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2014.10.11
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カテゴリ:カテゴリ未分類
今年は勉強の一年にしようと意気込んでたはずですが、勉強に関してはもうほんとに進んでるのかどうかさっぱりわからない状態が続いています。

いま勉強してるのは、大きくわけて4つあります。

まず陰陽師先生のもとで、算命学や帝王学といった占術や生き方をふくめた陰陽五行論と、仏教思想、インド哲学に関すること。

それから春からはじめた生命の樹とトートタロット。

あと英語。

そして博士のところでは、まったく教えてもらえないなかで自ら学ぶしかないというスパルタの宇宙法則。



どれもすごくおもしろいし、自分にとって今後必ず役に立つものばかりです。



しかしそのどれもが、ちょっとわかったと思った次の瞬間、信じられないくらいに膨大な量の世界がその先に広がるものばかりで、そのたびにはるか遠くの無限の領域を感じて愕然とします。

でも学ぶとはそういうことで、無限性のあることが吸引サイクル、永久運動なので、それでいいのだと思います。


ただ、全部おもしろいので、これをやってるとあれが気になる、あれをやってるとこっちが気になるといった感じで、結局どれをやろうか迷ってるうちに一日が終わるということが多くて、これじゃぜんぜん学びの一年にならない!!と夜になってくやしくなったりもします。なのでときには、ほかのすべてを忘れて、今日のこの時間はこれだけに集中しよう!!と決めてやらないと、どれもぜんぜん進みません。

・・・そのわりにはパズドラもドラクエも夢中でやってしまうのですが、そういう嗜好の時間もないと生きてること自体が苦行になりかねないので、そこはバランスと思ってやってるのですが、それにしてもすでに10月。




マズイです。



そんなわけで、こないだは、トートも装置も気になるけれども今日は五行をやろう!!と決めて、とある学術論文を読んでいました。

最近は、スピリチュアルなものを科学的に、あるいは学問的に、きちんと理論立てて説明しているようなものにすごく興味があります。

エネルギーとかヒーリングとか、天使とかドラゴンとか、前世とか来世とか、別次元のわたし、とか、それはそれですごくよいです。

しかしそれはすでに自分にとってはずいぶん前からおなじみの世界です。

そしてそういうすでに自分が知っているところにはつい安寧してしまいがちになるのですが、やっぱり自分の枠というのはある程度できあがったらつねにブッ壊していかないと、結局怠惰になっちゃうと思うのです。

なので、霊的な世界を自分は肯定するというスタンスのうえで、それらを受け入れない人のほうが大多数のこの社会のなかでは、唯一こういった世界をつないでいるものは、やはり科学と学問だと思うに至りました。


そんで、そういったものを探してみると、世の中にはちゃんと、そういう世界を学問として研究している人や場所があちこちにあって、そういうところには、いわゆるスピリチュアル系の本とはまたべつの、知性に裏打ちされた大変に奥深い学術研究の世界があって、それがまたすごく自分にとっては大変におもしろいです。


というわけでときどきそういう論文を探しては読んでるのですが、こないだとある大学院の論文で、陰陽五行の三合に関する論文を見つけました。



三合とは、前に「酉の三合」とかでも書いたと思いますが、時計回りに十二支を並べていった時に、ちょうど正三角形になる関係性の干支は、とても調和した関係性にある、というような思想のことです。


たとえば、こんなのです。


三合金局.jpg



このように、巳と酉と丑をつなぐと正三角形ができます。

西洋占星術でもトラインというのがありますが、十二支でもこの正三角形の関係性をもつ3つの干支を「三合」といって、五行ではいい感じの組み合わせとされるのですが、おもしろいことに、この3つの干支はこのように合体したとたんエレメントが変化します。

この場合は、火である巳と、土である丑が、ともに酉の金気に変化して、ひとつの強い金気になります。

それで酉の三合のことを、三合金局と言ったりします。

ちなみに生旺墓とは、スタート、中間、エンディング、と同じ意味で、三合金局は巳からはじまって酉で極まり、丑で終わるというかんじです。金気の酉でいちばんもりあがる(旺)ので金局というわけです。




さて、ここからが本題なのですが、つぎに、午の三合と言われる三合火局について書いてゆきたいと思います。


三合火局とは、このように、寅と午と戌をつないだ、下向きの正三角形のラインをいいます。

三合火局.jpg


このとき読んでいた論文では、この三合火局と風水が、京都の平安京に使われていたという内容だったのですが、それでふと、早稲田の穴八幡を思い出したのです。



穴八幡1009.jpg



ウィキによると早稲田の穴八幡は、3代将軍徳川家光によって幕府の祈願所・城北の総鎮護とした、と書かれてるのですが、グーグルマップを見ると、江戸城の北というより、ほぼ完全に西北に位置しています。


そのまま東方面になんとなく直線を引いていくと、浅草寺にぶつかります。

さらにそのふたつを結んで、そのまま正三角形的なかたちを作るために皇居の南側のポイントを探って行くと、これがまたぴったりいい感じの場所に、浜離宮があります。

そいえば読んでた論文によると、平安京の三合火局でも、朱雀にあたるところには強すぎる火を中和するために池を設置したと書いてあったので、そこらへんともかぶるような感じです。


もしかしてもしかすると、穴八幡は皇居を中心とした時に、午の三合を作ってるのではないか。

親バカにも似た地元愛がそう考えさせてしまうのかもしれませんが、なんだかそんな気がしてきました。



穴八幡といえば、一陽来福も有名ですが、なによりも「流鏑馬」です。

馬が有名な神社なのです。

そのことがますます、午の三合っぽい気がしてくるわけです。

流鏑馬は毎年、体育の日に行われますが、これは暦でいうと、ちょうど戌月のはじまりの時期です。

もし穴八幡が午の三合なら、干支は戌にあたります。

ますますもって、午の三合ぽい気がしてくるわけであります。


自分が午年=火というのもあり、また自分の陽占も火が強いうえに陰占の日干が火なので、三合のなかでも特に午の三合は気になるのですが、まさかそれが、自分が生まれてから35年、一番身近にあった穴八幡につながるとは思いませんでした!!(勝手につないでるだけなんですけど)

ちなみに三合のなかでも火局は、木生火、火生土、と相生で成り立ってるところもなんかいいなって思います。


とにかく。


穴八幡て、ほんとに摩訶不思議なんですよねえ!!!!


風水的にどうなのか、ほんとのところはぜんぜんわからないし、調べても穴八幡についてはほんとにフツーの神社みたいな情報しか出て来ないのですが、いままでたくさん神社にいったけど、もっとも身近であるはずのこの穴八幡に関しては、いまだに自分のなかではナンバー1にミステリアスな神社だと思ってます。



そもそも1000年まえに義家が設置したという以前に、この神社は前方後円墳の上にできてる(らしい)のです。


ということはだいぶ昔からのパワースポットです。


歴代将軍たちもたびたび参拝し、大正天皇の蟲封じ祈祷もやったという穴八幡。


というわけで「じつはそうとうすごいんじゃないか穴八幡」というようなことを次回もしつこく書いてみたいと思います!!


精神世界ランキングたまには早稲田への地元愛でブログ書いてみようかなと思いました。


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最終更新日  2014.10.12 02:51:11

2014.10.10
カテゴリ:カテゴリ未分類
前回オバケとか鬱とかいろいろ書いたのですが、ほんとはそんなのはどうでもいいことで、こないだの皆既月食のときに気がついたことはもっと別のことでした。

その夜、ニュースで皆既月食は夜8時くらいがちょうどいちばん隠れるときだと言ってたので、夜ごはんを食べたあと、てつと二人で外に出て、月食を見てみることにしました。

外には近所の人たちがあつまっていて、そういえば前に月食見たときも、近所の人たくさんいたなあとか思って、ひさしぶりの月食を見てたのですが・・・

皆既月食20141007.jpg

月は残り10%くらいまで隠れてました。

そうか~あれが地球の陰で、地球の真後ろには太陽はいて、だからいま月と地球と太陽って一直線なのかあ~

前に見たときもこんなこと思ったのですが、でもそのときはもっと興奮して見てた気がするのですが、今回はなぜかやっぱりちょっと不気味というか、なんかしんないけど物忌み感のする月食だな・・・と眺めてました。



そしたら急に、すごい頭が痛くなってきちゃったのです。




そのとき突然、きのう電気先生が言ってた風車と風のはなしが、この皆既月食とまったく同じということに気がつきました。


まさに今回のブログはそのことを書きたかったのであります!!!!

