社会

福島 出口、どこに… 被災者 心に差す影(上) 怒り、絶望 矛先自分へ

 小綿一平医師(59)は、50代の女性患者に穏やかに話しかけていく。

 -どうですか、最近は。

 「そうですね。やはり、このまま生きている意味があるのかなと思うことが、どうしてもあります」

 -仕事は。

 「こんな精神状態なので、関わっていないです」

 -眠れていますか。

 「夜10時に寝て、午前2時か3時に目が覚めてしまいます。それからはなかなか寝付けないです」

 -自宅の周囲の方々との交流はありますか。

 「いえ。私は東京電力から月10万円の補償金を受けていますが、もともとここに住んでいた人はもらっていないんですよ。結局、話の最後は賠償とかお金の内容になってくるんです。ねたみややっかみを考えると、話す気にならない」

 福島県相馬市の「こころのケアセンターなごみ」。小綿医師は伊勢原市で「まごころクリニック」という精神科・心療内科の医院を開く傍ら、「世界の医療団」の一員として月に1度、東日本大震災の被災地住民の診療に訪れている。この女性患者の主治医となって、1年半がたつ。

◆止まらない自殺
 内閣府自殺対策推進室によると、福島・宮城・岩手の東北3県で震災に関連する自殺者は、福島のみが増加を続ける。今年1月から7月までの統計でも宮城2人、岩手1人に対し、福島だけが10人と突出している。

 実際にこの女性も、2度の自殺未遂を起こしている。

 女性はもともと福島県浪江町に住んでいた。福島第1原子力発電所から約10キロ。まさにその原発に作業員を派遣する会社に勤めていた。

 避難準備のために戻った自宅から、原発の建屋が爆発する様を目の当たりにした。「ものすごい音がしたからそっちを見たら、もうもうと煙が上がっていた。その瞬間、この世の終わりだと思った」。しかもそこでは、何人もの同僚が収束作業に当たっていた。

 「一緒に働いていた社員の安否も分からないまま、派遣した側の自分は避難する形になった。結果的に全員無事でしたが、かなり被ばくしたはず。申し訳ない思いや恐怖やらで、どうしていいか分からなかった」

 住まいは結局そのまま避難区域となり、約1カ月後から南相馬市の借り上げ住宅で避難生活を始めた。

 その直後、最初の自殺を図った。

 母が眠る墓のそばに行き、車内で硫化水素を発生させた。意識が戻ったのは病院のベッドの上。そのまま措置入院となり、これが精神科に通院するきっかけともなった。

 「助けてくれた方には申し訳ないが、今でも余計なことをしてくれたと思うことがある」。2度目は、睡眠薬を大量に飲んだ。時期はあいまいにしか覚えていない。

◆無為の日々と諦観
 女性は夫とは震災前に離婚していた。成人した一人息子は別の場所で生活している。避難先での犬との独り暮らしは、ただ無為に過ぎていく。

 夜も明けきらぬうちから、犬の散歩に出る。「近所の人と顔を合わせたくないので」。帰ってきて、朝食を食べる。テレビをつけ、うとうとする。「スーパーは人が多いから」食事や買い物はたいてい近所のコンビニで済ます。暇つぶしはレンタルしてきた「韓流ドラマ」のDVD観賞だ。

 「それもいっとき、少し気が紛れるだけ。この生活の中で楽しいことなんて、ないですね」

 小綿医師による診断は、躁鬱(そううつ)(気分障害)と、適応(ストレス)障害。時に躁状態となり、急に大きな買い物をしたりもするが、多くの時間は家に閉じこもっている。

 自らの命を絶とうとしたときの心境を女性は「この先に何かいいことがあるとは思えなかった。自殺しかこの苦しみから抜け出す方法はないと思った」と振り返る。

 心機一転、新天地でやり直せばいい、という人もいる。「でも50代で、しかもこんな精神状態で、何かできるとは思えない」。この思いは同じ被災者でも分かち合えないだろう。底なし沼と分かっていても、動くに動けない事情がある。

◆言えない言葉
 「安全神話」はうそだった。あの原発事故を境に、人生は完全に暗転した。

 それもこれも東京電力のせいだ-。女性には、そう言うことができない。

 「正直に言って、それまでは東電のおかげでかなり裕福な生活をさせてもらっていた。甘い汁を吸ってきたんです。だから自分の中で東電に対する思いは、(原発事故で)相殺されているんです」

 原発の「うまみ」を味わうことなくただ故郷を追われた人が自分を見たら、なんと言うか。女性は「原発で生きてきた人間としては、当然の報いと思うほかない」とうなだれる。

 かといって不条理への怒りや絶望が完全に消えるわけではない。

 ただその矛先を、向ける先もない。「結局そうして、いろんな思いが最後に『自分』に向かってくる。だから、死ぬほかにないと思えてくる」

 主治医として診察に当たる小綿医師は、「その気持ちを気軽に『分かります』とは言えない」と語る。

 「故郷があるのに帰れない現実。数キロの差で大きく違う補償や弁償。そのせいで住民同士がいがみ合う。原発関連で生計を立ててきた人も多い。基本的な生活は落ち着いてきてはいるが、その裏では真綿で首を絞められているような状態が続いている。女性は、そうした福島が抱える苦悩や矛盾を表す、典型的な例なのかもしれない」

 不眠や不安感などは、処方薬である程度は対応ができる。「でも一発解決の方法はない。5年10年と、腰を据えて丁寧に向き合っていくほかにない」

 震災関連の自殺者が福島県だけ増え続けている。前代未聞の原発事故に見舞われた土地で、暮らしてきた人の心に差す影とはなにか。現地での診療を続ける小綿医師が主治医として担当する、ある女性患者の診察に同行した。

▽小綿一平(こわた・いっぺい)

 伊勢原まごころクリニック院長。横浜市栄区出身。45歳で会社員を辞め、自身もストレス障害に悩まされた経験から精神科医を志す。東海大学医学部で学び精神科医に。52歳から同大病院に勤め、12年4月に独立。東日本大震災の発生直後から現地でボランティアに取り組み、「世界の医療団」の一員として福島での診療を続ける。

【神奈川新聞】