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Danas je lep dan.

2014-10-10 ナショナリスト的にはこんな感じになるかなと

[]隣の芝は青い

 日本と違って隣の韓国では科学部門ノーベル賞を輩出していない。山中伸弥教授の受賞時と,そして今回の受賞。韓国メディアはそれを大きく報じた。わたしは韓国語が読めないので日本語版に頼っているが,たとえば『中央日報』のように原文へのリンクを貼ってある新聞社の記事を読み,原文をgoogle翻訳にかけると,だいたい同じことが書いてあるようだ(日本語版だから日本人受賞者の記事が増量されたとかそういうわけではない)。ではそこで日本のノーベル賞から韓国が学ぶべきこととしてどんなことが書かれているのだろうか。山中教授受賞時の『中央日報』の社説からみてみよう。

日本はノーベル科学賞で15人の受賞者を輩出することになった。また、歴代受賞者の半分を超える11人が2000年以後に集中的に選ばれるほど加速度がついている。受賞者の出身大学も京都大学東京大学中心から名古屋大学東北大学長崎医科大学北海道大学などに広がり、研究拠点が地方に広がっていることを感じさせる。神戸大学出身の山中教授もiPS研究で名を上げて京都大学に招かれたのだ。

韓国ではノーベル賞シーズンごとに間違いなくため息とうらやましさが交錯してきた。今年も同じだ。隣国の日本の光栄をただぼんやり見守るほかない境遇だ。昨年米国の大学と大学院の外国人留学生のうち韓国出身者は日本よりはるかに多かった。2010年に米国で科学分野の博士学位を受けた韓国人も1137人で、日本人の235人を圧倒している。それでも韓国はノーベル科学賞の実績は依然として“ゼロ”だ。世界最高の教育熱に世界15位の経済規模に似合わないみすぼらしい成績表だ。

山中教授は「大地震と不況でも50億円の支援を受けた。私でなく日本がノーベル賞をもらったもの」と喜んだ。彼は「初めての手術の時とても下手で『ジャマナカ』というあだ名がついた」と自身を低めた後、「代わりに選択した難病研究にどっぷり浸かって今日まできた」と話した。未来のために基礎科学に惜しみなく投資する日本の底力に、ひとつの井戸を掘り続ける日本の科学者の根性に膝を打たざるをえない。また、日本の基礎学問の自主的な拡大再生産の構造も注視すべき部分だ。ノーベル賞受賞者はたいてい日本で博士課程まで終えた後、必要な追加研究だけ外国で博士後(ポスドク)過程を踏んで帰ってきた。

韓国は理工系忌避の慢性疾患を病んでいる。創意的な基礎科学より応用研究にばかり重点を置いてきたことは否定しがたい。一時は韓国が先んじていた幹細胞研究で日本に逆転を許したのも身にしみる。幸い韓国も昨年から基礎科学研究院を設立しノーベル賞に近づいた碩学に毎年100億ウォンの研究費を支援し始めた。これを裏打ちとして韓国にも1日も早くノーベル科学賞選定の知らせが伝えられることを期待する。最後に注文したいのは科学者の姿勢だ。山中教授は「来週実験室に戻らなければならない。それがノーベル賞受賞者がすべきこと」と話した。こうした精神がなければ今日の彼の栄光もなかっただろう。

(強調引用者)

【社説】ノーベル賞の裏打ちとなる強固な日本の基礎科学 | Joongang Ilbo | 中央日報

 失礼だが,この記事を見た瞬間わたしは爆笑してしまった。現在の日本の学術を取り巻く状況で語られているのは,まるっきり真逆の言説――つまり,「中国人や韓国人に留学生の数で負けている!」「もっと外国で学位を取らないと!」「役に立つ研究を!」ということだからだ。

 日本のアカデミアの強み。それは何よりも「日本語で一貫して博士課程まで終えられ」,「基礎研究分野が充実している」というその底力だろう。裾野が高くなければ高い山を築くことは難しい。『中央日報』はそれをよく理解している。だからこそ自国政府に「もっと基礎科学の充実を」と求めているのである。一方でわが国では,韓国が日本より多くの留学生を送り出していることに焦りを感じる人びとが少なくないようだ。彼らは口々に「英語で授業を」「留学を必須に」と主張する。隣の芝は青く見えるというが,そこに広がるのは互いが互いの家の芝を「あっちの方が青いじゃないか!」と指さしあう喜劇的な光景だ。

 もちろん,日本のシステムが完璧とは口が裂けてもいえない。たとえば山中教授は,アメリカではやる必要のなかった雑務を日本に帰ってからは自分でせざるを得なかった。これは大学だけでなく義務教育などでも同じだ。本来教育に専念すべき教師が,事務仕事に追われて授業準備に満足な時間を割くことができないのだ。背景には様々な要因はあろうが,研究・教育をサポートするスタッフの少なさというファクタはあまりに大きい。中村修二教授が指摘したような,研究機関にも存在する性などに基づいた様々な差別や組織の硬直性も日本の研究にとってマイナスだ。

 そのような点において外国を見習おうというのであればよい。だが,そのような点を放置して,逆に隣国から羨望の目線を向けられている長所をグローバル化だの国際競争力だの何だのといった掛け声の下に矯めてしまうのであれば,いずれノーベル賞の受賞者リストから日本国籍者の名は消えるだろう。文学賞村上春樹氏に期待をかけることができる程度だ。「日本人」受賞者の数は今後も増えるかもしれない。だがノーベル賞を受賞する「日本人」の悉くがアメリカ国籍を取得してしまうのだとしたら,わたしたちにとって,それは誇りではなく烙印になるに違いない。彼らの才能を羽ばたかせる場を母国で用意できなかったという,不名誉な烙印に。

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