きんのしゅーかん (こどもの日のお話)
満月に照らされた公園で、猫たちが集会を開いていた。
『……とまあ、うちの人間たちは出かけるみたい』
『おまえのところもか? おれのところもだ』
『うちもだよ』
『うちも出かけるって。何か、ゴールなんとかウィ……? ってやつだって言ってたよ』
どうやら、今夜の議題はゴールデンウィークについてのようである。
輪の中心辺りにいる白猫が尻尾をいらただしげに振る。
『私のエサはどうするつもりなんだか……。ゴ……なんとかってやつは何なのでしょうね』
ぼやく彼女の声にすべり台の上で寝そべっていたトラ猫が起き上がる。
そして威厳たっぷりな口調で言った。
『ゴールデンウィークというのはきんのしゅーかんのことじゃ』
猫たちは彼を見上げて少し首をかしげる。そのうちの一匹が彼に問いかけた。
『長老。きんのしゅーかんとはどういう意味ですか?』
長老と呼ばれたトラ猫は一瞬、目を大きく見開く。
『う、うーん。きんはカネという意味だから……』
腕を舐め舐め、考える。
彼はこの辺り一帯の長老だ。『分からない』なんて口が裂けても言えない。
『えーっと……おお。思い出した。思い出した』
毛繕いをやめ、すべり台から飛び降りる長老。彼は猫の輪の中心へ行き、若い衆を見回す。
『きんはカネ。しゅーかんは……ほらっ、わしらが毛繕いしたり、メシ食った後に口を舐めてキレイにしたりすることじゃ』
『なるほど、習性というやつですね。さすがは長老です』
猫たちが尊敬の眼差しを長老に送る。
長老はまんざらでもない。照れ笑いをしながらその場に座る。
すると彼にブチ模様の子猫が駆け寄った。
『ねえねえ、ちょーろー』
『なんじゃ? ポチ』
犬のような名で呼ばれた子猫はつぶらな瞳で長老を見上げる。
『にんげんのしゅーせいってなあに?』
二十年も生きている長老にとっては朝飯前の質問だ。
彼はポチに笑いかけながら答える。
『人間はカネが好きじゃ。何が良いのか分からんがな。じゃから、カネを集める習性があるのじゃよ。ゴールデンウィークというのはカネを集める時のことじゃろう。ハワイとか田舎とかいうとこに金が落ちとるのじゃ。きっと』
猫たちは再び尊敬の眼差しを向ける。
『いやー。そんなに見つめられると照れるのう』
そんなことを言ってはいるが、彼は輪の中心から離れようとしない。結構、目立ちたがりのようだ。
『となるとやはりアレのチャンスだな。人間がほとんどいなくなるようだし……』
輪の隅にいた黒猫のつぶやきに、みんなキラリと目を光らせる。
『そうじゃな。チャンスのようじゃ』
長老の肯定を聞き、黒猫は辺りを見回す。
その視線に答えるかのように猫たちはいっせいに尻尾を揺らした。
『アレを実行する。まずは計画作りだな。とりあえず知る限り人間の予定を……』
満月の下で猫たちの秘密の相談が始まった。
ポチは電柱の影から、辺りの様子をうかがう。
『にんげん、いないよね』
人影がないのを確認し、素早く道路を横断する。そして、再び様子をうかがう。
猫たちの内緒の計画がばれたら大変だからだ。
何度も立ち止まり、慎重に慎重に足を進め、ようやく目的地にたどり着く。
そこはこの近辺で一番大きな家。長老猫の家だった。
『ついた!』
喜びの声と共に、門の隙間をくぐりぬける。
門の内側では彼と同じブチ模様の子猫が待っていた。
『あっ、おにーちゃん』
別の家に住む兄のシロクロだ。
嬉しそうに駆け寄るポチをシロクロは怒鳴りつける。
『おそい!』
ポチは耳を伏せ、上目遣いに兄を見る。
『ごめんね、おにーちゃん』
『……しょーがないな。ほら、いくぞ。もうみんなたたかうとこなんだからな』
そう言うとシロクロは庭へと向かって駆け出す。
『あっ、まってよー』
ポチも彼を追いかける。
シロクロが言うとおり、庭……いや、屋根の上では猫たちの戦いが始まったところだった。
