この図表から明らかなことは1940年から1950年にかけて10-35歳の男子減少数が突出して多いことが一目瞭然である。この年代はちょうど大東亜戦争の期間を含んでおり、戦場に倒れた戦死者240万人を含んでいることからこの結果となっている。
特に1940年に15-19歳の年齢層が10年後(年齢層25-29歳)にはその減少数が飛び抜けて多く約90万人を数える。
さらに、1930年~1940年の10-30歳の男女、1940年~1950年の10-30歳の女性もともに減少数が不自然に多い。このデータから、うち続く日中戦争や大東亜戦争の影響が戦闘の前線・後方の別なく日本国民の生存に大きく作用し、1930年から1950年の日本の若者には大きな負担がかけられたことが分かる。
では、朝鮮の人口動態はどうであろうか?
マクミラン世界歴史統計によれば朝鮮の人口統計は1930年、1944年と、戦後は1960年、1975年の韓国側のみ記載されていても北朝鮮人口が抜けていることから、数値比較に適さないため使用していない。
しかし、従軍慰安婦が奴隷とされて戦場に送られるという悲惨な実体を検証するには1930-1944年の人口動態を見ればその推測は可能である。
表2は1930年に生存していた年齢別人口から14年後に生存していた年齢層別人口の差を図表化したものである。
当然1930年に0-4歳の年齢層は1944年には14-18歳の年齢層で処理するべきであるが、1944年の統計表には15-19歳しか表記されていないので、1年の差はあるが、近似解としてこの年齢層の人口で処理しても大きな誤りはないと判断し使用した。
こうした処理の結果、朝鮮人の人口減少数には不自然な特徴ある変動が全くなく、逆に日中戦争・大東亜戦争の期間中、朝鮮人は実に平和な日々を送っていたのではないか?と推測できる。
特に性奴隷の対象となる10-35歳の年齢層の女性は男性よりも減少数が少なく、その総減少数が約70~80万人である。もし、20万人もが性奴隷として戦場に送られ、その多くが殺戮されとするとこの年代層の女性人口減少率はもっと多い特徴を示すはずであり、韓国政府が主張する人的損害が有り得ないことになる。
むしろこの表から言えることは15歳以下の幼少児の減少数が際だっており、衛生環境・医療環境・食料不足が子供の成育にとって深刻な社会状況であったと推測される。
以上のように日本と朝鮮の年齢層別人口動態が分かったが、より分かりやすくするため、10年間の人口減少率に換算して示したものが表3と表4である。繰り返すが表3を見ると、1940年当時、年齢層15-30歳の日本人男子は1950年までの10年で減少率は20%前後にも達し、他の年齢層に比較すると実に不幸な世代であったことが分かる。