S先生に教えてもらったナイチンゲール研究学会に参加すべくK先生に言われたとおりの手続きをしたらW先生から案内が送られてきた。
とても興味深い講演ばかりだが、特にOさんの講演に注目した。キーワードは「生活科学」。だが、私はこの「生活科学」という分野を良く知らない。それでも何とか予習しておこうと調べたら、朝倉書店から「朝倉生活科学シリーズ」というのが出版されているそうだ。
「朝倉生活科学シリーズ」は何冊も出ているが、大きく分けると「食物学」「衣服学」「住居学」「児童学」そして全体を取り纏める?「生活管理学」となるようだ。
この「生活科学」というのは大学ナビを見ると「家政学・生活科学」とセットにして扱われており、また世の中には「家政婦・看護師紹介所」なるものがあって家政婦と看護師とが同一に扱われているようだ。
歴史的にも看護というのは主婦や家政婦の仕事として生じてきたのだし、なんらかの必然性があると言えるのだろうか?大学の生活科学部を卒業して管理栄養士になるなんてのは「生活科学」の中でも「食物学」を特に専門的に学習したということになるのだろうが、実際に病院で病院食の管理をしている管理栄養士は患者と接する看護師とは実存的に違う個人であるし、違った分業、違った専門職だ。
それで想起したが滝村隆一の『世紀末「時代」を読む』という本に「専門家の否定」なる発言があった。どんな文脈だったか再読してみないと思い出せないが、感覚・知覚情報を廃した「人間」なる抽象概念で考えたマルクスの誤謬といった文脈だったのではなかろうか?正に純粋理性で考える●郷氏と同様の過ちだったのだろう。
これが行き過ぎると一者・一つの専門職の全能性に思考が向かい、異なる専門職によるチーム医療の否定、ないしは社会全体の分業化の否定までも発展する発想なのかどうか…?
とすると、やはり看護大学における生活科学教育というのは、英語や体育と同じく「教養科目」ということになり、異なる専門性のカリキュラムと言えるのだろうか?当日まで少し考察してみる。
【追記】
聞くところによると、滝村隆一の『世紀末「時代」を読む』を●郷氏は「ズッコケた!」と評したらしいのだが、果たしてズッコケたのは誰だったのか…?関ジャニ∞の少し昔の歌に「ズッコケ男道」というのがあったが、ズッコケることこそが男たるものとの境地に南●氏も到達していたかは定かではない。