先陣を切ったのはこの近辺のボスであり、計画の立役者でもある黒猫だ。
彼は日本家屋の屋根を駆け、空へと跳び上がる。
『もらったー!』
そのツメが獲物を捕らえる……と思いきやするりと滑る。
『あー。おしい!』
『もう少しなのに……』
見ていた他の猫たちから落胆の声が上がる。
うまいこと庭に着地したボス猫は自分の肉球を見てつぶやく。
『一応、さわることができた……』
彼は屋根の上の仲間に向かって叫ぶ。
『がんばれば、届く! なんとしても狩って、皆で食うぞ!』
『おう!』
猫たちが上空を見上げて気合いを入れる。
彼らの目には空という名の池の中、風という名の水を泳ぐ鯉のぼりが映っていた。
猫は百年生きると猫又になるという。
鯉のぼりは百年経つと、本物の鯉になるという。
それが猫又町の猫たちに伝わる伝説だった。
そして、長老の家の鯉のぼりは購入してから百年経つという。
人気のない人家の庭で黒いまごいと赤いひごいが仲よく泳いでいる。
彼らの下と屋根の上で猫たちの叫びが響き渡る。
『いけっ! そこだぁー!』
『あー。また失敗……』
『もう一度だ。もう一度……』
成猫たちは代わる代わる屋根から鯉のぼりへと飛びかかる。
屋根より少し高くを泳ぐ、赤いひごいめがけてだ。
しかし、この家の庭は広かった。
何度跳んでもその赤い鱗にツメを引っかけることはできない。
危ないから……と庭の片隅に追いやられた兄弟猫が、成猫たちの転落風景を見て溜息をつく。
『なかなか、うまくいかなえねえ。おにーちゃん』
『そうだな……。はやくくいたいのに……』
なかなかうまくいかないのも当然だ。
彼らが狙っているのは風の中を泳ぐ鯉のぼり。鯉のぼりがもっとも屋根に近づくのはポールから屋根へと風がながれるとき。つまり、屋根から見ると向かい風となっているときなのだ。
屋根のふちに赤い首輪をしたブチ猫が姿を見せる。
『あっ! おかーちゃんだ!』
『ホントだ! かーちゃんがんばれー!』
屋根の上で赤い鯉のぼりを見据えるのは彼らの母だった。
子猫たちの声援に母猫は尻尾を振って答える。
『行くわよー!』
一度、屋根のてっぺんに登り、そこから一気に鯉のぼり目がけて駆けだす。瓦を力強く踏み込み、勢いよく空へと舞い上がる。
そのジャンプは今までで最大の飛距離だった。
染め抜かれた赤い尾ひれに鋭いツメが突き立てられる。
『やったー!』
『かーちゃんすごい!』
喜ぶ子猫たち。成猫たちもニャーニャー歓声を上げている。
そのとき、突然風が和らいだ。
鯉のぼりは泳ぐのをやめ、地面へと垂れ下がる。尻尾に引っかかった母猫の重量がその作用に加速をかける。
そして、いやーな音が辺りに響く。
――ビリッ、ビリビリビビビ……
縁側の踏み石の上にいる長老が叫んだ。
『いかん! 早く、早く離れるのじゃ。布に戻ってしまう!』
鯉のぼりが鯉になるのは泳いでいるときだけ。そう伝えられているのだ。
『そ、そうはいっても……ツメが引っかかって……』
母猫はツメを外そうとその場でもがく。
その行為がとどめだった。
――ビッ……
哀れ、赤い鯉のぼりはエラを境にまっぷたつになってしまった。
庭の芝生に横たわったひごいの胴体を、猫たちみんなでつついてみる。
『ひらっぺったいね……』
『身がないな』
『やっぱり布か?』
感想を言い合った後、次はみんなでかんでみる。
『味がない』
『魚じゃないな』
『やっぱり布なんだな』
やはり風がないときは布になるらしい。
そんな結論に達し、猫たちはうなだれる。
何日も前から立てていた計画。人間がいない日を狙い、でかい獲物を狩るという夢のような計画。
それがあっさり失敗してしまったのだ。
耳をたらし、横たわった「布」を睨んでいた若いサビ猫が、ブチの母猫へと詰め寄った。
『早く離れろと長老が言ったろ! なんで離れなかったんだ!』
