ブログ和室Macさんに、iPhone 6 Plusにかんする面白い感想が載っていました。
和室Macさんは、iPhone 6 Plusをご利用中です。iPhone 6(無印)のコンパクトであるメリットに理解を示しながら、いっぽうで「漫画、本、ゲーム、等もうiPadを必要としないレベルの表現力が」iPhone 6 Plusにはあると述べています。
個人的な現状ですが僕がPhoneを触っていると周りの人が「デカすぎ」と言ってくるんですね。
「もう携帯じゃ無いよそれ。それで電話するの?(笑)」ってね。
この感じが実は僕的に凄く大好きでして、言われるほどにニヤニヤしてしまうんですよ。
単なる変態かと言われれば否定できない自分が大好きだったりするのですが、
そうでは無くてPlusを使ってる現状がiPhone 3Gを買った時と似すぎてニヤついちゃうんですよ。
6年前の当時、僕の周りはiPhoneなんて日本では流行らんみたいな感じで僕一人でiPhoneiPhone言ってて、
結局iPhoneはご存知の通り日本でも大フィーバー。今度はそういう人達が「iPhoneは、スマホはこういうもんだ」って既存の価値観でまた否定してくる。
[via 和室Mac「日々iPhone 6 Plusの虜になっていく。」]
あははは。本当にそうだなとおもいました。
2008年7月11日、私も iPhone 3G を買って、これは素晴らしいと思って楽しんでいました。
iPhone OS 2が搭載されていたiPhone 3Gには不便さもありました。だってコピペすらできなかったんですよ!!
しかし、いまある現状で、iPhoneでなんとか工夫できないかとあれこれ考えたり、ネットのブログやコミュニティで話し合ったりした時期がありました。
今振り返るとそんな創意工夫が楽しかったんです。(もちろん便利なことはそれ自体は否定はしませんけど・・・)
電気屋に行けば安くて綺麗なデザインのラジオが売ってますが、パーツを買ってきて、電子工作でへたくそなハンダ付けながらも、自分でラジオを組み立ててみる中学生の心理がそこにはあったというとちょっと大げさですかねw
ところが我が国のメディアは2008年当時、iPhone 3Gにたいして敵意というか、奇異の目でみるというか、そんなネガティブな感じがありました。
UBS証券の乾牧夫シニアアナリストが2008年9月、次のように述べました。
乾氏は「新しい提案のある製品だが、日本向けに手直しせず発売した点で市場を見誤っていた。一定のヒットはしたが、戦後処理も必要な段階だ」とアイフォーン商戦を総括。携帯が電話とメール機能にとどまっていた欧米と異なり、「日本はすでにネット閲覧や音楽再生機能を盛り込んでいる。アイフォーンの新規性は薄い」と市場環境の相違を指摘した。
FujiSankei Business i「【クローズアップ】どうなる スマートフォン戦線異常あり」より引用
この乾氏の発言は今でも取り上げられる発言です。iPhone 3Gに対してかなり突き放した評価をしています。
たしかにiPhone 3Gはフィーチャーフォン用のサイトを普通には見れなかったり、当時の着うたなどに非対応だったりしたので、アナリストにはアナリストの言い分があるのでしょう。
私はiPhoneが携帯電話市場でどのような役割を果たすべきかなどという大きな話はよくわからないし、語る資格も持ち合わせていません。iPhoneが勝ち組だとか負け組だとか、あるいはAndroidがシェアがどうとか、あんまり興味もありません。
しかし、一iPhoneユーザとして、せっかくiPhone 6 Plusという面白いデバイスがでてきて、せっかく私の手のひらに載っているのだから、「iPhone 6 Plusをこんなふうに使ったら私たちの生活がもっと楽しいものになるのではないか。仕事が楽にこなせるのではないか」ということをあれこれ考えてみたいと思っています
iPhone 6 Plusは iPhone 5sをデカくしただけと批判されますが、いっぽうカメラ機能が向上していたり、ストレージが倍になっていたり、画面が大きくなってみやすくなったりしています。iPhone 5sにはない可能性がiPhone 6 Plusにはあると思いますし、私たちの使い方によってはさらに便利になると考えます。
私自身はこのブログやポッドキャスト「ミリオン・ドッツ」で、iPhone 6 Plusを実際に自分の手を使ってあれこれ動かして遊んでみたけっか、わかったこと・楽しかったことなど、率直な感想をお伝えしたいと思っています。
他者にとってiPhone 6 Plusがどのような意味を持つかは私は知りません。それよりも自分にとってiPhone 6 Plusとはなにか。それをしばらくのあいだ考えたいと思っています。