今回は、秋の読書への推薦図書をご紹介しよう。ピーター・ティール「ゼロ・トゥ・ワン」(関美和訳、NHK出版)が素晴らしい。筆者は特に書評を専門としている訳ではないが、今年発売されたビジネス書として、断然のナンバーワンだと評価する。
著者のティール氏は多才な人物で、もともとは法律分野の秀才だったが、ペイパル、パランティアの共同創業者という成功したベンチャー経営者であり、さらに、スタートアップに投資するエンジェル投資家でありヘッジファンドの運用者でもある投資家の顔も持っている。後者では、たとえば、ファイスブックの最初の外部投資家として有名だ。
彼の新著「ゼロ・トゥ・ワン」は、主にスタートアップ企業を題材にベンチャー・ビジネスの経営を語った本だが、同時に、経済とビジネスの仕組みを深く洞察していて、著者自身が投資家であることもあって、投資家が読んで得るところの多い本にもなっている。
本書の経営書としての読み方は別の場所に書いたので(ダイヤモンド・オンライン「ゼロから「1」をつくるベンチャー企業経営術とは? ~読書の秋に『ゼロ・トゥ・ワン』を読むべき理由」、)そちらをご参照頂きたいが、今回は、投資家読者のために株式投資、特に新興企業に対する投資の参考書として本書をご紹介したい。
筆者(山崎)は元ファンドマネジャーだが、ベンチャー投資とは縁が深くなかった。筆者のゲームは、主に一部上場企業に投資して、TOPIXに対して相対的なリスクを管理しながら、TOPIXに少し勝つことを目指す、といったものだったので、「ゼロ・トゥ・ワン」の視点はとても新鮮だった。
ティール氏の経済観・経営観で最も顕著な特色は、「競争」を嫌うことだ。世の中の多くの凡庸な企業は競争に巻き込まれて利益を失い、成長出来ないか、消えて行く。投資して儲かる企業とは、現在、何らかの分野で独占的なポジションを得ていて、利益を上げ、成長している企業、ないし将来それが可能な企業である。
企業が大きく成長するためには、無から有を作り出すような(ゼロを「1」にするような)、何らかの特質を作らなければならない。
ティール氏は、スタートアップ企業の構想を練るにあたって、「そのビジネスは10年後に間違いなく存在しているか」を問うべきだと強調する。このチェック・ポイントを覚えておくだけで、結果的に無駄になる新興企業への投資を相当な数節約出来るのではないか。
たまたまIPO(株式公開)に辿り着いた企業でも、既存企業の後追いを少々のコストカットで行っただけだったり、製品やサービスを容易に真似されて競争の渦中に飲み込まれそうだったりする企業はダメなのだ。特に、ネットのビジネスは、立ち上がりも早いが、競争の進展も早い。
ティールは、独占企業は自らが競争環境下にあるように振る舞い、競争下にある(普通の)企業は自らの独占性を強調する傾向があるという。これは、なるほどと思わせる傾向性だ。
独占は、一般に悪い事とされていて、かつて強かった頃のキリンビールやマイクロソフトは独占禁止法対策に大変苦労した。真の独占企業は、むしろ自らを弱く見せるように振る舞うものなのだ。
具体的には、例えば、現在のグーグルは、検索エンジンと従って検索連動広告にあって、圧倒的な優位を持っているが、自分達を厳しい競争に晒されている総合的なテクノロジー企業であるかのように自らを説明する。
逆にIRで自社の独占的地位を強調するような会社は、眉にツバを付けて評価した方がいいということだ。
スタートアップ企業の戦略として、ティール氏は小さくても独占的なポジションを取ることができるマーケットに集中して、そこで勝ってからその適用範囲を拡げていくことを推奨する。初期のペイパルは、イーベイのオークションに特に熱心に参加する数千人を対象にサービスを普及させて、成長の切っ掛けを掴んだ。
ニッチ市場で圧倒的に勝っている企業が市場を拡大して勝てる可能性を正しく評価することが出来れば、良い投資に辿り着くことが出来る。
ティール氏は、競争を「資本主義の対極にあるものだ」とまで嫌う。一方、独占企業の利潤が、消費者の支払うコストによるものだ、という点も認める。
この矛盾を、ティール氏は、「クリエイティブな独占は消費者に新たな選択肢を提供することで消費者と社会に貢献する」と考える事で解消する。確かに、初歩のミクロ経済学の教科書にあるようなモデルは、技術が一定であり、且つ調整コストは仮定によりゼロだから、利潤がゼロの完全競争状態が直ぐに達成されてしまう。
