2014-10-13

善意の酷い訳者

半月ぐらいかけて、とあるオープンソースライブラリマニュアルを和訳した。で、完成したので、github辺りに上げてブログ記事でも書こうかな、と思っていたタイミング

http://d.hatena.ne.jp/takeda25/20141012

という記事を読んだ。英語のできる方の意見としてもっともだと思う。

で、これを読んで、自分は「このつたない訳文をwebに上げていいものなのだろうか?」と、考え込んでしまった。このタイミングで目にした、ということは「上げるな」という啓示とすら思える。

そもそも、その文書は、最初純粋自分用に翻訳を始めたものだ。で、ある程度読み進んだところで「タダでこんな高度なソースを使用できるのは有り難いことだし、自分もこのコミュニティに何かしらの形で還元できるといいなあ」と思って、途中から公開用に体裁をまとめてみたものになる。

自分高校英語理解できるレベル翻訳素人で、日曜プログラマだ。ライブラリの実際の使用に関する理解はそれなりにあると思うけど、アルゴリズム周りや、数学的な部分、特に行列周りの英語における語彙などは相当怪しい。当然だが構文解析も未熟だ。自分が読者として読んでみて「?!??」みたいな訳にならないように努力はしているが、その努力明後日に突っ走っている可能性も否定できない。

まり自分翻訳したドキュメントは、この方のいうところの「善意の酷い訳」に該当する可能性が極めて高い。

だが、こんな物でもないよりはマシ、という人がいる可能性もそれなりにある。そして原文が作成されてから単位放置されていた以上、自分以外の訳者も多分現れないだろう。そうでなければそもそも公開しようと思わない。

実際の所、誤訳の可能性が高い文章は、例え訳者が「叩き台程度」と自覚し、それを明示していても、web汚染するべきではないのだろうか。また、何をもって、自分を「訳文を公開していいレベル訳者である判断するべきなのだろう?やっぱりTOEICとかで高得点出したりしないとダメなのだろうか。

なんだかモヤモヤする。

※追記

色々考えてたら面倒臭くなったから公開するのやめとく。世に公表しなければ少なくとも誰かが不快な思いをすることはないし。

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