グリーフシード持ってるわけないじゃん。」
まだあどけなさの残るその声は頭上から聞こえてきた。
らんまが上を向くと、長い髪を乱雑にポニーテールにまとめた少女が槍を片手に堤防の上に立っていた。
赤いノースリーブのワンピースはへその辺りから下が前に開き、その奥からひらひらのスカートがのぞいている。
普通の人が見ればきっと何かのコスプレの類かと思うだろう。
しかし、らんまには先ほどの槍と少女の格好で相手が何者か理解した。
(あいつは…魔法少女!)
いきなり現れた魔法少女は言葉を続けた。
「っていうかさ、そのカンフーみたいなカッコ、変身してないよね? アンタ、魔女退治なめてるワケ?」
その魔法少女―佐倉杏子はガムをクチャクチャとかみながらしゃべる。
そして、言い終わったらプーッとガムの風船を大きく膨らませた。
ムカつく態度でどうでもいいことに難癖を付けてくる。
喧嘩を売られているというのはらんまにもよく分かった。
「すまねーけどな、オレが強すぎるからグリーフシードも変身も必要ねえんだ。
魔女とか使い魔とかぶっ倒してるのも、ただの暇つぶしだから邪魔されたら困るんだけどなぁ」
自分以外の魔法少女の強さを測るにはちょうど良い、らんまはそう思って相手を挑発しかえした。
「へぇ、ルーキーがナマ言ってくれるじゃん。そんじゃ、これはどうだ!」
そう言うと杏子は急に機敏な動きをして堤防から飛び降りた。
落下しながらも槍をらんまに投げてくる。
「危ねーな、おい。」
らんまはのん気につぶやきながら猛スピードで落ちてくる槍をかわした。
一方杏子は頭から落ちていたにもかかわらず、ちゃんと足から着地して、一瞬で態勢を立て直す。
そして、すぐに新しく槍を生成するとらんまに斬りかかった。
「おっ!? よっ。」
上から落下してきた槍をかわしてすぐに杏子の攻撃が襲ってきたのでらんまは反撃の余裕もなく防戦に回った。
(なかなか良い動きしやがる。)
間断なく繰り出される槍の突きを避けながら、らんまは思った。
動きだけを見れば、あかねよりは確実に強いだろう。
シャンプーと同等かそれ以上…
(けっこう、厄介だな。)
シャンプー並の実力というだけなら、らんまは女の状態でも勝てる。
だが、刃物というのがなかなか厄介だ。
らんまはかつて、自分より格下とみなしていたライバルから気付かぬうちに木刀で打ち込まれたことがあった。
木刀だから打ち身が残る程度で済んだが、もしそれが真剣だったならば致命傷を負っていたことになる。
刃物を使う相手は、たとえ格下であってもほんの一度隙をつかれただけで終わりだ。
とうてい油断できないし、下手にしかけることもできない。
(でも、あんまりマジになって大怪我させるわけにもいかねーしな。)
そんなことを考えながら避けているのがバレたのか、杏子が表情をすごませた。
「アンタ、本気で戦ってねえな!」
その言葉と同時に、槍は多節昆に化け、大きく横なぎにらんまに襲い掛かった。
予想外の攻撃に、らんまは反応が間に合わず、まともに食らってコンクリートの堤防に叩きつけられた。
その衝撃で堤防のすぐそばに置いてあったタイヤの山が崩れ、らんまの姿はその下敷きになって消える。
「ったく、ウゼェやつだ。」
杏子は吐き棄てるようにそう言った。
「さーて、後はこいつの義理の姉だかなんかって奴からグリーフシードをぶん捕ればいいわけか。」
いつの間にか使い魔は完全に逃げおおせて、もともと不完全だった結界は跡形もなく解けている。
杏子は河川敷に背を向けてその場を去ろうとする。
その時だった。
急に轟音がなったかと思うとタイヤの山がはじけ飛び、光の弾が杏子に向かって飛んできた。
「な、なんだ、コレ!?」
杏子は髪を焦がすほどの際どさで何とか光の弾を避ける。
(あいつの魔法か? でも、全く魔力を感じなかった。)
杏子がタイヤの山があった場所を振り返ると、そこには変身したらんまの姿があった。
「なによ、ソレ? 髪だけじゃなくて服の色まで被ってるじゃん。超ウゼェ。」
「うるせぇ、ホントはこんな格好したくねえんだ。大事な服に穴開けやがって。」
二人の赤い魔法少女が対峙する。
杏子はまたも右手に槍を生成した。
杏子からしてみれば、相手の魔法の性質がまるで読めない。
その上、思い切り叩きつけたはずなのに早くも立ち上がる回復力。
正直に言えばどう攻めていいのか分からなかった。
一方のらんまも、気軽に攻めにうつることはできなかった。
槍が突然多節昆に変わるなどというありえない変化を目の当たりにして魔法が真に魔法であることを理解した。
格闘技の経験だけではどんな攻撃が来るか想像もつかない。
双方、手詰まり状態でにらみ合いが続いた。
やがて、しびれを切らしたように、杏子が突進していった。
突き出された刃をらんまは際どく避けると、距離を保ったまま相手から見て左に回る。
相手が右利きならば、左に回った方が隙が多いし、攻撃もされにくい。
とっさのことに、杏子はすばやく反応して槍を多節昆に変え、大きく右から左へ横なぎした。
らんまはそれは飛んでかわすと、さらに左に回る。
「ちっ、ちょこまかと逃げてばっかでウゼェ!」
もともと槍と素手ではリーチに差がありすぎるのでらんまが仕掛けるには杏子のふところに飛び込まなければならない。
しかし、らんまは距離を保って避け続けるだけで自分から仕掛けようとしなかった。
らんまの動きを追っていく杏子の足取りは、自然に螺旋を描く。
「アンタも早く武器を出しな! それとも、武器を出す暇も無いのかい?」
そう言いながらも杏子は攻撃の手を緩めない。
「わりぃな。オレは普段武器つかわねーんだ。魔法の使い方もよくわかんねーしな。」
らんまはわざと余裕の表情を作った。言っていること自体は本当のことだ。
しかし、杏子はそれを挑発と受け取ってさらに熱くなる。
「…だったら、このまま刺身になっちまいな!」
杏子は左手にも槍を出し、両手で突きのラッシュを繰り出す。
普通の人間ならば片手で槍を突いたところで力が入らないので槍の二刀流など意味が無い。
だが杏子の槍は片手でも十分に力強い突きを連打してきた。
「わっ! とっ!」
さすがにこれはらんまも避けるのが苦しい。
(確かにこのままじゃ刺身になっちまう…だが!)
