昼になって、雨の勢いが強くなった。フォン、と鋭い音がして、カーテンが翻る。窓のほんの少しの隙間から、あんなにめくれるなんて凄い、と着替えの途中でぼうっと見ていたら アラームが鳴った。もう出なくては間に合わない。慌ててジャケットを羽織る。
「ながぐつ、ながぐつ」
使うのが久しぶりだったから、戸棚に仕舞っていた長靴を出して、透明の傘を持つ。
「気を付けてね」
「うん、いってきます」
5分後の電車に乗らないと間に合わなかった。今日は革の手帳を作りにいく。東寺で知り合った、素敵な器をつくる友人と一緒に予約をいれてから、ずっと楽しみでワクワクしていた。台風で中止になるかなと心配だったけれど、開催されるようでホッとしていた。ところが朝から、台風のせいで仕事のお電話が沢山かかってきたせいで、そしてゆっくり朝ご飯を食べたりしていたせいで、遅刻しそうだった。
雨はどんどん大粒になってきていたし、一生懸命に足を動かすけれど、久しぶりの長靴はとても重たく感じて中々前に進まなかった。坂道を上がって、大通りに出る。みるみる膝までびしょ濡れになった。これは、無理かな。。思った瞬間のことだった。
右から突き上げてきた突風で、傘が一瞬でこわれた。
うそだ、と思って思わず足が止まった。手の先の傘だったものは、骨だけになって、その骨も色んな方向に折れている。ビニールはヒラヒラと旗みたいになっている。(こんなにぐちゃぐちゃになるものなのね・・)と唖然とした。
そのとき、隣で車が止まった。
タクシーだった。私が停めたと思ったのかな、でも今から駅までいっても間に合わないし、仕方ない、お願いしよう。ぺこ、とお辞儀をすると、扉が開いた。ぐちゃぐちゃに折れた傘は閉じなくてこまった。すみません、と言って乗り込んだ。
「傘、見事に壊れたな。たまたま見てたらびっくりしたでー。」
「はい・・とっても、びっくりしました。」
運転手さんが笑う。コロンボに似ていた。ほっぺたがピンク色だ、と思った。
「どこまでや?」
行き先を告げると、それやったら電車が近いで、という。駅に向かっていたのだけど・・と言うと、
「よっしゃ。すぐそこやんか。行ったろ。お金?いらんで。サービスや。」
と、なんと駅まで乗せて下さった。確かに歩いて5分もない道のりだけど、でも・・と思っていると、駅についてしまった。おじさんはいらんで、と受け取らない。そうだ、とひらめく。
「おじさん、私、絵を描いているの。これ、御礼です。」
ちょうど、前の個展で作ってもらったポストカードを数枚持っていた。それから、のど飴があったから、これも、とあげたら喜んでくれた。それで、気を付けてね、とお互いを気遣って別れた。この駅には改札もない。ホームに立ったとたん、踏み切りが鳴った。電車が来たところだった。今日が祝日なのを忘れていたので、思っていた時刻表と違ったらしい。ぴったりのタイミングだった。
温かな気持ちは、駅を降りて半減した。雨はさっきより一層強く降っている。傘の残骸は駅で捨ててしまったのだけど、せめて持っていれば良かったかしらと後悔した。目的地までは、ここから5分くらい。えーい、仕方ない。ハンカチを広げて一応かぶって、走り出した。人はあんまり、歩いていなかった。ゲームセンターの前で、金色の髪をした男の子がいた。誰かを待っているのかな、と走りながら何となく目を向けたら、
「お姉さん、傘ないの?」
という。ちょっとびっくりしながら、
「さっきまであったのだけど、壊れちゃったの。」
というと、
「これ、使いよ」
と、白い傘を差し出してくれた。
「いいよ、大丈夫、ありがとう。だって、どうするの?」
驚いて言うと、
「ぼく、すぐやから。」
と、傘を渡して走っていってしまった。
「え!」
一瞬の出来事だった。雨のなか、男の子の足はとても早くて、既に随分遠くにいた。そんな。。追っかけるべきか(そして返すべきか、お礼をいうべきか)でも約束に遅れてしまうし、どうしたものかとしばらく立ち尽くしたけれど、(いつか、誰かが雨で困っていたら私の傘をあげよう)と決めて、もらった傘をさして約束の場所に向かった。
それで今日は、素敵な手帳を作った。本当はぼろぼろの手帳のカバーをつけたかったけれど、それは難しいそうなので、新しいものを作った。友人は職人らしく、初めて作ったというのに、すぐにお店に並びそうな美しくて完ぺきな手帳を作っていた。あっという間の時間だった。色んな人の親切がいっぱいの、優しい気持ちの日に作れて良かったなと思った。この手帳に1年たくさん幸せなことを書いていけたらいいな、と思いました。