ティール氏の言葉を引用すると、次のような感じだ。「クリエイティブな独占環境では、社会に役立つ新製品が開発され、クリエイターに持続的な利益がもたらされる。競争環境では、誰も得をせず、たいした差別化も生まれず、みんなが生き残りに苦しむことになる」。今、円安で一息ついているが、近年の日本の家電業界が後者の実例だろう。
現実のビジネスと経済は、①イノベーション→②独占=独占利潤の獲得→③競争の浸透→④利潤の縮小、といったプロセスを辿るのだと考えると見通しが良くなる。
さて、儲かる企業は独占企業でなければならない。では、どのような企業が独占企業になることができるのか。
ティール氏によると、幸福な家庭がそれぞれに違っているように、独占企業もそれぞれに違っているが(他方、不幸な企業は競争状態にある点で似ている)、たいていは、次の4つの特徴を持つという。①プロプライエタリ・テクノロジー(固有で真似出来ない技術)の所有、②ネットワーク効果、③規模の経済、④ブランディングだ。
製品やサービスの優位性は、少なくとも二番手の10倍優れている必要があるという。グーグルの検索アルゴリズム・速い検索結果表示・検索ワードの確度の高い自動表示などは、二番手を大きく引き離している。また、登場時のアマゾンは、書店として他の書店よりも少なくとも10倍の書籍を持っていた。
利用者の数が増えるのと共に利便性(使用価値)が向上するのがネットワーク効果だが、そのネットワークがまだ小規模な時の初期ユーザーにとって価値あるものでない限り、効果は拡がらないという。ハーバードの学生の間で広まり、ついには世界に拡がったフェイスブックが好例だ。
規模の経済は、オールドエコノミー企業でも強力に働いている原理だが、規模拡大の可能性を最初の段階からデザインに組み込むのが優れたスタートアップだとティール氏は言う。例としては、ツイッターが追加のユーザー獲得のために多くのカスタム機能を加える必要がないことを挙げている。
これらの条件を揃えた上で、さらに強力なブランディングが加わると、現在のアップルのような成功につながる(但し、将来までは分からない)。
過小評価されている独占企業を見つけること、あるいは、将来独占企業になることが可能な企業を見つけることが、投資家を幸せにする。それは、分かる。そして、投資家としてのティール氏によると、スタートアップへの投資は、一つの成功例の儲けが、残りの全ての儲けに勝るのが常だという。
「残り」があるということは、ティール氏といえどもある程度は分散投資しているということだが、大成功する一つを見つけるヒントはないか。
投資の参考書としての「ゼロ・トゥ・ワン」が優れているのは、スタートアップを上手く経営する方法が具体的に書かれていることを通じて、「将来の独占企業の卵」を見つけるヒントが多数散りばめられていることだ。
全てを説明することは筆者の手に余るが、印象的なポイントを幾つかご紹介しよう。
先ず、ゼロを「1」にするようなクリエイティブな仕事に成功するメンバーは「使命感で結ばれた一握りの人たち」でなければならない。「大組織の中で新しいものは開発しづらく、独りではさらに難しいからだ」というのが、その理由だ。孤独な天才だけでは、ひとつの産業を丸ごと創造することはできない。
ついでに、「機能不全が極まった組織では、実際に仕事を片付けるよりも鋭意努力中だとアピールする方が昇進しやすい(もし君の会社がそうならば、今すぐ辞めた方がいい)」とティール氏は付け加えてくれている。本題から逸れるが、多くのビジネスパーソンのご参考になろう。
投資を検討している会社に、「真に強力な少人数のチーム」があるかどうかが大切だ。このチームは「カルト」に近いキャラクターを持つとのことだが、これとの対比として、自分のことばかり考えるニヒリスティックな人たちとして「コンサルタント」をティール氏が挙げているのは、」なかなか面白い。
コンサルタントが経営に関与するようなベンチャー企業はダメだ、とも読んでみたい。
あるべきスタートアップ企業の特徴についても詳しい。幾つか列挙しよう。
会計士や法律顧問のような専門職を除いて、スタートアップに関わる人はフルタイムで関わる必要がある。
取締役の数は多くない方がいい。理想はビジネスの内容を分かった3人で、大規模な上場会社でないかぎり、5人を超えない方がいい。
スタートアップでなくとも、有名人を多数社外取締役に起用してガバナンスを強化したようなふりをしている企業はダメなのだ。
