「果しなき流れの果に」小松 左京 著
公開日: : カテゴリー:文学・小説・エッセイ, 書評・読書全般 タグ:SF
1965年にSFマガジンに連載され、故・小松左京氏の最高傑作の呼び声も高い同氏初期の傑作。最近SFの古典を少しずつ読んでいこうかなと思い、半村良氏の「石の血脈」か、こっちかどちらにしようかなと迷った末にまずはこちらを手に取ってみた。時空を超えた面白さに、時の経つのも忘れて、あっと言う間に読了した。以下、核心には触れないように気を付けるものの、多少なりとも内容について書きます。
太古の地球、瑞々しく描かれる喰らいあう恐竜たちの死闘の中でこだまする電話機の呼び出し音から始まり、1960年代の日本で白亜紀の地層から発見された決して尽きることのない砂時計の謎を追う研究者たち、しかしあるものは謎の死を遂げ、またある者は行方不明となり、あるものは何者かの襲撃によって意識を失い、そして彼らは次々と姿を消していく。そんな奇怪な事件を端緒に、ありとあらゆるSF要素を積め込みつつ、古代から遥かな未来へ、地球から宇宙の果てへ、個人から超意識へ、今ある世界からもう一つの世界へと壮大なスケールで広がり、やがて時空を超えた二人の男の対決へと集約していく、という・・・小松左京の博識と創作の手腕がこれでもかと詰められていて「凄い」の一言でしか表せない。
いわゆる「オーパーツ」の謎から物語が始まるわけだが、この作品自体が半世紀前の作品とは思えないような瑞々しい考察や設定で満ちている。これは本筋とは”直接には”関係ない、しかし作品全体を通底している、物語序盤の研究者二人、野々村と番匠谷教授のちょっとした会話だが、1960年代半ばの考察と考えると、何かを予見しているようですごい。
『「ただ人類全体の”知性の経済学”みたいなものを、そろそろ考えていいんじゃないですかね?人類が、冷厳たる知性の体系と、それをいつでもひっくりかえしてしまうような、破壊的ユーモアとの間に、新しい主体性を見出して行くような時代が、もうすぐ近くまで来ているような気がしますがね。」
「だが、そのためには、人類の物質生活がつまり生産力がもっと上昇し、分配過程の矛盾が完全にとりのぞかれて、人類が物質的富を意識しないですむほど、生活がゆたかになることが前提になる。――それに、完全に無抵抗な知性の流動も、必ずしもいいとはかぎらんよ。知性の醗酵は、必ず停滞した箇所にあらわれるからね。誤謬やドグマのもっている、逆説的な価値は・・・・・・」
「それは破壊的ユーモアの効用と同じことになるでしょう。」野々村はいった。「もっともシリアスな知性を、いつでも自分で茶化すことができるようになれば、あえて道化役を設定する必要もないわけですよ。」
「人類総道化か」教授は息がつまりそうにクックッと笑いながらいった。「これからはジョヴァンニ・ベルシェのいうみたいに――”半分まじめ(セミセリア)”の時代になるかな?」』(P31-32)
作品全体として、どう言えばいいのか悩ましい。テーマでも、作劇でも、描写でも、小説を点が線になり、線が面になり、面が球になり、球が個になる過程として描いて見せたとでも言うのがいいのだろうか。上手く表現できないのだけど、「物語」が目の前で一気に広がってきて波のように呑まれていく体験ができて、これはすごい、と思った。
ワゴオの叫びに心動かされ、リックたちの末路に震えながら、厳然とそびえたつ時間による支配の非情さが、様々な人の営みを呑みこみつつ、管理と反逆とを体現する二人の男の対決へと繋がっていく後半、エンターテイメント小説の醍醐味がある。
また、後に「日本沈没」など小松左京作品のテーマの一つになる「日本列島の沈没によって流浪する日本人」が、すでに本作にもわずかな描写ながら描かれていて、それも興味深い。故郷を失い、世界中に、やがて数百年の時を経て太陽系中に分散し、人類が民族という枠組みを克服してもなお故郷と民族を忘れられないごく少数の一宗教団体と化した元日本人たちは叶わぬ日本再建の夢を託して、ただの祈りの唄と化した「君が代」を唱和しながら太陽系外への最初の移民として旅だっていくのだ。その先にあるのは植民惑星での『祈りと、過酷な開拓労働の日常』(P303)である。このあたり、共感と冷徹に突き放す描写とが入り混じっていてとても面白い。
ただ、二人の主人公へフォーカスしていく過程でいくつかおいてけぼりになっている登場人物たちは惜しい、というか、その後が見たかった。ハンスとか番匠谷教授の意識とか・・・。特にハンスは松浦との縁もあって良いドラマが描けそうなのだけれども。あと、佐世子は確かに最後にささやかな幸せを得たけど全体を通してみると残酷な人生だと思うので、もっと幸せにしてあげたい。
あと、「果しなき流れの果に – Wikipedia」から
『20世紀末には角川書店社長だった角川春樹によりアニメ化の企画が進められ、監督に富野由悠季、美術設定に弐瓶勉が予定されていた[11]。アニメ化の企画を知った作家の笹本祐一は脚本執筆を志願したというが[12]、角川の逮捕もあり企画は頓挫した。』(脚注は[11]と学会『と学会年鑑ORANGE』楽工社、2007年、p.260。座談会での永瀬唯の発言。[12]「追悼アンケート 笹本祐一」『完全読本さよなら小松左京』徳間書店、2011年、p.283、とのこと)
もし上手くアニメ化することが出来たのなら、すごく面白そうなので、この超豪華メンツは無理でもぜひ再企画してほしい。しかし、角川春樹の逮捕が93年だから弐瓶先生はまだ漫画家デビュー(95年)前?いや、逮捕後すぐ保釈され、判決が確定しての服役が2001~2004なのでそれまでの間のことかもしれない。
ということで次は何読もうか。
関連記事
・「ジーキル博士とハイド氏 」ロバート・ルイス・スティーヴンスン 著
・「フランケンシュタイン」メアリー・シェリー著
・「ロボット(R.U.R.)(岩波文庫)」カレル・チャペック 著
・「動物農場―おとぎばなし (岩波文庫)」ジョージ・オーウェル 著
・「タイムマシン」ハーバート・ジョージ・ウェルズ 著