というわけで、ちょっとマナもひさしぶりに画伯ぶりを発揮しましてですね、無謀にもイラスト付きで説明をがんばってみたいと思います!!!!




では最初に、これが風と風車の関係性を上から見た図でございます。


風と圧1.jpg


芸術学部出身のはずなのにこんな絵を描くのに二時間くらいかかってしまったのですが・・・


まず、黒い矢印が風です。

風は、圧の低いほうから高い方へと流れていきます。

そしてそのまんなかにあるのが風車です。

風車の回転はグレーの矢印で、この場合は右回転になってますが、それは羽根の構造で、回転の向きは風には影響されません、風車の羽根が回転の向きを決めるようです。


ここまではOKかと思います。


それでは次の図です。


風と圧2.jpg


なぜ風車が回るのか?というとそれは、風が回しているから、と考えがちなのですが、ここでちょっとべつのイマジネーションを働かせてみましょう!!

なんでもそうですが、プラスとマイナスという異なるもの同士があったとき、そこには発酵現象(風)が生まれます。

この場合、風車は、高圧と低圧のあいだにはさまれています。

すると何が起きるかというと、風車がそれを中和しようとするのです

そこに、吸引サイクルが生まれます。

それがムラサキの矢印です、風車はこの吸引のエネルギーによって回っている、と考えられます。


ちょっと何言ってるかわからないというあなたさまのために、それではさらに次の図でご説明いたしましょう!!


風と圧3.jpg



これは実際に電気先生と博士が、研究所で風車の実験した時に起きた出来事らしいのですが・・・

まず、丸い5つの点は、風力計で風力を計った地点です。

さあここで、大変に摩訶不思議な現象が起きたのですが、それはピンクの丸地点では風が計測できたのに、ミドリの丸地点では、風はゼロだったのです。


ピンク地点で風が吹いてるのは当然です。

しかし、風下で風車の前に立って計った時と(イラスト左側の緑の丸)、風車の上で計った時(イラスト中央の風車の中の緑の丸)、風は計測できなかったそうです。

だって風車なんてスキマだらけで、壁が一枚あるわけじゃないんだから、向こうから吹いてきた風が、風車のあいだを通ってこっちにも吹いてくると、ふつうは想像します。

しかも手前だけならまだしも、風車の上でも、風は計測できなかった。



なぜか?



それは、風車が、風そのものを中和してしまったと考えるのがもっとも自然です。

だから風車の真上と手前では風がないのです。

博士の風車が、どんなに風が少ない日でも、ほとんど止まらない理由がこれでわかります。

外という自然界にある以上、必ず、つねに周囲にはわずかな圧の差が生じているはずです。

風車はその圧の差を中和しようとするから、つねに回り続けているのです。

一般的な風力発電の風車は風が弱いとピクリとも動きませんが、それは風が風車を回すという考え方で作ってるから回らないんだと思います、風車とは、圧の差を中和するものだと考えれば、きっともっと効率よく回り続ける風車が作れると思います。




風車は吸引サイクルの力によって回転している、これが、そのまま地球の自転運動と同じではないかと、マナは月を見ながら思いました。

皆既月食のときの星の配置を見れば、それが風車と風の関係性とまったく同じであることがわかります。


風と圧4.jpg



ちなみに、ふだんは月はここにはいませんが、ここに月があろうがなかろうが、太陽という高圧の存在が中心にあるかぎり、とにかく低圧の外宇宙から高圧の太陽へと、大いなる銀河のウエイブという、つねに何らかの大きなエネルギーがやってきてることはたしかです。

そしてあいだにはさまれている地球は、まさに風車と同じです。

だから地球は、どこにもエンジンなんかついてないのに、吸引サイクルによって自転し続けることができるのだと思います。

当然ほかの水星や火星も同じで、地球をはじめとする太陽系の惑星の自転運動は、中心の太陽と外宇宙とのあいだの圧の高低差を中和する吸引サイクルによって、永久運動をしているとしか思えない。

だから自転とはフリーエネルギーなのです。

そこへ、今回の皆既月食のように至近距離で月というふだんよりもはっきりとした圧がかかると、そこにはものすごい発酵が起きて、いつも以上の強い吸引サイクルが地球には生まれているはずです。



・・・そんなことを考えながら月を見てたのですが、5分もしないうちに耐えられないくらいにひどい頭痛になってきたので、皆既月食を見届けることなく、家に引き上げることにしました。

猛烈に眠くなってしまいました。

まだ夜の8時前なのに、もはや立ってられないほどの眠気です。

居間にいたかまやつに「ごめんちょっとねてくる・・・」と伝えました。



そのとき、ふと、金魚の水槽が目にとまりました。


それはマナが研究所の博士の水槽を真似して作った循環型浄水装置がついた水槽なのですが、この水槽がまた、いつもどこかが故障してはやり直しのくりかえしで、このときもじつは、パイプがつまってて流れが悪くなっていたのです。


それが音を立てて、水がいきおいよく流れていました。


さっきまで、ほんのさっきまでつまってたのに!!!!


まさに皆既月食の時間とほぼ同時に、パイプのつまりがとれたのでした。




マ「やっぱり、圧だ、月の圧で、だから脳圧もあがっちゃうし、水圧もあがっちゃうんだ・・・」




ほんとにこういうズバリなタイミングでの出来事こそ、神さまからの答えとしか思えません。

地球の自転は、太陽があってこそで、その太陽もまた、大きな銀河のなかで発酵を起こしている。

外宇宙と太陽のもたらす発酵現象のなかで地球は永久運動をし続けていて、そのときに生じる莫大な吸引エネルギーが、海や山や、動物や植物、そして人間たち、この地球上のすべてを生かしている。


まさに命の循環とは、銀河の果てから、マナんちの小さな水槽まで、等しく働いているのです。



それは一億光年はなれた場所でも、きっとまったく同じ、たったひとつのエネルギーによって、この宇宙はできている。



それをなんて表現するか、愛、という言葉しか浮かびません。



そこまで思ったところですべてが限界になって、そのままベッドに倒れて一瞬にして眠ってしまいました。



どれくらい眠ったのか、はっと時計を見ると、9時35分。

皆既月食が終わった時間でした。

月と太陽のラインから地球が外れたから、急に圧が変わって、目が覚めたんだな・・・



なんか自分はすごいことを惑星規模で教わってしまったような気がして、そしたらまたものすごい眠くなって、そのまま朝まで爆睡してしまいました。



今回の皆既月食は、いまでもやっぱりどこか、ちょっと物忌み的な感じはします。

山の噴火とか、いまもスーパー台風が来てたりするけど、なのでやっぱり神聖な月というよりは、要注意な月といった感じがします。


それでも自分のなかでは、今回の皆既月食では、風と風車の関係から、地球と月と太陽の永久運動というすごい発見ができたことのほうが、大きい気がしました。




さて、以上はわたしの個人的な考えで、正確にあってるかどうかはわかりません。

ときどき圧と発酵とかについてご質問をいただくことがあるのですが、マナもまだぜんぜんわからないからこうしてがんばって考えてるわけでありますからして、わたしの言うことなどうのみにせず、みなさまそれぞれ霊界のとびらを叩いたほうが、はるかに正確な答えが来ると思いますよ!!!!

