弁証法と哲学

思索を綴ってまいります・・・・

黒を白と言い包める

2014-09-26 13:12:14 | 日記
諺を調べていたら「黒を白と言い包める」というのは、もともとは「白を黒と言い包める」だったそうだ。出典は史記だとか。

中国には孔子の弟子・公孫竜の「公孫竜子」という詭弁集?があって、いろんな詭弁が載っているという。

■鹿を指して馬と為す
意味:間違ったことを強引に押し通す。
類語・関連語:馬を鹿。鷺を烏と言いくろむ。這っても黒豆。雪を墨。白を黒。
解説:もとは史記。丞相が自らの権勢を試すため皇帝に鹿を献上し,それを馬と言って押し通した。人を試す目的で故意に誤りを言うことから,人を欺き愚弄する意。こういう歪んだ権力者の下でいやそれは違いますという人がいたら,その人もどうかしている。どうかしているものにまともに対応しようとするのはどうかしている。という考え方が一つ。もう一つは,間違ったことをわざと言っている意図は権勢を試すためなのだから,それに応えなくちゃということで反対しないことが正しい。という考え方。まだほかにも考え方はありそう。でも本当にこれは鹿じゃなくて馬かも知れないと思うことだってありえないとは言えない。思ったより難しい問題かも知れない。鹿は角のある雄しかの象形。指は手+旨の形声文字。音符の旨はうまいの意。うまい物に食指が動くさまから,ゆび・ゆびさすの意。馬はうまの象形。

◆出典 日向一雅監修『「ことわざ」新辞典』2010,高橋書店。 故事・ことわざ研究会編『四字熟語辞典』2005,ナツメ社。 SIIの電子辞書「SR-G8100」:広辞苑第六版,新漢語林。ウィキペディア。


「鷺を烏と言い包める」というのは知らなかったが、「昔はカラスを白と言った」というのは確か南○氏の無道抗議に高○学究の著書についてKくんとやらに語った言葉だ。だからここには少なくとも3人の人間が存在し、Bという人物が語ったことをAという人物が「<昔はカラスは白いと言っていたが、実はそうじゃないんだよ>と書いている」とCという人物に話した、という関係がある。これを「Aはカラスは白いと言っている」と言うと全然ちがう話になる。

「カラスは白」といわれて連想するのは、私の場合は「黒を白と言い包める」ということだ。これは「カラスは普通は黒い」ということと「黒を白と言い包める」という諺をあらかじめ知っているからできる直観的な連想で、意味は当然に「間違っていることを正しいと言い包める」ということになる。だから、文脈からするならば、「高○学究は南○について、<昔は南○のように間違ったことを正しいと言い包めていたんだよ>と言いたいのだが、直に批判はしていない」と言っている。

こうした「正しい、間違い」といった判断を「白、黒」といった色で象徴したり「カラス」といった動物で象徴するのは、普遍的なルールに基づいているわけではない。ただ、そうした慣習があることを知っているか否かだけ。

だから普通は人から「カラスは白い」と何の文脈もなく(そんなことは滅多にあるものではないが)言われたら「何を言ってるの?」と意味が解らないし、分からなくても別にいいやと忘れてしまうのが正常だ。自分が知ってるカラスとは違う何かを意味してると何十年にもわたって考え続けるとしたならば、それも人の好きずきでしかないが、けっこう時間を浪費しているのだろう。
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理性・理論性と科学

2014-09-25 10:32:09 | 日記
カントの純粋理性批判について触れたので、形而上学と認識論との区別、そして唯物論と科学の区別についてメモしておく。

アリストテレスの形而上学は未だ検討していないが、形而上学というのは言うなれば「理論体系」だ。それは論理性、理論性と一体的なもので、それが発展していったのが所謂「大陸合理論」だ。
だから「唯物論」というのは一種の形而上学・理論体系であり、科学とは区別される。