「飛竜昇天波!」
らんまは叫ぶと同時にあろうことか誰も居ない虚空に向けてこぶしを振り上げた。
「なにっ!?」
杏子は本能的に危険を感じ、とっさに防御体勢をとる。
その直後だった。
冷たい空気が重いパンチのようにぶつかってきたかと思うと、
それを中心に竜巻がまき起こり、杏子の体は空高く舞い上げられた。
「魔法少女か…なかなかの相手だったが、無差別格闘早乙女流の敵じゃねぇな。」
大技を決めて勝利を確信したらんまがつぶやく。
(さて、あいつをキャッチしてやんねーとな。)
そう思ってらんまは空を見上げた。飛竜昇天波は高威力でも殺傷力は低い。
ただし、巻き上げられた場合に頭から落ちたりすればその限りではない。
らんまは杏子の巻き上げられたあたりから目測で落ちてきそうなところに陣取る。
が、落ちてきたのは杏子ではなく槍だった。
「げっ! まだ攻撃できるのかよ!?」
予想外のしぶとさにらんまも思わず不意を突かれた。
杏子は落下しながらも次々とらんまに槍を投げ落とす。
らんまはそれをキリキリ舞いになってかろうじて避ける。
「あれが、アンタの魔法か! おもしれぇ!」
杏子は着地すると、地面に突き刺さった多くの槍同士の間に防壁を出し、即席のリングを作り上げた。
こうなるとらんまは逃げ場が無くなる。
一方の杏子はさきほどまでの戦いでハイテンションになったのか、目をらんらんと輝かせていた。
「へっ、こうなったら何としてでもグリーフシード分捕らせてもらおうか!」
まるで、獲物に襲い掛かる虎や狼のごとく、杏子は襲い掛かる。
だがそれは虚勢だった。
飛竜昇天波のダメージは十分に受けている。今の杏子は魔法でむりやり動かない体を動かしているに過ぎない。
そして、そのための魔力もそろそろ限界だ。
もともと杏子は回復魔法は不得意で効率が悪い上に、すでに今までの戦いでかなりの魔力を消費しているのだ。
戦い続けるだけの魔力はあと数分しかもたないだろう。
それでも、決して杏子は無謀や蛮勇のみで虚勢を張っているわけではなかった。
あれだけの大技を使ったのなら相手もそろそろ魔力の限界が近いはずだ。
だからこっちにはまだ余裕があるとアピールすることで、相手を降参させようというのが杏子の算段だった。
当然、魔法少女としては初心者のらんまには杏子の心理的駆け引きが理解できるわけも無い。
らんまはこの見た目によらずタフネスを誇る魔法少女を相手に、必死で槍を避けていた。
「ちょっと待て!」
「なにさ?」
杏子は槍を振り回しつつ答える。
「グリーフシードってそんなに大事なもんなのか?」
らんまも必死でかわしながら質問をした。
「ふざけんな!そんだけ必死で守っておいて!」
杏子は今度は演技ではなく激昂する。
それを争って今こんなに激しく戦っているのではないのか。
杏子からすればらんまの態度は自分をなめているようにしか見えなかった。
「わかった、わかった!グリーフシードならくれてやる。」
らんまはポケットに入れていたグリーフシードを取り出して杏子に向かって投げた。
「え、マジで?」
予想外のらんまの行動に戸惑いながらも杏子は槍を動かす手を止めて、しっかりとグリーフシードをキャッチした。
そのおかげで、戦闘が停止した。
杏子は一瞬、グリーフシードを得たことに喜びそうになるものの、すぐにまた嫌悪感が湧いてきた。
どう見てもらんまの態度が杏子に恐れをなして降参という様子ではないのだ。
「テメェ、やっぱあたしのことなめてるな?」
「バカやろう、タダじゃねえ。それやるから魔法とかについていろいろ教えろ。」
「取引…ってわけか。」
杏子は思った。
どうやら、こいつの身の回りには他に魔法少女がいないらしい。
そのうえ、グリーフシードの価値もよく分からないほど情報が不足している。
敵とか味方とかいう以前に情報が欲しいのは当然だろう。
杏子は話に乗ることにした。
これ以上戦い続けるのは、ソウルジェムの限界が怖い。
倒してぶん捕ったのではなく貰うというのがプライドをつっつくが、背に腹は代えられない状況だ。
「分かった。それじゃ、腹減ったからこの辺のメシ屋つれてけ。」
そう言って杏子は変身を解いた。
こうして、らんまの魔法少女同士の初めての戦いは勝敗がつかずに終わった。
**************************
「あ、らんちゃん。いらっしゃい。」
二人がお好み焼き屋に入ると、高校生ぐらいに見える少女が出迎えた。
他に店員はいない。
「よう、うっちゃん。オレは豚玉たのむ。」
らんまは軽い挨拶をすると早速注文をした。
「あいよ。…ん? なんや、その子?」
うっちゃんと呼ばれた店員はらんまの横に居る少女に目をつけた。
杏子はらんまによく似た赤い髪をしているが、全般的に体格は貧相で顔も似ていない。
第三者から見てもまず親戚には見えないだろう。
(変な誤解を与えてはならない。)
らんまは思った。
この店員、うっちゃんこと久遠寺右京もいろいろあってらんまの許婚ということになっている。
そっちの意味での「ライバル出現」とでも思われたら面倒だ。
「いやぁ、こいつが見た目によらず強くてな。服破られちまったよ。」
そう言ってらんまは杏子の攻撃で破れた腹部を見せる。
「らんちゃんに怪我を!?」
右京は巨大なコテを握って杏子をにらみつけた。
「あー、違う違う!お互い恨みっこ無しの正々堂々とした果し合いだ。なっ?」
らんまは杏子を振り返って目で合図した。
「ああ。良い勝負だった。」
杏子は棒読みで答えた。
事情はよく飲み込めなかったが、別にことを荒立てる理由も無い。
「そんならしゃあないな。…にしても、こんな子がらんちゃんに怪我させるほどのつわもんとは、世の中広いもんやなぁ。」
ついさっき、鬼の形相でにらみつけていた右京が、すでに好奇の目で杏子を見ている。
杏子をあくまで武闘家としてのライバルだと思わせることに成功し、らんまはホッとした。
********************
「にゃに? みゃほうをふはってにゃはっただほ!(何、魔法を使ってなかっただと)」
熱々のミックス玉をほうばりながら杏子が叫んだ。
「ああ、無差別格闘流三代目当主・早乙女乱馬とはオレのことだ!」
らんまは胸をはって親指で自分を指差して答えた。
杏子は強引にお好み焼きを飲み込む。
「いや、そんな流派聞いたことねーし。」
らんまはガクッと落ち込んだ。
しかし、杏子の方はより大きなショックを受けていた。
ルーキーのわりにやたらと動きがよかったのは確かに説明が付いた。
格闘技の道場の跡取りというのならそのぐらいのレベルでも不思議ではないだろう。
だが、魔法を使わずにこの自分と引き分けたというのだ。いや、実質は引き分け以下だ。
自分は見栄を張っていただけだが、まだらんまには余裕があったのだから。
もしこいつが本格的に魔法も使いこなすようになってしまえばどうなるのか。
自分など足元にも及ばなくなるのではないか?
