諺を調べていたら「黒を白と言い包める」というのは、もともとは「白を黒と言い包める」だったそうだ。出典は史記だとか。
中国には孔子の弟子・公孫竜の「公孫竜子」という詭弁集?があって、いろんな詭弁が載っているという。
■鹿を指して馬と為す
意味:間違ったことを強引に押し通す。
類語・関連語:馬を鹿。鷺を烏と言いくろむ。這っても黒豆。雪を墨。白を黒。
解説:もとは史記。丞相が自らの権勢を試すため皇帝に鹿を献上し,それを馬と言って押し通した。人を試す目的で故意に誤りを言うことから,人を欺き愚弄する意。こういう歪んだ権力者の下でいやそれは違いますという人がいたら,その人もどうかしている。どうかしているものにまともに対応しようとするのはどうかしている。という考え方が一つ。もう一つは,間違ったことをわざと言っている意図は権勢を試すためなのだから,それに応えなくちゃということで反対しないことが正しい。という考え方。まだほかにも考え方はありそう。でも本当にこれは鹿じゃなくて馬かも知れないと思うことだってありえないとは言えない。思ったより難しい問題かも知れない。鹿は角のある雄しかの象形。指は手+旨の形声文字。音符の旨はうまいの意。うまい物に食指が動くさまから,ゆび・ゆびさすの意。馬はうまの象形。
◆出典 日向一雅監修『「ことわざ」新辞典』2010,高橋書店。 故事・ことわざ研究会編『四字熟語辞典』2005,ナツメ社。 SIIの電子辞書「SR-G8100」:広辞苑第六版,新漢語林。ウィキペディア。
「鷺を烏と言い包める」というのは知らなかったが、「昔はカラスを白と言った」というのは確か南○氏の無道抗議に高○学究の著書についてKくんとやらに語った言葉だ。だからここには少なくとも3人の人間が存在し、Bという人物が語ったことをAという人物が「<昔はカラスは白いと言っていたが、実はそうじゃないんだよ>と書いている」とCという人物に話した、という関係がある。これを「Aはカラスは白いと言っている」と言うと全然ちがう話になる。
「カラスは白」といわれて連想するのは、私の場合は「黒を白と言い包める」ということだ。これは「カラスは普通は黒い」ということと「黒を白と言い包める」という諺をあらかじめ知っているからできる直観的な連想で、意味は当然に「間違っていることを正しいと言い包める」ということになる。だから、文脈からするならば、「高○学究は南○について、<昔は南○のように間違ったことを正しいと言い包めていたんだよ>と言いたいのだが、直に批判はしていない」と言っている。
こうした「正しい、間違い」といった判断を「白、黒」といった色で象徴したり「カラス」といった動物で象徴するのは、普遍的なルールに基づいているわけではない。ただ、そうした慣習があることを知っているか否かだけ。
だから普通は人から「カラスは白い」と何の文脈もなく(そんなことは滅多にあるものではないが)言われたら「何を言ってるの?」と意味が解らないし、分からなくても別にいいやと忘れてしまうのが正常だ。自分が知ってるカラスとは違う何かを意味してると何十年にもわたって考え続けるとしたならば、それも人の好きずきでしかないが、けっこう時間を浪費しているのだろう。
中国には孔子の弟子・公孫竜の「公孫竜子」という詭弁集?があって、いろんな詭弁が載っているという。
■鹿を指して馬と為す
意味:間違ったことを強引に押し通す。
類語・関連語:馬を鹿。鷺を烏と言いくろむ。這っても黒豆。雪を墨。白を黒。
解説:もとは史記。丞相が自らの権勢を試すため皇帝に鹿を献上し,それを馬と言って押し通した。人を試す目的で故意に誤りを言うことから,人を欺き愚弄する意。こういう歪んだ権力者の下でいやそれは違いますという人がいたら,その人もどうかしている。どうかしているものにまともに対応しようとするのはどうかしている。という考え方が一つ。もう一つは,間違ったことをわざと言っている意図は権勢を試すためなのだから,それに応えなくちゃということで反対しないことが正しい。という考え方。まだほかにも考え方はありそう。でも本当にこれは鹿じゃなくて馬かも知れないと思うことだってありえないとは言えない。思ったより難しい問題かも知れない。鹿は角のある雄しかの象形。指は手+旨の形声文字。音符の旨はうまいの意。うまい物に食指が動くさまから,ゆび・ゆびさすの意。馬はうまの象形。
◆出典 日向一雅監修『「ことわざ」新辞典』2010,高橋書店。 故事・ことわざ研究会編『四字熟語辞典』2005,ナツメ社。 SIIの電子辞書「SR-G8100」:広辞苑第六版,新漢語林。ウィキペディア。
「鷺を烏と言い包める」というのは知らなかったが、「昔はカラスを白と言った」というのは確か南○氏の無道抗議に高○学究の著書についてKくんとやらに語った言葉だ。だからここには少なくとも3人の人間が存在し、Bという人物が語ったことをAという人物が「<昔はカラスは白いと言っていたが、実はそうじゃないんだよ>と書いている」とCという人物に話した、という関係がある。これを「Aはカラスは白いと言っている」と言うと全然ちがう話になる。
「カラスは白」といわれて連想するのは、私の場合は「黒を白と言い包める」ということだ。これは「カラスは普通は黒い」ということと「黒を白と言い包める」という諺をあらかじめ知っているからできる直観的な連想で、意味は当然に「間違っていることを正しいと言い包める」ということになる。だから、文脈からするならば、「高○学究は南○について、<昔は南○のように間違ったことを正しいと言い包めていたんだよ>と言いたいのだが、直に批判はしていない」と言っている。
こうした「正しい、間違い」といった判断を「白、黒」といった色で象徴したり「カラス」といった動物で象徴するのは、普遍的なルールに基づいているわけではない。ただ、そうした慣習があることを知っているか否かだけ。
だから普通は人から「カラスは白い」と何の文脈もなく(そんなことは滅多にあるものではないが)言われたら「何を言ってるの?」と意味が解らないし、分からなくても別にいいやと忘れてしまうのが正常だ。自分が知ってるカラスとは違う何かを意味してると何十年にもわたって考え続けるとしたならば、それも人の好きずきでしかないが、けっこう時間を浪費しているのだろう。