私ももう手遅れ。ゆっくりと死に向かっている。
現実での死ではないから安心して欲しい。
ここで言う「私」は「こころ」である。
「 」
は私の生を大きく占めている(今ではね)
現に私が今までと違って普通に話せているのもそのおかげだと思う。
書いているうちに段々へらってしまうかもしれないけど、今のところは平気。
「 」 『 』
私は特に自分に執着がないから、それが幸せであればイコール私の幸せであり、
その間にあったのは私の中の「理想の幻想」であった。
手が届かないというよりは触れられないという表現の方が近い。
汚れた手で触れたものは同時にそれ自体も汚れてしまう。私の手は歪み汚れているが汚れた物は嫌いなのだ。
私はこの日記帳をだれが読んでいるかなんて一切わからない。読めているのかもわからない。
今これを読んでいて、これをきちんと読めて、理解できているというなら、これ以上先の文字は読まないでほしい。
読んでいて決して幸せになれる物ではない。
「『それが幸せであれば』」 「『イコール私の幸せであり』」
これは今も変わってない。
/
あの時私は久々に泣いた。
なんで泣いてるのかもわからないほどいろいろ込み上げていたけど、今考えると少しは理解できてるかもしれない。
私はたぶん、自分のことを『 』それと重ねていた。
抱えている物は近かった(と私は勝手に思っている。あくまで勝手に)
もうひとつ近い物もあった。
『私がぽろっと零した言葉からその核心に触れた時は本当にびっくりした。あれじゃ全然誤魔化せてないよね。』
でも何より、私の心は歪んでいた。何よりも大きな差。
"壊れそうな大事な物"というのは、私の中の夢と理想と幻想だった。のかもね。
もしも私の心が綺麗であったら、そしてそんな平行世界の私が行きつく先は何かに対する答えが、
「 」 『 』 の間にあった現実で、それは私にとっての夢だった。
その現実が形を変えたってことは、
もしも私がこれから先、人としての歪みが直り、綺麗な心を持てたとしても、
私の夢は一生満たされない、ってことを理解しちゃったから、悲しかったのかな。
「少し切り替える。」
あなたはきっと気づいているんだろうな、
気づいてるけど優しさから触れないようにしてくれているんだ、と私は勝手に思っている。
過去「そういうもの」に苦しんだ話も聞いた。
自分から切り出したあの日も相当苦しかったであろうことも想像できてる。
(軽々しく言うことではないし、痛みが私の想像を遥かに超える物であろうことはわかっている。ごめんなさい。)
私はよく自分の存在自体が苦しくなることがある。
私がこうして存在しているせいで、苦しめているんじゃないかと。その事実がとても辛い。
私と会わなければ、もう少し気楽に、幸せにいられたんじゃないかな、とよく考える。
そもそもこの考え自体、私が大いにネガティブマインドの持ち主であることをとてもわかりやすく表しているが、
そういう人は嫌いなんだったね。ってことを考えるとさらに苦しくなる。
「嫌われる(てる)から」ではなく、「嫌いな人といるのは辛い」ということを私は理解している、から。
ごめんなさい。
ここまで読んじゃって、読めちゃってる?止めたのに。
ここから先は独り言。自分に対する発言。
きっととてもとても重い。
私はこの重みを背負わせたくはない。
「 」
はるか遠くにあるそれは私の生を大きく占めている。さっきも言った。
元々私は現実で生きることに対する執着など大して持ってないような人であった。
一時期は執着がないどころか、さらに負の方向に突き抜けたような精神だったが。今生きてるのは結構すごい。
けれども、最近は少しだけ生きる意味を見いだせてる。
ゆっくり、近くへと歩いて行くたびに「私の存在」も「生」の側に動いていくような感覚がある。
けど、近くへ歩いて歩いて、最後にどうなるかっていったら絶対離れてしまう。
わかってる。見た。
きっと私は心が弱い。だから今もずっと歩くのを止められない。
普通の人であれば、適度に一人で、適度に人から反応がもらえさえすればそれが理想なのだろうが、
私はそれができない。自分に執着心がない。他人からの反応や思いが全てだ。
人からの反応がないと自分が生きているという実感をいまいち持てない。
他人に自分を委ねてる。
私は自分の生きる意味すら他人に対して一方的に依存している。
自分の生きる意味をより強く持とうとすれば、同時に自分の生きる意味を失う時が近づいてくる。
絶対に治せなくて、罹ったら絶対に生き延びられなくて、最期は眠るように死ねる病気とかに罹れたらいいのに。
それが理想の生き方だなんて本当に生きる意味を見いだせてないんだな。
もう私の心は限界に近いと思う。
どうすればいいのかなぁ。
2014.06.18 00:15 Wed |
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