(ちっ、気分わりぃや)
杏子はいらつきを抑えるように大声で注文をした。
「ねーちゃん、ビール!」
まるっきり常連のオヤジのような台詞だ。
「あいよ、お待ち!」
右京は、二つ返事で杏子にビールを差し出した。
が、それを見て杏子は固まった。
「おい、なんだこりゃあ?」
「なんや言うて、決まっとるやないか。ノンアルコールビールや。」
すごむ杏子に全く恐れるような気配も無く、右京は堂々と言った。
その態度がさらに杏子をいらだたせる。
「テメェ、あたしが頼んだのはビールだ!」
「どう見ても中学生ぐらいにしか見えへんあんたにそんなもん出せるわけないやろ。」
二人の意見はどうやらどこまで行っても平行線だった。
「おい、おまえら何やってんだ!?」
あわててらんまが止めに入るがもはや二人とも聞く耳を持たなかった。
「いくら客商売いうたかて、ウチは媚びで商売しとるわけや無い。
タチの悪いガキにはお灸をすえたらなあかんな。」
そう言って右京は巨大なヘラを構えた。
「へぇ、おもしれえ、やんのかよ?」
一方の杏子は変身こそしないもののどこからとも無く槍を取り出した。
「自分、アホやな? ガキ相手に喧嘩なんかせーへん。…ただ、性根叩きなおしたるだけや!」
言うのと同時に、右京は焼きそばの束を投げつけた。
杏子は焼きそばをかわそうとするが、身動きの不便な店の中、左腕が焼きそばに当たってしまった。
すると奇妙なことに、焼きそばは杏子の左腕に絡み付いて離れなくなった。
「なんや偉そうにしてて、こんなんも避けられへんのか?…ん?」
右京は得意になって挑発するが、杏子の様子がおかしい。
さっきから機嫌は悪そうだったが、それどころではない。
完全に目が据わっている。
ビールが出てこないとかそんな程度の怒りでないことは右京とらんまの二人にもよくわかった。
「テメェ…」
杏子は腕に焼きそばを絡ませたまま右京に近づく。
もはや槍は消えていたが、どこか、有無を言わせぬ迫力があった。
「な、なんや。」
すぐ目の前にまで近づいてきた杏子に、右京はやや気圧されていた。
杏子は焼きそばの絡まっていない右手のほうで右京の胸倉をつかんだ。
そして一言―
「食いモンを粗末にすんじゃねえ!!」
「へ?」
「え?」
完全に予想外の言葉に、右京もらんまもあっけにとられた。
*****************
「ちょっと待ちや!」
お好み焼きも食べ終わり、もう帰ろうというときになって右京が呼び止めた。
「どうした、うっちゃん?」
らんまは振り返る。しかし、右京は首を横にふった。
「今回はらんちゃんやなくて、そっちの子や。」
「あたしか?」
杏子は嫌そうな顔をした。
初対面で乱闘直前までやらかしてしまったのだ。何を言われることやらと杏子は警戒する。
「ああ。あんたの食いモンに対する心意気が気に入った。食いっぷりもなかなかのもんや。
そこでやな、もしよかったらウチで働かへんか?」
それは、杏子にとって、いや、らんまにとっても全く意外な提案だった。
きょとんとする杏子に対して右京は言葉を続ける。
「時給700円でまかないもつけたる。どないや? きょうび中学生でこんな条件ええバイトはないで。」
現実的な交渉を持ち出されて、杏子も表情を変えて思案をする。
「…わりぃけど、通いつめるにはちょっと遠いんだわ。住み込みつきなら考えてもいいぜ?」
「うちん家でええなら泊めたるで。女の一人暮らしやさかい、物騒やと思っとったし丁度ええわ。」
とんとん拍子で話はまとまっていく。
「え? 住み込みってお前家族とかいないのかよ? うっちゃんも知らない奴をそんな簡単に…」
ただひとりらんまは話についていけない。
「あたしゃはぐれモンさ。家族なんていねーよ。ま、世話になった奴に挨拶ぐらいしてくけどな。」
自嘲気味に微笑みながら答える杏子は、なにやら背景にいろいろありそうだった。
「この食いっぷりなら、根は間違いなくええ子や。うちは問題ないで。」
確かに杏子の食いっぷりは良かった。
大盛りのミックス玉に追加でモダン焼き、さらにノンアルコールビールを丸一本。
飲食店を経営する身としては良いお客さんなのかもしれない。
しかしそんなもので人間性を評価していいものか。
(ホントにいいのかよコイツら…)
らんまの懸念をよそに、こうして佐倉杏子の風林館暮らしがはじまった。
~第6話 完~
~第7話~
巴マミは、肩に黒い小豚を乗せて魔女を探していた。
今日は鹿目まどかと美樹さやかは来ない。友人のお見舞いに行くという。
一般的な社会生活と魔法少女としての魔女退治とを両方成り立たせるのは難しい。
(せめて、協力できる魔法少女が他に居たら良いのに。)
マミはつくづくそう思った。
『たまにはサボってもいいんじゃねえのか?』
マミの心の声がテレパシーとして漏れていたのか、肩に乗せた良牙が反応した。
『ダメよ。そのほんの一日サボったおかげで死んでしまう人が居るかもしれないのよ?』
マミは小さく顔を横にふる。マミの魔法少女としての縄張りは小さくない。
一般人が巻き込まれることを防ぐためには魔女退治をサボることなど出来なかった。
(それにしても、精力的なもんだ。)
良牙は感心しつつもなかば呆れていた。
マミは近所の大人たちともそつなくやりとりできるし、学校の成績も悪くない。
クラスメートとも問題なくつきあえている。
それなのに、誰も彼女が何をしているか知らず、親友の一人も居ないのだ。
決して、パンスト太郎のように性格に難があるわけではない。
他人を巻き込まないために距離を保っているのだ。
そこまでして、名も知らない他人を守るために日々自分の時間を削り、命を危険にさらして戦っている。
良牙にはとうてい真似できそうにもなかった。
薄暗い夜の公園にさしかかったとき、良牙は急に背後に気配を感じた。
『気をつけろ。』
良牙はマミに注意をうながす。
マミが振り返るとそこには、以前の魔女退治の際に見かけた黒髪の魔法少女が立っていた。
「分かってるの? 貴女は無関係な一般人を危険に巻き込んでいる。」
あいさつもなしに、黒髪の魔法少女こと、暁美ほむらは話しはじめる。
「分からないわね。それがキュゥべえを襲った理由?」
マミは、あえて自分が見ていないことを言った。
良牙やキュゥべえの証言を信用していないわけではない。どちらかといえば相手の反応を見たかった。
案の定、ほむらはハッとした。マミに知られるはずが無いと思っていたのだろう。
「まさか、その小豚…!?」
ほむらは何か言おうとするが、マミはそれをさえぎって自分のせりふを続けた。
「キュゥべえが死んで魔法少女が居なくなれば巻き込まれる一般人はもっと増えるわ。
あなたの守りたい一般人って何なのかしら?」
彼女は一般人を巻き込んでいると言って自分を非難したが、本人が一般人の安全のために戦っているようには見えない。
日々街の平和のために魔女退治にいそしんでいるマミにとって、ほむらの言葉はうそ臭くしか聞こえなかった。
しかし、マミの糾弾はほむらには響かなかったらしい。
ほむらは気を取り直した様子で落ち着いて答えた。
「アイツは…キュゥべえは一匹や二匹殺したってなんとも無いわ。
それよりも、鹿目まどかを魔法少女にされたら困るのよ。」
「どういうこと?」
鹿目まどかを魔法少女にしたくないという意味は、マミにも分かった。
まだ本人にも言っていないが鹿目まどかは魔法少女としてとんでもない素質を持っている。
もし、鹿目まどかが魔法少女となって、グリーフシードの取り合いにでもなれば勝ち目が無い。
嫌がるのも道理だ。しかし―
「キュゥべえが何匹もいるとでもいうの?」
「あら、そんなことも聞かされずにアイツの片棒を担いでいたのね。」
さも当たり前のように、ほむらは言ってのけた。
「疑わしいなら本人に聞いてみることね。あなた自身がよく知りもしないのに、
他人を魔法少女にしようなんて迷惑だわ。」
それだけ言うと、ほむらはきびすを返して消えていった。
『どうにもうさんくせえな。』
良牙がつぶやく。
『誰のこと?』
マミが質問する。
言わんとしていることは分かっている。それでも、あまり聞きたくなかった。
『両方だ。あの魔法少女もキュゥべえも。』
『…ええ。』
良牙にも言われて、マミはようやくキュゥべえの存在を疑わなければならないと自覚した。
長い付き合いであるにもかかわらず、確かにマミにはキュゥべえに関する情報が足りていなかった。
客観的に見れば、キュゥべえは十分に疑わしい存在だ。
それでも、マミの主観はキュゥべえを疑いたくは無かった。
彼は…キュゥべえは家族をすべて失って心細い自分を支えてくれた存在なのだ。
もしキュゥべえに何らかの悪意があるとしたら、自分はその事実に耐えられるだろうか?