わたしたちは、肉に生きるのではなく霊に生きる、我即神也、ですから、答えはすべて、自分のなかにあるのです。

風車の実験だって、電気先生がやったことを聞いただけなので、もし自分が同じ実験をしたらちがうのかもしれません。

それでも、自分のなかでは、いまのところは、これらはすべてつじつまがあってるような気がするので、この説を採用して世界を見ていきたいと思っています!!!!

ほんとにこの3次元世界は、じつはマジックがいっぱいなのです。

ほんとはすんごいおもしろい場所なのです。

だから放射能とかも、吸引をつかえば魔法みたいに消せるんだと思います。


マナもはやく博士みたいに、いや博士は天才すぎて同じレベルになるのはむつかしいですが、それでももうちょっとこのおもしろい3次元のなかで、自由自在に遊べるようになりたいなって思います。




精神世界ランキング魔術ってほんとはそういう法則を理解した人が、3次元を自分の思ったとおりに具象化していく過程のことを示すんだと思います!!


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最終更新日  2014.10.11 01:09:50

2014.10.09
カテゴリ:カテゴリ未分類
一週間くらいまえのことだったのですが、ほんとにささいなことがきっかけになって、何年かぶりに突然、鬱状態になってしまいました。



ひさしぶりに鬱になってあらためて思ったのは、ほんとに鬱とは、きつい状態だなっていうことでした。

ふだんやってるような瞑想とか、自分の気持ちを内観するとか、そういうものでスイッチがきりかえられるような代物ではなく、脳内のなにかが完全に別の状態になってしまったというか、まさに「病気」という言葉がふさわしい大変に苦しい状態です。

まじでやばかったです。

ちょうど異変が起きたのが、電車を待っていたホームでの出来事だったのですが、心臓が激しく打って、全身の神経が過敏になってしまって、おさえようのない恐怖感がおなかの奥から突き上げてくるような感じです。

死への強い強迫観念にとらわれて、やっと乗りこんだ電車のなかでも、まったく落ち着かず、早く降りたい、早く家に帰らなきゃ、それだけを考えていました。

と同時に、さすがに自分でも、なんでこんなことになったのかなあと思って、がんばって意識のべつの視点をもうけて自分を観察してみたところ、鬱の原因がわかりました。

かんたんに説明すると、自分はとある出来事に対してあまりにもガマンしすぎていて、しかもそれが好きなことや好きな人に関することだったために、その「好き」が自分にとってまやかしのフィルターになっていて、それによって潜在意識の本音に嘘をつき続けた結果、ついにその矛盾した状態が限界を超えたために、鬱になってしまったことに気が付きました。


ああそれでこんなふうになっちゃったのか、と納得したら、だいぶ落ち着けることができました。


何度か重度の鬱になったことがあるので、治し方のコツみたいなものがあるのですが・・・


それはまず、自分にとっていまなにが必要で、なにが不必要かをはっきりさせることです。


そして、やるべきことを、確実に行動に移していくことです。


鬱を打破するには、これしか方法はないと、自分では思っています。


というわけでまず、鬱の原因となった人間関係を、きっぱり清算することにしました。

それから、頭のなかがどんなにパニック状態でも、家事をやると決めました。

こういうときに寝込んだりすると、自分の場合はどんどんひどくなります。

なので気持ち的にはキョーフのどん底に落ちてはいますが、それは脳内のなにかがおかしなことになってるだけであって、現実に自分をおびやかすものはなにもないのだと自分に言い聞かせ、スーパーに寄っておいしそうなものを選んで買い物して、家に帰っててつに笑顔でただいまと言い、ていねいに夕飯を作って、てつと食事を楽しみ、それから洗濯物を片づけて、トイレ掃除をして、洗い物をして、お風呂をためて、ゆっくり入りました。

それだけで、かなりラクになりました。

まだ油断すると鬱の波が襲ってきそうになりますが、8割がた鬱を抜けた感じでした。




しかし本番はその夜でした。

寝室に、オバケが出たのです。

どっちが引き金になったのかわかりません。

自分が鬱状態になったところへ引き寄せられてきたのか、それとも無意識に精神的に落ち込んでいたところに憑依されて、それで鬱になったのか、とにかく今回の鬱とこのオバケは、かなり関係がある気がしました。

それならこのオバケをどうにかすれば、鬱は完璧に治ると思いました。




というわけで試合開始です。

自分は霊能者じゃないので、オバケの浄霊の仕方なんてしらないしできません。

もちろんこんな低周波のオバケを引き寄せた自分にも原因があります。

しかしだからといって自分にまとわりついてくるのをこれ以上放っておくわけにはいきません。

なので自分流に対応するしかないのですが、マナはオバケに対してはひとつだけ確固たる信条があって、それは、この世は生きてる人間が最優先の世界だということです。

どんなにかわいそうで同情すべき理由があったとしても、生きてる人間の邪魔をするようならオバケには退場してもらいます。

この世は生きてる人のための場所で、死んだら最後、そこでターン終了なのです。

それ以上さまよったって肉体がないんだから、物質次元でできることは何もないのです。



ほんとはなるべくオバケとは関わりたくないのですが、それにしてもなぜか今年はよく心霊現象に遭います。

そして今回は、かなり怨念の強いオバケでした。

自分に対して、このように明確な攻撃の意図を持ったオバケは、絶対にそのままにしてはいけない気がしました。

なので覚悟を決めて、タイマン勝負です。



まず、オバケが激怒するのを承知のうえで、ここは完全にケンシロウになりきりまして、



おまえはもう、死んでいる



とはっきりと伝えました。

ちなみに怨念の強いオバケほどなぜか、これを言うとすごい怒りだすのですが、ほんとなんだからしょうがないです。

そっからさきは、もう精神と精神のぶつかり合いみたいな感じで、なんて説明していいかわかんないのですが・・・

結局、オバケがどんなにうらもうが、自分はきさまにかまってるひまなどなく、生きてる限り、自分の精神向上の道を突き進んで行くのだとい、断固たる意志を見せつけるしかありません。

どうせオバケなんていうのは、人生のガチ勝負から逃げた弱い人間のなれの果てにきまってます。だから死んでもなお未練がましく怨霊なんかになってるわけです。

生きてるときに努力しなかったおまえに、いま全力で生きようとしてるわたしの人生の邪魔をする権利があるのか、やれるもんならやってみろという、強い気持ちだけで、オバケと正面から対決しました。

それにしても、すごいカオです。

うらみつらみをこじらせると、まさに化け物としかいいようのない、こんな顔になっちゃうのですねえ。

マナはふだんそんなにオバケ見えないし、心霊現象もあまりないほうなのですが、それでもこのときのオバケはまちがいなくいままででワースト1に入るくらいに、強いオバケでした。

これは油断すると引きずられてしまうと思いましたが、怖くはなかったです、というよりも、すこしでも恐怖を感じたらその瞬間に負けるという感覚が強かったので、その危機感で逆に恐怖をおさえることができたと言った方が正しいかもしれません。



どうしようかな。



なぜかいつもやってる結界術とかお経とかをやろうとはぜんぜん思わなかったのが不思議なのですが、このときは大天使ミカエルしかないと思いました。

ミカエルを呼ぶ、というよりも、ミカエルの領域に自分の意識を合わせるという感じでした。

ミカエルが守ってくれる、助けてくれる、ではなくて、同じ圧のものしかいっしょにはいられないんだから、自分の意識圧を変えるのがいちばんいい方法です。

つまりこのオバケ野郎を意識の領域で圧倒的大差でブッちぎるしかない、というのが、自分が直感的に思った方法でした。

というわけで、ミカエル瞑想といったほうがいいのかもしれませんが、とにかくすさまじい形相で眼前にせまっているオバケを完全に無視し、ひたすら自分の意識をミカエルに合わせていきました。

これはほんとに、集中力を使いました。

オバケとタイマン張るよりも、むしろミカエルの領域というとても高い波動に自分の意識を合わせ続けることのほうが、ぜんぜん難易度が上でした。

マナごとき100万光年もおよばないけど、ブッダとかイエスが悪魔と対峙したときってこういう感じだったのかなあとかたまに思いながら、とにかく必死でミカエルの意識領域に全神経を集中させました。




