藤原鎌足:別邸は茨木の遺跡か 出土れんが片「墓」と酷似
毎日新聞 2014年10月11日 07時30分
大阪府茨木市教委は10日、同市沢良宜西(さわらぎにし)の集落跡「東奈良遺跡」で出土したれんが片が、藤原鎌足の墓とされる阿武山(あぶやま)古墳(同府高槻市奈佐原)で見つかったものと酷似していると発表した。飛鳥時代に大化の改新(645年)で大きな役割を果たした鎌足は、東奈良遺跡周辺に別邸を構え、作戦を練っていたという説がある。れんが片は別邸の場所を探る材料になりそうだ。
東奈良遺跡は阪急南茨木駅付近の南北約1キロ、東西約500メートルで、阿武山古墳の南約7キロにある。れんが片(縦18センチ、横13.6センチ、厚さ4センチ)は粘土を焼いた建築材料の一種の「塼(せん)」で、古墳の棺の下に敷くなどした。表面に刻まれた同心円状の文様や厚みが、阿武山古墳のものと似ていた。
市教委によると、日本書紀などの記述から、東奈良遺跡周辺に鎌足の別邸「三島別業(みしまのべつぎょう)」があったという説があるが、場所ははっきりしていない。当時権勢を振るっていた蘇我氏らを倒すため、大化の改新の前に鎌足が一時こもって作戦を練った場所とも言われている。
れんが片は1977年に出土し、菱田哲郎・京都府立大教授(考古学)と市教委が2年前から鑑定していた。菱田教授は「鎌足と東奈良遺跡、阿武山古墳との関連を検討する上で、大きな手がかりになる」と話している。
市教委は16日から12月15日までテーマ展「茨木に眠る資料」を市文化財資料館(072・634・3433)で開催、れんが片などを展示する。【五十嵐和大】