チャイナ・ブリーフ:(7)中国長老支配の終わり
2014年10月10日
中国の国家主席、総書記を歴任した江沢民、胡錦濤両氏ら長老の党内序列が低下している。これまでは現役の最高指導部である政治局常務委員会メンバーに次ぐ扱いだったが、ヒラの政治局委員の下に位置づけられた。長老の影響力が強かった中国政治の大きな変化といえる。
序列の変化が伝えられたのは、9月2日に行われた江蘇省政治協商会議前書記の葬儀だった。同省共産党委員会の機関紙「新華日報」の記事で胡錦濤氏の名が政治局委員である趙楽際・党組織部長の後に置かれたのだ。
興味深いのは普通なら見逃しそうな変化を胡氏の出身母体である中国共産主義青年団(共青団)の機関紙「中国青年報」がネットで「指導者の序列に新状況」という見出しで報じたことだ。明らかに党内外に周知することを狙った積極的な情報発信だった。
胡氏の序列が下がることは共青団にとっては一見、好ましくない事態のようにも思える。しかし、胡氏はもともと「長老は政治に口を出すべきではない」という考えを持っていたとされる。胡氏自身が情報発信を望んでいたことも考えられる。
トウ小平氏以来の「ストロング・マン」型指導者を志向しているとされる習近平国家主席(総書記)にとっても都合がいい。「長老支配の終わり」を印象づけることは、習氏の求心力を高めることにもつながるからだ。
◇ ◇ ◇
党内序列はかつて中国共産党内の権力構造の変化を探るバロメーターだった。党指導部の名前が列挙されるのは大きな記念行事や重要人物の死去などの際の公式報道に限られており、中南海ウオッチャーは葬儀のたびに序列を確認するのが習慣だった。
1989年6月の天安門事件の前後、デモの武力鎮圧や趙紫陽元総書記の解任に影響力を行使したのが「八大元老」などと呼ばれた長老たちだった。同年10月1日、建国40年を祝う国慶節の記念行事を報じた新華社の記事には当時の序列が示されている。
天安門に登った指導者14人の序列は「江沢民(総書記)、トウ小平(中央軍事委主席)、楊尚昆(国家主席)、李鵬(首相)、陳雲(中央顧問委主任)、万里(全人代委員長)、李先念(全国政協主席)、彭真(前全人代委員長)、トウ頴超(前全国政協主席、周恩来夫人)、喬石(中央規律検査委書記)、姚依林(副首相)、宋平(組織部長)、李瑞環(書記)、王震(国家副主席)」の順。(カッコ内は当時の役職)。
このうち常務委員会メンバーは江沢民、李鵬、喬石、姚依林、宋平、李瑞環の6氏。残り8人のうち当時70代の万里氏を除く7人は80代。江氏はトウ小平氏から「第3世代の核心」に指名され、形式的に序列1位に置かれていたが、実質的な権力はトウ氏ら長老に握られていた。
◇ ◇ ◇
トウ小平氏はこの頃からスムーズな世代交代を実現できるかが共産党政権にとっての死活的な課題と考え、意図的に権力継承のための方策を打ち出した。89年11月の5中全会で中央軍事委主席のポストを江氏に移譲し、92年10月の第14回党大会で長老らの集まりだった中央顧問委員会を廃止した。
93年3月の全国人民代表大会(全人代=国会)では、江氏を国家主席に選出し、最高指導者が党、国家、軍のトップに立つという方式を確立した。カリスマ性がなくてもポストで権力を掌握する体制を作るという点で政治システムの近代化の意味を持った。
94年9月の14期4中全会でトウ氏ら第2世代から江氏ら第3世代への権力引き継ぎが完了する。この後、政治局常務委員経験者ら長老の序列は現役の政治局常務委員の後、政治局委員の前という慣例がほぼ定着した。
世代交代や党内序列をめぐる難題が再浮上したのは2002年11月の第16回党大会だ。江氏に代わって胡氏が総書記に選出されたが、中央軍事委主席には江氏が留任した。最高権力者が党、国、軍のトップになるという、トウ小平の制度設計が崩れたのだ。
翌03年3月の全人代で胡氏が国家主席に就任すると、序列は「胡錦濤、江沢民」の順になったが、江氏の「院政」が続いた。「江沢民を核心とする指導部」と表現が「胡錦濤を総書記とする指導部」に変わった。「核心」が消えたのだ。党内にも江氏の「居座り」に対する批判は少なくなかった。
江氏は04年9月の4中全会で軍事委主席を胡氏に譲ったが、江氏の影響力は根強く残り、胡氏の権力基盤は弱かった。胡氏が総書記の座にあった10年は改革が進まず、今や「失われた10年」との批判まである。「二頭体制」の弊害ともいえた。
◇ ◇ ◇
12年の第18回党大会で習氏に総書記の座を譲った胡氏は同時に中央軍事委主席からも退いた。習氏は「崇高な品格を体現している」と最大限の表現で賛美した。「院政」をしいた江氏に対する胡氏なりの意趣返しという見方も出た。
18回党大会後の13年1月に楊白冰・元中央軍事委秘書長の死去が報じられた際、江氏の序列が初めて常務委員の後になった。新華社は江氏の要請に基づくものと報じたが、胡氏が「完全引退」を決めたことで江氏が圧力を感じていた可能性もある。
7月末の政治局会議でこれまで「聖域」とされてきた常務委員経験者である周永康・前中央政法委員会書記を除名し、汚職で立件することが決まった。10月20日から23日まで開かれる4中全会で周氏の処分が決まる見通しだ。
周氏は江氏を後ろ盾に最高指導部まで上り詰めた経緯があり、立件までには江氏ら長老の反対もささやかれた。習主席は若い頃からの盟友である王岐山・中央規律検査委書記とともに「ハエも虎もたたく」と汚職摘発キャンペーンを進め、長老らを抑え込んだ。
10月1日の国慶節を前にした9月末の祝賀会には江、胡氏も出席したが、両氏を含めて引退した常務委員経験者の名前は政治局委員の後に置かれた。これが新たな慣例となったようだ。序列の変化は習氏の権力掌握の成功を象徴しているようにも見える。