2014-10-10

浮気のあとで。

私は特に不満のない結婚生活からいっとき遠ざかり、ひとりで過ごしている。

私には幼い頃から抱く、感覚的に理解されたいという強い欲求がある。

それは過去に一度つかのま叶えられた。

そして今回もまた。似たような感覚。似たような人たち。

彼らの手は難なく私の動いている心臓をつかみ

鮮やかな手品のように取り出し、目の前に差し出してくる。

おそらく私の手も彼らにとって同様なのだろう。

そこまでの恍惚現実を簡単に見失う。

以前と違うのは相手と自分境界線曖昧ななかの幼くないセックスの魔力。

麻薬のようなそれだった。

しかし、互いに差し出した心臓を見ると、それこそが現実と気付く。

互いにわかることができても、わかりあうことはまた別物なのだ

理解されたいだけのふたり理解されたいということだけしかからない。

特に不満のない生活」に含まれていた一番大切なもの

彼らになくて、旦那にあるもの

それはたとえ、わからなくてもわかろうとすることを決してやめないこと。

わかりあおうとしてくれること。

愛の本質というものがあるとするなら、そういうものなのかもしれない。

私はときにそれをうるさく思い、息苦しく感じ、悲しくなる。

しかし、それは不満ではなかったのだ、いつだって

今夜、旦那さんが迎えに来る。

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