独占インタビュー
むつ市の中学1年生・女子4人組が、「調べ学習(彼女らがそう言ってました)」のために、恐山にやってきました。なんでも、「責任者のお坊さん」にインタビューして、レポートを作るのだそうです。
「どうぞよろしくお願いします」(4人同時にペコリ)
「はい、よろしく」(院代なんとなく緊張)
「じゃあ、私から、最初にい・・・、恐山はどうして霊場なんですか?」
(おおっ!いきなり根源的な問題)
「うーん、あの歴史的な成り立ちとかは本を見れば出てくるから、図書館ででも調べてよ。それとは別に、霊場が霊場である理由という話をするなら、結局、気持ちの問題だな」
「ここへ来る人のですか?」
「そう。君たちだって、大切な人が死んでしまったら、ただ悲しいだけではすまなくて、いろんなことを思うだろう。それだけじゃなく、いつか自分が死ぬということに気が付けば、それが怖かったり考えたりすることもあるでしょ。他にもね、精一杯がんばっているのに、いつまでもよい結果が出なかったり、突然思いもよらない災難にあえば、どうしてこうなるんだろうと、胸が苦しくなるかもしれない」
「はい」(大きい目がさらに大きくなる)
「そういう思いをたくさん抱えた人が、それを預けていける場所が霊場なんだと思うよ。霊場はね、お坊さんではなくて、お参りする人が作るんだ」
(ちょっとイイ話、的な感じか?)
「じゃ、次、私ね」(両隣を見まわしてから、私にピタリ、眼の焦点を合わせた)
「霊っているんですか?」
(ど直球!)
「あ、あのね、・・・、君、そういう話するとき一番大事なのはね、お互い使っている言葉の意味が同じかどうか確かめることなんだよ。君、『霊』って言葉、どんな意味で使ってるの?」
「えーっ、お化けとか」
「君、家族に亡くなった人いるの?」
「おじいちゃんが・・・・」
「じゃあさ、おじいちゃんの霊って言ったら、それ、おじいちゃんのお化けのこと?」
「なんか、違うような・・・」
「ぼくさあ、霊もお化けも見たことないんだ。だから、いるともいないとも言えない。ただね、亡くなったおじいちゃんは、間違いなくいるね」
「えっ・・・」
「だって君、思い出すでしょう。思い出そうとしなくても、急に思い出すことがあるでしょう。いるからだよ。生きている人とは違うけど、いるから君の中に出てくるのさ」
「うん・・・」(女子、涙目。優しいおじいちゃんだったのか)
「じゃ、今度は私、お願いします」(大きめの眼鏡が可愛い)
「イタコさんが死んだ人と話せるって本当ですか?」
(ああ、知りたいんだろうねえ)
「それはさあ、イタコさんに聞いてくれないかな」
「わかりませんか・・・」
「わるいけど、当事者でないからねえ」
「・・・・・」(眼鏡女子、当惑)
「あの、それもさあ、さっきの話と同じでね、イタコさんの話を聞いた人が本当だと思うかどうかの問題で、誰にも確かめようがないと思うよ」
「はい・・・」(眼鏡女子、落胆)
「それよりさ、本当かどうかよりもさ、大事なのは、話を聞いた人がどんな気持ちになるかだな。ぼくはね、聞いた人が穏やかな、安心した気持ちになれるといいなと、いつもそう思う」
「もういい? 私で?」(いよいよ4番打者です)
「恐山で毎日何してるんですか?」
「えっ!」
(院代、虚を突かれて狼狽)
「何って、その・・・、亡くなった人のご供養に来た人に供養の儀式をして・・・、お坊さんと話をしたい人とは話をして・・・」
「そうですか」(それだけですか?と言われているような)
「いや・・・、けっこういろいろと忙しいんだが、あれ、何してたかなあ・・・」
「大変でしょうけど、お仕事頑張ってください!」
「はい、ありがとう!」
(なんか、院代、情けないぞ)
追記:次回「仏教・私流」は、10月24日(金)午後6時半より、東京赤坂・豊川稲荷別院にて、行います。
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