2014/10/10 13:18

短すぎた栄光〜アンディ・シュレクが現役引退
短すぎた栄光〜アンディ・シュレクが現役引退、他者のドーピング問題に翻弄された選手生活とモチベーション低下、そして元には戻らなかったメンタル、一つの時代の幕が降りた
若すぎる終わりの時、29歳にして現役引退を決めたアンディ・シュレク(トレック・ファクトリーレーシング)の表情には寂しさと共に安堵感が垣間見えた。その反面、膝の怪我の状況が芳しくないためとした引退理由、言い訳にも似たその言葉の裏にある複雑な思いと苛立ちも時として感じられ、完全には納得仕切れていない揺れ動く気持ちも感じられた。短すぎた栄光、残念だ。
そもそも全ての歯車が狂ったきっかけはドーピング問題だった。しかもそれは本人ではなく周囲の人間のドーピング問題に、結果として翻弄されることとなった。まずは最大ライバルだったアルベルト・コンタドール(ティンコフ・サクソ)がドーピングによりツール・ド・フランスの優勝が剥奪され、それにより繰り上がりで優勝者となったことが、そうでなくともガラスの精神と呼ばれたアンディのメンタルに大きな影響を与えた。ジロとツールで総合2位を獲得し、あと一歩手が届かなかった総合優勝、だからこそより練習をしそのために全てを注ぎ込んできた。しかし自らの苦労とは関係なく勝手に転がり込んできた総合優勝というタイトルに、周囲は最大の賛辞の言葉を送った。しかしアンディにとっては自らの力で掴みとったのではない称号、そしてそのことにより消滅してしまった本来の目標と揺らいだモチベーションは、結局最後まで元通りにはならなかった。「望んでない称号が転がり込んできた・・・あれで全てが狂った。」どん底の状態でに口にしたこの言葉こそが、彼の本心だったのだろう。
そしてそれに引き続き絶対的な信頼と絆で結ばれた兄フランク・シュレク(トレック・ファクトリーレーシング)のドーピングによる出場停止は、さらにアンディのメンタルを追い込んでいった。クリーンで売ってきた自分たちの肖像の崩壊、そして当然のようにアンディにも向けられた疑惑の目、ガラスの精神にはそれは重すぎた。崩壊したメンタル、続かない集中力、定まらないモチベーション、この時点でアンディはもはやトップ選手としての器ではなくなっていた。
自らが立ち上げたチームが母体のため、半ばお情けで契約が継続され続けたことも、徐々にアンディを追い詰めていった。内外から聞こえる「なぜあいつを走らせるのか」、「他の選手のチャンスを奪い続けるのか」と言った言葉、しかしそれでもまだ残っていた選手としての誇りが彼をかろうじて現役へ踏みとどめていた。
しかし伴わない結果、そして集中しきれないことで不用意な落車に巻き込まれることが増えると、きっちりとした受け身を取りきれずに怪我をすることが増えたのだ。他の選手達が怪我から華麗なカムバックを次々と果たす中、いつまでも「怪我が完全に治らずに調子が上がらない」と言い訳を続けた苦悩の日々は、徐々に”アンディ・シュレク”自らを蝕んでいった。
結果を求められ、そして覚悟を決めて挑んだ今年のツール・ド・フランス、本人はこの結果如何で今後の身の振り方が変わってくるだろうことをきちんと理解していただろう。しかし結果は落車、そしてそこからのリハビリでも心身ともに復活を遂げることができず、引退という選択肢しか未来には残されていなかった。
「皆が様々な憶測をする前にきっちりと発表しておこうと思った。2014年度いっぱいでの現役の幕引きをは、タイミング的にも最良の時だと思う。今は3〜4時間走れば膝が痛くなり腫れて動けなくなる状況、膝の半月板がほぼ無い状況ではレースディスタンスと上りでの出力を維持することはもはや困難と言わざるをえないよ。」そう淡々と説明する姿に、自らを無理やりにでも納得させようとする苦悩が感じられた。
「レースの日は夜になって一人になると色々な思いが頭を巡るんだよ。そしてそれはエンドレスに続くんだ。それが毎レースごと繰り返されるんだよ。そしてそのことを誰にも相談できぬまま”僕は一体どうしたいんだ?”と自問自答し続けたんだよ。」揺らぎ続けた精神、最後は心がそれを受け止めきれないところまで追い詰められていたようだ。
結局2011年ツールのガリビエ峠での勝利が、彼にとって最後の勝利となった。