3時間。




気がついたら3時間も経過していました。

全身汗でビッショリでした。

外は明るくなりつつあり、オバケはどこにもいませんでした。




となりで寝ているかまやつとてつを見ながら、鬱も100%治ってるのを感じました。




鬱をたった一日で治せでよかったとか、オバケいなくなったとかという安心感よりも、やっと終わった・・・という疲労感のほうがものすごくて、そのまま倒れて寝ちゃったのですが、ほんとにしつこいオバケには懲り懲りです。同時に、鬱になんかなってるようじゃ、自分もまだまだだなって思いました。

それにしても、この出来事は大変だったけど、自分のなかではいい勉強になりました。

いちばんよかったのは、オバケとか鬱云々よりも、ミカエル意識の維持に3時間もねばっていたという、こんなことでもない限り一生やらなかったであろう経験ができたことがよかったかもしれません。

ほんとにいい経験でした。





さて。




そんなわけでオバケとか鬱とかいう精神面の部分は解決したのですが、かんじんのその、自分が鬱を発動してしまった原因となる現実の出来事は、まだ残っていました。

それについては、自分の意志を大きく超えたところでのことでもあったので、なんとなく自分のなかでは、すべてが終わってもいいという気持ちで、何が起きても受け入れようという意識でいることにしました。




ところで、マナ的には今回の皆既月食は、ちょっとあんまし見たくないというかなんというか、もしも自分が平安貴族だったら「物忌み」とか言って屋敷の奥でじっと月食が終わるのを待つ、みたいな、なんかそういう気配を感じていたので、あんまりお祭り騒ぎみたいな気持にはどうしてもなれませんでした。

あとこういうときの月では、エリクサーは作らない方がいいと個人的には思ったりもします。

なのでけっこう皆既月食フーンみたいな感じだったのですが・・・



それが新月の直前、その懸案事項だった事態が急変して、自分にとってけっこう良い方向に劇的に動き出しました。



正直自分のなかではほとんどあきらめていた出来事だったので、かなりうれしかったです。

意識が変わると現実が変わるのはもちろんいつも博士にも言われてることですが、もしかしてあの鬱と、あの夜のオバケ対決は、自分の意識の方向を大きく変えるようなすごいきっかけだったのかなあって思ったりました。

そしてそれが、偶然にもこの摩訶不思議な皆既月食と同じタイミングだったので、それまであんま興味ないなと思ってた皆既月食に対して、ちょっと気持ちが変わりました。




じゃあせっかくだから、皆既月食見てみようかなあ、と思いました。




精神世界ランキングなんかオバケのことは正直そんな重要なことじゃないのに書いてたら長くなっちゃったので続きは次回に書きます!!!!


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最終更新日  2014.10.10 00:48:49

2014.10.07
カテゴリ:カテゴリ未分類
先日、博士が「風は結果である」と言ってたので、どういうことだろうと思って、ずっと研究所の屋根にある風車を眺めて、その意味を考えてみました。

それで気がついたことは、博士の風車は、どんな方向から風が吹いていても、つねに右側方向に回転してるということでした。

博士は前に、飛行機の推進力と揚力について、ジェットエンジンやプロペラには、前後に圧の差があって、その高低差が飛ぶ力に変換されてると言ってたことがありました。

ということは・・・

あの風車のプロペラの羽根は、右側が高圧になるように作られてるにちがいない!!!!

それなら、風の方向に関係なく、また風の強さにも関係なく、つねに風車が右回転し続けているのも納得です。

というわけでそのことを電気先生に伝えたところ、



電「風、とは空気が移動しているように感じるでしょう?現に、落ち葉は風が吹いたらA地点からB地点に移動しますね。たしかにその現象を見ると、風とは空気が移動しているかのように錯覚するのも当然です。それにわたしたちは肌感覚として、実際に風が吹いてるように感じますね。でもね、これは電圧と同じで、A地点が低圧、B地点が高圧、それだけのことです、そしてその中間にある風車は、ギャップをうめようとして中和します、だから風車が回るんです、それが吸引エネルギーです、ですから風車は風の方向に関係なく、羽根の圧の高い方向に向かってまわります」



マ「電気先生は天才ですね!!!!」



すべての現象は同じで、低圧から高圧に、ただエネルギーが流れるだけ。

世界はなんて、驚きと神秘と、そして信じられないくらいにシンプルな仕組みでできてるんだろう!!!!




とにかくギャップです、すべてはギャップなのです。

圧の差が、発酵を起こしている。

電気も磁気も肥料も、飛ぶ力も、人間の意識の力さえも、すべて仕組みは同じです。




なのに、まだまだちっともわかりません。

わかったことはただひとつ、世界はとてもシンプルで、そして自分はそのシンプルな世界を何一つ理解していないのだという、自分のあきれるほどの無知さ加減だけです。

まさに、わたしは自分が何もわかっていないことだけをわかっている、という禅問答のような状態です。



それでも博士が、なにかについて真理を語っているとき、クラウンチャクラにすごい重圧感を感じる時があります。

まるで透明なつけもの石を頭にのせてるような重圧で、ときどきそのプレッシャーにたえきれなくて、すごいボンヤリしてしまいます。

意識が遠のきかけてるあいだに、話題はいつのまにか、霊界の話しになっていました。



博「・・・だからね、意識は受信機だよ、圧が上がらないと受信できないよ。(部屋を見渡して)ここにはいっぱいあるよ、霊界も、幽界も。たくさんの領域がある、全部だよ。だから受信するには、自分で調整するしかないよ」



ほんとにねえラジコンといっしょなんだよ、まったくいっしょ、と言って博士は笑います。

そんな博士が、マナには宇宙人にしか見えません。

いつもじっと座っている博士は最近、めずらしく作業エリアに来て、いろいろなことを指南してくれます。

博士の存在感は圧倒的です。



博「考えろよ、考えろ・・・自分がいまなんのために作業しているのか、つねに考えろ・・・考えなきゃ、指導霊は変わらないよ」



指導霊が変わるから、意識圧が大きく変わる、と前に博士は言ってました。

自分の意識がレベルアップするためには、背後の指導霊が、いまより高級になっていく必要がある。

そのためには、考えるしかない・・・

つねに、霊界のドアをノックし続けた者だけが、とびらを開かれる・・・




博士の言葉を、いつもいつも反芻します。




ああそれにしても、ほんとに今日は頭がぼうっとするなあ。

と油断してたら、不意に博士がこっちを見て言いました。




博「1+1、は?」




マ「え、え、ええ、え・・・っと、・・・に、2・・・」




博士の顔色がさっと険しくなります。




マ「じゃないです!!!!




