表3を見ると日本人の年齢層別人口減少率は戦争の影響がなかったと仮定すると壮年までは概ね10%以下であるのに対し、朝鮮人壮年の減少率は概ね15%以上であることが表4で分かる。
表5には台湾の10年間の年齢層別人口減少率を示した。この表5が示す人口減少率からは特徴ある変化が見い出せないため、戦争の影響はないが年代層が上がるに連れて死亡率が上昇している。その原因は台湾特有の熱帯性疾患が多発することと衛生環境・医療環境が悪かったためと推測される。
経済活動的な側面から
経済状況の一端を見るため、戦前の(表6)日本政府の歳入・歳出額、(表7)朝鮮政府・台湾政府の歳入・歳出額を見てみる。
日本経済の成長率は1935年までは順調に増大しているが、1940年になって急激に増大している。これは続く戦争の中にあって、特にABCD包囲網による経済封鎖に追い込まれるなど窮地に陥り、大東亜戦争に備えて国力の限界を超えた軍事費が出費されたためである。
一方、朝鮮は世界大恐慌の中にあっても実に順調な経済の拡大がなされているが、1915年以降毎年政府の歳出が歳入を超えているのが大きな特徴である。併合した朝鮮にはその不足分を日本国民の血税が負担していた一端が示されている。
(植民地時代に列強が支配した地域と朝鮮併合を峻別するため大東亜共栄圏の模範国に育てようとする当時の日本首脳の意地と意気込みがあったと推測される)
また、台湾も歳入・歳出の均衡を取りながら成長を遂げているものの、その拡大傾向は朝鮮に比べ低くなっている。
さらに表8の日本・朝鮮・台湾の鉄道営業距離からも経済拡大の状況が分かる。特に日本が併合する以前の朝鮮に営業鉄道はなく、1910年以降急速に敷設された。この営業距離としては朝鮮・台湾ともに概ね同様の敷設距離で伸びているが日本人の朝鮮・台湾政策への情熱を物語っている。
まとめ
李氏朝鮮時代は90%以上の民が両班と言われる特権階級に搾取され世界最貧国の1つであった。教育程度も、衛生状態もあらゆる分野の生産性も劣悪で民は窮状に喘でいた。
1910年、日本の朝鮮併合により、日本は強力に朝鮮の近代化政策を進めた。これは当時の朝鮮民族にとって驚愕するほどの大変革であったことは想像に難くない。当地に足を踏み入れた日本人の中には横柄な態度を取る人もいたことであろうし、民族の伝統文化を蔑ろにする者もいたであろう。
当然朝鮮人には彼らに反感を持つ者もいたであろうが、半島に渡った日本人の多くは一般的に教養が高く、高給取りで、鉄道・道路、学校、ダム・電力網建設、医療・教育・法制・港湾・流通・交通の整備、農地開拓、山林の植樹など一騎当千の優秀な専門家であった。
当時日本人は朝鮮人口の約1%くらい居住していたが、大半は大都市に暮していたという。大阪市の役人が書いた朝鮮出張の報告書(1935年)には『朝鮮人は、日本人の警察官や役人が少しでも彼らの心証を傷つけると制止できない危険集団となる』趣旨のものが残っている。
まして当時の日本人が都市・農村に限らず朝鮮の若い女性20万人も拐かすことなど夢にも考えられなかったと推察される。それどころか、在朝鮮の日本人は超多忙で婦女子狩りにうつつをぬかす気持も暇もなかったであろう。
むしろ、朝鮮動乱期の朝鮮人同士の残虐行為は表面化されていないが酷かったと伝え聞く。
最近、大統領閣下ともあろう(本来は同国の最高人徳者級であるべき)人物が事実無根の『20万人の性奴隷』をでっち上げて日本に喧嘩を吹っかけてくるこを見ると、私は「韓国人と積極的に仲良くしたい」とは思わなくなった。
これほど低い教養の指導者しか出てこない国とは並大抵のことでは正常に戻れないと思う。しかし、隣国である以上、今後も長い付き合いになろうが、友好関係がお互い(?)にとって利が大きいとは思っても・・・当面は静観する以外、良策が見当たらない。
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(2013.08.19、篠田 芳明)