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» 2014年10月14日 00時00分 UPDATE

理由は3つ:福岡「ラーメン王国」にあらず、実は「うどん大国」の“意外” (1/4)

福岡・博多の食といえば、「とんこつラーメン」を思い浮かべる人も多いはず。地元住民が毎日のようにとんこつラーメンを食す「ラーメン王国」の印象もあるが、本当にそうなのか。

[産経新聞]
産経新聞

 福岡・博多の食といえば、「とんこつラーメン」を真っ先に思い浮かべる人が全国にはたくさんいるだろう。白いスープと独特の香りのラーメンは、九州の地方食からすっかり全国区となり、アジアを中心に海外進出も果たした。福岡は地元住民が毎日のようにとんこつラーメンを食す「ラーメン王国」の印象もあるが、本当にそうなのか――。

yd_hakata1.jpg 福岡で最もやわらかいといわれる「みやけ」のうどん。三宅雄次郎氏はうどんをゆで続けていた=福岡市博多区

 違う。実は、福岡にはラーメン店に勝るとも劣らないほど、うどん店があり、しかもうどん発祥の地という伝説もある。福岡は香川と並ぶもう一つの「うどん王国」だったのだ。(九州総局 津田大資)

理由(1)歴史

 博多駅の北西500メートル。臨済宗東福寺派の承天寺(じょうてんじ)境内に一つの石碑が建っている

 「饂飩(うどん)蕎麦発祥之地」

 石碑にはこう刻まれている。鎌倉時代の仁治3(1242)年に開山した駿河(静岡県)出身の聖一国師(しょういちこくし)が、中国・宋から博多へ製法を持ち帰ったのが、日本のうどんの始まりとされる。

 西南学院大名誉教授で観世音寺(福岡県太宰府市)住職、高倉洋彰氏(71)=考古学=は、うどんが博多発祥であることを提唱する。

 研究のかたわら、博多の麺文化のルーツを探ろうと、30年間1日1杯のラーメンやうどんを食べてきた。中国大陸でも麺を食べ歩き、中国内モンゴル自治区などで、現在の日本のうどんとほぼ同じ製麺方法を確認した。

 高倉氏によると、博多は平安時代末期から日宋貿易の拠点だった。貿易に熱心だった平清盛が、大宰府の幹部「大宰大弐(だざいのだいに)」だったこともある。

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