博「1+1は?」




マ「無限です」




博「そう、3+3は?」




マ「無限です!!」




博「そう」




・・・ほんとに研究所ではいつも学ぶことが無限大にあって、油断は禁物です。



☆      ☆      ☆



吉原神社からほんの少し歩いたところに、吉原弁財天という、もうひとつ小さなお社があります。


IMG_1551.JPG


かつてここには、弁天池という広い池がありました。

そしてここで、数百人もの遊女が命を落としました。

関東大震災が起きた時、たったひとつの出入り口である大門を閉ざされたために、吉原の遊女たちは、燃えさかる業火のなか、どこにも逃げることができず、吉原のなかにあったこの池に、次々に身を投げて、死んでしまったのだそうです。

いまでは埋め立てられて、小さな池だけが残されていました。


IMG_1550.JPG



このお社は、その遊女たちの慰霊の場です。




やや緊張しながら、てつとふたりでその中へ入って行きました。

ちょうど神社を管理されてる方と思われる年配の男性が、掃除をしていました。

その方の存在感にちょっと安心しつつ・・・


お線香をつけて、お参りしました。


遊女たちのための、慰霊碑です。


IMG_1548.JPG


ふたつのうちのひとつのお花は、ここに捧げるために作って来ました。


IMG_1549.JPG



手を合わせてお参りしてたら、さっきの掃除のおっちゃんが来て、


お「お花なあ、これ、ふたつにわけとこか」


と言って、花束をといて、きれいに活けてくれました。



おっちゃんとてつがいてくれて、空は雲ひとつない快晴ですが、それでもここは、やはりなにか、一瞬地の底から強烈な断末魔の叫びがフラッシュバックしそうな、そんな悲しい場所でした。



マナはつねづね不思議でならないのですが、国の偉い人たちは、靖国には参拝するだのしないだの大騒ぎする割に、吉原神社にお参りに来たというような話しは、ほとんど聞いたことがありません。

徴兵が国の指示なら、吉原遊郭だって同じじゃないかなって、思うのです。

男性性の犠牲の歴史と同じくらいに、女性性の犠牲の歴史をかえりみようとする政治家はたぶんいない。

それどころかこの池のあったところの大部分は埋め立てられて、NTTのビルになっているとは・・・

従軍慰安婦をなかったことにしようとするその神経と、似たようなものを感じました。




さて、そこからふたたび三ノ輪駅のほうに戻ってきました。


いよいよ今回の吉原探訪のクライマックスというか、この場所こそ、超ド緊張して、かなりの決心で来たのですが・・・




浄閑寺です。


IMG_1560.JPG


投げ込み寺と呼ばれたこのお寺に、まさに投げ込まれるように葬られた悲しい遊女の数は二万人以上。

その平均寿命は、21歳~22歳だそうです。






なんというかですね・・・


いままでけっこういろんな神社とかお寺に行ってきたのですが、ここは、ほんとに、真摯な気持ちでお参りしなくてはいけないと、思いました。


IMG_1559.JPG


意を決して、お墓の立ち並ぶエリアへと入って行きました。



ここから先は、さすがに写真は控えました。

立ち並ぶ墓石のあいだを通って、お寺の裏手のほうに、それはありました。




新吉原総霊塔と呼ばれる、遊女たちの骨壷をおさめた大きなお墓です。




まるでアウシュビッツのような、いえ、アウシュビッツ以上の、大変に生々しい雰囲気がいまもはっきりと残っていました。



もうひとつのお花は、ここへ捧げるために作ってきました。

なんとか心を落ち着けて、てつとふたりで、手を合わせてお参りしました。

どうか彼女たちの魂が、悲しみと怒りから解放されて、新しい輪廻へと向かいますように。




自分で行っておきながらなんなのですが、ここは、安易な気持ちで来ることは絶対にやめたほうがいいと思います。

それでももし、なにかご縁を感じるのであれば・・・

できれば多くの人に、お参りに来てもらえたほうがいいだろうなとも、思います。

ほんとにそれは思います。

アウシュビッツのように、もっともっと多くの人に心を寄せてもらって、彼女たちの苦しみにもっと多くの人の意識が向いて、もっとたくさんの深い憐れみと愛と敬意が向けられたら、それがなによりも彼女たちの鎮魂となるのではないでしょうか。

アウシュビッツは、決してあの悲劇をくり返してはならないという人類への教訓のためという目的のもと、きちんと保存管理されています。

でも吉原の遊女たちは、いまもなお、まるでその存在そのものが都合の悪いものであるかのように日の目を見ずにいるという状況が、ほんとに気の毒でなりません。

マナはフェミニストじゃないけど、吉原遊郭とは歴史のなかであきらかに政府が公認でやったことで、しかもだいぶ近代まで継続してたわけだし、関東大震災や戦争でもたくさんの犠牲者が出たところなんだから、もうちょっときちんと国として慰霊するとか、なんかそういうのがあってもいいような気がします。






とにかく強烈でした。


浄閑寺のあの雰囲気を思い出すと、とても言葉にはできないものが、こみあげてきます。


彼女たちのあのエネルギーにふれれば、権力者が女性性を蹂躙してきた長い歴史から、現代のわたしたちがなにを学ぶべきかおのずとわかるはずです。


女性性とは、やはりぞんざいに扱ってはならない神聖なものなのです。



精神世界ランキングまたいつか、お参りに来れたらなって思います。


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つづく




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最終更新日  2014.10.08 02:43:12

2014.10.03
カテゴリ:カテゴリ未分類
☆メールが届かない等ございましたら、大変お手数ですがぜひともfairiesblessyou@gmail.comまでご連絡くださいませ(エリクサーほんとにたくさんお買い上げくださいまして、ありがとうございましたー!!)☆


先日、博士の研究所でお昼ごはんを食べていたら、デザートにブドウが出ました。



博「・・・もう、子ども作らないでしょ?」


マ「(?)はい!!」


博「じゃあ食べて・・・おいしいよ」



なんでかなあと思って言われるがままブドウを食べたのですが、そのときとなりにいた社長が、



社「種なしの果物は子どもができなくなっちゃうんですよ、でもそんなのみんな知らずに、食べちゃいますよね、それで不妊の人が増えたって、当たり前ですよねえ(笑)」


博「みんな現象を見てないんだよ・・・よく考えれば当然のことを、なんにもわかってないんだよ」



マ「・・・・・・・・・!!!!」



おそれいりました。

ほんとに博士のお言葉には毎回、完封負けという気持ちになります。

そうです、その通りじゃんか。

種がないとはつまり、それ以上繁殖するつもりがないというシステムを遺伝的に持ってるわけで、そういったシステムのものばかり口にしていれば、それは自分の体にもコピーされるに決まってます。

そんなわけで、不妊に悩むみなさま!!!!

よろしければ、まずは種なしの果物を遠ざけることから始められるとよいかもしれません!!!!

いや~現代文明ってすばらしいところもたくさんありますが、やっぱりおそろしく破壊的なんだなって思いました。

それにしてもスーパーで売ってるくだものって、種のないやつばっかりのような気もします。

よく考えるとほんとにホラーな世界です。



☆     ☆     ☆



そもそも吉原を作ったのは庄司甚内という人物で、風魔一党という忍者の一族の末裔だそうです。

それが幕府公認となり、最初は人形町にあった吉原ですが、すぐに浅草の裏手のほうに移転しました。

江戸全体からみると鬼門に位置するような感じで吉原があるのですが、それが忍者的なマジカルな意味があるのないのかまったくわかりませんが、とりあえずいまもグーグルマップで台東区千束のあたりをみると、一目で吉原があったところがわかります。


吉原マップ.jpg


このエリアだけ、ご覧のように斜めに区画が区切られているのですが、これは、吉原遊郭に宿泊した客がどの廓で寝ても北まくらにならないようにするためと聞いたことがあります。

吉原大門と書かれた交差点はその名のとおり、かつて吉原にたったひとつしかなかった出入り口である「大門」にちなんでつけられた場所で、ほんとうの大門はもっと奥の、江戸町通りと書かれたあたりにあったようです。

その手前が、ぐっと大きくカーブしているのがわかりますでしょうか。

これは、大門から吉原の中が直接見えないように、あえて曲がりくねった道を作ったのだそうです。

もしかしたら中の遊女たちからも、外の世界が見えないようにしてたのかもしれません。



燦々と太陽照りつける快晴のなか、マナとてったくんはそんな吉原の跡地にやってきました。



来る前に、お花屋さんで、大きな花束を作ってもらいました。

白いユリと、白いバラと、白い菊。



たくさんの人が非業の死を遂げたような大事な場所のお参りには、必ず花束を持っていくことにしています。

そいえばなぜか花束を注文した時に、お花屋さんが「お墓参りですか?」と聞いてくれました。

なのでつい「はい、若い女性の方なんです」と言ってしまったのですが、お花屋さんは心から気の毒そうに「そうですか・・・おいくつくらいだったんですか?」とさらに聞いてくれたので、そういえば吉原の遊女の平均寿命は22歳くらいだとどこかに書いてあったので「22歳だったんです」と言うと、「それならすこし華やかな感じに仕上げますね」と言って、白いガーベラとトルコキキョウもつけてくれました。

