今野真二『辞書からみた日本語の歴史』

10月11日(晴れ)

 10月10日、今野真二『辞書から見た日本語の歴史』(ちくまプリマーブックス)を読み終える。今野さんの本を読んだのは今年、これで実に5冊目である。主として近代における日本語の変化についての議論を展開してきた著者であるが、今回は平安時代から明治時代に至る日本語の様々な辞書を取り上げて、そこからそれぞれの時代の日本語の姿を探ろうとしている。「はじめに」で今野さんは次のように書いている:
辞書は時代を映す鏡といわれることがある。辞書が、その辞書の編集目的に従って集めた日本語は、その辞書が編まれた時期の日本語や日本文化について、さまざまなことを語ってくれる。辞書をよくよく「よむ」ことによって、その辞書が編まれた時期の日本語や日本文化を探り、「作り手」や「使い手」がどのような人であったかを描きだすこと、それが本書の目的だ。(11ページ) 「プリマーブックス」の1冊として刊行されるということは、初学者向けの平易な本として書かれるということであるはずだが、実際にはかなり読み応えがある。

 次にこの本の目次を紹介してみよう。
第1章 辞書の「作り手」と「使い手」――平安~鎌倉時代の辞書
 1 百科事典的な『和名類聚抄』
 2 漢文訓読がうんだ『類聚名義抄』
第2章 辞書を写す――文学にも日常生活にも対応する室町時代の辞書
 1 成長する辞書『下学集』
 2 文学とも関わりが深い『節用集』
第3章 日本語の時間軸を意識する――江戸時代の三大辞書
 1 「今、ここ」のことばを集めた『俚言集覧』
 2 古典を読むための『雅言集覧』
 3 現代の国語辞書の先駆者『和訓栞』
第4章 西洋との接触が辞書にもたらしたこと――明治期の辞書
 1 ヘボン式ローマ字綴りのもととなった『和英語林集成』
 2 いろは順の横組み辞書『[漢英対照]いろは辞典』
 3 五十音配列の辞書『言海』

 今回はとりあえず第1章を紹介していくことにしたい(第2章まで紹介するつもりだったが、時間がなくなったのである)。
 第1章では、まず『和名類聚抄』に先立って、どのような辞書(あるいはそれに近いもの)が存在したかについてのおおよその推測が展開されている。中国文化の影響が圧倒的な中で、それは漢字、漢語を理解し、使うための辞書であったと考えられるという。
 『和名類聚抄』は歌人で、三十六歌仙の中に数えられる源順(911-985)が醍醐天皇の皇女である勤子内親王の命によって934/5(承平4/5)年頃に撰進した辞書で、内親王が漢詩文の典籍を読まれる際に手引きとなるように作られている。順が親しんでいた中国の類書を参考にしてまとめられている。ここで「類書」とは漢詩文作成のための言葉をいろいろな書物から集めて編集したもので、百科事典的な側面ももっている。このため『和名類聚抄』も類書に近い、百科事典的な性質の辞書となっている。この辞書はその後長く、利用され、江戸時代になっても刊行されたほどである。
 『和名類聚抄』は見出し項目を言葉の意味に従って分類配列する「意義分類」のやり方をとっている。このやり方は江戸時代までつづくことになった。
 「意義分類」とは人間が外界をどのように認識し把握しているかということでもある。『和名類聚抄』は中国語=漢語を見出し項目としているので、当然のことながらその「意義分類」も中国語圏における分類に影響を受けている。
 ところでこの辞書の序では漢詩や漢文をつくる興趣である「風月之興」とともに、実際の言葉に関しての疑問「世俗之疑』もまた編纂の際の視野に入っていることが謳われている。このため、この辞書には「和名」=和語も取り込まれている。『和名類聚抄』がその後大きな影響力を保ったのは、こうして漢語と和語のバランスをとっていることにも起因しているのではないかと今野さんは指摘している。

 日本の辞書にはもう1つの流れがある。それは特定のテキストに基づいた注釈書およびそれをもとにして編集された辞書の系譜である。たとえば『法華経』のような仏教の経典をきちんと理解しようとすると、そこでつかわれている漢字の発音・字義を正確につかむ必要がある。そうした注釈が「音義書」という形で蓄積されていった。このような音義書が、特定のテキストを離れて、一般性のある辞書へと移行してできたのが『類聚名義抄』であったと考えられる。
 現在、いくつかの系統の写本が残されている『類聚名義抄』はもともとの『類聚名義抄』を改編してできたものと考えられ、改編本系と呼ばれることもあるが、12世紀ごろに法相宗、真言宗、天台宗関係の僧侶の手で編集され、また利用されていたものと考えられる。編集に当たっては、それまでに蓄積されてきた中国と日本の様々な情報が記されており、編集された時代の情報が記されているとは限らないことに注意する必要がある。

 日本語の辞書の出発点である『和名類聚抄』は漢語を、『類聚名義抄』は漢字をそれぞれ見出し項目としており、この点では共通している。つまり日本語の辞書ははじめ、中国語や漢字を理解するために作られたのである。作る人も使う人も中国語=漢語を使って言語生活を送っている当時のエリート(に近い人)たちであった。そして辞書をめぐるこのような状況はその後も長く続いたのである。

 実はここで紹介しなかった細かい考察がいろいろな興味を呼び覚ます。たとえば、「象」という動物を表す漢語には、「きさ」という和語が対応していたというのだが、現在の漢和辞典には「きさ」という訓は記されていないようである。しかし、今野さんは気付いていないのか、わざと話題から外したのか知らないが、芭蕉の句で有名な象潟という地名では「象」を「きさ」と呼んでいる。これが孤立した用例なのか、他に類例があるのか、またこのような読み方がどのような起源をもつのかなど、興味は尽きないのである。
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