その声を皮切りにほかの猫たちもいっせいに彼女を責め立てる。
『そーだそーだ。お前のせいで失敗したんだぞ!』
『どーするんだ! どーしてくれるんだ!』
責められた本猫は周りをキョロキョロ見回した後、耳を下げて謝った。
『……ごめんなさい』
シュンとなった母猫の背を舐めながらポチは言う。
『おかーちゃん。げんきだして』
シロクロは母の前に立ち、周りの成猫に訴える。
『かーちゃんはがんばったよ! いじめないでよ!』
サビ猫がシロクロににじり寄りながら怒鳴った。
『ガキには分からんかもしれんがな! 結果がすべてなんだよ!』
悪態に腰を抜かしかけたシロクロとサビ猫の間にボスが割り込む。
そして、サビ猫を睨みつけた。
『……この子の言うとおりだ。お前、三度も挑戦したよな。鯉のぼりの尻尾の先にも触れられなかったのに文句を言うな!』
ボスの迫力にサビ猫の肉球に冷や汗がにじみ出る。
『……す、すいません』
すぐさま縮こまったサビ猫を一瞥し、ボスは他の猫たちを見る。
文句を言った猫たちはすべてバツの悪そうな顔をしている。
『わかればいいんだ。……わかればな』
言い捨てると、踏み石の上にいる長老の元に向かう。
若い猫たちの争いに、「我関せず」という態度で毛繕いに専念していた長老。
彼はボスが踏み石の前に座るのを待ってから、ようやく顔を上げる。
『ん。もう片がついたか?』
『はい。で、相談なのですが……あの黒いのも百年物の鯉のぼりなのですよね』
長老は鯉のぼりのポールを見上げる。
ポールには頭だけになった赤いひごいと黒いまごいと吹流しが絡まっていた。
『うーん。うちの人間、百年前の物って自慢してたのじゃ。……じゃが、あっちのほうが難しいぞ? 赤いのさえ一匹しか届かなかったのに大丈夫か?』
近くにいるボスとの会話にしては大きな声で長老は言う。
ボスは笑いながら、やはり大声で答える。
『その一匹に文句を言うくらい優秀な猫が数匹もいるから大丈夫でしょう』
その言葉にその数匹の毛が逆立った。
彼らがこっそり逃げる前にボスはバシッと宣言する。
『よしっ。それでは風が吹くのを待って再挑戦だ! 今度こそみんなで狩るぞ! み・ん・な、でな』
ボスにそういわれてしまっては逃げ出すわけには行かない。
彼らは耳をピクリとうごかして同意した。
みんなやる気になったものの、なかなか風が吹かなかった。
当然、鯉のぼりが泳ぐこともない。
『おにーちゃん。ひまだね』
『そうだな。おとなたちねちゃったし……』
風を待ちくたびれた猫たちは庭でめいめい丸くなっていた。
五月五日、端午の節句。暦で言う立夏の日。ポカポカした日差しにさわやかな風が吹くこの日の陽気は昼寝には最適だった。
ポチはうつらうつらする成猫たちの間を歩き回る。一回りしてみたが彼の遊び相手になってくれる者はいそうにない。
『みんなねちゃった』
シロクロのところまで戻ってくる。しかし、彼も丸くなり目を閉じていた。
『おにーちゃんまでねちゃった。どうしよう? ひとりであそぼーかな?』
遊ぶのはいいが、遠くに行くわけにはいかない。風は何時吹くかわからないからだ。
彼は少し考え、この家の裏庭へと向かう。
まだ子猫の彼は行動範囲が狭い。だから、この家の裏に回ったことはない。
『へへ。ちょっとだけみてこよう』
一匹だけの冒険。ドキドキワクワクの小さな冒険が始まった。
だが、それはすぐに終わった。
裏庭で妙な光景を目にした彼は慌てて戻る。
『ちょーろー! ちょーろー!』
縁側の踏み石の上で気持ちよく寝ていた長老は少し機嫌の悪い声を出す。
『なんじゃ、ポチ? わし、まだ眠いんじゃがのう』
『あのね、あのねっ! おうちのなかにだれかきたよ』
『……何のことじゃ? うちの人間、アタミとやらに行っとるぞ』
寝ぼけ眼をしばたたかせ長老はゆっくり起き上がる。
のびをする彼を見上げ、ポチは尻尾をふりふり説明する。