出来あがったお花はすごくおしゃれで、いいにおいで、なんかとってもうれしかったです。



まるで結婚式みたいな上品な花束をふたつ、マナとてつでそれぞれ持って、炎天下のなかを、三ノ輪駅から吉原大門に向かって歩いていきました。

通りはとても静かで、昼間なのにあまりひとけがありませんでした。

なんだかちょっと緊張しながら、しばらくまっすぐ歩いて行くと、吉原大門とかかれた交差点がありました。


IMG_1538.JPG



いまではごくふつうの一般的な都会の景色で、当時の面影のかけらもありませんが、昔はここを、多くの男性客が歩き、あるいは遠く田舎から、女衒と呼ばれる人買いに連れられて、たくさんの小さな女の子が通ったのかもしれない・・・とボンヤリ想像しながら、いよいよ吉原大門へと通じる道に入って行きました。


地図にあったように、入ってすぐに、通りは大きく左のほうへと湾曲しています。


これが衣紋坂と言われた通りで、実際に歩いてみると、かなり大きく曲がっていました。


IMG_1539.JPG


なんだかぐっときました。

こんなに晴れてるのに、物悲しい感じです。

いったいどんな歴史がここにあったのか、それなのにいまとなってはあまりにもふつうの街並みになってて、それがかえって、すごい虚無感となってせまってきました。



さて、この通りを曲がり終わるとふつうにまっすぐの道になるのですが、そのスタート地点に、大変そっけないふたつの柱があります。

それが吉原大門の跡です。


IMG_1541.JPG



なんかねえ・・・

たしかにどちらかというと不幸な記憶の積み重なった場所だと思うので、大々的に「ここがあの有名な吉原でした!!ジャジャーン!!」みたいなノリはちがうと思います。

しかしそれにしたって柱2本てあなた、なんですかこれはといいたくなるような、もうちょっとこう、あるだろう、みたいなもやもや感がありました。

個人的な希望としては、苦界ではあったけれどもそのなかでここだけしかない独特の文化も花開いた場所だったんだから、その遊女たちに鎮魂と敬意を表するような、歴史と品位を感じさせるようなのがいいなって思いましたがまあよかです。



さて、この通りをまっすぐ進んでいくわけですが、当時はこの通りを仲の町通りと言って、一流の遊女たちが所属する高級店が並んでいたそうです。

ちなみに安い遊女たちは、河岸店という、裏側のほうの通りのお店にいたそうで、吉原のなかでもそういった厳しいランクがありました。


通り沿いには、吉原の歴史を説明する看板がありました。


IMG_1542.JPG


ちなみに現在でもこの通りは、バリバリのソープ街です。

てつを同伴した理由はまさにこれなのですが、いくら昼間といえども、女1人でこの通りを歩くのは気が引けます。

あとマナはなぜか、昔からこういう系のお店の勧誘によくあうので、そういうめんどう事をさけるためにも、子連れであるほうが気持ちがラクなのです。

客引きのオジサマたちが何人もお店の前に立って、通りをヒマそうに見ているのですが、大きな白いユリとバラの花束を抱えて歩くマナとてつには、誰も何も言ってきませんでした。

ちなみにてったくんはといえば、マナの「前だけ見て歩くように」という命令を忠実に守っていたため、道の両脇の大人の事情にはまるで気がついてない様子で、保護者としても一安心でございました。(てったくんはほんとに天然といっていいくらいにスナオなのでこういうときすごく助かります)



それにしても、静かな午後です。



見返り柳、というのが昔の吉原のシンボルだったそうなのですが、それにちなんでいるのか、通り沿いにはたくさんの柳の木が植えられていて、それがまぶしい太陽の光を反射して、キラキラ光っていました。



IMG_1543.JPG



てつは風にゆれる柳の細い枝を、歩きながら何回もジャンプしてさわっては無邪気に遊んでて、後ろからそれを見てるマナには、その姿がなんだか不思議な感慨となって、胸にせまってきました。



しばらく歩くとふつうの住宅地になっていくのですが、いよいよその奥に吉原神社が見えてきました。



IMG_1544.JPG


小さな神社です。

中はひっそりとしていました。


IMG_1546.JPG


それでも拝殿前に立つと、きゅうに風が吹いてきて、となりにあった小さな社の風鈴がチリンチリンと鳴りはじめました。


IMG_1547.JPG


それは、とてもきれいで可愛らしい音でした。

暑い中、てつとふたりでずっと歩いてきたので、清々しくて爽やかな風が、ほんとうに涼しくてありがたかったです。

もしかして、歓迎してくれてたらうれしいな。

そう思いながら、てつと二人、お参りしました。






精神世界ランキング風鈴は、マナとてつが神社にいるあいだずっと、鳴っててくれました。ありがとう。


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最終更新日  2014.10.04 01:43:09

2014.10.01
カテゴリ:カテゴリ未分類
☆2014年夏に獅子座に入った木星のエネルギーと、満月と新月の天体サイクルを利用して、獅子座木星のエリクサーを制作いたしました。

古代から「その欠片を身につける限り、生涯富に困ることはない」と言われ、ダイヤモンドに次ぐ硬度を持ち、非常に鮮烈で強力なエネルギーを放つ獅子座のクリスタル・ルビーと、オーラの守護とバランスを整え、木星に対応したクリスタル・MGMの波動を転写しています。

獅子座木星の時代にふさわしく、どこまでも自分らしさを貫くとともに、対立する存在との関わりにおいて決して冷静さを失わず、最終的にもっとも調和のとれたかたちで自らが勝利を手にすること、また大変強力な守護と、財産などのあらゆるゆたかさがテーマのエリクサーです。

バンブーをかけて活性化させてあります。

お求めはシリウス工房までどうぞ!!☆


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こんにちは!!

今日から10月ですね、ほんとに一年は早いものです、でもだんだんその早さにも慣れてきたような気がします。

というわけでルビーとMGMを使った獅子座木星のエリクサーが完成しましたので、ぜひお手にとっていただければと思います!!

ルビーなので、ラベルも真っ赤にしてみました、情熱的なかんじですねえ☆

ルビーはメロディ♪のエンサイクロペディアをして「そのエネルギーは鮮烈にして強烈」といわしめるほどの超強力なハイパワークリスタルですが、エリクサーを飲んだ感じは、頭のてっぺんから一気に冷静になれると同時に、おなかの底から「わたしはわたしのまま生きていく」というはっきりとした明確な意図が沸き起こってくるような感じでした。

これは今年の夏、某有名一流老舗企業のなかで、完全に孤立したなかまったく新しいことを誰にも頼ることなく遂行しなくてはいけなかったときに、ほんとに自分の中で求められたことで、そしてそれは、今後これからこの国を生きていく上で新しい社会に移行していくときに、とても重要なことではないかと思いました。


誰も、自分以外になることはできません。


そして現実ではときに、自分とまったく意見の合わない相手と、絶対にゆずれないものをめぐって対立しなくてはいけない場合もあります。


そういう状況における本物の調和とは、ギリギリまでお互いの自我を貫き通したさきに、破壊現象をともなわずにお互いが心底納得したうえでしか、得られるものではないと思います、表面的な安易な合意は、結局は不当にガマンした側が暗い恨みを抱く羽目になるからです。


陰陽五行的に日本は、2011年から陽の時代に入っていて、陽とはつまり男性性で、なのでこれからはフンワリした女性性の直感的なやり方ではなく、きっちり理性と理論を使って相手と調和していく時代に入って行くと思います。

どんなにステキなスピリチュアリティでも、これからの時代は、それを直接的にあらわすのではなく、男性性的なビジネスライクなやり方のすぐ下に、しっかりと確実に、上手にもぐりこませるようなかたちで使わないと、うまくいかないと思います。

いま獅子座木星、これから土星が射手座に入り、立春から干支が乙未になります。

これらから感じるのは、あたらしい組織やシステムの構築という大いなる可能性です。


だから、蠍座が土星にいるいまのうちに、そして甲午のエネルギーがあるいまのうちに、自分のなかの意識の自立、自分とはなにか、オレはオレなんだ!!というような、はっきりとしたアイアム意識を確実に取り戻しておいたほうがいいと思います。

そのためにはいったん孤立し、個に立ち戻るような時間も必要かもしれません。

なぜなら来年はせっかく新しい集合体の波が来るのに、自立した人どうしで組まなきゃ絶対におもしろくないと思うので、ただボンヤリ来年のエネルギーを待つのではなく、自分の中の断捨離作業をして、自分の意識圧を高めておくと、きっと来年はおもしろい人たちのグループがあちこちにできて、自分もそこに楽しく参加していけるんじゃないかと思います。

なにかそのようなことのサポートができればいいなあと思っていっしょうけんめい作ったので、ぜひこの機会にお店にいらしてくださいませ!!!!

