吸い込むと肺に刺さり、がんなどを引き起こす石綿。経済成長の陰で、その被害への対策が軽視されていた。

 大阪・泉南地域の石綿加工工場の元労働者らが起こした裁判で、最高裁が1971年までの13年間、やるべき規制を怠った政府の責任を認めた。

 労働現場の安全を確保する規制は、産業重視の立場とときに衝突する。最高裁は労働者の生命・健康を守る政府の義務を重くみる考え方をとった。

 厳しい労働環境が依然としてなくならないなかで、説得力をもつ判断だ。

 政府が規制の影響を慎重に検討するのは当然のことだが、労働者あっての成長であることを改めて確認したい。

 判決が言い渡された二つの訴訟のうち、大阪高裁で原告側が敗訴した第1陣については、高裁に差し戻された。2006年の提訴以降でも原告の14人が亡くなっており、救済を先送りすることは許されまい。政府は原告勝訴の第2陣の判断基準に準じて、早期に救済すべきだ。

 泉南地域には戦前から石綿紡績工場が集まり、戦後の高度経済成長を支えた。石綿被害の潜伏期間は長く、大半の工場はもうない。被害者は政府を相手に裁判を起こすしかなかった。

 戦後、国際機関が石綿の発がん性などを指摘し、80年代に欧米諸国は使用の禁止や使用量の急減などの規制を強めた。しかし、日本では「代替品がない」という業界の抵抗が受け入れられた形で、90年代後半まで相当の量が使われていた。全面禁止されたのは06年のことだ。

 同じ年に石綿救済法ができ、広範な被害対策に乗り出した後も、政府は過去の対応に問題はなかったと主張し続けてきた。まずは誤りを認め、被害者に謝罪しなければならない。

 有害と知りながら、政府が徹底した対策をとらないまま事態が深刻になることは、これまでの公害や薬害、労災でも繰り返されてきたことだ。リスクと向き合うことに難しさがあるなら、それはなぜなのか政府自身で検証すべきだろう。

 石綿被害をめぐっては、今回の裁判も含め、各地の建設現場の労働者や、機械メーカー・クボタの旧工場の周辺住民が原告になったものなど、14の裁判が起こされた。労災決定は全国で06年以降、毎年1000~1800程度出ており、全容がつかめない産業災害といえる。

 いまの石綿救済法では救済は不十分という指摘もある。埋もれた被害はないか。判決を機に、再検証するべきだ。