コラム:姿を消した金正恩氏、北朝鮮の真意はどこに
Paul French
[8日 ロイター] - 北朝鮮の金正恩第1書記が公の場から姿を消している。最近の動静は一切明らかになっておらず、突然の失跡の理由をめぐりさまざまな憶測が流れているが、平壌では誰もが口を閉ざしている。
正恩氏は9月初めからほとんど姿を見せておらず、北朝鮮メディアからも動静を伝える報道は途絶えている。北朝鮮ウォッチャーにとって正恩氏の動向は欠かせない情報であり、行方が分からなくなったことで、病気説や死亡説、暗殺説やクーデター説などが増えるのは無理からぬことだ。
北朝鮮情勢の分析では、極端なシナリオが描かれがちになる。しかし、米海軍第7艦隊に警戒態勢を取らせたり、韓国の首都ソウルで防空壕を準備したりする前に、少し落ち着いた方が良いだろう。われわれは過去にも似たような状況を見てきた。
軍事クーデターが計画されているという憶測は、長年にわたって浮上しては霧消するのを繰り返してきた。1950年代と60年代には、金日成国家主席(当時)が軍幹部らを粛清する見せしめ裁判がたびたび行われたが、その前には金日成氏自身が姿を見せなくなることもあった。
1960年代後半に金日成氏の行方がしばらくの間分からなくなった時は、中国の紅衛兵らが、軍幹部によって金日成氏は逮捕されたと主張した。その後に北朝鮮軍部では粛清がさらに進んだとされており、紅衛兵は誰よりも内情を知っていたのかもしれない。
1970年前後にも、北朝鮮で静寂が続くと軍事クーデターのうわさがささやかれたが、金日成氏は再び表舞台に登場した。
1992年には旧ソ連で訓練を受けた北朝鮮軍将校らがクーデターを計画したといううわさがあった。1995年には飢饉に見舞われた北東部で、政府に不満を抱いた軍部隊がクーデターを起こすという情報が流れた。1998年には、警察と軍兵士の間で銃撃戦があったと報じられ、平壌での夜間外出禁止令につながった。 続く...