『ちょーろーのとこのにんげんじゃないの。はじめてみるにんげん。えーっとね、からすにあなあけてはいっていったの』
『からすじゃなくてガラスじゃ。……ってうちに入っていったじゃと!』
ポチがうなずくと同時に、長老は勝手口めがけて駆けだした。
ロゴの入った長袖のTシャツにジーンズを着た若い男が仏壇をあさっていた。
「はっ、やっぱり年寄りは隠し場所が単純だねえ」
白い手袋をした手でつかみだしたのは数枚のお札である。
にやけながら枚数を数え、肩からさげたショルダーバックにそれを入れる。
ショルダーバックの中にはすでに数十枚のお札や数冊の通帳が入っていた。
バックの中を見てさらににやける男。
(これだからやめられないんだよ。空き巣は)
彼は立ち上がり、仏間を見回す。
(確か、明日まで留守だよな。この家……)
彼はあらかじめ住民の予定を調べていた。
空き巣は短時間勝負である。しかし、帰ってこないと分かっているならば……。
(結構でけえ家だからもう少しあさってみるか)
仏間を出ようとしたとき、何かが男に飛びついてきた。
「ファーオッ!」
「うわっ!」
とっさに腕で体をかばうと、その腕に猫がぶつかってくる。
「な……なんだ! この、くそ猫!」
体当たりしてきたのは茶トラの猫だった。
その猫はギラギラした目で男を睨み上げてうなり声を上げている。
「フーッ! フシャーオ!」
トラ猫は再び男に飛びかかる。
「舐めるなよ!」
――ボスッ
トラ猫は畳に叩きつけられる。男に蹴り飛ばされたのだ。
起き上がったトラ猫を睨んで男は言った。
「番猫のつもりか? 猫が人間様に勝てると思うなよ」
危ないことを悟ったのだろうか?
トラ猫は悔しそうに男を見て、仏間を出て行った。
長老はひげをたらして、勝手口の猫扉をくぐる。
『長老! 一体どうしたのですか?』
扉の外には猫たちが集まっていた。みんな長老を心配して様子を見に来たのだ。
長老はその場に座り、うつむき気味に話す。
『うちに怖い人間がいるのじゃ』
『怖い人間?』
『そうじゃ。怖い人間じゃ。病院とかいうところにいる痛い針指すやつより怖い人間じゃ』
長老は尻尾を巻いてつぶやいた。
――病院の人間より怖いなんて、きっと怪物のような人間なのだろう。
猫たちはそれぞれ「怖い人間」を想像して尻尾を膨らませる。
『長老、その人間は何しにきたのですか?』
ボス猫が思い切って長老にたずねる。
『どうやら、うちのカネを拾いに来たようじゃ』
猫たちは顔を見合わせる。
今はゴールデンウィークの真っ最中だ。きんのしゅーかんの真っ最中なのだ。
『じゃあ、おかねひろったらでてってくれる?』
ポチが首をかしげて問う。
長老は溜息まじりに質問に答える。
『出てくじゃろうな。けど、カネがないとうちの人間が困るのじゃ』
『どうして?』
『人間はカネが好きじゃ。だから、カネと何かを交換するのじゃ。カリカリやジャーキーや缶詰はカネがないと手に入らんのじゃ』
『じゃあ、ちょーろーのエサ……』
『わし、当分、何も食えんかもしれんのう』
長老は悲しそうに笑う。彼は笑ったまま、庭の方へと歩き出す。
『……わし、疲れた。もう一回昼寝じゃ』
猫たちは鯉のぼり狩りどころではなくなった。昼寝どころでもなくなった。
『ねえ。おかーちゃん。ちょーろーかわいそうだよ。どうにかならないの?』
『そうだ。かわいそうだ。なんとかできないか?』
ブチの兄弟が母親に訴える。
母猫は困ったような顔をして、踏み石の上で丸まった長老を見る。静かな寝息を立てる長老はいつもより小さく見えた。
彼女は視線をボスに移す。
『何とかなりませんかねえ。ボス』
『うーむ。考えつくのは鯉のぼりを仕留めて長老に差し上げるくらいだが……』
その言葉に猫たちは上を見る。
風はまだ穏やかなままだ。鯉のぼりは当分泳ぎそうにない。
