先日これらのツイートを見かけて、リア充の定義とはなんだろうと少しもやもやと考えた。
旦那以外の男性とまともに会話した事ない(プライベートトークとかした事ない)のでこの年になっても男性が何をどう考えてるか全然わかりません。男友達を下さい。
— お肉おいしい (@029_umai) 2014, 10月 10
私も私の漫画読んだ人が「このリア充っぷり」とか感想書いてくれてるの見て仰天したことあるわ。リア充。この私がリア充。
— きあ (@kia_ruruten) 2014, 10月 13
上のツイート主さんは結婚は運さえあれば誰でもできるし、だから自分はリア充ではない、というようなツイートをしていたが削除したようだ。
これは、このツイート主さん達と、恋愛経験が全くない人のリア充定義の線引の位置が全然違うから、こういう齟齬がおきるのだと思う。
冴えない学生時代を送ると、その後いくらか経験を積んでも非モテメンタリティを払拭することは不可能なのだ!的な言葉はネットでよく見かける。
だから、今現在どれだけ素敵な恋人がいて満たされようとも、自分の抱える非モテというアイデンティティは別物らしい。
この手の人達と、今現在も無経験なままの人間の間には大きな溝があるように思う。
微々たるものだとしても恋愛経験があり、しかも結婚している人らに「私は非モテであり、非リア充なのだ!」と、全く経験値のない人間と同列かのごとく言われると、ムカッとする人は当然いるだろうなぁ…。
私もなんとなく引っかかりを感じなくはない。
私は誰とも付き合ったことがないし、もちろん他人との性行為の経験もない。
人生において、何かしら惚れた腫れたみたいな恋愛の経験があって、しかも性行為の経験まであるなら、私のような全くの「無」な人間とは、経験したこと味わったことに大きな経験差がある。
多分、非モテ・非リア充の感覚としても、何かしらの経験がある人とはかなり隔たりがあるように思う。
少なくとも、一人とは性行為を含む関係を築けていて、既婚なら面倒くさい事務手続きやらまでやって一緒にいるわけで、それ以上モテを求めるのかよ!もういいじゃん…って思ったりはする。
リア充かどうかは、人間関係によらないかもしれないし、独り身でもアクティブにあれこれ充実させてれば、十分にリア充だと思うが、上記のツイートなどの場合のリア充っていうのは結局、人間関係の充実感を指してるのではないかな。
だから、恋愛・結婚で濃密に関わり合ってる人間がいる・いたのに、まるでそこをスルーしたように非リア・非モテを自称するのが、よく分からなかったりするのかもしれない。
ただ、結婚しているから幸せそうかというと、首を傾げることが多いので、本当リア充の定義というのは難しい部分である。
リア充ってとっても主観的な問題だなぁ、と改めて思う。
でも、非モテ非リア充でもヘテロ恋愛市場には入り込める余地がある人は、婚活とか街コンとか積極的になれば出会いの場があるのだろうし、なんとなく他者と恋愛的につながる機会やハードルの低さは羨ましくもある。
私は田舎住まいのレズビアンなので、出会いとなるともうネットに頼るしかないからなぁ…世の中の偏見も怖い。
ネットを使っても恐らく近場で出会える人はいないだろうから、一人の寂しさというものは感じるが、人といる煩わしさのストレスの方がきっと私には毒だと思って、もう無経験な人生を諦めとともにリア充にはなれない自分を受け入れるしかないのだ。
そもそも、今は恋人より金が欲しいのが本音だったり。
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