*************************
「…良牙さんにキュゥべえも居るしさ、二匹もマスコットがいるなんてマミさんずるいよ!」
いつものように、鹿目まどかと美樹さやかは学校の帰りに病院に寄り、そこから家路へとついた。
キュゥべえを肩に乗せたまどかはいつになく強く熱弁している。
「いや、ボクはマミの専属というわけじゃないよ。」
まどかとは対照的に、キュゥべえはいつもの通り冷静だった。
「でもさ、良牙さんは専属だよね? やっぱりうらやましいよ。」
「で、猫を家に連れ込んで怒られちゃったってわけ?」
さやかは肩をすくめて『あきれた』のジェスチャーをした。
「ティヒヒ、エイミーっていうの。お部屋の中はダメだけど、お庭なら飼っても良いって。」
あきれられているのも気にせず、まどかは猫を飼う許可を得たのを思い出して笑った。
『ティヒヒ』というのはまどかの癖になっているいつもの笑い方だ。
付き合いが長いせいだろうか、それともまどかの癖が面白いからか、さやかはついつられて笑ってしまう。
「ははっ、そりゃ良かったじゃん。でもさぁ、まさかそのエイミーちゃんに熱湯かけたりしてないよね?」
さやかは軽く冗談を飛ばしてみた。
しかし、その『冗談』を聞いたまどかは急に歩みをとめて、表情が固まった。
「…さやかちゃん、どうして知ってるの?」
「マジでするなよ!?」
考えるよりも早く、光速でさやかはつっこんだ。
「だって、だって! 黒い小豚ちゃんが変身できるなら黒猫だって変身できるはずだよ!」
「いや、その理屈はおかしい。ってか良牙さんは人間だから。」
「まどか、念のために言っておくけど、ボクには熱湯をかけないで欲しい。」
さやかのみならずキュゥべえにもつっこまれ、まどかは軽くしょげかえった。
そうしてバツが悪くてよそ見をしたとき、まどかは異変に気が付いた。
「あそこ…何か…」
まどかの指差したところには、黒いトゲの生えた球体が突き刺さっている。
「グリーフシードだ! 孵化しかかっている!」
キュゥべえが叫ぶ。
「うそ…何でこんなところに」
「早く逃げよう! 結界が閉じればキミ達は逃げられなくなる。」
まどかだけならともかく、キュゥべえも焦っているということは本当に危ない事態なのだろう。
それでも―いや、だからこそ、さやかは捨てておけなかった。
「あたしはこいつを見張ってる。放っておけないよ。こんな場所で魔女になられたら…」
****************
「―それで、美樹さんとキュゥべえがグリーフシードのそばに居るのね?」
「はい、キュゥべえの言うにはすぐにでも孵化しそうって…」
まどかの報告を受けたマミは病院へ急ぐ。
小走りの肩の上には乗りにくいのか、黒い小豚も地面を走って付いてきた。
(まったく、美樹さんも無茶をするわね。)
マミは思った。
たしかにキュゥべえと一緒に居れば、マミはテレパシーで案内してもらって助けに行けるし、
さやか自身もその場で魔法少女になって戦えるという保険がついてくる。
なかなかの妙手と言えなくもない。
(でも、そんな風にその場の勢いで契約しちゃったら…私と同じじゃない!)
こんな形で美樹さやかを契約させてはならない。キュゥべえへの不信が、その思いを強くさせる。
しかし、まどかの案内が必要である以上、魔法少女の能力で速く走るわけにも行かない。
「あっ!」
急に、マミは足を止めた。
(この手があった!)
マミは魔法でティーポットを取り出し、やおら黒い小豚にお湯をかけた。
すると、たくましい男の肉体のシルエットが浮かび上がる。それと同時に魔法で服を着せる。
もともと魔法のバリエーションは広いという自信のあるマミだが、服を着せるのは自分の変身と
大して要領がかわらないのですぐに出来るようになった。
「…なんだ急に、こんなところで?」
湯煙の中から現れた良牙はなぜマミが自分を人間に戻したのか理解していない。
いや、良牙だけでなくまどかも首をかしげていた。
「良牙さん、鹿目さんをおぶって走れるかしら?」
それを聞いて、良牙はポンっと手を打った。
「なるほど。わかったぜ。」
そう言うとまどかが身構えるよりも早く、その両腕でまどかの足と背中を抱きかかえた。
「え、きゃぁ!…こ、こんなのって!」
驚く以上に、まどかは恥ずかしがって頬を染めた。
なぜならその体勢は、俗に言う『お姫様だっこ』だったからだ。
一方の良牙はまどかが子どもっぽく見えるせいか、照れる様子はまったくない。
「鹿目さん、ごめんなさい。でも一刻をあらそう事態だから。」
「ウダウダやってる暇はねえんだろ? いくぞ!」
マミと良牙は心置きなく、常人離れしたスピードで走り出した。
あっという間に、病院に着いた。
「ここね…」
マミは息も切らさず病院の壁を見つめる。
そこには黒い亀裂が走っているが、すでにグリーフシードの姿は消えている。
そして、さやかとキュゥべえもいない。
「あいつらの姿がないな…もう結界にのまれてやがるのか?」
まどかを抱きかかえたまま良牙は言った。
まどかを『お姫様だっこ』しながらかなりのスピードで走ったというのに、良牙は疲れた様子など全くなく、鼓動も変わらない。
むしろ良牙よりも、まどかの心臓のほうがはるかにドキドキと激しく脈打っていた。
「あの…そろそろ降りても?」
「ん? ああ、すまない。」
そっけない態度で地面に降ろしてもらってからも、まだまどかは頬を赤らめている。
そうしている間にも、マミは指輪状にしているソウルジェムを使って、魔女の結界への入り口を作った。
「二人とも、行くわよ!」
まだ魔女が孵化したばかりだからか、使い魔の数は少ない。
その上、ベテラン魔法少女のマミと、並みの魔法少女よりは強いであろう武闘家の良牙がいるので
使い魔は出るなりすぐに倒されていく。
一般人のまどかから見れば、気付く間もなく使い魔たちが倒されていた。
(すごい…)
こんな風になりたい。まどかは心からそう思う。
力そのものに憧れているわけではない。
彼らは人を守ることができる。
それに対してまどかはどうだろうか?
両親に守られ、学校でも美樹さやかに守られ、今はこうして巴マミと響良牙に守られている。
守られてばかりだ。
きっと、まどかが守る側に回っても昨日飼いはじめたあの黒猫すら守り切れないだろう。
仕方がない。まどかの力では自分自身を守ることすらままならないのだから。
(でも…それでいいの?)
このままみんなに守ってもらって、将来は自分のことを守ってくれる素敵な旦那さんを見つけて、
歳をとったら介護師の人や自分の子供に守ってもらって、ずっとそんな調子で…
(そんなの嫌!)
ずっと人から守られてるだけでは愛玩動物と何ら変わりない。
そんな人生で収まることを望まない、熱いものがまどかの内には確かにあった。
ただ、平素の彼女はあまりにも理想的なまでに飼いならされた状態であるがゆえに、
親も周囲の人間もまどかの内にあるものに気付かず、それを解き放つきっかけを与えてやることも出来なかった。
しかし、その『きっかけ』が、とてつもない大きな『きっかけ』が向こうからやってきたのだ。
(魔法少女に…私、なりたい!)