それを端的に知るには、ルイセンコを代表とする唯物論として提出された擬似科学=嘘科学だ。


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『純粋理性批判』に関して

2014-09-24 21:05:40 | 日記
愚○亭○が今日、自らの掲示板でカント哲学に対する私見を披露した。その内容は、まあ何と言うかお粗末というか失笑ものだと言わざるを得ないが、非難ばかりしてても仕方がないので私の見解を述べておく。

カントの『純粋理性批判』において「空間と時間」なんてのは枝葉末節でしかない。核心は「二律背反」だ。それは「相反する命題が両立する。どちらも正しいと証明できる」ということだ。そして、それは何故?と問うならば、「純粋理性だから!」という解答なのだ。感覚・知覚からの情報を一切廃して理性のみで解答を導こうとするならば、何でも正しいようにしか答えが出てこないという当たり前の話なのだ。

そこから省みるならば、「感覚・知覚情報を問え」となるはずであるし、南○学派で言うならば「認識とは問いかけ的な<反映像>」という「外界の反映」という部分が肝腎なのだ。初期の○郷氏が「事実で考える」ということを重視した、そのままなのだ。

カントの『純粋理性批判』とは、字義通り「純粋理性じゃ駄目だよ、感覚・知覚を通した外界からの反映情報を活用しなければ真理には達しないよ」ということなのだ。

だが、あの長ったらしい『純粋理性批判』を予め与えられた解答なくして読破することが哲学志望者の試金石だと長らく思われて来たのだろう。

カントの『純粋理性批判』の後に、マッハだとか色んな人が「感覚の分析」に類する研究をしたのも必然的であり、それが形而上学と別れて認識論へ進んだ人類の知的進化なのだから…。

したがって、認識論的に「像」といった場合、それは単なる姿・形を意味するのではなく、「実物・実存がある」という意味だから頭の中の映像一般が認識などではない。

そして、瀬江○史が夢想したような「方法としてのギリシャ哲学、ドイツ哲学」などといったチルチルミチルの青い鳥など存在せず、目の前にある実験医学を促すばかりなのがカントやヘーゲルなのだ。


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一粒の麦

2014-09-23 23:58:33 | 日記
「一粒の麦もし死なずば」という言葉がある。もともとはキリスト教のヨハネ伝に出てくる一節で、言うまでもなく「自分が死ぬことで多くの人々が救われる」という犠牲の精神を説いたものだ。もっとも、アンドレ・ジッドの同名小説は「筆者の同性愛趣味の告白」という犠牲?を負うことで多くのマニアックな趣味の人間に救いを与えんとしたもので、ローマ教皇庁から禁書に指定されたとか…。

キリスト教に限らず、仏教でも自己犠牲は高い精神性を示す価値あるものとされているが、東京大学の高橋哲哉さんは、その「犠牲」をキーワードに社会問題を考察している。

私は最近「武道と日本文化・日本精神」を考える上で、小林秀雄と岡潔という日本を代表するような論者の対談を読み、岡潔が「神風こそが他国に無い日本の誇るべき精神性だ」と語っていることを知った。

岡潔が言うには、欧米の思想は小我なのだ、と。プラトンなんかも小我であり、日本人のように平気で死ぬことのできる民族こそが大我・真我をもたらせる、なんてことをプラトンが好きだという小林秀雄に対して言ってるんですな。

まあ、これは生きた人間同士の対談なので、岡潔の真意がどこにあったのか俄には判断できない。社会のための個人を理想とし、禁欲主義への道を開いたプラトンを軽々に小我と言えるのか疑問だし、キリスト教のような犠牲心をも育んできた欧米思想を一口に小我と言えるのかも分からない。もしかしたなら対談相手の小林秀雄に対して「お前は小我なんだよ」と牽制してたのかも知れない……それが生きた会話というものだから。

もっとも岡は「欧米ではなく日本」と述べているから、自由主義国家に対する福祉国家といったことを想定していたわけでなく、単純に岡の祖国愛・ナショナリズムが反映された言葉だったのかも知れないが。

