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女子高生の部屋を訪れる仮想ゲーム 開発の真意は

2014/10/9 7:00
ニュースソース
日本経済新聞 電子版

 バンダイナムコゲームスが3次元のコンピューターグラフィックス(CG)を駆使して開発した最新コンテンツ「サマーレッスン」。ヘッドマウントディスプレー(HMD)を装着した利用者が家庭教師になり、仮想現実(VR)の世界で女子高生とコミュニケーションをとるというものだ。ゲーム見本市「東京ゲームショウ」(TGS、9月18~21日)で初お披露目する予定だったが、海外などで賛否両論が巻き起こった。会場での混乱を避けるためバンナムは急きょ公開を中止。なぜ「問題作」を作ってまでVRに挑もうとしたのか。開発者へのインタビューからその真意を探った。

■飛び込んだ6畳の部屋、振り向くとそこに…

 HMDを装着すると、目の前に広がっていたのは6畳の部屋。あたりを見渡す。ペンやノートで散らかった勉強机と本棚、そしてベッド。床に転がったサメのぬいぐるみ。部屋の主は女の子だと気づく。

 「先生!」。後ろから呼びかけられ振り向くと、半袖の制服を着た女子高生がいた。プレーヤーは家庭教師で、彼女は生徒。部屋に入ってきて、目の前のイスに腰掛ける。黒髪のポニーテールで、ソフトボール部に所属する。名前はわからない。「きょうもちゃんと教えて下さいね」。目の前には「Yes」と「No」の選択肢。深くうなずくと「Yes」、横に首を振ると「No」を選べる。

 こんな問いかけの繰り返しで女子高生とのコミュニケーションが進むのがサマーレッスンだ。選択に応じてしぐさやコメントが変わる。このため次は何が起きるのか、その質問の意図は何なのかなどが気になり、緊張感に包まれて冷や汗をかいてしまった。すると彼女は「部活に行かなくちゃ!」と慌て始める。最後はちょっとしたサプライズが起きて目が覚める、不思議な約5分のVR体験だった。

 「ゲームのあり方が大きく変わる。久々にワクワクしている」。開発を主導した原田勝弘チーフプロデューサーは興奮気味に話す。原田氏は人気格闘ゲーム「鉄拳」シリーズの開発者として知られるゲームクリエイターだ。サマーレッスンは原田氏率いる鉄拳チームを中心に10人程度のメンバーが集まり、3月からの2カ月間で一気に作り上げた。

「サマーレッスン」はコントローラーを使わず、うなずきや頭の動きで操作する。「プロジェクトモーフィアス」は2015年の製品化が噂される(東京・品川)

「サマーレッスン」はコントローラーを使わず、うなずきや頭の動きで操作する。「プロジェクトモーフィアス」は2015年の製品化が噂される(東京・品川)

 「理解できない」「いかがわしい」「非常識」――。9月1日にソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)のグループ会社が開いた記者発表で初披露されると、メディアが過敏に反応。とりわけ、海外で厳しい批判を浴びた。実際のゲーム画面とは別に制作したプロモーションビデオで女子高生の胸元やスカートを強調してしまったことから、原田氏は「内容が少し誤解されて広まっている」と苦笑いする。

 原田氏がサマーレッスンを開発したきっかけは、HMDという新しいデバイスの理解者がまだまだ少なく普及のネックになっていると感じたためだ。HMD向けのコンテンツはこれまでのゲーム体験と何が違うのか。まず、HMDでは自分の周囲全体がゲーム画面になる。従来はディスプレーの中にしかゲーム画面がなかった。3D音響技術により、音や声のする方向までも再現できる。振り向いたり見上げたりして前後左右が入れ替わっても、頭部の動きをセンサーで検知して対応する。原田氏は「テクノロジーの結晶」と胸を張る。

 ゲーム内のキャラクターとのコミュニケーションもVRならではの体験だ。女子高生がノートを広げ、つたない発音で英語を読み始める。ノートの中身をのぞき込もうと顔を近づけると、女子高生が体を傾ける。「誰しも居心地の良い距離感があるという『パーソナルスペース』の考え方を表現した」(原田氏)。よそ見をすると、目のやり場によっては「どこ見ているの!」と怒られる。キャラクターから見られ、認識されている自分を意識して緊張感が生まれる。「緊張感はすなわち臨場感」。原田氏はにやりと笑う。

■違和感のない臨場感、再現に四苦八苦

開発を主導した第1事業本部第1ディビジョン第2プロダクションの原田勝弘ゼネラルマネージャー兼チーフプロデューサーは、サングラスをかけた奇抜なファッションでもゲームファンの人気を集める(東京・品川)

開発を主導した第1事業本部第1ディビジョン第2プロダクションの原田勝弘ゼネラルマネージャー兼チーフプロデューサーは、サングラスをかけた奇抜なファッションでもゲームファンの人気を集める(東京・品川)