『鯉のぼりが獲れないなら、怖い人間にカネを拾わないようにしてもらうしかないな。しかし、どうすればいいものやら……』
ボス猫は考えながら、庭を歩き回る。
その時、隅の植木鉢からバッタが飛び出した。
根っからのハンターであるボスがそれを見逃すはずがない。バッタに猫パンチが炸裂する。
『あっ、バッタだ』
『バッタだー』
ブチの兄弟猫はボス猫に近づき、期待の眼差しで彼を見上げる。
『食いたいのか? いいぞ』
『ありがとう。ボス』
兄弟は声を揃えて礼を言い、小さな手をバッタへ伸ばす。シロクロの方がわずかに早かった。
『あっ、おにーちゃんずるい。ぼくのぶん、あししかない!』
『へへーん。はやいのものがちだもんね』
言うと同時にシロクロは口にバッタを入れる。
ポチはシロクロの口元をペシペシたたいた。
『ずるいよー。おいしいものをひとりじめなんて』
『おいしいから、ひとりじめなんだろ? おまえが……』
『いいこと、思いついたよ!』
兄弟ゲンカを眺めていた母猫が突然叫ぶ。
彼女はボスに近づき、耳元でささやいた。
『……いいかもな。それでいこうか。よし、みんな集まれ!』
ボス猫の命令に散らばっていた猫たちが集合する。
そして、「怖い人間にカネおいてってもらおう作戦」がみんなに伝えられた。
「ちっ、タンスにはロクなもんがねえな」
空き巣の男がタンスの引き出しを乱暴に閉めると後ろから小さな音がした。
「ミャーン」
「何だぁ。さっきの猫か? また蹴っ飛ばして……」
振り向くとそこにはブチ模様のチビ猫が二匹いた。一方は何かを口にくわえている。
二匹とも行儀よく座って男を見上げている。
「ミャーン」
何もくわえていない方が一鳴きすると、もう一方がうやうやしげに口にくわえた物を畳に置く。
それはつぶれかかったバッタだった。
「バ、バッタ?」
子猫たちは男の訝しげな様子を少し眺めてから立ち去っていった。
『どうだった?』
『あんまり、うれしくないみたい』
『じゃあ、次だな』
「うなーん」
押し入れを探っていた男は猫の鳴き声に振り返る。
すると、ネズミをくわえた三毛猫がいた。
「ここ、何匹いるんだよ……」
呆れる男の前に三毛猫はネズミを差し出す。
「……」
三毛猫は無言の男を少し見つめてやっぱり立ち去った。
『どうだった?』
『何も言ってなかった』
『うーん……。次だ、次!』
――タシッタシッ
冷蔵庫をのぞいていた男は床を叩く音に振り返る。
「おいっ、またかよ……」
サビ猫が何かをくわえて床を踏みならしていた。
「何だよ。お前も獲物を見せにきたのか?」
男の問いにサビ猫はくわえていたものを床に置く。
すると、それは羽音を立てて飛び上がった。
「うっ、うわー! ハチ、ハチじゃねえか!」
家中に響くような声で男は叫び、バックを手に持ちハチを叩こうとする。その勢いでバックの中身がばらまかれる。
その様子を見て、サビ猫は満足そうに立ち去った。
『どうだった?』
『カネを放って、狩りを始めやがった。生きのいいやつが好きみたいだぜ』
『よし! 生きのいいやつだな』
男がぶちまけたショルダーバックの中身を詰め直したときだった。
「なーうー」
「また猫かよ!」
キレ気味に男は振り返る。そしてその体勢で固まった。
ブチ猫の口にくわえられているのはカエル。そのカエルは猫の口元でピョコピョコうごめいている。
「ま、まて……。なあ、頼む。頼むからあっちに行ってくれよ。おれは爬虫類は苦手なんだ」
両生類のカエル怖さに猫を拝みながら後ずさる。
ブチ猫は首をかしげて小さな声を出す。
「ニャ?」
その途端、カエルが猫の口から転げ落ちた。
カエルは猫から遠ざかろうと懸命にジャンプする。
着地点は男の顔だった。
「ぎゃああああーー!」
かなり苦手らしい。顔にカエルを貼り付けたまま、男は屋内を駆けめぐる。
「とってとってとってとって、誰かとってくれー!」