気が付けば、まどかは言葉に出していた。
「マミさん、私、マミさんのような魔法少女になりたいです!」
「え? でも、願い事は?」
「私、マミさんが誰かを助けるために戦っているのを見せてもらって、
同じことが私にもできるかもしれないって言われて、何よりもそれが嬉しかったんです。」
話し込みはじめたまどかとマミを邪魔しないように、良牙は使い魔退治に徹する。
もともと魔法少女たちの事情は良牙にとって知ったことではないし、口出しするいわれもない。
「大変だよ。怪我もするし、恋したり遊んだりしてる暇もなくなっちゃうよ。
私だって、無理してカッコつけてるだけで、本当は怖くて辛くて一人で泣いてばっかり…」
「でも、それでもがんばってるマミさんに、私、憧れてるんです!
だから、マミさんと一緒に戦います。」
凛として、まどかは言った。これは夢じゃないか、マミは思う。
ずっと、一人で戦い続けてきた。
魔女に対抗する力のない人をこの世界に巻き込むわけにはいかない。
助けた人から感謝されたことも、逆に恐れられたこともあったがいつでもこちらの対応は同じだった。
『ここで見たことは全部忘れてください』
この言葉を何回言っただろうか。
本当は、怖かったり辛かったりすることも、自分の手で人を守れたときの喜びも、ずっと誰かと共有したかったのに。
支えてくれる家族はとうに無く、クラスメイトにも本当のことは話せない。
魔法少女になったその時から孤独を運命付けられている…そう、思っていた。
しかしここ最近はどういうことだろう。
良牙さんに鹿目さんに、もしかしたら美樹さんも仲間になってくれるのかもしれない。
うれしい。
今まで何度も、もうダメだと思ったことが、魔女と戦い続ける日々にくじけそうになったことがあった。
でも今は違う、共に戦ってくれる仲間が居るなら、くじける理由なんてない。いくらでも戦える。
「ありがとう…でも、願いごとは何か考えておきなさい。」
自分でも目がうるんでいるのがわかる。涙は隠しているつもりだが、これではあまり意味が無いだろう。
「ごめんなさい、良牙さん、話し込んじゃって。」
そう言ってマミは戦闘に戻る。
その動きはいつもより軽快で、果敢だった。
(なんか…軽いな。)
良牙はよくない意味でそう思った。
見た目にはたしかになめらかで、美しいほどの戦いぶりだが、どこか心ここにあらずといった感じがする。
今回の使い魔たちはそうそう強くないのでマミならそれでも十分に勝てるだろう。
(まあいいか)
小さな懸念をそのままに、良牙は先へ進んだ。
**************
「おまたせ!」
マミは目ざとく美樹さやかとキュゥべえを見つけて合流する。
「はぁ、間にあったぁ…」
さやかは安心のため息をもらした。
「魔女の孵化までには少し時間がある…とは言えうかつに近づくのは危険だ。」
再開を喜ぶひまもなく、キュゥべえが状況をのべる。
「グリーフシードのうちに処理できるかしら?」
「魔女になってから倒すよりもそっちの方が安全だろうね。」
たったそれだけの、簡素な会話をかわすと、マミはグリーフシードのもとへと向かった。
真っ黒く濁りきったグリーフシードはわずかに脈打っているように見えた。
マミは、素手では触らずにリボンを召喚してそれでつかむ。
『キュゥべえ、このままグリーフシードを処理するのは無理かしら?』
『すまない、孵化直前のグリーフシードはボクの手に余る。
ある程度ダメージを与えてから渡してくれないかい?』
テレパシーで処理方法を確認すると、マミは大砲を召喚し、グリーフシードに向けて砲撃を放った。
グリーフシードを閃光が包む。
砲撃を受けた後のグリーフシードは黒から灰色へと色を変えていた。
『あとはボクが処理しよう。』
グリーフシードの状態を確認したキュゥべえはマミの居る方へ近づこうとする。
しかし―
『待って、キュゥべえ! グリーフシードがすごい勢いで濁ってる!』
マミの言うように、グリーフシードはみるみるうちに黒く変色していった。
『…そうか! 病院というこの場所が魔女のエネルギー源である負の感情を溜め込んでいるんだ!
まずいよ、すぐにでも魔女が孵化する!』
キュゥべえがそう言い終わるのも待たず、グリーフシードは完全に濁り切って、植物の芽が出るように
小さな桃色の魔女の姿が現れた。
「せっかくご登場のところ悪いけど、すぐに終わらせてもらうわ!」
マミは、長銃を大量に召喚し、片っ端から撃っては捨てる。
銃弾はことごとく魔女に命中する。
「すごい!」
圧倒的に押しまくっているマミに、まどかとさやかはいつものようにマミの勝利がそこにあることを確信した。
そんな中、良牙だけは険しい表情をしていた。
「なんだありゃあ? 効いているのか?」
「え?」
魔女は身じろぎもせず、苦痛に顔をゆがませることも無い。
もともと戦闘行為などとは無縁な上に、今までマミの一方的な勝利だけを見てきたまどかやさやかには
それもマミが強いために魔女が抵抗もできないだけにしか見えなかった。
だが、良牙には敵がはじめから避けるつもりも反撃するつもりもないようにしか見えない。
マミも十分に戦いなれている。冷静な状態ならば何かがおかしいと気付いただろう。
しかし、舞い上がっていた彼女の目には圧勝している自分の姿しか映っていなかった。
リボンでがんじがらめに縛った魔女に、トドメを刺そうとマミは特大の大砲を召喚する。
魔女は身動きひとつとれない。まどかもさやかも、マミ自身も、勝利を確信した。
―その時だった。
魔女の口の中からどす黒い塊が吐き出され、一瞬にしてそれが野太い大蛇のようにマミの眼前にまで迫った。
「―え?」
何が起こったのか分からず、マミは完全に動きを止める。
蛇に睨まれたカエル、その言葉が文字通りぴったり当てはまる状態だ。
大蛇はおもむろに口を広げ、獲物の頭にかじりつこうとした。
「獅子咆哮弾!」
せつな、怒号が響く。
マミを食いちぎろうとしていたどす黒い大蛇は間一髪、横殴りに飛んできた光の弾に弾き飛ばされた。
「バカやろう、戦ってる最中にボサッとすんじゃねえ!」
良牙はまどか達のいる場所から駆け下りて、魔女と対峙した。
「…え、あ、良牙さん?」
マミはまだ平常心をとりもどしていない。
そうしている間にも、黒い恵方巻きのような怪物は、傷ついた外皮を脱ぎ捨てて良牙に襲い掛かってきた。
良牙は敵を十分に引きつけると、食べられそうになる直前に落下型の獅子咆哮弾を放った。
獅子咆哮弾は重さで攻撃する技であるが故に、横に飛ばすよりも落下型の方が強力だ。
だが、落下型獅子咆哮弾を食らってもなお、この黒い魔女は脱皮を繰り返して襲いかかってくる。
「くそ、ダメだ。やっぱり獅子咆哮弾じゃラチがあかねえ。マミちゃん、早く攻撃を!」
魔女の攻撃をかわしながら、良牙が叫ぶ。
「え、ええ。ティロ・フィナーレ!」
ようやく気を取り直したマミが、さっきから溜めていた渾身の魔力を砲撃にして叩き込んだ。
轟音がうなり、どす黒い塊は炎に包まれる。
その様子を見て、ようやく良牙もマミも、そしてまどかやさやかも勝利を確信した。
「まったく、浮かれながら戦うからだ。」
汗をぬぐいながら良牙がこぼした。
「ごめんなさい…、私…」
言われるまでも無い。とっくに自分で気付いていた。
仲間が増えていくことに浮かれ切っていて、いつもの用心深さがまったく消えうせていた。
なまじ経験豊富で多少気が散っていても戦えるだけに、自分を戒めることが出来ず大きなミスをしてしまったのだ。
「マミさぁーん!」
さやかとまどか、そしてキュゥべえが二人に駆け寄ってくる。
「良牙さん、かっこいい!」
「ピンチに颯爽と登場! まるでヒーローじゃん!」
一般人二人はくちぐちに良牙を褒めはじめた。あまり褒められなれていない良牙はついつい顔を緩めてしまった。
「ま、まあな。はは、やっぱそーだよな?」
「取ったぁ!」