また、初期のベンチャー企業は、CEOの報酬が少ないほどいい、とも著者は言う(15万ドルが上限だそうだ)。ストック・オプションなど、会社の所有権が主な報酬になるべきだ。但し、所有権の付与をどう行うかは、非常に高度なマネジメント問題で、何株オプションを付与されているか従業員がお互いに知るようになると、管理が難しいといった、生臭い話も書かれている。
そして、スタートアップの生き残りには、社内の平和が何より大事で、そのためには、幹部社員を持ち場を共通にして競争させるよりも、仕事の分担を分けて敵対関係を避けながら責任を持たせるのがいいというのが、経営者としてのティール氏の意見だ。
二番手に10倍の差を付けた独占を目指すなら、小さな違いを追いかけるより大胆に賭ける方がいいし、出来の悪い計画でも将来の計画はある方がいいし、競争の激しい市場は避けるべきだし、販売はプロダクトと同じくらい大切だ。
競合企業を真似たり、細かな環境適応を繰り返すことをはじめから計算したりしているような企業をティール氏はたいして評価しない。
一方、営業を重視している点でもティール氏は非常に現実的だ。ベンチャー企業の失敗の原因は、ダメなプロダクトであるよりも、営業がダメな場合の方がずっと多いという。
筆者の身の回りにも、起業中の人、起業を目指す人が何人かいるが、これらの条件をクリアするのは、なかなか難しいことであるように思う。
上記の何れも、新興企業、ベンチャー企業への投資を考えるにあたって、大いにヒントになるのではないか。
また、ビジネスパーソンにとっては、どのような企業で自分の時間を使うかが、真剣で且つ分散の効きにくい「投資」になるが、転職や就職を考える、ビジネスパーソン、学生の参考にもなるだろう。
投資の技術的な側面について二つ補足しておこう。
一つはタイミングだ。ティール氏の著作を読むと、スタートアップ企業の株価が将来の(予想)キャッシュフローによって評価されると書いてあり、この点には賛成なのだが、加えて、評価が変わるタイミングについて参考になる記述がある。
筆者なりに要約すると、成功したスタートアップのIPOのようなケースでは、(1)リスクはあるけれども将来の可能性が過大評価されて熱狂的に高値が付く段階、(2)現実のビジネスが見えてきて過剰な期待が現実的に修正されて株価が低迷する段階、(3)ビジネスが続いていて様子が見えてきたことから将来の成長が具体的に見えるのと共に株価評価上の将来のキャッシュフローに対する「割引率」が縮小して株価評価が高まる段階、といったパターン化が出来るように思う。
(3)の段階では、将来利益が「べき乗則的に」(指数関数的に)増えることに対するが過小評価が修正される力と、理論的にはリスクに対して投資家が決めるはずの「割引率」が低下する力の両方とが働いて、株価を押し上げる。
フェイスブックの長期間の株価推移などを見ると、このようなパターンが当てはまるのではないかと思うのだがいかがだろうか。
「一時評価を下げたけれども、それなりにビジネスが継続しているベンチャー」に投資するタイミングの考え方として、本書のアプローチは参考になる(ティール氏自身は、フェイスブックを上場時に売却したことで有名だが)。
ベンチャー企業への投資が、分散投資で行われるべきか、集中投資で行われるべきかは難しい問題だ。一つの成功例が、他の全てを凌駕するのが、ベンチャー投資の世界であり、平均的なリターンとバラツキを持つとモデル化出来る既存大企業への投資とは異なることをティール氏は強調する(特に、人生は分散投資出来ない!)。
だが、現実のベンチャー投資家は、ポートフォリオとして複数のベンチャー企業に投資している。ティール氏も明らかにそうしているのが現実だ。
万能の予言者でない以上、投資家は分散投資から離れることができない。強気なティール氏は、著書にこのことを書いていないが、現実にはそういうことなのだろうから、この点だけは、投資家の側で補ってご自分の投資を考えるといい。
とはいえ、「ゼロ・トゥ・ワン」を読むと、「大成功する一つ」を見つけるヒントが多数見つかるし、何よりも、多くの投資しても無駄な企業への投資を避けることが出来るようになるだろう。
読者の、ビジネス・ライフと投資の両方を改善する本書は文句なしに優れた投資対象である。
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山崎元
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