あとおまけの魔法陣カードは獅子座と調和ということで、タロットの大アルカナ11番をモチーフに、今回は女神と獅子のイラストにしてみました。


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ペンタブの時代にまだマウスでベジェ曲線を使ってるのはわたしくらいかと思いますが、がんばって描きました!!


そしたら今日は、たまたまパズドラ(ケータイゲームアプリです)でゴッドフェスをやっててガチャを引いたところ・・・

偶然にも女神とライオンの神さまが当たりました!!


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おおお・・・

すごくないですかゴッドフェスのキャラってめちゃくちゃたくさん数いるのなかで、これがズバリ出るってほんとおもしろいなと思いました。

なんかマナだけかもしれませんが、ゲームってやたらと自分の生活にリンクした不思議なシンクロを引き起こすのでいつもおもしろいなと思います。

そんなかんじです☆

獅子は貴婦人の絵や神社のこまいぬにも出てくるように、一角獣とならんで、人間の持つ獣性の象徴でもあります。

わたしたちはみな、その内側に神性と獣性を抱え、そして獣性を超えていかなくてはいけないという使命をもっています。

獅子ってほんとにおもしろいシンボルですね。

というわけで獅子座木星エリクサーぜひともよろしくお願いいたします!!


☆        ☆        ☆



いつか行かなくてはいけないような気がしていました。



けれどもそこは、ネットの画像越しにも、なんとなく怖気づいてしまうような、独特な雰囲気をはなっている場所でした。



東京都台東区千束。

そこはかつて、吉原遊廓と呼ばれる江戸幕府公認の売春地区でした。

その歴史は350年にもおよびます。



従軍慰安婦問題とかもそうですが、最近ずっと女性性を蹂躙するような悲惨な事件ばかりで、自分のなかで一度この、女性の性が犠牲になってきたことを正面からきちんと見つめる体験がしたいと、思ってました。

ギリシャに行った時からそれはなんとなく思っていたのですが・・・




あるときから、寝ても覚めても吉原のことばかり考えるようになっていました。

そんでなんとなく吉原の歴史を調べたり、飛田新地とかも気になってきたりしてるうちに、ああもうこれは、吉原に行くときが来たなと、思ったわけであります。

吉原のあったところに、吉原神社という神社があることは知ってました。

なので、まずはそこへ行ってみることにしました。



しかし自分的にそれは、かなり、相当、ものすごい覚悟のいるっぽいことのような気がしました。

なので、行くなら条件がありました。

それは、もし行くのなら絶対に、カラッと晴れた晴天の日に行く、ということでした。

それくらい陽の気が強くないと、予測不能ないろんなものに負けてしまう気がしました。


それで天気予報とにらめっこしつつ、行くチャンスがないかずっと伺っていたのですが・・・



ちょうどてつの運動会のあと、振替休日の平日。

その日は雲ひとつない、大変にまぶしい、最高のお天気でした。



マナはせっかく平日に小学校がお休みだし、これはもうひさしぶりにてつとディズニーランドにでも行っちゃおうかなと思って、こんなの聞いたらてつビックリしてすっごいうれしがるだろうなあと思って、もう完全にハッピーサプライズ感覚のつもりで、



マ「てったくん!!今日は学校もお休みだし、ディズニーランド行く?!行っちゃう?!」



とかなりのハイテンションで誘ってみたところ、当然ながら満面の喜びの笑顔で同意してくるかと思いきや、



て「ええ~行かない」



マ「ファッ?!」











まさかの拒否。



ほんとうビックリしました。

平日休みの日に親からディズニーランドに誘われたのに、それを断る小学生なんて、存在しないと思ってました。

何なのこの人。

しんじられない。




ところで例の吉原神社参りには条件がもうひとつありまして、




それは、てつと二人で行くことだったのです。




・・・さて、あらためて今日という日をみてみますと、ほんとバカみたいに晴れてて、しかもてつは一日ヒマ。




マ「そんならわっちと、お墓参りに行きんす



て「ええええええ~?!」



というわけで大変申し訳ないのですが、ディズニーランドの次に来る候補がよりにもよって吉原神社参りという、天国じゃないなら地獄ねみたいな、そんな極端すぎる選択肢しかない我が家に生まれ落ちてしまったてったくんには運命と思ってあきらめてもらいまして、この日ついに、禁断の地、吉原へと行ってみることにしました!!!!




精神世界ランキング日本にはたくさんの有名な神社もありますが、そういうところしかしらない自分というのも自分的に納得できなかったので、ほんとに今回は吉原神社に行けて良かったと思っています。


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最終更新日  2014.10.02 02:08:27

2014.09.28
カテゴリ:カテゴリ未分類
☆ときどき早稲田のマンションにお手紙やお届け物をしてくださる方がいらっしゃいまして大変うれしいです、ありがとうございます、早稲田のマンションはセッションのときにしかいないためよく受け取りそこねてしまったりすることがありまして、ほんとうにごめんなさい、よろしければメールなどで事前にご一報いただけますととてもありがたいです、お気持ち感謝いたします☆


先日伊勢の東のほうの海で、雌雄両性を持っためずらしい伊勢エビが捕獲されたというニュースを見ました。

ちょうど体の真ん中から赤と黒にわかれて、半分がメスで半分がオス、このようにはっきりと両性が対称にあらわれることはおよそ100万分の1だかのすごい確率なんだそうです。

そういったものが海の中で自然と一生を終えるのではなく、こうして人の手による網にかかり、人の世にふれること、そこにはやはりなんらかのシンボリックな意味があるような気がしました。

でも残念なことに、発見されたときにはすでにその伊勢エビは、共食いにあって死んでいたそうです。

なんとなく微妙な気持ちになってたら、今度は御嶽山という長野の山が突然噴火しました。

噴火の犠牲となられた方には心からお悔やみを申し上げたいですが、この御嶽山も日本列島のちょうど真ん中です。

こういった現象から自分はなにを学ぶべきか、とかつい考えてしまうのですが、なんとなく、この二元性の世界を学びととらえずに、敵味方と分け続けるという人々の意識の二極化への警告かもしれないって思いました。

このままだと日本列島はまっぷたつに引き裂かれてしまうのかもしれません。

もちろんこれはたとえですが、現実に日本列島がちぎれるのか、人間の意識が国や政治や経済を分断するのか、それはわかりません。

どちらにしてもこのような事象は集合意識と深い関係があると思うので、もしこれらの事象が、いつまでたってもなかなか意識を変えることができないという因果律の結果であれば、それはこの現実世界が、いよいよ大変にむつかしい局面に来ているのではないかと、やや暗い気持ちになったりしました。

そんなことを考えていた矢先に、今度はてつの小学校でちょっとした大事件が起きまして、運動会のあと緊急保護者会が急きょ開かれました。

事件の具体的な内容は控えますが、それにしても保護者会のあの雰囲気にはほんとに参りました・・・

たしかにいろいろとマズイ事態ではあったのですが、それにしても大の大人が、いきなり泣く、わめく、人の話しをさえぎって話しだす、といった有様で、正直言って話し合いのレベルじゃないよなと思ってドン引きしてしまいました。