と、その瞬間、さやかがぺろぺろキャンディーの柄のようなステッキで良牙の頭を叩いた。
「…なにしやがる?」
「あ、ホントだぁ。浮かれたらさやかちゃんでも一本取れちゃうぐらい隙だらけなんだ。」
抗議する良牙に対し、まどかは感心したようにつぶやいた。
「ふっ、違うよまどかくん。あたしはすでに一流武闘家並みの技量を身に付けたのだよ。」
わざとらしく自慢するさやか。
どうやら良牙自身の注意した浮かれながら戦ったらどうなるかというのを実践したつもりらしい。
「おまえらなぁ…」
良牙は内心、まるで乱馬のような手を使いやがってとぼやいた。
そう、良牙こそが簡単に浮かれたり落ち込んだりして戦いに影響してしまうタイプだったのだ。
「おかしいわ。」
「ああ、まだ終わっていないよ。」
平和なやり取りをしている中、マミとキュゥべえが言った。
「まだ、結界が解けてないもの!」
その言葉に、良牙もはっとした。
「あぶない、下がってろ!」
言っている間にも、黒い大蛇はまたもや脱皮をして襲いかかってくる。
「獅子咆哮弾!」
「ティロ・フィナーレ!」
今度はほぼ同時に、マミと良牙の攻撃が打ち込まれる。
それでもなお、漆黒の魔女は脱皮をしてその内側から襲いかかってくる。
「ええい、しつこい!」
「なんなの、この魔女!」
マミも良牙も、もはややけになって魔女を攻撃する。
しかし、何度やっても同じだった。またもや魔女は脱皮を繰り返す。
そして今度は、脱皮の勢いをそのままに、魔女はまどかに向かって突進した。
「ちっ、一番弱そうなのを狙ってきやがったか!」
良牙の気も切れてきて、獅子咆哮弾で叩き飛ばすことができない。
やむなく走って魔女を追いかける。
マミは魔力を溜めて砲撃の準備をしているが、間に合うかどうか分からない。
「え…あ…」
まさか自分が狙われるとは思っていなかったまどかは、恐怖に身がすくんで動けない。
「まどかぁ!」
さやかがまどかをかばって前に出る。
ターンッ
その時、乾いた音が鳴り響いた。
それと同時に漆黒の大蛇は身をうねらせて倒れこんだ。
マミの銃ではあんな音はしない。
「その男は…一体何者なの?」
上のほうから声がする。
一行が声のしたところを見上げると、巨大な釘の上に拳銃を片手に持った黒い魔法少女の姿があった。
そのすぐ横には魔女の使い魔とおぼしきものが頭部を撃ち抜かれて倒れている。
「あなたは!?」
「…ほむらちゃん?」
そう、そこに居たのは鹿目まどかと美樹さやかの同級生にして、魔法少女の暁美ほむらだった。
~第7話 完~
~第8話~
「もう一度聞くわ。その男は何者なの?」
暁美ほむらは鋭い目つきで響良牙を一瞥し、また巴マミをにらみつける。
暁美ほむらの前に置かれたケーキと紅茶は全く減っていない。
巴マミは落胆していた。
形はどうあれ、暁美ほむらは鹿目まどかを守った。
鹿目まどかが魔法少女になるのを嫌がっているのなら、見殺しにしていてもおかしくない。
それでもまどかを守ったということで、最低限の信頼はできる人間だと判断し自宅に招いたのだ。
しかし、話は全く通じなかった。
助けてくれたことに礼を言っても微笑みもせず、ケーキとお茶を差し出しても食べようともしない。
どこから来たのか、なぜあの魔女の弱点を知っていたのか、何を目的に付け回してくるのか…
そう言ったこちらの質問には一切答えない。
本来社交的なマミにとっては理解しがたい相手だった。
素直な性格の美樹さやかにいたっては露骨に不快感を表情に出している。
「俺は武闘家だ。ワケあって、マミちゃんに世話になっている。」
良牙は簡潔に答えた。普段より声のトーンが一段低い。
彼もまたほむらに対する警戒心を解いてはいないようだ。
「武闘家? 魔法を使っていないというの?」
さすがにこれにはほむらも驚いた様子だった。
「ボクも驚いたけどね。確かに彼に魔力は全く感じられない。」
キュゥべえが代わって答える。
(キュゥべえが居なければ少しは事情を話してくれるのかしら?)
マミはふとそんなことを思った。ほむらがキュゥべえを敵視しているのは間違いないようだ。
キュゥべえに手の内を知られたくないがゆえに黙秘を続けているのならば、
秘密厳守を約束した上で時と場所を選べばちゃんと話してくれるのかもしれない。
もっとも、そうするにも相互の信頼がそれなりに必要だ。最低限でも、今後共存する必要がある。
「こちらからの質問、いいかしら?」
マミは言った。
「答えられることならね。」
ほむらは相変らずの対応だ。
「わたしとしては、あなたを縄張りから追い出したりするつもりは無いけれど、あなたはどういうつもりかしら?
今後、共存するために必要なものは?」
追い出したりしない…というのはマミにとっては決して軽々と決断できることではない。
縄張りの主として、よそのものの魔法少女を受け入れるということは、彼女の今までとこれからのトラブルをすべて
背負うことを意味する。
その上、まどかやさやかが魔法少女になればグリーフシードの配分なども差配しなければならなくなる。
そういった苦労がある以上、信頼できる相手で無い限り自分の縄張りには受け入れないのが普通だ。
それが魔法少女たちの常識である。
半信半疑の暁美ほむらを受け入れるというのはマミにとっては一種の賭けだった。
(彼女はキュゥべえに関して何か知っている。)
それがマミが賭けに出た理由のひとつ、そして、もうひとつは―
「『ワルプルギスの夜』を倒すことに協力すること。」
ほむらが言った。
マミは目を丸くした。ちょうど、自分の考えていたことをこのよそものの魔法少女が口にしたのだ。
マミが魔法少女の仲間を欲しがっている理由は単に寂しがり屋というだけではない。
最大の理由は『ワルプルギスの夜』に対抗する戦力を集める必要性だ。
そのために、あえてほむらを縄張りに受け入れようとしているのだから
それがほむらの要求でもあるというのなら願ったり叶ったりの状況ではある。
しかし、それ以上に疑問が頭をよぎる。
「なんで、あなたがそれを知っているの!?」
『ワルプルギスの夜』という魔女が来るのはマミが独自に、これまでの出現のパターンや時期を調べて予測したものだ。
他の魔法少女はもちろん、キュゥべえにだってまだ言っていないのに、どうしてほむらがそれを知ることが出来たのか。
しかし、ほむらはマミのその疑問には答えようとせずに言葉を続けた。
「それと、鹿目まどかを魔法少女にしないこと。」
これもまた、マミにとっては信じがたい言葉だった。
マミを縄張りの主として共存する以上、ほむらの方からことを荒立てない限り喧嘩になることなどないのだ。
いくらまどかの魔法少女としての素質が高くてもグリーフシードの奪い合いでもしない限り害が無いはず。
それなのに、なぜ意地でもまどかを魔法少女にしたくないのか。
そんなにまどかを魔法少女にしたくないのなら見殺しにすればよかったのに、なぜ助けたのか。
「この二つさえ果たしてくれるなら、私は見滝原から出て行っても、必要ならば協力するのも構わない。」
ほむらは唖然とするマミを無視してそれだけ言うと、席を立った。
「私の話すべきことはそれだけよ。邪魔したわね。」
早くも去ろうとするほむらを、マミは呼び止めた。
「待って! あなたは何のために戦っているの?」
ほむらはちらりと振り返ったが、何も言わずそのまま巴宅から出て行った。
「分からない…」
マミはつぶやく。
「もとから仲良くするつもりなんてねーだろ、あいつは。」
良牙が言った。
言わんとすることはマミにも分かる。
暁美ほむらが魔女を倒したタイミングがあまりにも良すぎる。
まどかが魔女に襲われるまで、マミや良牙のピンチを無視して戦いを眺めていたとしか思えない。
そうだとすれば彼女にとってマミや良牙は死んでも良いと考えていたことになる。
一人でやっていく自信のある魔法少女ならそう考えても不思議は無い。
しかし、ますます不思議になることがある。
なぜ、まどかだけを守ったのか?
