そのとき、福島第二原発で何があったか(その1)
不測の事態で発揮されたセンスメーキング
東日本大震災では未曾有の不測の事態を迎えた。福島第一原発がメルトダウンとなり、そこから10km離れた福島第二原発も危機的状況を迎えていた。しかし、第二原発では、原子炉内の最大圧力が基準値を超えると予測された2時間前に、冷却システムの復旧に成功する。最大の危機を乗り越えることができた裏には、どのようなリーダーシップが発揮されたのか。
なぜ福島第二原発は、惨事を免れることができたのか
「福島の惨事」といえば、私たちの大多数がまず思い浮かべるのは福島第一原発だ。2011年3月に発生した東日本大震災によって、福島第一原発の炉心は6基のうち3基がメルトダウンを起こし、3つの原子炉建屋が爆発したため壊滅的な状態に陥った。発電所の冷却システムが稼働するための電源を喪失したため、管理者や作業員はこの惨劇を回避できなかった。爆発や灰色の煙、舞い上がる蒸気が映るぼやけた映像を、世界中の人々が見守っていた。津波に襲われて以来、第一原発は、汚染水や残された瓦礫を封じ込めて処理するという難題に追われ続けていた。
実はあまり知られていないが、福島第一原発のおよそ10キロメートル南に位置する福島第二原発も深刻な打撃を受けていた。にもかかわらず、第二原発は第一原発のような末路をたどらずに済んでいる。どのようなリーダーシップが働いて惨事を免れたのかを解き明かすべく、私たちは直接インタビューを試みた。さらに、福島第一原発と第二原発を所有する東京電力(TEPCO)やアメリカ原子力エネルギー協会をはじめ、数々の公的な情報源による詳細な報告書を確認したうえで、当時の状況を本稿で再現する。今回のような不測の事態では、意思決定や系統立った行動の基になる通常の規範はいっさい通用しない。しかし当時の第二原発の増田尚宏所長とおよそ400人の作業員が混沌とした状況を乗り切ったので、第二原発はメルトダウンも爆発も起こさずに生き残ったのだ。
マグニチュード9・0という地震は日本では過去最大規模のものであり、その地震波は福島第二原発の耐震設計の3倍に達した。地震と津波発生後に使用できたのは、非常用ディーゼル発電機1台と外部からの電力線1回線のみ。この1本の電力線が命綱の役目を果たし、それぞれの原子炉や格納容器の制御に欠かせない、水位や温度、圧力、その他重要な各種パラメーターをオペレーターが監視する中央制御室に電力を供給していた。ただし4基ある原子炉のうち3基は、原子炉冷却システムの主要部分を運転するための電力が足りなかった。
冷却を行って第一原発のような惨状を回避すべく、増田所長と彼のチームは、残された外部電源で原子炉に電力を供給しなければならなかった。しかしチームは、恐ろしいほどの自然災害に動揺していた。いったいここで何が起きたのか。あらゆる希望が無残に打ち砕かれてしまった後、作業員を立ち上がらせ、行動させるにはどうしたらよいのか。だが、このような問いに逡巡することも危険だ。最悪の事態は本当に過ぎ去ったのか。自然災害は散発的な出来事ではない。地震は後々まで爪跡を残し、余震が1年以上も発生することもある。津波だけが恐ろしい余波ではない。後々まで影響を与えるのだ。
- 第1回 そのとき、福島第二原発で何があったか(その1)不測の事態で発揮されたセンスメーキング (2014.10.10)
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