木村司、奥村智司
2014年10月10日15時49分
70年前の10月10日、延べ約1400の米軍機が沖縄や奄美大島を空から攻撃し、600人以上が死亡した。「10・10空襲」と呼ばれる惨事は、5カ月半後に始まる沖縄戦の前哨戦とされ、翌年に本土各地が被害にあった無差別爆撃の始まりでもあった。
あの日、女学校4年で15歳だった武村豊(とよ)さん(85)=那覇市=は、朝7時ごろに自宅を出た。軍の陣地づくりに動員される日々が続いていた。友人宅に寄ったとき、急降下する機体を目にした。米兵の顔が見えるほどの距離。破裂音がとどろき、煙が上がった。
空襲は約9時間。初めは飛行場や港湾施設が狙われたが、やがて那覇市に焼夷(しょうい)弾が投下され、市街地の9割が焼失したとされる。夕方、街は燃えさかっていた。自宅も、学校も、焼けた。死者は市内だけで250人を超えた。
おすすめコンテンツ
※Twitterのサービスが混み合っている時など、ツイートが表示されない場合もあります。
朝日新聞社会部
PR比べてお得!