(もしかして、鹿目さんを魔法少女にしたくないのもキュゥべえを襲ったのも、純粋に鹿目さんを守りたいから?)
ふと、そんな推測がマミの脳裏を巡った。
だが、その推測には致命的な欠陥がある。
暁美ほむらが鹿目まどかだけを守ろうとする動機が無いのだ。
当のまどかも、あまりほむらに対して好意を持っているようには見えない。
むしろ、自分が魔法少女になることを妨げようとするほむらの発言に愕然としている。
とてもほむらがまどかの意を汲んでいるようには思えなかった。
「鹿目さん、あの子の言うことは気にしなくて良いわ。
魔法少女になるかならないか、どんなお願い事をするか、それは自分の判断で考えなさい。」
そう言ったのものの、まどかは簡単に契約できなくなったとマミは思った。
「…はい。」
まどかは弱々しく返事をする。
今、まどかが魔法少女になれば、ほむらはマミに対して何らかの行動を起こすだろう。
まどかが契約すれば、結果としてマミに迷惑がかかる。まどかはそれを意識しないほど無神経ではない。
ほむらの言葉はすでに十分にけん制としての意味を発揮していた。
マミもまどかもそれ以上互いに何もいえなかった。
「ところで、マミさん―」
そんな膠着した空気をさやかが動かす。
「『ワルプルギスの夜』って何ですか?」
「それはね、大型の魔女で―」
マミは気を取り直して説明を始めた。
******************
授業中の教室、廊下ですれ違ったとき、休み時間、鹿目まどかは視界に入るたびに暁美ほむらをみつめていた。
決して友情でも憧れでもない。
(なんで、ほむらちゃんは私のしたいことを邪魔するの?)
昨日からその疑問がまどかの頭から離れなかった。
(やっと、なりたいものが見つかったのに、どうしてなっちゃいけないの?)
まどかにとっては考えれば考えるほど理不尽だった。
まず、まどかが魔法少女になったところで、直接的にはほむらに迷惑をかけることはない。
まどかに魔法を教えたり、フォローをするのはマミの役目だ。
マミには足手まといになって迷惑をかけるかもしれないが、ほむらに口出しされる筋合いのあることではない。
それに、ほむら自身が魔法少女なのだ。
自分は魔法少女になってもよくて、まどかはダメというのはどういう理屈なのか。
納得のいく説明など全くない。
結局は、グリーフシードを独占したいがために邪魔をしているとしか思えなかった。
形としては、ほむらは命の恩人なのかもしれない。
昨日まどかが魔女に狙われた時、ほむらがその魔女にとどめをさしたのだから。
しかし、まどかはマミや良牙を信頼している。
きっと、ほむらが来なくても間に合っただろう。根拠は特にないがまどかはそう思っていた。
だからこそ、まどかはマミへの要求という形で魔法少女になることを邪魔したほむらを憎んだ。
恩を売ってそれをかさに着ての要求というのは、気持ちの良いものではない。
誠心誠意をもって、どうして魔法少女になってはいけないのか説明ができないから政治的な手段を
使ってくるというやり方に好感を持つ方が無理がある。
(そんなことよりも―)
まどかは魔女に襲われた瞬間を思い出す。
『一番弱そうなのを狙ってきやがったか!』
響良牙はそう言っていた。
客観的に見てまどかは『一番弱そうなの』になってしまうのだ。
確かにそうだろう。実際に、まどかは怖くて動けなかったのだから。
それに比べて、魔女などという怪物を相手にすれば同じ一般人でしかないはずのさやかは
勇敢にもまどかをかばって前に出た。
自身は動くことすらできなかったのに。
まどかは自分がいかに弱い存在かを痛感させられていた。
(…このままじゃ、私、何の役にも立たない。)
無力感を味わうほどに、まどかの中で魔法少女への憧れは強くなる。
(こんな私でも、魔法少女になれば人を助けたり守ることが出来るのに!)
しかし、魔法少女になることはできない。今まどかが魔法少女になればマミに危害が及ぶかもしれない。
たとえるなら、大空を駆け巡る日を待ち望んでいた雛鳥が、
初めて空を飛ぶ日の来る直前に羽を切られるようなものだろうか。
他人からはそうは見えないが、まどかも健全な中学生である。
人並みに、いやそれ以上に成長への欲求を持っていた。そしてその道筋が急に閉ざされてしまったのだ。
大きな落胆と、募る不満、そして取り残されていくことへの恐怖感。
その抑圧された思いは、暁美ほむらへの憎しみへと転化していた。
「まどかさん。」
不意に、背後で声がした。
「え、あっ、仁美ちゃん?」
急に頭の中の葛藤から引き戻されて、まどかは慌てた。
クラスメートで、親友の志筑仁美である。
「暁美さんと何かあったんですか? そんなに怖いお顔をされて…」
言われてまどかは初めて気が付いた。
今日はずっと、ほむらをにらみ続けていたことに。
「わたし…」
なんと言って良いのかも分からなかった。
人への憎しみで頭が一杯になって周りが見えなくなるなんて今までになかったことだ。
まどかは自分の中にそんな攻撃的な面があることにショックを受けていた。
「えーと、こないだ帰りにたまたま会ってね、その時になんか気になること言われたらしいよ。」
美樹さやかが割って入り、まどかの代わりに説明をする。
しかし言葉は曖昧で、隠し事があるということを隠せていなかった。
「大丈夫ですの?」
「うん、大丈夫、全然平気!」
まどかは目一杯、明るく元気に答えた。
そうはっきり言われては、何があったのか追求することも難しい。
気遣いをするのなら、これ以上この話題を続けないことだろう。
仁美は友だちの力になれないことを残念そうに席に戻った。
一方、事情を知っているさやかは困ったことになったと思った。
さやかとしても、あの転校生はあまり信用していないが、形の上では助けてもらったのは事実だし、
何より巴マミがさしあたっては共存するという方針をとっている、
ここで自分やまどかがことを荒立てるわけには行かない。
それなのに、まどかの暁美ほむらに対する視線は露骨過ぎる。
意外にも、ほむらはまどかににらまれて動揺しているようだった。
先生にあてられてから教科書を開いていたし、体育の幅跳びでは着地に失敗して膝をすりむいていた。
(まー、さすがに朝からずっとにらまれてたらそうなるか。)
どことなくほほえましくもあるが、あまりのん気に構えてもいられない。
そう思ったさやかは、ほむらに声をかけた。
「なあ、転校生、ちょっと話したいことがあるから付いてきてくれる?」
****************
「いや、すまないね。まどかが変なことになってて。」
さやかは肩をすくめて「まいった」とジェスチャーして見せた。
「かまわないわ。人から憎まれることぐらい覚悟の上よ。」
ほむらは笑みをもらすこともなく答える。
あまり言語外の言葉というものが通じないのか、単純にノリが悪いのか。
どちらにしても、共感を得るより簡潔に伝えたいことを言ったほうが早そうだ。
さやかはそう判断した。
「あたしもさ、まどかが魔法少女になるのは反対なんだ。正直、あんたのことはまだよく分かんないけど
そこだけはあんたに賛成するし、協力してもかまわない。」
