2014年10月11日

「マララさん」について思うこと

わたしはマララ: 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女わたしはマララ: 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女
マララ・ユスフザイ クリスティーナ・ラム 金原瑞人

武器より一冊の本をください 少女マララ・ユスフザイの祈り ぼくたちは なぜ、学校へ行くのか。: マララ・ユスフザイさんの国連演説から考える (単行本) I Am Malala: The Girl Who Stood Up for Education and Was Shot by the Taliban Because I am a Girl――わたしは女の子だから [生声CD&電子書籍版付き] マララ・ユスフザイ国連演説&インタビュー集

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「頭が押さえつけられ、スカートのすそがふんずけられている状態」に置かれている現場の女子にはね、「イスラームだから」だろうが「世の中そういうものだから」だろうが「親が保守的で」だろうが、違いはないんですよ。「私は勉強したい」んです。「医者になりたい」、「先生になりたい」、「研究者になりたい」、「弁護士になりたい」んです。「なんでもいいから勉強がしたい」んです。

「オウベイガー」、「スパイガー」厨がうるさいんですが、そんなの、彼女たちの問題じゃありません。そもそも「問題」なのかどうかもわかりませんが、そうであるとして、それは彼女たちを抑圧している側の問題です。



抑圧している側の論理・言い訳なんか、どうでもいいんです。

「女の子が学問ができると苦労する」、「あんまり偏差値が高くなると、お嫁にいけなくなるんじゃないかしら」。ブログやツイッターやってればやってるで「今まであなたのことを女性だと思っていませんでした。ごめんなさい」とかいう、それが「どうでもいい」ということ自体が理解もできなければ前提すらしていない善意の人たち(笑)からの心底どーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーでもいい話に付き合わされることが非常に多い私自身、実の親からそう言われ続けてきたし(そして最後には道をふさぐという妨害をされた。私も親に洗脳されてたから、当時はそれを「大した問題ではない」、「親を理解できない私が悪い」と思っていました)、そう言われている年下の女子の話をじっくり聞く立場になったこともあります。昭和30年代の話とかじゃないですよ。昭和50年代にもあったし、平成に入ってからもある(実際には「年代」の問題ではなく、「親の思想」の問題です。今になって社会のメインストリームに出てきたような「思想」や「思想運動」は、ずっと以前からあった)。

マララさんがすごいのは、何よりもまず、自分が「そういう女子」のひとりであるというところに立ってあの活動・発言を行なっているということです。そして、ただでさえ「女に教育はジャマ」という思想がデフォのこのクソのような社会で、いろんな理由付けをしては彼女の行動について「一方的に解釈」してくる周囲を意に介さずに、自分のすべきこと・自分のできることをするという強さ。

世界のどこででも、彼女がいてくれること、ただそれだけで勇気付けられている人は(たぶん女性に限らず)大勢いるし、特に「女は結婚して男の言うなりになり、家事をして子供を産むのが仕事、それ以外のことはするものではない」という《文化(笑)》が根強い地域の(まだ結婚させられていない)10代女子は、彼女を同じ時代を生きる「仲間」として持てていることで、きっと心強い思いをしているでしょう。世代が違っても、彼女に向けられた卑劣な暴力を知り、彼女の活動や発言を見てきた人たちはきっと。



んで、マララさんについて「スパイだーーー」とうるさい人が、こういうの↓は「欧米のスパイじゃないから」支持できるというスタンスであるとすれば(「このsisterたちは正しいことをしている」とかいう感じの)、それは単なるプロパガンダですよ。日本語圏でそんな人がいるかどうかは知らないけれど。(パキスタンからは、英語圏でも、いろんな話が流れてはきます。はい)



マララさんの活動について知り、支援したいと思ったら支援するには:









で、「あれはアメリカのスパイだーーー」説を支持する日本語話者が、マララさんについて「(利用された)ガキ」とかいう口汚さを発揮しているのは、ありゃ何なんですかね。

で、「利用されたガキ」さえいなければ、彼女たちへの抑圧もなくなるんでしょうか。全部「欧米」が悪いんでしょうか。そもそも女に教育を与えるなどという発想がおかしいんでしょうか。

そうだと言う方、回線きってクソして寝てたほうがいいと思いますよ。
posted by nofrills at 22:01 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war
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おひとりおひとりに感謝申し上げます。


【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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EXPOSING WAR CRIMES IS NOT A CRIME!


詳細はてなダイアリでも少し。