(2014年10月9日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
学生と香港政府の掛け金の高いポーカーゲームがありがたいことに流血沙汰もなく終わりに近づく中、民主派デモが香港にどんな長期的インパクトを与えるか考えるのも早すぎはしないだろう。
まず結論から述べるなら、この戦いの結末はあらかじめ決まっていた。香港は「真の」民主主義を採用すべきだとする学生たちの中核的な要求は、最初から通る見込みがなかった。
胴元が必ず勝ついかさまポーカー
学生たちの要求が通る見込みは最初からなかった(香港の民主派デモの一幕)〔AFPBB News〕
北京は8月末に中央政府としての決定を言い渡し、香港の選挙規則に厳しい制限を設けていた。そのため、北京が学生たちの要求に屈することは、まず考えられなかった。
もしこれがポーカーゲームなら、それはいかさまだった。胴元が常に勝つのだ。
確かに、梁振英行政長官が率いる香港政府と民主派の活動家の「交渉」がこれから行われる。だが、香港の当局に交渉できる余地はほとんどない。
出されている提案の中で最善のものは、指名委員会――現在はたった1200人しかいない――の少なくとも半数のメンバーが、香港の500万人の有権者がそこから選択できるように2人ないし3人の候補者を選ぶ制度だ。
一般市民による候補者指名は問題外だ。一般有権者による選挙のために、アンチ北京の候補者は言うまでもなく急進的な候補者を選べるような制度は許されない。対話を続けるには、学生側が重要な原則をいくつか捨てなければならない。
天安門広場との比較は行き過ぎだった
では、過去10日間の驚くべき出来事は何を意味したのか? 少なくとも3つの重要な疑問が提起された。まず、香港は元に戻ることがあるのか? 第2に、何かが達成されたのか? 第3に、後から振り返ると、天安門広場との比較は行き過ぎだったのか?
疑問とは逆の順番に答えていくなら、天安門広場との比較は魅力的だったが、ミスリーディングだった。1989年の北京と同様、香港でも学生が抗議行動を率い、一党支配国家の無情な現実に対して自分たちの理想主義を掲げた。