ただでさえ早朝から弁当のために起きて寝不足の上、1日運動会のためにじっと外にいて疲労はマックスのところに、あのような紛糾した放出エネルギーの場というのはかんべんしてほしいです。

「おれたちは被害者で、おまえたちは加害者だ」とあんなにも簡単にズバリ言い切る保護者にもびびったのですが、それを他の保護者一同拍手喝采という悪夢のようなシチュエーションに、自分のなかのすべてが拒絶反応を引き起こしまして、もしかしたらこういう種類のアナフィラキシーショックもあるのかと真剣に思うくらいに具合が悪くなっちゃって、死にそうでした。











無知はおそろしいと思いました。










般若心経には、



無無明



という言葉があって、それは「無知であってはいけない」という意味だそうです。

人生の苦しみとは無知からやってくる。

本質から外れてしまうから人は生きるのが苦しくなる、無知とはつまり、宇宙の法を知らない状態です。



最近すごく思うことがあるのですがこの世は、相対的な視点と、絶対的な視点の、ふたつが必要だと思います。



相対的価値観とは、陰と陽、男と女、善と悪、などの二元性を基準とした視点です。

絶対的価値観とは、文字通り絶対的であるが故に「正しさなどどこにも存在しない」という視点です。



このふたつの意識の視点を必要に応じて切り替えていくこと、これが人生を生きる上ではかならず必要です。

霊的な真理を学んで行くときに、この相対的視点と絶対的視点がわかっていないと、ときどきいろいろな言葉が矛盾としてうつったりします。

たとえばこないだブログで「商売の基本はモノを売らないようにすることだ」と書いたのですが、それを理解するためには、相対的な視点と絶対的な視点のふたつがいります。

たとえば「男と女は一対一がもっとも調和した関係性である」とか、「一流をめざすときには自己否定から入る」とか、そういうのも同じです。




物事の陰と陽から世界をとらえていく陰陽五行論は、相対的学問といえると思います。

しかし般若心経の空思想は、絶対的な世界を説いています。

そしてこの世を生きる上で、どちらも必要なのです。



たとえば殺人事件があったとして、相対的価値観から見れば確実に悪です。

しかし絶対的価値観から見れば、魂が輪廻していく上で大変に貴重なゆたかな経験であった、つまりすべてはOK、という話しになるのです。




だから、無知でいてはいけないのです。




つまり殺人に関わるような低いレベルに生きてはいけないということなのです。

ちょっと話しが飛びますが、最近あらためて肉食について考えているのですが、仏教思想のなかにある地獄という概念の中の「畜生道」という世界は、じつはほんとに存在するのではないかと、けっこう本気で思ってます。

それはまたいつか機会があれば書くことにして、とにかく畜生道について考えた結果、肉食はやはり必要であると思うに至りました。

誤解を生むかもしれませんが、いま現在、食肉として存在している牛、豚、鳥たちは、食べられることに、その存在意義と役割があると思っています。

同時にまたこれも矛盾するかもしれませんが、人間が牛や豚や鳥を食べ続ける限り、人の世はほんとうの意味では救われないと思います、という意味では、肉は食べるべきではありません。

そして殺人事件が起きるようなレベルの人間界である以上、畜生道は存在し、人間は肉を食べ続ける羽目になるのだと思います。




・・・というような一見相反する二つの考えを理解するときに、相対的価値観と絶対的価値観が必要です。




話しを戻しまして、授かった命どのようにまっとうするのか、魂を向上させカルマを浄化するために、わたしたちは輪廻していることを忘れてはいけない。

陰陽道とは相対的価値観を通して、仁義礼智信といった五徳本能などの人生を効率よく切り拓くノウハウを伝える人生の作法です。

そして空思想とは絶対的な視点が力強く歌い上げる、なにがあろうともこの人生を最後までまっとうするための美しい人間賛歌です。




小学校の義務教育からこういった陰陽五行論や空思想の時間を学問として学べたらどんなにかいいでしょう。

人生における「人の生き様」とはなにか。

これを小さい時からちゃんと教えておけば、いじめだって差別だって起きないし、ましてや安易に被害者だ加害者だとわめくこともないのです。

それらはすべて、無知から来ます。

叡智を知らない、という状態です。

だから無知でいてはいけないと、般若心経も説いているのだと思います。



☆      ☆      ☆



「許し」が完了するのはいつなのか。


それには自らの憎悪の炎が消えるのを、ひたすらに待つしかありません。

いつまでたってもあのつらい出来事をつねに思い出し、どうやっても許すことなんか、絶対にできない。

その自分の内側で暴れ狂う怨念のエネルギーを無理やり抑えることは不可能です、それは自然に沸き起こるものだからです。

でもそれはいつか必ず終わりを迎えます。

それには方法があります。




その業火のように燃えさかる怨念の炎を、どうにかしようとしないことです。





怒りや悲しみや憎悪はどうにもならないものなのに、どうにかしようとするから、いよいよおかしなことになるのです。

それをそのまま見つめ続けていれば、炎の燃料が切れるように、いつか必ず終わります。

だから待つことが大切です。

じっと耐えて、見守るしか方法はないのです。

しかしそれに耐えきれずに焦って何かしようとすると、自分で燃料を追加することになってしまい、終わりの時間が延長されます。



因果律、という宇宙の法則があります、相手に非があったなら、自分がなにもせずとも宇宙がかならず公明正大な審判を下します。

だから相手のことなど考える必要はありません。




ただひたすらに自分の内側に巻き起こる憎悪のエネルギーに苦しんで苦しんで、もう自分は一生憎しみを手離せないのかと絶望したころ・・・




奇跡はある日突然起こります。




なにがきっかけになるかはわかりません。




ある朝ふと目覚めたら・・・

なにげなく手に取ったある本を読んでいたら・・・

ふと見ていたテレビからの一言が・・・

友人のたわいのない一言が・・・




一気にトリガーとなって、劇的に自分を解放する瞬間がきます。




それは至福の時間です、ついに自分は許しというステージに到達した、と感動します。




しかしそれもまた幻想です。

しばらくしたら、再び憎悪の炎が燃え上がるのです。





でもそこで、気がつきます。




どうも以前にくらべると、炎の勢いに陰りがみえる。

まだまだぜんぜん相手を許す段階じゃないけれど、前よりもだいぶ気持ちがラクになってるな。





そしてこのくり返しです。




これをくり返していくうちに、気がついたらあんなに許せないと思っていた記憶が、遠いものになっています。

そして自分への、素直な憐憫の気持ちが、残っているだけになります。




あれはつらかったな。


でもよくがんばったなあ、自分は。





たまに思い出して泣いたりして、いつか、忘れてしまいます。




そうして長い時が経って・・・




あるときふと思い出したとき、




「そういえば、あの人は元気だろうか?」




自然にそう思ったその瞬間、その人はほぼ100%その相手を、許したといっていいのではないかと思います。




真の許しとは、じっさいにはこれくらいに時間とエネルギーを必要とする学びだと思います。

けれども一度「人を許す経験」をしたら、その人はもう、絶対に許せないと思うくらいに誰かを憎むこと自体がなくなる気がします。

そのたった1回の本気の許しが、今後の人生でそのほかの強烈な憎悪をともなう経験から、その人を遠ざけます。

なぜならレッスンは終了したからです。

もう、絶対に誰かを許せない、などと思う必要がその人の魂にはないからです。

人生の向上に近道はない。

何事も、愚直に努力したものしか、本物にはなれない。

回数を重ねたもの、時間をかけたもの、それこそが本物なんだと思います。




精神世界ランキングだから「許す」って、大変だけど、大いにやりがいのあるレッスンだと思います。

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つづく




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最終更新日  2014.09.29 04:23:57

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