日米防衛協力のための指針の見直しに向けた中間報告が公表された。専守防衛は戦後日本の「国のかたち」である。骨抜きにするのなら、許されない。
防衛協力のための指針は「ガイドライン」と呼ばれる。冷戦期の一九七八年に策定された旧指針は日本への武力攻撃があった際の、自衛隊と米軍との役割分担を中心に記されていた。
現行の指針は冷戦後の九七年に改定されたものだ。朝鮮半島など日本周辺での緊急事態である「周辺事態」を想定した内容に改められ、自衛隊の役割が拡大された。
◆自衛隊活動、世界中で
十二月の最終取りまとめを目指す今回の見直しは、中国の軍事的台頭への対応とともに、自衛隊の活動領域を世界に広げることが大きな目的であることは明白だ。
公表された中間報告は「序文」で、指針の見直しが「日米両国が、国際の平和と安全に対し、より広く寄与することを可能とする」と記し、その「目的」では、将来の日米防衛協力が「日米同盟のグローバルな性質」を持つことを確認している。
現行指針では「平時」「周辺事態」「日本への武力攻撃」という三つの場合を想定しているが、中間報告では「周辺事態」という文言が消え、「平時から緊急事態までの切れ目のない形」に改められている。「緊急事態」とは、どの場所で起きて、何を指すのか、全く明らかにされていない。
この指針から透けて見えるのは「地球の反対側」を含め、世界の紛争に介入する米軍を支援する自衛隊の姿にほかならない。
これを可能にしたのは、今年七月一日の閣議決定だ。歴代内閣が堅持してきた政府の憲法解釈を、安倍晋三内閣のみの判断で変え、憲法が禁じてきた「集団的自衛権の行使」を認める内容である。
◆平和国家に高い評価
世界中の人々が平和で安全に暮らせるよう、日本も積極的に貢献すべきだとの考えに異論はない。「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」ことを前文で宣言した日本国憲法の理念でもある。
私たちだけ平和ならいいという「一国平和主義」では、国際社会の「名誉ある地位」(憲法前文)には、到底たどり着けまい。
しかし同時に、戦後日本の平和国家としての歩みこそが、国際社会で高い評価と尊敬を勝ち得てきたことにも、いま一度、目を向けるべきではないか。
日本への攻撃時にのみ自衛権を発動する「専守防衛」や、核兵器を「持たず、造らず、持ち込ませず」の非核三原則は先の大戦の反省や体験に基づく戦後日本の「国のかたち」だ。すでに見直されたが、武器輸出を原則禁じた「武器輸出三原則」も同様だった。
中間報告では現行の指針同様、「日本の行為は、専守防衛、非核三原則等の基本的な方針に従って行われる」と記されてはいるが、指針見直しに伴い、集団的自衛権の行使に該当する対米軍支援をするようなことになれば、専守防衛を逸脱するのは明らかである。
専守防衛を掲げながら、それを骨抜きにするのは、あまりにも不誠実だ。断じて許されない。
もう一点、見過ごせないことがある。それは、自衛隊と米軍が、どの事態に、どう協力するのか、中間報告では、詳細な検討事項が明らかにされていないことだ。
九七年の見直しの際、中間報告には武器・弾薬を含む物資・人員・燃料の輸送支援や、不審船舶の検査、機雷除去など、十五分野四十項目にわたる対米協力の検討事項が列挙され、国会でも議論された。
しかし、今回は「情報収集、警戒監視及び偵察」「後方支援」「非戦闘員を退避させるための活動」「海洋安全保障」などを含み得ると記しただけだ。それらが、集団的自衛権の行使に該当するのなら、戦後日本の安全保障政策を根底から覆す大転換である。
にもかかわらず、何を検討しているのか、国民に詳細を明らかにせず、日米両政府の担当者間だけで議論し、既成事実化する。そんな手法が認められるはずはない。
◆秘密保護法も「同根」
中間報告は「日米共同の取組」に「情報共有・保全」も記した。日本側の対応は防衛・外交など特段の秘匿を必要とする「特定秘密」を漏らした公務員らを厳罰に処す特定秘密保護法にほかならない。
この法律は十二月十日に施行される見通しとなった。防衛指針見直しと無縁ではないだろう。
安倍内閣の二年弱で、自衛隊の活動拡大、対米協力強化を旨とした防衛政策の見直しが劇的に進んでいる。アジア・太平洋地域の情勢変化が背景にあるとはいえ、このまま進めていいのか。立ち止まって考えるときにきている。
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