カエルが自力で男から離れたときには彼は疲弊しきっていた。
「……この家、やばい……逃げよう」
戦利品を詰めたショルダーバックを手に持ち、進入口である裏庭側の窓へ向かう。
窓から顔を出し、猫がいないことを確認する。
(来るなよ。……絶対、来るなよ)
祈りながら、外へと降り立つ。
無事に外へでてホッと一息ついたとき、何かを引きずる音が聞こえてきた。
――ズ、ズズズ、ズズズズズ……
恐る恐るそちらに目を向ける。
家の角から顔をのぞかせたのは黒い猫。その猫は長いものをくわえて引きずっている。
猫に引きずられながらもがいているそれは……。
「ぎぃいやあああああーー! へびぃぃーー! く、くるなぁーー!」
近所中に響き渡る大声を上げ、男は走り出す。
もちろん、黒猫とは逆方向へとだ。
下調べした逃走ルートなど頭から消えてしまっている。
彼は家の壁伝いに表の庭の方へと逃げていった。
『怖い人間に貢ぎ物など効くかのう?』
昼寝から覚めた長老は他の猫に話を聞いてこんな感想をもらした。
猫たちの作戦。それは「おいしい物を渡してカネを置いていってもらおう」というものだったのだ。
長老の隣りに座った白猫が笑いながら言う。
『効いてるみたいよ。ハチを渡したら、カネを放り出したってさ』
『ほう。うちの人間、ハチは食わぬ。食う人間がおったとは知らなんだ』
長老が目を丸くすると、白猫は自慢げに尻尾を立てる。
『ほら、あたしはトカゲを狩ってきたの。おいしそうでしょ?』
白猫は前足でトカゲを押さえつけている。ジタバタ暴れるトカゲを見下ろし、長老がつぶやく。
『トカゲか……。久しく食っとらんのう』
『あの人間がほしがらなかったら、長老にあげちゃう。あっ、他の連中も帰ってきた』
白猫の言葉通り、他の猫たちも庭に集結し始めた。その口にはそれぞれ狩ってきた獲物がくわえられている。
『おや、あんたもトカゲか……』
『オレはカエルだぜ。結構、大きいのつかまえた』
『あたしはスズメだよ』
『ヤモリ。二匹も獲れた』
それぞれ獲物を自慢しあっているともう一匹戻ってきた。
茶ブチの猫は小さな蛇をくわえている。
『おおー。大物じゃないか』
褒められた猫は蛇を手で押さえつけながら、謙遜する。
『いや、オレよりボスの方がすごいぞ。でかいヘビ仕留めてた』
『へえ。さすがはボス。で、ボスはどこに行ったんだ?』
『さっそく人間に……』
茶ブチの猫が答えようとしたとき、人間の叫声が聞こえてきた。
「来るなー! こっちに来るんじゃねえー!」
半泣きで叫びながら、表通りに面した庭へと飛び出した男。
彼はそのまま庭を駆け抜けようとして凍り付く。
「ニャー」
「ニャーン」
「ニャーオー」
庭にいたのはたくさんの猫。おまけにそれぞれが獲物つきだ。
男が大の苦手とする爬虫類を持った猫が最も多い。
しかも、彼に気づいた猫たちがそれぞれ獲物をくわえて近づいてくる。
「な、な、ななな……」
男は震えながら、少し後退する。
しかし、後ろから何かを引きずる音が響いてくる。
「ど、どどど、どけー! ねこー!」
パニックに陥った男は目を閉じて庭を強行突破しようとする。
その瞬間、突風が吹き荒れた。
矢車がカラカラ回り出し、吹流しが吹きなびき、赤いひごいの頭と黒いひごいが生き返ったように泳ぎ出す。
地上に残されたひごいの胴体も生き返ったように風に舞い、男の顔に張り付いた。
「ぎゃああー! ぎゃああぁー! なんだー! なんなんだよーー!!」
男は狂ったようにその場で暴れ回る。すると、長いひごいの胴体が男に巻き付くように絡みつく。
真っ先に顔に絡まったため、その布の正体は男には分からなかった。
混乱状態の男にとっては、自分の体に巻き付いた謎の物体は恐怖の対象でしかない。
だから彼は暴れ回る。そして余計にひごいが絡まることになる。
ぎゃーぎゃー騒ぐ男を猫たちは目を丸くして、猫によっては体を膨らませて見守る。
