製氷技術が日本に輸入されたのは明治時代前期。1879(明治12)年には、横浜にジャパン・アイス・カンパニーなる製氷工場ができ、2年後の1881(明治14)年に、オランダ人のルドヴィカス・ストルネブリンクが、ヨコハマ・アイスワークスと社名を改めて、機械氷を推し進めた。
一方、1883(明治16)年に東京の新富町で開業した東京製氷が、技師の和合英太郎のもと機械氷を製造・販売していった。
この2つの製氷会社とも、その後、合併や吸収を繰り返し、最終的には戦時下の水産統制で1942(昭和17)年、帝国水産統制株式会社(現在のニチレイ)にまとまった。
日本の製氷業界の系譜は変化に富むものだったものの、「氷は300ポンド」という基準は手を加えられることなく、ずっと続いてきたのだ。
氷が不純物を水のほうへ押しやる
一般的な製氷機による角氷のつくり方は、次のようなものだ。
「原料水」を、縦50センチ、横30センチ、高さ100センチで300ポンドの氷ができる「アイス缶」に流し入れる。いくつも並んだアイス缶の外側を囲むプールに、凝固点が摂氏0度より低い液体を満たし、-12度が保たれるようにして、アイス缶を48時間かけて冷やす。アイス缶の中心部には棒状のエアレーション装置を入れる。缶の壁側から中心側に向けて氷がつくられていくので、最後にエアレーション装置を抜き取る。
こうして、135キログラムの角氷がつくられる。
「-12度というのは、それより低い温度で凍らせると、氷が白くなったり割れたりするため。-8度のような“甘い温度”でゆっくり凍らせるとよい氷になりますが、時間はかかります」
-12度であれば、氷は透明となり、時間的にも区切りのよい48時間サイクルでの製氷が可能になる。