 これまでのゲームでは実現できなかった臨場感の体験。それこそ、サマーレッスン開発の狙いだ。目的を達成するために、どのようなコンテンツを作るべきか。最初に決めたのは、舞台を室内にすること。「ホラーや空を飛ぶ内容では現実からかけ離れすぎ」(原田氏)。現実と比較できる身近なシーンだからこそ、VRの臨場感を実感しやすいと考えた。

 次に登場キャラクター。手始めに手持ちの格闘ゲームのキャラクターを持ち寄って試してみたが「化け物では違和感がある。筋骨隆々の男性も彫刻のように見えてしまう」と頭を悩ませた。VRの難しさを痛感し始めた頃、美術大学に憧れた経験のある原田氏はふと、デッサンの練習風景を思い出した。デッサンで女性をモデルに練習するのは、女性特有の曲線美や柔らかな肌の質感を再現するのが難しく、腕を磨くのに最適だから。VRでは長い髪の毛やスカートの揺れ、きめ細やかな表情の作り込みなども必要だ。「違和感のない女性を描ければ、男性にも動物にも応用できる」と考え、キャラクターを女性に決めた。

 いざ作り始めると、これまでのゲーム作りにはなかった問題点が次々に浮かび上がってきた。その一つが、女子高生の部屋にどうやって生活感を醸し出すか。エアコンを取り付け、壁には排気ダクトを描いた。空いたままのコンセントには電気機器をつなげた。

 ちょっとしたことでプレーヤーが違和感を覚え、VRに入り込めなくなってしまうのも課題だった。例えばサマーレッスンのプレー中に下を向くと、イスに腰掛けた足のシルエットが見える。開発当初は腰掛けているイスがあるだけだった。「普段、座っているときに自分の足が見えるかどうかなんて誰も意識しない。でも、見えないとおかしい。違和感を取り除くには、自分の生活の再認識が必要だった」

 原田氏がSCEのHMD端末「プロジェクトモーフィアス」を知ったのは一般公開前に開かれた開発者向けの説明会。HMDでは米オキュラスなどが先行していたが、ゲーム業界の盟主でもあるSCEが参入すれば「本格普及に弾みがつく」と興奮を覚えた。「これはすごいぞ」。帰り道、原田氏は部下の玉置絢氏に思わず電話していた。「珍しく、厳かな電話がかかってきた」。玉置氏は笑って振り返る。

置き時計やぬいぐるみなどの小物を配置し、生活感を再現した

置き時計やぬいぐるみなどの小物を配置し、生活感を再現した

 ただ周囲の反応は冷ややか。知り合いの開発者には、HMDの新しさや面白さが伝わっていないようだった。説明会の翌日、早速SCEに試作機の借り入れを申し込んだものの、毎月1回、バンナム社内の幹部が集まる本部会議ではなかなか開発の承認が得られなかった。海の物とも山の物ともつかないHMDに開発費を投入する。その決断に経営幹部も尻込みした。

■3年後の「HMD普及元年」に向けて

 「サマーレッスンは業界向けにつくった」と原田氏は言う。サマーレッスンの登場でゲーム業界の空気が変われば、バンナムでもコンテンツ開発に前向きな意見が多数を占めるはず、との思惑からだ。米国などでHMD向けのコンテンツが少しずつ発表され始め「このままでは日本は取り残される」との危機感もあった。

 そして迎えた記者発表会。ネガティブなものも含めて予想を超えた大反響に原田氏は確かな手応えを感じている。これまでHMDに見向きもしなかった社内外の同業者たちが、SCEや原田氏を次々に訪ねてくるようになったからだ。企業トップや役員クラスがこぞってサマーレッスンを試遊する光景に「あまりに露骨な『手のひら返し』。でも、これでいい」と笑う。「将来、過去を振り返ると、2014年9月1日がVR産業史の転換点になっているかも」と語る業界関係者もいる。

 「百聞は一見に如かずではなく、百見は一体験に如かず」。SCEでプロジェクトモーフィアスを主導するワールドワイドスタジオの吉田修平プレジデントの持論だ。HMDが広がるかどうかは、どれだけ多くの一般消費者にモーフィアスをかぶり、VRを体験してもらえるかどうかにかかっている。現在はバンナムとの共同で、TGSで実現できなかったサマーレッスンの体験会を企画中だ。

 「3年後には一般家庭にもHMDが普及し始める」。原田氏は予想する。VRは1990年代にもセガ・エンタープライゼス(現セガ)などが取り組んで流行したが、画質の悪さやソフトの貧弱さから1度は姿を消した歴史がある。技術革新や部品価格の低下によって再び脚光を浴びる現在は、本格普及の分岐点にある。

 HMDの登場でゲームは本当に変わるのか。「右を向きながら、左から襲ってくる敵を撃ち抜く。シューティングゲームを作るなら、それくらいのアクションを実現しなくちゃいけない。ただそこまで到達するには、まだ技術が追いついていない」という。ラジコンにカメラを搭載し、映像を映したらどうかなど、HMDだからこそできるゲームのアイデアを模索する。サマーレッスンはHMD普及に向けたステップの鮮烈な第一歩だ。「今後はHMDのコンテンツ作りを自分のライフワークにする」と言い切る。

(企業報道部 新田祐司)


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