それは、さやかの本音だった。
巴マミすら、一歩間違ったら死んでいたかもしれないのだ。
とても戦闘に向いているようには見えないまどかは魔法少女になるべきではない。
どうしても叶えたい願いもないのならなおさらだ。
昨日の戦いを経て、さやかはそう考えるようになっていた。
「…そう。それなら鹿目まどかに魔法少女にならないように言ってくれたら助かるわね。」
ほむらは相変らず涼しい顔をして言ってのけた。
さやかとしては「もうちょっと愛想の良いこと言えないのかよ」と思うが、いちいちいらついても仕方がない。
そういう奴なのだ。ようやくそう割り切った。
「ああ。ついでに、あんまりあんたのことにらまないように言っとくよ。」
「それは―」
何か気になることがあったのか、ほむらは一瞬、言葉に詰まった。
「…どっちでもいいわ。」
そうして無関心をよそおう。しかしそれは、さやかには強がりのように感じられた。
「あと、あたしが魔法少女になるのはかまわないんだよね?」
「あまりお勧めはしないわ。それでも危険に身をさらしたいのなら好きにすれば良い。」
ほむらが魔法少女になられたら困るのは、あくまでまどかだけのようだった。
さやかとしては、こういう形でほむらと話をつけ、自分だけ魔法少女になれる状況を作ってしまうのは
抜け駆けをたくらんでいるようで心苦しい。
しかしそれでも、さやかには叶えたい願いがあったし、それはまどかのように魔法少女そのものに憧れるような
浮いた気持ちでもなかった。
(ごめん、まどか。でもあたしは魔法少女になるよ。)
さやかは心ひそかに決意を固めた。
*************************
生きた心地がしない。志筑仁美は思った。
彼女は世間がうらやむ上流階級の生まれであり、それ相応の英才教育を受けている。
しかし、それはまさに孤独との戦いだった。
無邪気にすごすべき子供のころから、いかに有能な人間か、家柄にふさわしい教養があるか、
そんな風にばかり大人たちから見られ、値踏みされて育つ。
子供同士でもそれは同じで、いかに自分のほうが有能で、正しい家柄かということを
直接的な言葉を使わずにまわりくどい態度でアピールしあう。
誰にも心を許せない、息をつく暇も与えられない。
それが、仁美の見てきた上流階級の生活だった。
公立中学校への進学を許されたのは仁美にとって僥倖といえただろう。
ここで初めて、仁美は本当の意味で友だちといえる人間関係を構築できた。
鹿目まどかと美樹さやか、仁美にとってかけがえのない友人である。
彼女達は学力や礼儀作法といった面では仁美の知っている上流階級の子女達にはとうてい及ばないだろう。
しかし、彼らとは違って、心の底から信頼できた。
いつでも外見を飾り立てている人間とは違って、まどかとさやかはあくまで自然体なのだ。
だから仁美は思う。
どんなよく出来たお嬢様、お坊ちゃまよりも彼女達のほうがよほど素晴らしいと。
だが、仁美はその「よく出来たお嬢様」の部類に入る人間である。
ずっとまどかやさやかとベタベタしているわけにはいかない。
数多くの習い事をこなし、よく分からない偉い人たちの交流に参加し、高校は名門校にいかなければならない。
そのため学校の外でまどかやさやかと一緒にいられる時間は限られていた。
そうなれば、まどかとさやかが共有していて仁美は知らないことが増えてくる。
仁美は友人の輪の中にいながら孤立感を深めていくことになった。
特に、最近はまどかとさやかが二人して自分に対して何か隠し事をしているのが強く感じられる。
はじめから無いものがずっと手に入らない不満よりも、一度手に入れたものを失う恐怖の方が何倍も恐ろしい。
仁美は心ならずもまさに今それを体験していた。
このままでは仁美はいずれ、まどかとさやかの二人から取り残されていくだろう。
そして、自分の人生は無意味な見栄の世界に埋もれていくだろう。
それは仁美にとって絶望的な未来だった。
仁美とて、昔はたくさん習い事をして少しでも高みを目指すことにそれなりの意味を感じていた。
しかし、とある事件をきっかけにそれらが無意味としか思えなくなっていた。
仁美には小学校時代、友人…というほどの間柄でもないが、家同士の付き合いでよく会う知り合いがいた。
名を美国織莉子といった。
明朗であり、理知的であり、かと言って冷たさや必要以上の気取りを感じさせず人当たりも柔らかい。
何よりも、向上心・克己心にあふれ、決して弱音をはかない。
そんな彼女は生徒からも教員からも人気で、小学校でも中学に行っても生徒会長をつとめた。
誰もが前途洋洋たる彼女の行く末を想像しただろう。
だが、美国織莉子は突如、生徒会長を辞めさせられ、まともに学校に通うこともできなくなった。
彼女自体には何の落ち度もない。
国会議員であった父親が汚職の疑いをかけられ自殺したのだ。
汚職議員の娘という汚名をこうむった織莉子は、今までの途方もない努力がすべて水泡と帰した。
今では学校にも通えない引きこもり少女であり、途方にくれて夜な夜な徘徊しているという噂まである。
志筑家も、それまで美国家とはそれなりに深く交流してきたのに汚職が発覚するとすぐに縁を切った。
結局はじめから本心からの交流などなかったのだ。
美国織莉子の顛末は、上流階級の子女というものの存在意義を雄弁に物語っていると仁美は思う。
どんな努力をしたところで、自分という存在は家柄を飾るための装飾品に過ぎないのだ。
決して独立した一個の存在として扱われることはない。
そんなことのために貴重な青春の時間を、人生を無駄に使わなければならない。
この運命を呪わずにいられるだろうか?
仁美は気が付けば、あらぬ方向へと足を運んでいた。
この先に何があるのだろうか?
『こっちに来なよ、きっと楽になれるよ!』
どこからともなく無邪気な声が聞こえ、仁美をいざなう。
(楽に? ああ、今より楽になれるのでしたら喜んでそちらに。)
なんとなく思考が鈍くなっているような気がしたがどうでもよかった。
楽になりたい、このどうしようもない状況から早く抜け出したい。
その道筋があるのなら、なにを戸惑うことがあるだろうか?
「仁美ちゃん…仁美ちゃんってばっ!」
いつの間にか、鹿目まどかが目の前にいる。
何をあせっているのだろう?
「今から、ここよりもずっと良いところへ行きますの。まどかさんもぜひご一緒に…」
そうだ、それがいい。仁美は思う。
苦しみのない世界へ、まどかさんと共に行けるのならばなんと素晴らしいことだろう。
違和感のある仁美の対応に、はじめはまどかも焦っていたが、急にすっと落ち着いた。
「…そうだね、私も思ってたんだ。このままずっと何の役にも立てずにここで生きていくよりももっと良い所があるって。」
まどかの言葉に、仁美は死んだ魚の目をしたまま微笑み、まどかの手をとった。
よく見ればまどかと自分の首筋に、いつの間にか同じマークが付いる。
美しいこのマークはきっと素晴らしい世界に旅立つために選ばれた者の証なだろう。
仁美はそう思い、まどかと二人で手を取り合いながら街中を進んでいった。
~第8話 完~