「チームは来年も走りたいのであれば検討するよと言ってくれたんだけど、でももう僕が無理だったんだよ。応援してくれる人達を絶望させることよりも、それ以前に僕自身が自分に絶望することに耐えられなくなったんだよ。」そう語るアンディに対し、献身的なまでに弟アンディに尽くしてきた兄のフランクは、チームとの2年間の契約延長をすることを選択した。ブラコン、ブラザーコンプレックスと言われ続けた二人はついに違う道を進むこととなった。
「今から思えば、繰り上げでも優勝は優勝、ツールでの総合優勝はいい思い出となったよ(皮肉が込められている)。まあ選手生活全体を見渡せば、満足のいく10年だったといえるんじゃないかな。」
「僕はまだ30才、前から言っているけどサイクリングは僕の仕事であり、僕が情熱を持って打ち込めるスポーツだった。でも決してそれ以上ではなく、全てを自転車に捧げるつもりなんて毛頭なかったよ。きっとこの引退は僕にとって新しいことをするチャンスなんだ。他にもたくさん夢があるからね。」そう前向きに語ったアンディ、これからの人生を謳歌してもらいたい。それもまた一つの人生の在り方。
H.Moulinette
『ファンが多い選手でもあった ©Tim D.Waele』 |
『この頃のフィジカルとメンタルを取り戻すことは出来なかった ©Tim D.Waele』 |
自らが立ち上げたチームが母体のため、半ばお情けで契約が継続され続けたことも、徐々にアンディを追い詰めていった。内外から聞こえる「なぜあいつを走らせるのか」、「他の選手のチャンスを奪い続けるのか」と言った言葉、しかしそれでもまだ残っていた選手としての誇りが彼をかろうじて現役へ踏みとどめていた。
しかし伴わない結果、そして集中しきれないことで不用意な落車に巻き込まれることが増えると、きっちりとした受け身を取りきれずに怪我をすることが増えたのだ。他の選手達が怪我から華麗なカムバックを次々と果たす中、いつまでも「怪我が完全に治らずに調子が上がらない」と言い訳を続けた苦悩の日々は、徐々に”アンディ・シュレク”自らを蝕んでいった。
『最後となったツールでの走り ©Tim D.Waele』 |
「皆が様々な憶測をする前にきっちりと発表しておこうと思った。2014年度いっぱいでの現役の幕引きをは、タイミング的にも最良の時だと思う。今は3〜4時間走れば膝が痛くなり腫れて動けなくなる状況、膝の半月板がほぼ無い状況ではレースディスタンスと上りでの出力を維持することはもはや困難と言わざるをえないよ。」そう淡々と説明する姿に、自らを無理やりにでも納得させようとする苦悩が感じられた。
「レースの日は夜になって一人になると色々な思いが頭を巡るんだよ。そしてそれはエンドレスに続くんだ。それが毎レースごと繰り返されるんだよ。そしてそのことを誰にも相談できぬまま”僕は一体どうしたいんだ?”と自問自答し続けたんだよ。」揺らぎ続けた精神、最後は心がそれを受け止めきれないところまで追い詰められていたようだ。
『ガリビエ峠での勝利 ©Tim D.Waele』 |
「チームは来年も走りたいのであれば検討するよと言ってくれたんだけど、でももう僕が無理だったんだよ。応援してくれる人達を絶望させることよりも、それ以前に僕自身が自分に絶望することに耐えられなくなったんだよ。」そう語るアンディに対し、献身的なまでに弟アンディに尽くしてきた兄のフランクは、チームとの2年間の契約延長をすることを選択した。ブラコン、ブラザーコンプレックスと言われ続けた二人はついに違う道を進むこととなった。
「今から思えば、繰り上げでも優勝は優勝、ツールでの総合優勝はいい思い出となったよ(皮肉が込められている)。まあ選手生活全体を見渡せば、満足のいく10年だったといえるんじゃないかな。」
「僕はまだ30才、前から言っているけどサイクリングは僕の仕事であり、僕が情熱を持って打ち込めるスポーツだった。でも決してそれ以上ではなく、全てを自転車に捧げるつもりなんて毛頭なかったよ。きっとこの引退は僕にとって新しいことをするチャンスなんだ。他にもたくさん夢があるからね。」そう前向きに語ったアンディ、これからの人生を謳歌してもらいたい。それもまた一つの人生の在り方。
H.Moulinette