まだ息のある獲物はその隙に逃げていった。
そして、風が唐突にやむ。
まごいもひごいの頭も泳ぐのを休み、ひごいの胴体からも風圧が抜ける。
男はようやく、自分に巻き付いていた物の正体を知った。
「はあ、はあ……。な、なんだ。……鯉のぼり、か……」
「ああ。鯉のぼりだな」
男のつぶやきに誰かが返事をした。
男が顔を上げると、目の前に制服姿の警官がいた。
その警官は呆れたような目で男を見て、その横の地面を指さす。
「そのカバンは君のか?」
地面には彼のショルダーバックが落ちていた。バックの口は開き、現金やら通帳やら宝石やらがこぼれ落ちた状態である。
「あ、あの……」
男が口を開きかけたとき、さらに声がした。
「この家の裏の窓が割れてる理由も教えてもらおうか?」
声に振り向くと警官がもう一人立っている。
「い、いやー。あの、えっと、猫が、猫が……。そう、猫のペットシッターを頼まれたんです」
下手な言い訳を始めた男に前に立った警官が問いかける。
「ペットシッターならこの家の猫の名前を知ってるよな? 言ってもらおうか?」
男の脳内でたくさんの猫たちと爬虫類が徒競走を始める。その考えを振り払い、彼は言い逃れる方法を考える。
「あ、あーっと……この家、猫が多いから全部の名前は言えない。名前を書いたメモをもらったけど、なくしちゃってさ……」
我ながらうまい言い訳だ。と男は心の中で自画自賛した。
二人の警官は顔を見合わせ、ニヤッと笑う。そして、一人が言った。
「はい、アウト。この家の猫は一匹だよ。残念だったな」
警官の言葉に男は庭を見回し、猫が集まる一帯を指さす。
「……ほらっ、あそこにいっぱいいるじゃないか!」
「……確かにいるけどな。通報者の話によるとあれは近所中の猫が集まってるだけだそうだ」
「最初の通報は猫が異常に五月蠅い。次から七件続いた通報は男の悲鳴が聞こえる。……空き巣が騒ぐとは思わなかったぞ」
警官の呆れ果てた言葉に男は反論する。
「お、おれは空き巣じゃない。証拠がないだろ。証拠もなしに逮捕して良いのか。誤認逮捕で訴えるぞ」
二人の警官は庭に落ちているカバンを同時に見る。
裏の割られた窓といい、カバンの中身といい、空き巣としか考えようがない。
「では、刑法一三〇条、住居侵入罪で現行犯逮捕する。窃盗罪については……署でゆっくり聞かせてもらおう」
二人の警官に両脇をはさまれて男がしょっ引かれていく。
その様子を猫たちは不思議そうに見送った。
『……アキス……スウケン……』
『キンジョ……ヒガイ……ネコ……』
道ばたで熱心な井戸端会議に更ける女性達を、ポチは電柱の影からうかがう。
『うー。にんげん、いっぱいいる……』
ちっとも終わりそうにない会話に彼は溜息をついた。
『ちょーろーのおうち、いかなきゃいけないのに……』
昨日の怖い人間がいなくなった後、怖い人間を連れてった人間が戻ってきたのだ。
そして、猫たちを追い出した。こともあろうに長老も隣の家へと追い出されてしまった。
おかげで鯉のぼり狩りは今日に延期となったのだ。
今日を逃せば、チャンスはない。
長老の家の人間は今夜帰ってくる。そうしたら、鯉のぼりはしまわれてしまうだろう。
『どうしよう?』
電柱の影で迷っていたら、後ろから声をかけられた。
『おい!』
『あっ、おにーちゃん』
後ろにいたのはシロクロだった。
シロクロはポチに向かって言う。
『こいのぼりがり、ちゅーしになった』
『えっ? なんで? まだ、けーかんってやついるの?』
『けーかんはいなくなった。けど、ちょーろーとこのにんげん、かえってきたんだ』
『えー。だって、きょうもおでかけって……』
猫たちは自分の家の人間の予定を把握し、報告し合っていた。
長老の家は五日の朝から六日の夕方まで不在予定のはずだったのだ。
『よくわかんないけど、なんか、じじょーなんとかがどーとかきいた』
