あゝ義弟よ、君を泣く 3
再び巡ってきた、どこか物悲しくなる秋の季節。はらはらと降り注ぐ赤や黄の葉は、まるで木々の涙のようだ。風さえもすすり泣くように、森を吹き抜けてゆく。
十三歳になった私は、珍しくお昼に帰ってこなかった義弟を探している最中である。
食事は家族全員で食べるもの、という母様の方針により、ユリエルはその約束を破ることは今までなかった。その彼が、今日は待てども待てどもお昼に帰って来ず、空が赤く染まる夕方になっても結局戻らなかったのだ。
父様は「男の子には独りで考えたいときもあるものさ」と穏やかに微笑んだが、さすがに心配になって家族全員で探すことになった。
「おーい、ユリエルー。どこにいるのー。返事をせぬかー」
がさがさと植物をかき分け、人が隠れることができそうなところも余さず探していく。
もしかして、どこか洞窟とかにいるのかなあ。けれども、ユリエルの性格を考えると隠れるということはしなさそうだ。じゃあ、父様の言う通り、どこかで考え事に耽っているのかな。
だんだん薄暗くなり、夜の気配が濃くなってゆく。一向に見つからないことに対する焦りと、闇に対する恐怖をわずかに感じながら探していた時。前方で人影を発見した。
闇夜でもまばゆく輝く光。ユリエルの金髪だ。
「ユリエル」
後ろから声をかけるが、ユリエルはちっとも反応しない。
私はやれやれと彼に近づき、そこが崖の側だと分かってぎょっとした。
ユリエルよ、君はなんつー所にいるのだね。危ないではないか。
「探したよ。ここは寒いし、お腹空いたでしょ。帰ろう」
言葉を選びつつ、どこか思いつめた表情の義弟に話しかける。
何か彼の心を波立たせることでもあったのだろうか。
しばらく沈黙して彼の様子を見守っていると、ユリエルはうつむいて低く呟いた。
「もう帰らない」
その言葉の意味をゆっくりと咀嚼し、私は静かに微笑んだ。
でも家の近くであるこの森から離れず、ずっとここにいたんでしょう。
私達が探しに来るのを、本当は心のどこか奥底で願っていたんでしょう。
「父様も母様も、すごく心配している。今もユリエルを探しているんだよ」
氷のように冷たいユリエルの手に、そっと触れる。まるで彼の心のようだ。凍える闇に囚われて、寒さに震えている。
ぴくりと手が動いたかと思うと、勢いよく振り払われた。
「優しくするな。どうせおまえ達にも下心があるんだろう。無償の愛など、笑わせる。そんなものがこの世にあるものか。醜悪な欲望を甘く優しい仮面で覆い隠し、さもか弱い善人のふりをする。欲にまみれた獣どもめ、考えるだけで反吐が出る」
怨嗟の声に、一瞬茫然とする。他人の、ここまで深い憎悪に触れるのは初めてだった。
ユリエルが身に抱える深い闇。人を信じられない彼の、心の闇。
「いいよ。信じられなくても。私達家族を信じなくても。それでも父様も母様も私も、変わらずユリエルを大切にするから」
愛するとはさすがに恥ずかしくて言えないので、そう伝える。
「だから帰ろう」
しかしユリエルに動く気配はない。
これはもう強硬手段だ、引きずってでも連れ帰るぞ。
がしっとユリエルの手を掴むと、彼はやっと顔を上げた。
「俺に構うな」
先ほどよりも強い力で手を振り払われた、その時。
後ろに下がったユリエルの身体が、崖の方に傾いた。
――いけない。
何かを考える暇もなく、とっさに身体が動いた。ユリエルの手首を握り、勢いに任せて引っ張る。それと同時に、彼と入れ替わるように自分の体が宙に浮いた。
「あ」
遥か下にある地面を見つめて、私は「あー。やっちまったー」とやけにのんびりと考えた。これは大怪我は免れない。きっと父様は号泣しちゃうだろうし、母様は怒りながら泣くだろう。
「ユーナっ!!」
ユリエルの悲鳴が上がる。
凄まじい速度で風を切る音を子守唄に、私はそのまま気を失った。
●●●
ぱちぱちという薪が燃える音に、私は瞼を震わせた。ゆっくりと目を開けたけれど、私の予想に反して瞳は何を映さなかった。いや、正しくは物凄くぼやけていて、物の形を判別することができない。でも光を感じることはできるので、今はお昼頃だろうと判断した。
もしかして、打ち所が悪くて視力が落ちてしまったのかな。
「ユーナ……?」
もぞもぞと動いて起き上がったら、すぐ側で小さな声が聞こえた。
「ユリエル?」
はて、どこにいるのだろうか。
「具合は……」
かすれる声で尋ねてくる義弟に、私はとりあえずダイジョーブと頷いた。
「……医者が、足はもう二度と動かないって」
ぽつりと呟かれた言葉に、私は足の違和感に納得した。どうりで感覚がないわけだ。
私は二度と歩けないという実感が湧かなくて、「そっか」と頷いた。
「ところでユリエル、どこにいるのかな」
私は手を前に出して宙を探ってみた。すると、ユリエルがはっと息を飲む音が聞こえた。
「見えないのか……?」
「ええと……あはは」
なんて言ったらユリエルにダメージが少ないだろう。私は心底困ってしまい、笑って誤魔化すことにした。
「僕は」
激しい苦悩が滲む声に、私は彼の名前を呼んだ。
「ユリエル」
ちょいちょいと、どこにいるのか不明な義弟を手招く。
「おいで」
躊躇うような気配がしたあと、私の手に温もりが触れた。その手を辿り、顔に両手を持っていく。そして。
――びよーん。
ユリエルの頬を思いっきり伸ばした。おお、思った以上に伸びる伸びる。すげー。
「これで赦してやろう」
硬直して動かないユリエルに、私はにやにやと笑いながら言った。
だから必要以上に自分を責めなくていいよ、と心の中で付け加える。
「ユリエルが無事でよかったよ」
気が済むまで頬を伸ばしたので、もうやめてあげる。そのまま彼の頭に手を伸ばし、ぽんぽんと撫でた。
ユリエルはしばらく黙っていたけれど、身体を小さく震わした後「ごめんなさい」と囁いた。薪の音とは別に、すすり泣く小さな声が室内に響く。彼が泣き止んだ頃、両親が部屋を訪れた。
起きている私に両親は抱きつくと、泣きながら無事を喜んだ。そしてユリエルと共に母様に叱られ、最後は家族皆で笑いあった。
両親に聞いたところ、どうやら私は三日も寝込んでいたらしい。私が目覚めたと聞いた村のお医者様がすぐに来てくれて、診察してもらった。そして、視力の方は回復するかもしれないし、さらに悪化するかもしれないと告げられた。最悪完全に見えなくなることもあり得ると。
「僕が姉さんの目と足になる」
姉さんを守るから。
ユリエルは医者の言葉を聞いた後、そう言って私を抱きしめた。
義弟からこんな言葉を言われる日が来るとは、と胸が詰まってちょっぴり涙したのは内緒である。
こうしてこの出来事をきっかけに、ユリエルは私に頭が上がらなくなったのだった。
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