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『武道哲学講義』第2巻

2014-09-14 21:58:21 | 日記
出版されたばかりの『武道哲学講義』第2巻を購入した。

この著者は私が10代後半から20代前半にかけてとても魅了された人で、この筆者の著述に出逢わなければ、おそらく私は『モンテクリスト伯』も『スカラムーシュ』も、『真実の人間の物語』も『ピエールとリュース』も読むことなく齢を重ねて来ただろうし、その名著紹介の感がある執筆には実に有益なるものがあったことは確かである。

だが、今回のこの本はどうだろうか?著者のこれまでの人生の総決算とでもいう本書は、私はどうも疑問点が多すぎる。例えば、p233の

>一つは、ソクラテスの哲学的弁証法的な実力についてである。
 この人物は、哲学史上の評価ほどには弁証法の実力は育ってはいなかったのである。なぜその実力が育っていなかったのかは、簡単に説くならば、世界歴史としての時代性のゆえである。…

私が思うにソクラテスが通常、「哲学の祖」とか「哲学の父」と評されるのは正しい評価だと思うのだ。例えば、『ゴルギアス』において「ゴルギアスとは何者なのか?弁論術とは何なのか?」と問うていくソクラテスの弁証法を金子武蔵氏は「論理学者であり、定義と帰納法の発見」と 評しているが、これがアリストテレスが『形而上学』において「何であるか(本質)を研究することは幾何学者のすることではなく、哲学者の学がすべきこと」と語っていることへと連なり、そしてまたヘーゲルが「概念の労苦」と述べたことにも繋がっていくものではないか?

この「本質の追究」というか「概念の探究」というか、正に哲学の核心的な知的営みを始めたのはソクラテスなのだ。パルメニデスもゼノンも、「有るは有る、無いは無い」といった極めて理性的な思索はしたが、「それは何なのか?」と問うたのはソクラテスなのだ。その「何なのか?」を明らかにするために「それでは無いもの」との対比をするという対立関係を使ったのがソクラテスなのであり、言うならば「本質へ向かう弁証法」なのだ。この「対立関係からの本質の探究」が専門分野への分化というカテゴリー化にも繋がったし、「原因と非原因との区別」という自然科学の成果にも繋がったのだ。

このソクラテスに関して『武道哲学講義』の著者は、今年の『学城』第11号で次のように訂正している。

>それだけに私は、ソクラテスを高く評価したことは一度もないばかりか、彼は世間の評価ほどには大した学者ではないのだ、とながらく思っていたのである。
 だが、これは正しい評価の在り方ではないことが、この何十年もの研究会のゼミの流れで次第に分かって(理解できるようになって)きたのである。すなわち、ソクラテスの実力を絶対的な評価でなしてはならぬことがやがて分かってくることになったからである。

何十年もの研究会の流れで次第に分かってきたことが、一年で見解を翻すというのも奇妙なことだと思うので、誰かに教えられたのだと察するのが自然な流れだと思う次第。盗んだとまでは断定できないが、どちらにしても「量質転化、相互浸透、否定の否定」といった唯物弁証法の法則とやらの活用はソクラテス以来の「帰納的概念化」とは無縁の非哲学的な思考なのだし、ギリシャ七賢人や老子・孔子と並べて「知恵者」などと一般的に括るのもソクラテスを正しく評価できていない証しだろう。

そしてまた、「弁証法」とは一般的には「対立物の統一」、「対立関係にある物事を合わせて一緒に考える方法」であるが、その「対立関係」にも幾つか種類があり、アリストテレスは『形而上学』においてパルメニデスやゼノンの「一と多の弁証法」の上にソクラテスの「物事の本質の弁証法」を置いたのである。それが学問体系という建築物における弁証法の構造であり、それは正にアリストテレスがソクラテス→プラトンの直系の弟子であったからこそである。アリストテレスの学問体系にとってはソクラテス、プラトンの弟子であったことが本質的なことであった。そしてそれは現代の「定義から各論に至る学術体系」まで繋がっているのである。
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