『じゃあ、こいのぼり、とれないの?』
シロクロがうなずくのをみて、ポチはガッカリする。
うなだれた彼をシロクロは前足でつつく。
『でもな。ちょーろーとこのにんげん、おいしいものくれるぞ。さっき、ジャーキーもらった。カツオとマグロのやつ』
『えっ? カツオとマグロ? ふたつもあるの? ほんと?』
ポチは目を輝かす。
『ほんと。おまえもいってみろよ』
『うん。いってみる』
ポチは井戸端会議の横を駆け抜ける。
向かう先はもちろん長老の家だ。
吹流しとまごいがはためく庭の縁側で老夫婦がお茶を飲んでいた。
「ようやく、現場検証が終わりましたね」
「ああ。一段落すんだな」
彼らは息子夫婦と一緒に温泉旅行に行っていた。
が、旅先で空き巣被害を伝えられ、慌てて帰ってきたのだ。
その後、警察に事情聴取され、被害届を出し、現場検証に立ち会い……ようやく一息つくことができた。
「それにしても、不思議な話ですね。猫が泥棒をやっつけるなんて」
隣りの座布団で丸まっているトラ猫をなでながら、妻が言う。
その時、甲高い鳴き声が響いた。
「ミャー」
二人が庭を見るとそこにはブチの子猫がいた。
「あれっ、お前はさっき来たばかりじゃないか。また来たのか?」
縁側によじ登る子猫を見て夫が言う。
「ちがいますよ、お父さん。その子は別の子です。ほら、首輪の色が違うじゃないですか」
妻の言葉に、子猫を抱き上げ首輪を見る。
先ほどの子猫は鈴つきの青い首輪。この子猫はリボンがついた黄色い首輪をしている。
「確かに……。おい、こいつにも何かやってくれ。世話になったかもしれないからな」
「はいはい。ただいま……」
妻は家の中に引っ込み、数袋の猫用ジャーキーを持ってくる。
「どれがいい? これ? これ?」
「ミャ、ミャミャミャ……」
「あなたは小さいからちょっとだけよ。えーっとこれとこれが好きなのかな?」
子猫の反応から、カツオとサケのジャーキーを選び小さなお皿に入れる。
縁側に皿を置くと、子猫が顔を突っ込んだ。
必死にジャーキーを食べる子猫を見て、老夫婦は笑い合う。
「さっきからひっきりなしに猫が来るな。お礼を要求してるのか?」
「そうかもしれませんね。空き巣は猫に追い詰められて、鯉のぼりに捕まったって聞きましたし……。そういえば、鯉のぼりはどうして破れたのかしら?」
捕まった空き巣はあっさり罪を認めたのだ。
しかし、鯉のぼりを破ったことは認めなかった。
近所の人の話によると、鯉のぼりは猫たちが破った可能性が高いらしい。鯉のぼり目がけてジャンプする猫をその人は見たのだそうだ。
夫はその事を思い出し、子猫にたずねる。
「鯉のぼりはお前さんたちが破ったのか?」
子猫はジャーキーに夢中で問いかけに気づかない。
それを見た彼は大げさに肩をすくめて見せる。
「ちょっとは聞いてくれ、ちびっこいの。あれは百年物の骨董品だったんだぞ」
それを聞いた妻はクスクス笑いながら言った。
「あら、お父さん。ナイロン製の鯉のぼりが百年前にあるわけないでしょ? あったら、それはオーパーツって物よ」
「……母さんは難しい言葉を知ってるな。孫達には内緒だぞ」
いたずらっ子のような笑みを浮かべて、夫が口の前で指を立てる。
「ええ。内緒ね」
妻も口の前で指を立てる。
そんな二人の会話を聞き、彼らの愛猫が丸まったまま毛を逆立てた。
老夫婦は互いを見つめて笑い合っているし、子猫はジャーキー意外は目に入らない状況である。
トラ猫の変化を見たのは、風の中を泳ぐナイロン製のまごいだけであった。
おしまい
鯉のぼりを猫はどう思っているか考えてたらできた話。
実は初めて書いたネコ小説。某投稿サイトに投稿したやつを修正した。
登録日:2009/05/24
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