不純物なし「全透明氷」のつくり方

日本が“氷先進国”に駆け上がるまで(後篇)

2012.08.03(Fri) 漆原 次郎
筆者プロフィール&コラム概要
今関冷機製氷販売社長の今関靖将氏。著書に『実践 氷業学』がある

 製氷技術が日本に輸入されたのは明治時代前期。1879(明治12)年には、横浜にジャパン・アイス・カンパニーなる製氷工場ができ、2年後の1881(明治14)年に、オランダ人のルドヴィカス・ストルネブリンクが、ヨコハマ・アイスワークスと社名を改めて、機械氷を推し進めた。

 一方、1883(明治16)年に東京の新富町で開業した東京製氷が、技師の和合英太郎のもと機械氷を製造・販売していった。

 この2つの製氷会社とも、その後、合併や吸収を繰り返し、最終的には戦時下の水産統制で1942(昭和17)年、帝国水産統制株式会社(現在のニチレイ)にまとまった。

 日本の製氷業界の系譜は変化に富むものだったものの、「氷は300ポンド」という基準は手を加えられることなく、ずっと続いてきたのだ。

氷が不純物を水のほうへ押しやる

 一般的な製氷機による角氷のつくり方は、次のようなものだ。

 「原料水」を、縦50センチ、横30センチ、高さ100センチで300ポンドの氷ができる「アイス缶」に流し入れる。いくつも並んだアイス缶の外側を囲むプールに、凝固点が摂氏0度より低い液体を満たし、-12度が保たれるようにして、アイス缶を48時間かけて冷やす。アイス缶の中心部には棒状のエアレーション装置を入れる。缶の壁側から中心側に向けて氷がつくられていくので、最後にエアレーション装置を抜き取る。

 こうして、135キログラムの角氷がつくられる。

 「-12度というのは、それより低い温度で凍らせると、氷が白くなったり割れたりするため。-8度のような“甘い温度”でゆっくり凍らせるとよい氷になりますが、時間はかかります」

 -12度であれば、氷は透明となり、時間的にも区切りのよい48時間サイクルでの製氷が可能になる。

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漆原 次郎 Jiro Urushibara

1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


食の安全に対して国民の関心が高まっている。国民が健康を意識しているのはもちろんだが、今後、安全で美味しい食の供給国としての日本を考えた時にもこの問題は重要になる。このコラムでは、日本や世界における食の安全への取り組みを様々な角度から取り上げていく。